郊外と言うのはふさわしくないが、東京の江東区は昔はそのような雰囲気の場所ではなかったろうか。埋め立て地が大半で、東京に大震災があれば地盤の緩みの被害は大きいことが想像される。

大阪で言えばオリンピックを誘致しようとした湾外地域、神戸でも似た人工島がある。江東区があるのに江西区がないのは、まだ東京湾の埋め立てが今後も続くことを匂わせているかもしれない。それはともかく、梅村さんは江東区在住で、4年前はその隣接する地域を歩いたので今回はお宅拝見を考えた。先日書いたように、まだ行ったことのない美術館が近くにあるので、出来ればそれも見ることにした。梅村さんと待ち合わせをしたのは丸の内のOAZOという新しいビルで、その中の本屋だ。1階から4階までのどれかの階で筆者の姿を見つけてくれると言う。丸の内側に出た時、いかにもお上りさんらしき人たちがあちこちで煉瓦造りの駅舎を撮影していた。長年かかって東京駅がようやく明治時代の創建当時の姿に復元された。筆者はそのことをTVで知っていた。28日の夜は梅村さんに夜行バスが出発する丸の内まで見送ってもらい、その時にも東京駅全景を丸の内側から眺めたが、地下街に通じている大きな換気口が2か所目立ち過ぎ、せっかくの駅舎はそれに遮られていた。その印象ばかりが大きく、建物は昔とどこが違うのかすぐにはわからなかった。復元は無理があるのだ。明治とは違って東京駅は巨大化し、周囲も変化した。その変化したひとつに丸の内北詰めのOAZOというビルがある。上野に着いて電話で梅村さんと話した時、このOAZOは一度だけ耳にした。どこかで聞いたことのある名前と思いながら、1時間後には忘れてしまった。それで丸の内側に出て駅舎内の地図を数分ほど眺め回し、ようやくその端にOAZOの表記を見つけ、「そうそう、これこれ」と思い出した。同時に思い至ったのが、これはフランス語の「les oiseau」すなわち「鳥」から借用していることだ。梅村さんの姿を求めて本屋の1階から4階まで順に上って行くと見つからず、今度は順に降りて行くことにした。3階で背後から声がかかった。今日は木場公園で撮った梅村さんの写真を2枚目に載せる。梅村さんはFACEBOOKをしていて、そこに顔写真を載せているから筆者が梅村さんの許可を得ずに載せてもいいかと判断する。

筆者の写真がないのは不公平のようだが、3月27、28日は筆者は自分の姿を1枚も撮らず、撮ってもらわずであった。ついでに書いておくと、どういう服装で出かけるかぎりぎりまで悩んだ。まさかスーツでは堅苦しいが、江名のMさん夫婦に四半世紀にお会いするからにはあまりにくだけた身なりでは失礼だ。それで一応スーツにしたが、黒のナイロン製で普段着同然だ。シャツはお気に入りというほどのものではないが、昔のデッドストックで、家内に言わせるとカーテンのような柄と繊維、風合いだ。渋い柿色に金糸が織り込まれている。本当は真っ赤なシャツがいいが、持っていない。還暦を迎えた時、自分で真っ赤なシャツを買ってやろうと思い、結局思うだけになった。筆者は思うだけで実行しないことの方が多い。赤シャツなどいつでも買えると思っているうちに10年、20年が経ってしまう。また、この赤にこだわりがあって、薔薇の赤を連想させるものでなければならない。黒の上下に濃い灰色の半コートを着用したものの、これを選ぶのにとても手間取った。江名がどれほどの寒さかわからないからだ。黒の半コートが3点ほどあるのに、どれも季節外れでしかも筆者にはタイト過ぎる。靴は履き慣れたものがいいに決まっているので、背がより低く見えるが、底がとても浅い黒の皮製にした。本当はレザーのブーツにしたかった。また帽子は夜行バスで寝るのでくちゃくちゃになってもいいものを選んだ。本当はボーラーハットを被って行きたかった。数か月前に買ったヴィヴィアン・ウェストウッドの製品だ。つばの幅が普通のボーラーハットより広く、女性向きなのかもしれないが、気に入っている。ただし、似合っている自信はない。また、これの麦藁製の夏物がほしいが製造されていない。どこか同じ型で誂えてくれないものかと思い続けている。帽子はよく見るが、なかなか気に入るものがない。特に夏物がそうだ。梅村さんはいつもカラフルなカジュアル・ルックで、OAZOで会った途端、萌黄色のパーカーに印刷される細かな漫画模様が目に入り、梅村さんらしいと思った。

梅村さんにしたがって歩き、東京メトロで木場という駅まで行った。それから都現代美術館に向けて歩いた。そこを見た後、梅村さん宅に行き、そして石原さんに会うというルートだ。少し心配したのは、それでは美術館を見る時間がどれほどあるかだ。木場駅の地上に出ると、予想していた雰囲気とは大いに違い、郊外を感じさせるものはなかった。大阪の湾岸ではもっと殺風景で人影が少ない。ここはさすが東京で人口が多く、活気がある。梅村さんによると木場は昔その名のとおり、木材を溜め込んでおく場所であった。昭和40年代まで大阪でも街中の運河に太い木材がたくさん浮かんでいた。それと同じであったのだろう。その水辺が埋め立てられ、公園になった。その公園に入ると、すぐに満開の桜が目に入った。その写真を今日は最初に載せる。公園を過ぎるとまた公園で、それをつなぐ陸橋からスカイツリーが遠くに見えた。梅村さんはまだそこに行っていないと言う。歩いて4,5キロといった距離であろうか。ならば徒歩1時間だが、真っ直ぐに満ちが通っていることはないから、実際はその1.5倍はかかるだろう。次に東京に出た時には行ってみたい気もするが、入場料が3000円ほどかかるらしく、これでは躊躇してしまう。東京タワーは中学の修学旅行で一度上ったきりだ。家内はまだ行ったことがないので、次回は家内と一緒するのもいいか。ふたつの公園を縦断しながら、東京はさすが緑が多いことを実感した。同様の公園は京都では府立植物園くらいで、大阪では即座に思い出せない。公園の周囲は高層の住宅が多いようで、都心のベッドタウンの役割を担っているものと見える。住民たちは都心に出ずとも、近くのこうした公園で充分くつろげる。梅村さんも言っていたが、半年ほど繁華な都心に出ないことがあるそうだ。それは近くで何でも事足りるからだろう。下町的なところがないようであるし、買い物はどうするのかと訊くと、スーパーがいくつもあるとのことで、これは梅村さん宅をおいとました後、東陽駅に向かう途中でわかった。ふたつの公園をつなぐ陸橋であったと思うが、眼下にクラリネットらしき管楽器を吹く男性の姿が見えた。松尾橋に下ではサックスをたまに練習している。どこでも橋の下は同様のようだ。男性の背後に満開の桜の木が1本立っていて、また午後の陽射しの中、芝生の緑が桜色と好対照を成していた。絵のような光景が面白く、すかさず撮ったのが今日の最後の写真。予定を変えて明日も東京行きについて書く。