饌という漢字は知っている。そのことは後述しよう。今日は松尾大社の還幸祭に因む子ども神輿が自治連合会傘下の14の自治会から出て、自治会内から大社を往復した。
子どもの数が少ないことがわが自治会のここ10年ほどの悩みで、一時は数人ということもあった。それがわが家の裏にあった畑に11軒の家が建ち揃い、どこも若い夫婦が入居したので、一気に子どもの数が増えた。この調子では向こう10数年は小学生がいることになって、毎年の子ども神輿もどうにか運行出来そうだ。子ども神輿は各自治会が用意していて、わが自治会は幸い指物師が住んでいて、その人の好意で誂えてもらった。たぶん材料費程度で完成したのだろう。松尾大社に今日わが自治会の子ども神輿の隣りに並んだのは、12年前にようやく用意されたもので、わが自治会のものよりかなり小型だが、銅葺き屋根に真鍮の宝珠が乗り、また側面にはバイク用の丸いバック・ミラーだろうか、凸面鏡が神鏡として据えられ、なかなか本格的なものだ。価格を訊くと60万円したらしい。梅津に住んでいた時は子ども神輿が200万円ほどするので、なかなか自治会で用意出来ず、樽神輿と称し、酒樽に造花の花を飾るなどした簡素なもので代用していた。樽神輿はわが自治連合会でもまだ用いている自治会がある。子ども神輿の立派さでその自治会の裕福度や自治会に対する熱心度がわかる。60万円程度であっても、それだけの費用を積み立てるのは大変だ。わが自治会は毎年30万円ほどの繰り越し金があるが、それでは神輿の半分しか新調出来ない。毎年子ども神輿を自治会の倉庫から引っ張り出汁しながら、朱色の塗装があちこち剥がれ、また材木の欠けもちらほら目立つので、修理してもいいかと思わないでもない。筆者より10歳ほど若く、油絵を描いている女性のOさんと今日はそんな話になり、自治会で修理用の塗料や材木を購入し、1日がかりで修理してもいいかと思った。祭りは今日の午後3時には終わり、すぐに倉庫に収納したから、修理するにはまた引っ張り出す面倒があるが、Oさんが暇な時に筆者と一緒に修理するのはどうかと考えている。そのことは今日はOさんに言わなかったが、今月末に2年ぶりのグループ展を画廊で開くので、それを見に行った時に相談してみよう。修理の大部分は塗装であるから、筆を持つことに慣れている人の方がよい。
子ども神輿は自治会内の道路のすべてを練り歩くことになっている。それが今日は2か所省いた。先導したのは筆者より前に会長を担当した人で、省いた理由は何となくわかるので訊かなかった。それはいいとして、練り歩いている間、表に出て来て金一封を手わたしてくれる人がちらほらある。だいたい1000円だが、子どもの安寧を思っての寄付で、こういうことは高齢者はよく気がつく。今日は若い母親からそっとそのことについて質問された。「お金をわたす人がいますが、あれは何ですか」「ま、寄付ですね。こうした祭りをするにしても法被を毎年新調したり、子どものおやつを買い揃えたり、いろいろと出費があります。そうした費用をどこで捻出するかと言えば、最も大きいのが寄付です。後で誰がいくら寄付してくれたかの会計報告を回覧します」するとその母親は顔を幾分しかめながら、午後に持参すると言った。寄付しない人の方が多いが、寄付金がわが子のために使われるのであるし、また名前が公表されるならば出さないわけには行かないと考えたのだろう。午後からは3人が筆者の手元に持参した。その表書きを見ると、みな違う。「お供え」「奉納」「御祝」であったと思う。それらを見ながら母親たちと話し合った。本当のところ、どう書くのが正しいかだ。「奉納」には笑ってしまった。「この文字の下に絵馬でも描けば似合いますね」と言うと、みんな大笑いした。「お供え」は仏事用の言葉であるし、神様の祭りには使わないだろう。そこで筆者は午後に調べておくと言った。ところがすぐにそんなことは忘れる。松尾大社の境内に14の子ども神輿が集合した時、連合会の役員が相次いで数人筆者のもとにやって来て挨拶を交わした。その時、最も馴染みの会計の女性に質問した。「このお祭りでいただく金一封の表書きには何と書くのが正しいのですかね」「ごしんせん」「あ、そうか。そう言えばそうですね」「わたしより年配の人が昔教えてくれたし、間違いないはずやで」「せんは手へんですか」「いや、『食べる』や」「そうですね。食へんに巽でしたね」それですぐさま先ほど筆者に手わたしてくれた若い母親たちにそのことを言いに行った。「食は最後が横棒の昔の字で、それに巽です」「難しい字ですね。これでいいのですか」「そう。でも帰ってまた調べてくださいよ」そう返答したのは、「食に巽」がひょっとすれば間違っていて、「餞別」の「餞」ではないかと不安になったからだ。だがそのことは言わなかった。100パーセントの自信はなかったが、「饌」の方が神事にふさわしいと思った。「餞」はどことなく卑しい雰囲気が漂う。「銭」に通じるからだ。神事にあまり露骨な漢字は使わないだろう。これを書き始める直前ネットで調べると、やはり「饌」が正しかった。
今日は昨日の雨がすっかり上がって五月晴れであった。紫外線が強く、汗ばむ陽気だ。どうせ法被を着るし、また神輿を倉庫に収納するなどの力仕事があるので、出来れば汚れてもいい服装で行くべきであったのが、作業服にしているシャツではまずいかと思い、普段あまり着ない高価な黒いシャツを取り出した。法被を着れば襟と袖口しか見えないのに、そのわずかに見える部分が筆者は気になる方だ。ところが今日は大事に来ているそのシャツを相次いで破ってしまった。ちょっとした油断で金属の尖りに引っかけ、7,8センチほど鍵状に裂けてしまった。帰宅して自分で黒い糸で繕ったが、午後にも別の個所を同じように破ってしまった。自分のうっかりに二度腹が立った。これでもう特別なシャツではなくなってしまった。黒シャツに黒のジーパン、黒の帽子に黒のサングラスと、全身黒ずくめのスタイルで、いわば黒子に徹したつもりが、家内が言うには筆者は遠目にもすぐに筆者とわかるから、かえってそんな恰好では目立って仕方がないと言った。実際そのとおりだ。真っ黒なサングラスをかけ通すのは、あまり見栄えがいいものではない。そのことは重々承知しているが、筆者の眼球は紫外線に弱い。そう思って20代からずっと陽射しが強い時期はサングラスを着用して来た。そのせいか、神輿全体を覆う金襴を神輿に着用させる際の針仕事は筆者が担当し、その細い針穴を通す様子をOさんが見て、近視も遠視もないのかと不思議そうな顔をした。Oさんにすれば、還暦を越えた世代でそれは珍しいのだろう。そう言えば筆者はサングラスはたくさん持っているが、凹や凸のレンズが入った眼鏡を着用したことがない。それはともかく、好天に恵まれたことが何よりで、子ども神輿の巡行は子どもたちにとって例年になく楽しいものになったであろう。台車に載せた神輿を子どもたちに引かせ、大人はバスや車に注意しながらそれを引率する。その子どもたちがわが自治会内でそのまま大人になれば、その時は自分の子や孫のために同じことをする。神輿が練り歩く途中で桜の林の際を通った。今日は日曜日で温泉施設の建設工事は休みだ。カメラを持って出ようかと思いながら、持たなかったのは、神輿と子どもたちに気を配るのが役目であるから、このカテゴリー用の工事現場の写真を撮る暇はない。撮るなら明日にすればよい。ところが、神輿と一緒に歩きながら、法被姿の子どもたちを背後から撮ってもよかったなと思い、また初めて見る「飛び出しボーヤ」があったりで、迷った時はいつも持って出るべきであることを再認識した。今日の写真はちょうど1年前の5月12日の桜の林だ。温泉が建つ区画は塀が出来たばかりだ。この時はまだ塀の内部に入っても咎める人がいなかった。今もこの塀はあるが、その内部はすでに建物が完成し、瓦も葺いてある。同じなのは、五月の明るい陽射しだ。写真を見ているとまるで今日撮ったように錯覚する。