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●「Ⅰ SAY A LITTLE PRAYER」
●「Ⅰ SAY A LITTLE PRAYER」_d0053294_15403013.gif臭をぷんぷん感じさせる人が聖職に就いている場合がある。この場合の聖職は宗教界の人で、学校の先生は省く。学校の先生はもはや聖職とは言えないだろう。



●「Ⅰ SAY A LITTLE PRAYER」_d0053294_230487.jpg

さて月末なので、思い出の曲を取り上げるが、このカテゴリーは目下よく聴いている音楽からだいたい選ぶことにしている。ところがここしばらくはそういう曲がない。先月は梅村さんからザッパのCD-Rを2枚もらい、つい先日はアメリカの大西さんからは5枚も送ってもらった。それらを連日聴いているので、ほかの音楽を聴く暇がない。また聴く気にもなれない。それで困ったなと思っていると、先ほどムーギョへの往復の道で、どういうわけかアレサ・フランクリンの「小さな願い」のメロディが浮かんで来た。それを繰り返し頭に流し、また口ずさみながら歩き、同曲を取り上げることにしたが、この曲を思い浮かべたところに、今の筆者の心境を改めて自覚する。それはともかく、この曲は1968年に大ヒットし、彼女の代表作のようになっている。特に日本ではそうだろう。当時ヒットを連発していたバート・バカラックの作曲で、ラジオからよく流れていた。だが、当時彼女の熱烈なファンになった若者は少なかったのではないだろうか。当時のソウル・シンガーとしてはオーティス・レディングが有名で、ラジオからさんざん「ドック・オブ・ザ・ベイ」を聴いたが、中学生の筆者には夢中になる音楽ではなかった。同じ60年代半ば、黒人のヴォーカル曲でしみじみした味わいを持った曲として筆者が思い出すのは、ボビー・ヘブの「サニー」だ。これは大ヒットし、筆者はレコードを買うほどではなかったが、家内の兄は買ったという。「小さな願い」の歌詞は、「サニー」の女性版といった趣があり、そういうひたむきな愛を歌うことにかけては、黒人はよく似合っていると思った。それはもちろん虐げられた歴史を持っているからだ。内に秘めた決心、神に誓って嘘でない心境を歌うことには聖なる何かが確かに宿っていると納得させられるものがある。歌手はそういうことに命をかけるのであって、数分という短い間に観客を別世界に連れて行かねばならない。その技量の多寡で名歌手かどうかが決まる。それは歌手本人が聖人である必要はないだろう。歌っている間に本人が恍惚となり、いわば神がかった歌声を発する。普段はごく普通の人と同じで、俗なことにどっぷり浸っていたりする。アレサ・フランクリンもそうではないかと思わせられたことがあった。10数年前だったか、TVでアレサの最新ニュースが紹介された。麻薬か何かで逮捕された事件だったと思う。一緒に暮らしている男性が映った。ふたりはお似合いで、裕福でなく、金欠に陥っている様子が見て取れた。アレサは巨漢というほどに太っていなかったが、不摂生な暮らしをしているのが一目瞭然で、相手の男もどこから見てもチンピラであった。世界的に有名なアレサがなぜそんな安っぽい男と一緒にいるのかと思ったが、すぐにそれがアレサなのだと理解した。私生活はそのように俗も俗、ほとんど底辺の俗っぽさだ。ところがその歌はどうか。誰もが感動する。その落差を併せ持つのがアレサだ。あまりに俗であるからこそ、聖なるものが宿ると言えば意味不明と思われかねないが、アレサをイメージすると筆者はいつもそのことを思う。俗に浸り切っているからこそ、歌う時だけは聖が宿ると言えばいいか、聴く者を文句なしに納得させる。芸人とはすべてそういうものではないか。普段から聖人ぶっているような人ほど骨の髄まで俗にまみれている。
 アレサの本当の力を知るには、あまりに世俗的なヒット曲「小さな願い」はふさわしくないかもしれない。名曲だが、ヒット曲としての軽さ、すなわち俗さはあまりアレサに似合わない。そのため、今日は彼女の別の曲を題名にしようと一時は思った。15年前に買った2枚組CDに『THIS IS EASY』がある。60年代のヒット曲が52曲も詰め込まれている。その中で最も光っているのが「小さな願い」だが、アルバムの題名からはこの曲がイージー・リスニングとジャンル分けされていることになる。つまり軽いのだ。それは題名の「LITTLE」からも正しいかもしれない。そのため、「軽さの中にも真実が宿る」と思えばいいだろう。『THIS IS EASY』を買った当時、この曲のみをリピートで毎日聴いた。それは60年代末期の空気がよく思い出せるからだが、懐かしくて嬉しい、楽しいというのではない。当時筆者は自分の人生を暗いと思っていた。そのため、当時のヒット曲を聴くと思い出すのはいつも夜で、先行きの不安だ。夜はひとりで部屋にいて、孤独ではあるが壁に囲まれていることでささやかな安泰を感じた。ちょうどこれを書く今も同じかもしれないが、今は当時のような暗い将来を思わないようになった。これを書きながらアレサのアルバムを聴いていると、60年代末期の思い出に左右されずに、もっと客観的に味わうことが出来る。それは60年代以降いろんな音楽を聴いて来たからでもあるし、また長年生きて来てそれなりの自信もついたからだろう。それは自分の力もあるが、いろんなものに勇気づけられて来たからだ。そういうものの中に音楽があり、またアレサが歌うような曲がある。それは進歩と言えるかもしれないが、そうかといって60年代に聴いた音楽がその後に聴いたものよりつまらないかとなれば全く違う。むしろその頃の方が真実味があった気さえする。たとえば「小さな願い」は、この邦題そのままに、若者が恋人のことをいつどんな時でも思っていて、それが祈りめいていることを歌うが、そういう思いは10代の思春期でも充分に理解出来るものである一方、筆者のような60を越えた世代にとっても「これこそが人間の意味」と思うほどに賛成出来るものだ。つまりはこの曲は真実を歌っている。そのことが昔より今の方がよくわかる。何が本当は重要か。そういうことがわかるのは若い時よりも年齢を重ねてからではないか。
 歌詞は3番まである。3番でアレサは少し変化をつけて歌うが、これはビートルズなど、当時の2,3分間の曲では常識的な手法であった。次に意訳しておく。「目覚めて化粧する前、わたしはあなたのための小さな祈り人なのよ。髪を梳り、さあ何を着ようかと迷っている今、わたしはあなたの小さな祈り人なの。いつまでもいつまでも一緒よ。バスに向かって走り、乗っている間もわたしはふたりのことを考える。わたしはあなたのための小さな祈り人なのよ。働いている時、コーヒー・ブレイクの間もわたしはあなたのための小さな祈り人なの。いつまでもいつまでも一緒よ。わたしだけよ。いつまでもいつまでも一緒よ。ねえ、あなた。わたしを信じて。わたしにはあなたしかいない。あなたも愛して。わたしは祈り人。わたしに応えて。今すぐわたしを愛していると言って。わたしとあなたは愛の中にいる。」相手のことを思って、ささやかかもしれないが祈りに似た感情を自覚することは、まことに愛らしい。それはどこにでもいつでも生じている俗的な事柄ながら、聖なることとしか言えない真実味が宿っている。よくぞこの曲をアレサに歌わせたものと思う。それはアレサの父が有名な牧師で、その説教が録音されて人気を博していた背景を知るとなおさらだ。10代のアレサは父の教会で歌い、それはやがて人々の注目するところになるが、聖なる場所である教会の中でアレサが歌うことを覚えたことは忘れてはならない。これは仮にアレサのような天才としか言いようのない声を持っていたとしても、生まれる場所が違えばアレサのようにはなれないことを意味している。アレサはアメリカの黒人霊歌の伝統の中から出て来た才能で、それが「小さな願い」の歌詞に反映しているところが面白い。題名の「PRAYER(祈る人)」の「祈り」は、邦題では「願い」という宗教色を排した言葉に置き換えられているが、これでは駄目なのだ。「祈る」はもっと切実で真剣味がある。ラジオから流れるヒット曲の題名にその言葉を使うことに日本では抵抗があるのだろう。これは「祈り」を説く者に俗物が多いのではという懐疑が蔓延しているからだ。新興宗教がやたら生まれた戦後は特にそういう世の中になった。聖など存在せず、俗は俗でいいではないかという考えもわかるが、俗でありながら聖を目指すこともある。それを理解しないどころか、嘲笑する場合があることにやり切れない。
●「Ⅰ SAY A LITTLE PRAYER」_d0053294_2313719.jpg

 筆者はアレサの曲をあまり知らない。いや、ほとんど知らない。CDは2枚しか持っていない。LPもその程度で、語る資格はない。最もよく聴くのは、1956年、アレサ14歳の録音で、CDの題名は『ARETHA GOSPEL』だ。まだ初々しいアレサがピアノを弾きながら歌っている写真が使われている。すでに後年の貫禄の片鱗が覗いている。このCDは大半の曲がピアノ伴奏にアレサの歌声のみで、「小さな願い」のように合いの手を入れるバック・コーラスを伴う曲もある。録音は残念ながらよくない。ところが一度聴くとただちにアレサの天賦の才能を理解することが出来る。14歳でここまで歌える歌手は世界中探してもいない。それに何と心を打つことか。シングル盤のA,B面に最初分けて発売された「PRECIOUS LORD(TAKE MY HAND)」という曲が収められている。この1曲を聴いて感動しない人は、アレサのどの曲を聴いてもきっと駄目だ。筆者はこのCDを大阪の図書館で借りて90年代半ばに聴いた。あまりに素晴らしいので、自分でも買った。その後期待してアレサの別のアルバムを買ったが、何度も聴く気になれなかった。こう言えばアレサに悪いが、まさか商業的にヒットすると思わずに教会で録音された『ARETHA GOSPEL』が、最も嘘がないのではないか。全部で9曲が収められていて、どの曲も聴いていると目頭が熱くなって涙がこぼれて来る。それは悲しいからではない。力づけられるからだ。ゴスペルとはそういうものだ。「PRECIOUS LORD(TAKE MY HAND)」は名曲で、ほかの歌手も歌っている。先ほどYOUTUBEで調べると、アレサが後年歌ったヴァージョンがいくつか紹介されていた。それはキャロル・キングの名曲「YOU GOT A FRIEND」とメドレーにして歌っていて、悲しみに暮れる人をより勇気づけるためであることがわかる。話は変わるが、ジョン・レノンはビートルズを解散するかどうかの時期、ゴスペルのレコードをよく聴いたのではないだろうか。ジョンの曲が聖か俗かとなると、これは面白い問題提起ではないか。『ARETHA GOSPEL』のピアノ伴奏からジョンの「GOD」のそれを連想する人は多いだろう。ジョンはゴスペルを意識しながら、神を否定するために「GOD」を書いたが、そこでは唯一信じる存在を妻のヨーコと歌う。これはアレサの「小さな願い」の歌詞に通じるわけで、結局ジョンは聖なるものを信じていた。ジョンの「GOD」にはアレサのような声を張り上げる箇所はないが、同曲を収めるアルバムは盛んにシャウトする曲が含まれるので、ジョンは案外アレサやゴスペルを愛聴したのではないか。
by uuuzen | 2013-04-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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