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●水戸駅前を歩く
の内部で来訪者と一緒に写真に収まるといったことのほかにどういう活動をするのだろう。水戸の梅まつりは今年は2月20日から3月31日までで、筆者が訪れたのは会期終了4日前だ。10人の梅大使は会期中のみ働いて賃金が支払われるのか、それとも年間契約か、あるいはボランティアだろうか。



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偕楽園と弘道館公園で梅まつりは行なわれたから、10人は半分ずつに分かれて会期中、毎日詰めたのであろう。偕楽園の広さからして5名は必要だ。それに急に休む大使もいるかもしれない。期間中は給料が出るのか、あるいはボランティアか。今ネットで調べると毎年の大使の顔写真が載せられている。振袖が毎年違うので、これは大使になった記念にプレゼントされるのだろう。偕楽園でもらったパンフレットの表紙に載る表情とかなり違うのが意外だが、これは正式な写真と一般人による撮影との技術的な差もあるし、また大使の心がまえも違うからだ。美人はどんなに表情が崩れてもきれいかと言えば、案外そうでもない。一番きれいなのは、好きな男に見せる笑顔で、それ以外ではどんなに微笑んでいてもどこか嘘っぽい。それはさておき、梅大使は偕楽園の中で来訪者に笑顔を振りまく以外に各地に赴いて宣伝もするようだ。また紫陽花の季節にも活躍するようで、偕楽園に紫陽花の咲く場所があるのだろうか。あるいは弘道館公園か。若くてきれいな女性がいるだけで梅や紫陽花を見に行こうと思う中年男性は多いのではないか。彼女たちを撮影するのは無料のようで、モデル撮影会のようなことが行なわれるとなれば、カメラ持参で喜んで毎年駆けつけるファンがいるような気がする。大阪では天神祭の際にギャル神輿が出て、それを担ぐための若い女性が公募され、毎年TVで彼女らが紹介される。あるいはゑべっさんの福娘もある。自分の美貌に自信のある女性はその気になれば脚光を浴びる催しがたくさんあるということだ。梅大使は女が花にたとえられることを念頭に置いたもので、花はだいたい命が短いから、女が花のように美しい時期もごくわずかであることを女も男もよく知っていると言える。老いてもきれいな女性はいるが、そのための努力と費用は凡人の想像を絶するだろう。それほどに特別なものだ。これはMさん宅で28日の朝に話したと思うが、Mさんは1冊の新聞切り抜きブックを持ち出して来た。Mさんが尊敬する女性の記事が何枚かあった。その女性は書家の篠田桃紅で、今確か100歳に近い。新聞に写る顔はまるで武士といった鋭さで、一種の殺気が漲っている。書とはそういう気迫を持っていなければならないのは誰にでも想像出来る。書き直しが何度でも出来るとはいえ、1枚の紙に墨を走らせる間は一発勝負で、これはまさに真剣勝負だ。ちょこちょことごまかすといったことは通用しないし、通用してもそんなことをすればたちまち精神の底の浅さが露呈する。
●水戸駅前を歩く_d0053294_0453889.jpg Mさんが篠田桃紅を尊敬すると言ったのは多少意外でもあり、またなるほどとも思わせた。Mさんは篠田のように創造に生涯を捧げて来た、そしてそのことで自分にしか出来ない世界を形成している女性が頼もしく見えるのだろう。この気持ちは筆者にもよくわかる。篠田の話が出たので筆者は同じように筆者が好きな年配者の顔を思い浮かべ、ヘルツォークのことを話した。老いてからの彼の顔には若い頃とは違った貫禄と渋みがある。誰もがそうなれるものではない。Mさんには今改めて読んでいる彼の『氷上旅日記』のことも説明した。ヘルツォークは敬愛するロッテ・アイスナーという批評家を見舞うためにミュンヘンからパリ歩いて行った。その願かけのような旅によってか、アイスナーは死なずにヘルツォークに面会し、死んだのは10年後であった。アイスナーの顔写真を見ると、美人ではなく、少し拍子抜けする気分を味わうが、そう言えばMさんが見せてくれた篠田の写真はまるで痩せた男で、花のような美はないと言ってよい。にもかかわらず魅力的なのはどうしてか。そのことをMさんと話した。Mさんは即座に「読書でしょう」と言った。そればかりではないが、それを欠けさせることは出来ない。そして老いるほどに読書して来たかどうかの差が歴然として来る。だが、読書もいろいろだ。1時間で読める日本の推理小説ばかり読んでいたのでは駄目だ。篠田が読書好きかどうかわからないが、それに劣らない何かを長年積み上げて来た結果の現在の顔だ。梅大使は若さゆえの美貌が持てはやされて選ばれた。目鼻が整っているのがいいことは言うまでもないが、若いというただそれだけでも花があるから、絶世の美女でなく、そこそこの美しい顔立ちで充分だ。実際10人の梅大使はみなそうだと言ってよい。彼女らが60年、70年後に篠田のような気迫と女性特有の優しさがない交ぜになったような顔を作り上げているかとなると、これは男次第かもしれない。反面教師という存在もあるから、悪い男に引っかかってもかえって磨きがかかる場合があるだろう。そうなれば男は関係ないということになるが、そのように思われたい女は多いだろうか。それは男と対等になることであって、女としては生き辛いかもしれない。篠田のように芸術家として生きるならば話は別だが、大多数の女は普通の主婦、しかも家事の負担が多くて共働きという立場に追い込まれる。それが悪いのではない。そんな境遇にあっても高齢になった時に篠田のような風格を漂わせることは出来るだろう。それはMさんの言うように読書が最重要というのでもない。文盲の女性でも同じような雰囲気を持つことが出来るはずだ。では何が大切なのか。これがそうだと断定出来ないところに、人間の面白さがある。
 梅大使の笑顔を振り切って東門の売店近くに戻り、はがきサイズのスケッチブックを取り出して色鉛筆で梅林を写生した。描き終わって背後を見ると、土産の店員や郵便局の切手販売員が準備を終えたばかりのようで忙しそうにしていた。60半ばの小太りの女性に水戸郵便局の場所を訊くと、すぐ横で切手を売っている人を示された。偕楽園に向かう途中で水戸郵便局の場所はだいたい把握していた。銀杏坂というバス停で降りるとすぐだ。そのことを確認するために切手販売の男性に訊ねた。そしてバス停に向かい、3、4分待ってバスに乗った。バスは先ほどとは違う道を走る。常盤神社の鳥居前を戻るのかと思っていたが、民家の庭の中と言ってよいほど、それが間近に接近した狭い私道のような場所を過ぎた。庭に5,6歳の男子が立っているのが見えた。運転手は20代後半の男性で、やはり優しい雰囲気がある。そこでまた郵便局に行くにはどこで降りればいいかを質問した。客は筆者以外にひとりかふたりの少なさだ。運転手は前方の建物を口頭で示しながら、銀杏坂で降りて少し戻ればよいと言った。バスが停まった時、今度は指差しながら建物を教えてくれた。小雨が降っていたこともあって、郵便局まで走った。最も手前、すなわち向かって右端の窓口が切手販売で、そこで風景印を押してもらえる。50代のふくよかな女性がいた。風景印があることを確認した後、水戸や偕楽園に因む切手が販売されているかと訊くと、あいにく売り出されたばかりに花切手程度しかない。それは予想出来たので、自宅から持参すればよかったが、まさか偕楽園に行くことになるとは予想しなかった。スケッチ帖をぱらぱらと繰って、桃色地に赤や白のハートがたくさん散った図案の50円切手を示し、「これはないですか」と訊くと、「あります」。当然だ。慶賀用の切手で、いわば通常切手の部類で、なくなればいくらでも増刷される。描いて来たばかりの梅林のページを開き、切手を予定した場所に貼って茶色のインクの風景印は自分で押した。もちろん図案は偕楽園だ。女性が興味深そうに笑顔で覗き込み、何か声をかけてくれたが、忘れた。
●水戸駅前を歩く_d0053294_0465049.jpg 郵便局を出ると駅まで下り坂だ。銀杏坂というからには銀杏がたくさん植えられているのかと思うと、そうではないようだ。銀杏よりも先に気になったのは、商店街の街灯などによく飾られる造花だ。3月下旬ではたいていそれは桜だ。ところが水戸は梅で有名であるから、梅枝の造花となっていた。これは初めて見たように思う。梅まつりが終われば桜に交換するのか、あるいは夏頃まで梅のままか。和菓子屋が2,3軒あって、うち1軒では梅羊羹が売られているのが通りからもわかった。「豆菓子以外にも銘菓はあるではないか」と思いながら、駅の売店で買う方が重くなくて済むとも考えて中に入らなかった。駅ビルが50メートル前方といったところに、大きな銀杏の木が2本立っていた。下にその説明階書きがあった。昭和20年8月2日未明、B29爆撃機160機が飛来して水戸市街を爆撃、ほとんどを焼き尽くして300人ほどが死んだ。その空襲で焼けた銀杏であったが、その後新芽を吹き、今に至っている。筆者が歩いた歩道は70年ほど前に炎に包まれた。当時偕楽園はどうであったのだろう。梅の木ばかりでは爆撃する必要もなかったか。それでも爆撃を逃れた人が集まるなど、避難所となって大きな騒ぎであったことだろう。偕楽園は2年前の震災では被害を受け、修復に1年以上を要した。災難に見舞われながらも元通りにして残して行こうという思いがある限り、大丈夫だ。駅がすぐ目の前であるというのに、信号がわたれない。陸橋を利用するしかない。ちょうどエレベーターが見えたのでそれに乗って陸橋の上まで行った。タイル貼りのよくある陸橋で、阪急池田駅前を思い出した。陸橋の上では左手に水戸黄門を中心に弥次さん喜多さんの銅像があった。弥次喜多の像は京都三条大橋にもある。それはもっと小さい。本場水戸で見るのはさすが貫禄充分、設置場所といい、台の高さといい、申し分ない。ここで待ち合わせするカップルも多いのだろう。偕楽園の梅大使が水戸黄門と弥次喜多と一緒に収まっている写真がネットに紹介されている。観光協会が誰かに毎年依頼しているのか、黄門さまに扮することが好きな人が定年退職した元市職員がいるのかもしれない。毎日満開の梅を見、若い美女に囲まれながら偕楽園を訪れる人たちから注目されるのであれば、ボランティアで黄門さまや弥次喜多になりたい人はいくらでもいるだろう。兼六園や後楽園にはない趣向としてこれは面白くてよい。駅ビル1階、北口のバス停背後にスーパーがあることを偕楽園に向かうバスを待つ間に知った。電車の時間まで10分ほどあったのでそこに入って商品を見て回った。予想に反して京都のスーパーより何でもまた高かった。また水戸ならではのものがあるかと思ったのに、さしてなかったのでがっかりした。納豆を買えばその晩、Mさん宅で食べることになったが、Mさんは水戸に近いところの生まれ育ちで、納豆は珍しくない。
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by uuuzen | 2013-04-27 23:59 | ●新・嵐山だより
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