癌になる人がふたりにひとりの時代になっているそうで、昨日NHK-TVの特集番組で癌になる人がなぜそのように多くなって来たのかを説明していた。若い人ほど癌の進行が速いが、癌細胞の増殖性は男性が日々精子を作る仕組みを模倣しているという。
老人になれば癌の進行が遅いとされるし、それは老人の男性は精子が若い頃のように必要がないということになりそうだが、そのことについての説明はなかった。ともかく、人類は進化とともに癌になる確率が増えたそうだ。一方、アメリカの女優が乳癌になる確率が高いことがわかって、健常な乳房を切除したらしいが、乳癌になる確率は遺伝の要素が大きいらしく、他の部位の癌もそのようなことを聞くから、両親や祖母が何歳まで生き、またどのような病気で死んだかを知ると、自分の寿命はだいたい想像出来るのではないか。それはさておき、今日は天橋立について書くのを一休みする。気分が乗らないことと、どうせ「その5」の投稿が21日以降になり、「その4」と「その5」の間に途切れが出来るからだ。先ほどMOに保存しているブログ用の写真をざっと眺めて今日の話題を決めた。同じ題名で投稿したのは
今年1月13日だ。その後、その同じ紅茶専門の喫茶店に三回訪れた。いずれも家内と一緒で、毎回ほぼ同じ席に着き、毎回紅茶の写真を撮った。今日はその3枚の写真を撮影順に載せる。この喫茶店は大阪らしく、とても安いことは以前に書いた。5月3日に訪れた時、表のガラス扉に貼り紙がしてあって、パンの食べ放題と紅茶の飲み放題で600円台であった。好評につき、期間を延長中ともあった。その貼り紙を見たのは6時過ぎだ。7時までは時間があり過ぎたので、食べ放題コースは頼めなかった。それで次回は頼もうということで、一昨日の夜訪れた。ところが玄関に貼り紙がない。好評であったが、儲からないのでやめてしまったのだろう。入店したのは6時10分だ。そろそろ帰ろうかという7時頃、隣りに40歳くらいの男性が四角いトレイに山盛りのパンを運んで来た。800円分にはなるだろう。それを10分ほどで平らげ、またトレイ片手に売り場に去った。どう見ても食べ放題コースで、時計を見ると午後7時になっていた。それで家内が店員に訊くと、食べ放題は相変わらずやっていて、午後7時からであることを思い出した。帰りがけにドアを振り返ると、3日に見た時と同じ貼り紙があった。6月上旬までにまた大阪に出るつもりでいるから、その時は7時に着くようにしたい。
筆者はパン好きだ。食べ放題と言われても5個食べればいい方だろう。パンはすぐに腹がふくらむ。それに、以前何度か書いたが、食べ放題は餓鬼を思い出し、傍で見ていて気分がよいものではない。それはいいとして、この店では毎回紅茶をお代わりする。セルフ・サービスで、10種類ほどある葉から選べる。葉を入れるガラス容器は何と呼ぶのだろう。今ネットで10分ほど費やしてわかった。プランジャー・ポットと呼ぶ。これをわが家にもほしいが、家内に言うと、コーヒー用の耐熱ガラス容器、これも何と呼ぶのか知らないが、それを使って同じようにおいしく淹れることが出来ると言った。わが家は100万点ほどのがらくたがあって、いつでも古物商が出来るほどで、これ以上物を増やしたくない家内は、筆者が何かほしいと言い出すと、必ず文句を言う。それもいいとして、一昨日は3杯飲んだ。初めてのことだ。そして3杯目に迂闊なことを仕出かした。プランジャーポットに葉をスプーンで2杯入れる必要があるのに、カップにその1杯目の葉を入れてしまった。カップの代わりはない。それで葉をポットの中に戻したが、先に飲んだ紅茶の湿り気のために、ほとんど残ったままだ。それでカップに湯を注ぎ、湯もろともポットに戻そうとすると、ポットに湯を入れるボタンを押すと、決まった量が落下してポットは満杯になった。つまり、カップに注いだ湯は戻せなかった。それでそのまま席に戻り、3分待ってポットから紅茶を半分カップに注いだ。すると真っ黒になった。紅茶には見えない。完全に黒茶だ。ブラック・コーヒーよりまだ濃い。とんでもなく苦いかと思うとさほどでもなかった。3杯目で舌が麻痺しているのと、失態を認めたくないからだろう。飲み干した後、ポットに残った半分を注ぎ、カップを揺すりながら葉もろともポットに戻した。するとカップの中の葉は全部ポットに戻った。葉をカップに入れてしまったのは、老人特有のうっかりか。そうかもしれない。自然なことだと大目に見よう。また、インスタント・コーヒーを飲む時の習慣が出たのだろう。それはいいとして、3日に行った時は、隣りに70代と40代の女性がいて、丸亀の猪熊弦一郎美術館がよかったとか、大阪の国立国際美術館は建物が最悪などと、美術談義に花が咲いていた。筆者は耳を大きくして、出来ればその会話に入りたいと思い、機会をうかがった。だが、女ふたりでは会話に途切れがない。最後はハーブ・ティー専門店がもう少し南に行って横丁を入ったところにあると言いながら、ふたりは立ち上がった。
今日は小雨の中、久しぶりに新京極にひとりで出た。門坂流さんの個展最終日で、それを見に行くためだ。あいにく門坂さんはいなかった。それよりも印象深かったのは、2,3か月歩かない間に、著しく商店街の店が変わっていたことだ。ギャラリーFはなくなっていた。また門坂さんの個展があったギャラリー・カトの真正面には大きなハンコ屋がオープンしていた。そのほか、初めて見る店がいくつかあった。商店街は人間と同じで、新陳代謝をしている。古いものが絶えず新しいものに置き換わる。そのことで思い出す。筆者は全身が無性に痒くて、無意識でもまた意識しながらも掻きむしるため、下着が一日で血の小さな赤い斑点で水玉模様のようになる。そしてあちこち瘡蓋だらけで、ゾンビのような肌だ。顔だけはそれが免れているので深刻な気分にならずに済んでいた。そのことをブログに書いてから2か月ほど経った頃か。ここ1か月は痒みが完全に消え失せ、また肌は元通りになって、瘡蓋の跡もなくなった。自分で言うのも何だが、無傷のきれいな肌が戻った。これについて思い当たることがある。食べ物だ。痒みがひどかった頃、筆者はその原因をひょっとすればと思い当たるものがあった。それを食べなくなってから痒みが消えた。食べ物アレルギーのようだ。家内も同じものを食べたが、筆者は数倍食べている。また、家内と筆者とではアレルギーを起こす食べ物が多少違うのだろう。その食べ物は簡単に書いておくと、洋菓子だ。だが、その洋菓子を食べるとまた全身痒くなるかと言えば、そんな単純な問題でもない気がしている。筆者はこの春はひどい花粉症に悩まされた。まだ完治したとは言い難い。花粉症がひどくなったのと、痒みが減退したのは同時期だ。花粉が鼻炎を生じさせた分、体のほかの部分に出た痒みが消えたのではないか。最初に書いた癌のこともそうだが、人間はまだ知らないことが多い。自分の体のことは自分が一番よく知っていると言う人は多い。だが、何もわかっていないことの方が多い。それはともかく、新陳代謝によって皮膚がすっかりきれいになったことを風呂に入るたびに確認して嬉しくなる。これなら間違って若い女性に見られることがあっても卑下しなくて済む。話を戻して、天神橋筋商店街の4丁目だったか、紅茶飲み放題のパン屋兼喫茶店がパンの食べ放題を午後7時から閉店の9時半まで行なうのは、パンが売れ残る割合が多いからだろうか。そうであれば、経営難からいずれ閉店するかもしれない。何事も新陳代謝で、弱くなったものは消えて行く。自然なことだ。