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●天橋立を見に行く、その1
糠の妻クラブ。韓国ドラマの題名だが、去年家内が熱心に見ていた。それを横目で見ながら、今ひとつドラマに関心が持てなかったのは、家内が糟糠の妻そのものであると筆者に自覚があるからだろう。



●天橋立を見に行く、その1_d0053294_049349.jpg昨夜、ネット記事に妻が老けないようにするには経済力が必要で、そのためには妻も働いて収入を得るべしとあった。わが家は家内のみが働き、筆者は「はた羅漢」状態で、家内の老いは年々加速化する。そんなわけでもないが、たまには家内にサービスをしなければと思い、旅行に連れて行く。今年は3月下旬に筆者ひとりが東京、いわきと旅をしたので、家内もどこかに連れて行こうと考え、昔から気になっていた天橋立に行くことにした。日帰りで、かえって家内は疲れると文句を言うに決まっていると思ったが、全く予想どおりの結果となった。それでも絶好の好天に恵まれ、よい思い出になった。写真は撮りっ放しで、先ほどようやくこの投稿のために何枚か加工した。気分的にも用意が整ったので、今日から数日にわたってこの日帰り旅行について書く。いつ行ったのかも忘れていて、これも今しがた調べると4月5日であることが北近畿タンゴ鉄道の1日乗車券の日づけからわかった。まず、JRの嵯峨嵐山駅から乗車し、山陰線を西舞鶴まで行った。山陰線に乗ることはめったにない。従姉の車で何度か綾部まで行ったことがあるほかは、電車を利用して亀岡より北に行ったのはたぶん2,3回だ。それほど馴染みのない地域で、裏日本に行くというのは何となく気が進まない。雪がたくさん降って、暗い地域に向かうという先入観があるからだ。そんななか、天橋立だけは子どもの頃から関心があった。日本三景のひとつであることは小学生で知った。当時記念切手を集めるブームがあり、筆者は小学5年生から始めた。すぐに日本三景の3枚が出ていることを知り、ほどなくして入手した。その1枚に描かれる天橋立の図が筆者にとって最初の印象深い天橋立となった。それを見に行くには日本海まで出ねばならない。旅好きでもなければなかなかそんな機会はない。とはいえ、JTBなどのパック旅行でそれなりに同地が組み込まれていないかと注視したことはあった。一方、10年ほど前になるか、日本三景のひとつである安芸の宮島に家内と行った。広島方面のパック旅行で、原爆祈念館にも訪れた。これは駆け足の旅であったかが、いい思い出になった。またゆっくり広島に行きたいと考えながら家内にそのことを言うと、「ひとりで行けば」と素っ気ない。筆者と旅すると疲れるだけと思い込んでいる。それでいて、どこかへ連れて行けと言う。家内はいい旅館に泊まり、温泉に入り、豪華な刺身の盛り合わせを前にして食事するのが旅と思い込んでいる。それはどこに行っても同じで、金さえ出せば京都市内でも味わえる。また、家内は酒が飲めないので、そうした食事は楽しめないはずなのだが、旅行すなわち温泉と豪華な食事という思いから抜け出せない。ま、還暦過ぎた筆者と還暦直前の家内であれば、それくらいの出費は当然で、いつまでも20代の若者のような旅をする方が間違っている。
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 天橋立に行くことは直前になって家内に言った。数日前から口に出していたが、家内は半ば嘘と思っていた。いつもそうだ。嘘っぽく言う筆者の口ぶりが信じられないのだ。ところがそれが本当になるから、家内はどこまで筆者が真面目なのか不真面目なのかわからないでいる。30年一緒に生活しながら、いまもって筆者の心がさっぱりわからないと言う。たとえば天橋立だ。なぜ筆者がそこへ行きたいと思っているのか、家内にはわからない。筆者にはそれなりの理由がある。まず、3月下旬にひょんなことから水戸の偕楽園を見ることが出来た。これで日本三名園を全部踏破した。次に考えるのは日本三景だ。宮島はすでに行った。次は最も近い天橋立を押さえておくべきだろう。宮城県の松島は2年前の大震災で被害を受け、たぶんまだ元の景色にはなっていない。いずれそうなるが、そうなる頃に筆者は行くことがあるだろうか。以前に書いたようにいわきより北部には行ったことがなく、また知り合いがいないわけではないが、観光に来たついでに寄りましたでは、震災のこともあって相手に悪い。それでよほどのことがなければ松島を見ることがないように思う。となればますますまずは天橋立だ。地図を調べると、西舞鶴まで出て、そこから別の電車に乗り換えてさらに小1時間かかる。だが、ちょうど桜が満開になったはずで、車窓の景色はいいはずだ。また、舞鶴をついでに訪れておきたい。それは映画『飢餓海峡』で少しだけ映る駅舎と駅前の風景がどうなっているかを確認したいからでもある。そのことは後日書くとして、天橋立に行きたいと思い続けたことについてもう少し。筆者が京都に出て来て1,2年経った頃だったか、従姉の旦那さんの紹介で、ある女性から友禅染めの道具一式を無料でもらった。筆や刷毛と長い伸子だ。それらは今も使っている。当時新品を買っても2,3万円ほどで、また高級品ではなかったが、薄給であった筆者には役立った。それらの道具を引き取りに行ったのが五条西大路を少し西に入って下がってところだ。巨大で丸いガス・タンクが近くにふたつ聳えていた。その付近にめったに用事はなかったが、キモノの撥水加工をしてくれるパールトーンという会社が近くにあって、その後20回ほどは訪れた。それがぴたりと行かなくなったのはここ20年ほどだ。それはいいとして、筆者が行かなくなった間にその付近はがらりと様子が変わった。そのことはたまに近くを車で走ることがあって気づいていた。変貌の結末は、京都を代表するROHMという会社のビルが建ったことだ。付近一帯はその会社が占め、ガス・タンクもなくなった(と思う)。
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 そのあたりは昔からどことなくさびれた雰囲気で、工場地帯であった。ROHMが占めたのはそんな理由からでもある。さて、パールトーンの会社に染めた生地を持参して処理を施してもらう帰り、五条通りに面して古びたバスの待合室がいつも気になった。一度は立ち止まってしげしげと内部を覗き込んだこともある。バスの会社名は忘れたが、そこが始発のバス停で、天橋立まで行くことが出来た。片道5000円までであったと思う。数時間乗れば着く。JRよりもバスの方が便利かもと思った。ところが思うだけで行くことはなく、そのうちその付近に行かなくなって待合室のことも忘れた。半年ほど前か、そこを通りがかった。するとすっかり様子が変わり、待合室はなかった。ROHMが出来た頃になくなったのではないだろうか。そのバスを利用して丹後方面に行く人が減少したことも理由かもしれない。天橋立は意識から遠のいたようだが、その後京都文化博物館で『日本三景展』が開催され、一度は行ってみようとの思いはかえって増した。その気になればいつでも可能であるのに、その「その気」になるのがなかなかだ。筆者はどちらかと言えば腰を上げることがとても遅い。やればすぐなのに、なかなかやろうとしない。たとえば、わが家のインターフォンは調子が長年おかしかった。ピンポーンの音を鳴らそうとヴォリュームを上げるとジジーという大きな雑音が部屋中に響く。それでその音を消すために音量を下げていた。するとピンポーンが鳴らない。壊れているのであるから即座に新品に買い代えればいいものを、数万円の出費はもったいないという思いと、隣家のリフォームに際して同時に同じ型のものを供えつければよいと考えた。それでふたつ同じものを購入し、ようやく先日ブレーカーを落として取りつけた。今度は画面つきで、表の様子がカラーで見える。配線の理屈はよくわかっているから、10分ほどで取りつけ完了、電気屋を呼ばずに済んだ。こんな簡単な作業で済むのに、10数年も放置していた。腰が重いどころではない。
●天橋立を見に行く、その1_d0053294_0503440.jpg 山陰線に乗ってのんびりと車窓の景色を見ることは楽しかった。常磐線とはまるで違う雰囲気だ。山が比較的迫って見えるからかもしれない。古くて大きな家がたくさん見えるのは同じだが、家内がそんな辺鄙なところに建つ農家を見ながら、日本の大半はそうした家で、みな交通の便の悪いところに住んでいると言った。同感だ。大都会に生まれ育った者はそれがわからないでいる。日本が車社会になったのは、そういう辺鄙なところが国土の大部分を占めているからで、筆者が車社会のことを悪く言うとすれば、そうした住民から謗りを受ける。それにしても車窓から見える農家がみな立派で、筆者はそれがうらやましい。都会では土地の価格が坪数十万もするから、まるでお城のような立派な家屋をかまえることなど、大会社の社長か、何代も続く名家しか無理な話で、アメリカからの視察団に「あのウサギ小屋」と笑われるような小さな、また規格品のような住まいしか手に入らない。家が大きいこととは別にうらやましいのは庭の圧倒的な広さが、100や200坪はあたりまえで、どんな大きな木でも育てることが出来る。どの付近であったか忘れたが、線路から50から100メートルほど離れたとことに川がずっと沿っていて、数キロにわたって桜が植えられ、それが満開であった。それでも人はほとんどおらず、野生の桜といった風情だ。上野公園で大勢の人と一緒に見た桜もいいが、車窓からいつまでも途切れない桜並木には呆気に取られた。桜の名所に行かずとも、そんな名もないような場所の見事な桜の方が本当はしみじみと味わい深いのではないか。さて、西舞鶴駅から北近畿タンゴ鉄道に乗るには、駅舎が同じ建物であるので1分とかからない。同鉄道は元は国鉄であったのだろうか。調べればわかることだが、そのまま書き進む。西舞鶴駅はまだとても新しく、近代的な駅舎だ。それがよくもあり、また悪くもある。旅の風情を感じたい向きにはさっぱり味気ないが、地元の人たちにとっては地方独特の文化の遅れを感じさせるような古びた建物はいやだろう。同鉄道に乗り換えてから20分ほどした頃か、右手に海が見え始める。若狭湾だ。何度か海水浴に訪れたことがあるが、土地勘が全くないこともあって、それらの正確な場所は知らない。また、若狭湾はとても入り組んで複雑過ぎる。車窓から海が見えると気分は解放的になる。かつて蕪村が与謝地方に旅し、そこで暮らしたことを思った。電車なら数時間だが、徒歩では京都の市中から3,4日はかかる。それでも蕪村が歩きながら見た海や山、田畑は今もほとんど変わらないはずで、筆者が天橋立を見たかったのは、蕪村が与謝を気に入ったことも理由としてあった。
by uuuzen | 2013-05-17 22:59 | ●新・嵐山だより
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