驟雨が午前と午後にあった。本当に突然突風とともにひどい雨が降り出し、20分ほどで止んだ。雨が降るようでは今夜の満月は駄目かなと思い、ヤフーの天気予報を見ると、曇りと晴れのマークが半々になっていた。

五分五分ということだ。こんな天気予報なら見るまでもないが、ともかく満月が見られるかどうかが五分五分ということだ。そんなこともあろうかと思って、昨夜は今晩が雨であるかもしれないので予備的に満月の写真を数枚撮った。先月と違ってまた変化のないわが家前だ。せめて少しは写真の構図を変えようと駅前に行った。それでも先ほどそれらの写真を見ると、やはり平凡で面白くなかった。幸い五分五分の勝負に勝って、今夜はどうにか満月が見られた。最初の写真は午後7時半頃にムーギョの前で撮ったものだ。2枚目は先ほど録画しておいた韓国ドラマの時代劇に登場した満月。3枚目は午後11時半、わが家の前だ。ムーギョから徒歩5分のところに従姉の家がある。今日は手わたすものがあったので、午後6時半頃、ムーギョに行く前に訪れた。1時間話をした後、車に乗せてもらってムーギョ、そしてその斜め向かいにあるトモイチに行った。歩いて行くと言うのに、従姉の旦那さんは「車に乗せてやる」といつも譲らない。ムーギョでもトモイチでも、駐車場で待ってもらい、筆者は即座に買い物を済ませる。本当にすぐで5分とかからない。それでいて5,6品は買う。その後、筆者を自宅まで送ってくれる。今夜は本当は満月写真の構図を決めるためにゆっくりと歩くつもりでいた。出かけた午後6時過ぎはまだ明るく、また地平線すれすれに上っているはずで見えないことを知っている。それで1時間ほど話すことにした。従姉の家を出て駐車場まで歩く時、満月が上る方向がぼんやりと明るかった。まだ地平線近くにいるのか、あるいは分厚い雲の向こうに上っているのか、それがよくわからないまま車に乗った。ムーギョまでは1分とかからない。乗ってすぐ角を曲がったところで、フロントガラスの中央にオレンジ色の満月が下半分だけ顔を覗かせていた。それを筆者と従姉の旦那さんが同時に見て「アッ」と声を上げた。陰鬱な感じで、地平に近いので大きく見える。その大きさに驚いた。カメラは首からぶら下げていた。慌ててそれをかまえ、シャッターを2,3回切ったが反応が遅かった。先ほど加工のために確認すると、どれも写っていない。おそらくそうだろうと思い、ムーギョの前で降りた時、満月が全部顔を現わすまで数秒待ち、1枚撮った。それが最初の写真だ。信号の方が目立っているが、実際は月と信号の赤や青は同じ大きさに見えた。

昨夜満月を撮影するために家を出たところ、頭上に照っているのがすぐにわかった。そのことは先月27日、江名のMさん宅を出て満月を見た時と一緒であった。家の外に出た時刻、出てから満月を見つけるまでの秒数、玄関からの距離、それに仰角まで全く同じと言ってよい。雲の様子も大差なかった。今夜筆者がMさん宅にいて満月を眺めていたとしても不思議ではない。そう思うと不思議な気がした。これは、思いようによって自分がどこにでも存在出来ることを意味している。あるいは、今ここにいることは仮の状態で、人間は生涯その仮の状態を続ける生き物ということだ。かりそめの連続と言い代えれば、はかない気分になる。だが、人間ははかないものだ。はかなくはあるが、生きている間は強靭であらねばならないし、実際生きていることはそうだ。それはともかく、江名行きのことをあれこれ書いて1か月経つ。満月の夜が近づく先日からそのことを何度も思い、また今年最大の経験はその江名行きになるに違いないから、撮って来た写真の紹介がてら1か月を費やしてあれこれ書くべきであることを改めて納得した。それは話題が少ないからでもある。先月の満月の夜の前後の旅行についてもう全部書いたかとなると、明日が一応の最後の投稿だ。その後は番外編的に東京でのことを書くつもりでいる。江名で撮った写真はもちろん全部を紹介していない。Mさんの姿やまたMさんの家の写真は駄目だ。Mさんの写真で思い出した。Mさんと一緒に部屋の中で1枚撮ろうと思いながら、自動シャッターの切り方がわからず、また筆者の姿を写真に残すのはよくないと思い直した。Mさんに筆者の四半世紀ぶりに面会した姿を覚えておいてほしくないという意味からではない。Mさん宅に筆者の写真が残ることは、あまり想像したくない。文章だけで充分だ。3,4か月前だろうか、筆者がいずれ江名にお邪魔すると手紙に書いた時、Mさんはとても老いぼれたので会うのが恐いといったことを返事に書いて来た。Mさんがわが家を訪れた年齢は今の筆者より少し若かった。だが、お互い同じだけ齢を重ねたから、老いたのは筆者も同じだ。Mさんは昔の面影がないほど老いていたかと言えば、全くそんなことはなかった。年齢相応かもしれないが、地震で被害を受けたことを全く感じさせない様子で、精神は強靭で話しぶりは瑞々しかった。もう20年少しで筆者は今のMさんの年齢になる。その時、今還暦の人から、ただの老いぼれと思われないためにはどうすべきか。魅力ある高齢者になることは簡単ではない。先月27日の満月の夜、Mさんは筆者のことを、「旦那さんとしてはやりにくいかも」と言った。気難しいと思われているのだが、これは好々爺にはなれないと思われていることか。「皓々と月照る夜の好々爺」 四半世紀後にそんな姿でムーンゴッタを眺めていたいものだが。