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●水戸の偕楽園、その2
大な人が見るブログがあって、先日のネット・ニュースで若い歌舞伎役者が数日間で600万の訪問者を得たことが報じられた。日本中で知られる人気者の威力を改めて知る。



筆者のブログはもうすぐ連続投稿2900日目になる。それで合計訪問者数は15万ほどだ。先の役者が1日150万人とすると、ざっと筆者の3000倍の認知度で、なるほどこれは妥当かとも思う。ブログの訪問者数の話になったのでついでに書いておく。昨夜、登録している「クリエイター」部門805名のうち、筆者の投稿が第4位になっていた。その画面を保存しようと思いながら忘れた。昨日の昼間は第5位で、それが夜に1位上がった。ところが今朝見ると30位台だ。順位は目まぐるしく変わり、天下を取っても一瞬のことだ。そのため、こうした順位に一喜一憂しない方がよい。「クリエイター」部門で筆者が最高を記録したのは今年正月明け直後だ。何の投稿か忘れたが、第3位であった。その時、第1位になれば、「ブログ作成歩録」のカテゴリーに取り上げようと決めた。これがなかなか難しい。数時間単位で順位は変化するようで、筆者は常に監視していないから、知らない間に第1位になっている瞬間もあるかとなれば、ま、それはよく思い過ぎで、あり得ないことだ。また、この順位の表示は時間的なずれがあって、半日ほど遅れるようだ。もうひとつ登録しているジャンルの「日々の出来事」は現在21350人が順位合戦を繰り広げている。これで1位になるのは有名芸能人以外ではなかなか至難の業だ。「日々の出来事」での順位は確認したことがほとんどない。まず100位に入ることがないからだ。「クリエイター」部門で第3位になった時、「クリエイター」と「日々の出来事」の登録者数の比例から「日々の出来事」での順位を予想計算し、実際はどうかを確認した。するとごくわずかな差で計算どおりであった。どういうことかと言えば、たとえば「クリエイター」部門で第1位になると、筆者の場合「日々の出来事」でも1位かと言えばそうではない。「クリエイター」部門の登録者数は「日々の出来事」のそれのおよそ28分の1であるから、「クリエイター」部門での第1位は「日々の出来事」の第1位から第28位の間に収まるだろう。つまり、「クリエイター」部門でトップになっても別の部門では二桁台だ。これは所属する世界が違えば目立ち方にも差が出ることであって、あまり偉そうにするなとの戒めに使うたとえ話としてはよい。偉そうにしたところで、存在場所を少し移動すれば全く冴えない人間に見える。スキー場でとても格好よく見えた男性が、都心で見るとごく平凡に思えてスキー場での淡い恋心がすっかり消し飛んだという話がある。
●水戸の偕楽園、その2_d0053294_0213753.jpg
 1時間ほど前、昨夜の投稿に重要な間違いがあることに気づいて訂正した。訂正はほとんど行なわない主義だが、あまりにひどいので急いで直した。どこを書き換えたかと言えば、水戸に着いた時刻だ。先月27日、常磐線の時刻表をコピーして持参したはいいが、乗った電車に鉛筆で印をしなかった。そうしようと思いながら、カバンから筆箱を取り出し、その蓋を開けて色鉛筆を握るのが面倒であった。長い時間電車に乗っているのであるから、いくらでも時間はあるのに、しない。これは筆者のよほどのずぼらぶりを示す。昨夜は書きながら、コピーした時刻表を確認したが、記憶が曖昧で、おかしいなと思いながらも適当なことを書いてしまった。今日改めて時刻表を見ると、上野から乗った電車は6時31分発で、その最後尾だ。八王子から5時10分台の快速特急に乗り、1時間20分ほどで上野に着いた。中央線は神田に着いて東京に行くが、神田で乗り換えた。終点の東京駅に出て、そこから上野に行っていたならば、8時31分の電車には確実に乗れず、次の51分発になった。それだと水戸に着くのが15分遅れて8時45分だ。そして水戸での滞在時間は1時間15分となった。ともかく、水戸着が8時半であったため、バス停に通勤客がたくさん待っていた。また、筆者が水戸駅北口から乗ったバスは8時43分発で、平日では始発だ。偕楽園を見た後、水戸からまた常磐線に乗ったのは10時4分発だ。水戸発であったので、また座ることが出来た。いわき着は11時49分。そこから美術館に行ったことは先日書いた。今日は昨夜の続きで、偕楽園についてだが、たくさん写真を撮ったためだ。となれば、筆者のブログは写真主体と言えそうで、写真だけ並べれば手っ取り早いのに、わざわざ長文を書くのは、絵日記のようなものにしたいというこだわりだ。そこで思い出すのが昨夜書いた70代のビデオカメラを持った男性だ。趣味で撮っているとして、その映像をネットで公開しているだろうか。もちろん自分が楽しければいいのであるから、他人に見せる必要はない。筆者のこのブログは日記のようでありながら、不特定多数の人に見られることを知って書いているから、あえて書かない、あるいは表現に気を配る場合が往々にしてある。その度合いが少ないか多いかとなれば、私的な日記をつけていないので比較のしようがないが、他者をどこかで気にすることは創作の根本ではないだろうか。
●水戸の偕楽園、その2_d0053294_0221718.jpg
 話が少し変わる。昨夜ムーギョに買い物に行った。以前に一度姿を見かけたことのある50歳くらいの男性が、筆者がレジの番になった時に横手からレジ係に声をかけた。100円であるはずのカップ・ラーメンが数十円高くレシートに印字されたと言う。レジの若い女性は手を留めてそのレシートを見つめ、ミスに気づいた。男は憮然としていた。それよりも筆者が印象深かったのはその男の顔や姿だ。髪はぼうぼう、無精髭は1センチほど伸びている。それに赤い団子鼻に、顔はニキビだらけだ。ほとんど浮浪者寸前といった身なりで、そのことを本人は自覚しているのかどうか、もう少し自分の姿を鏡に映して見るべきだろうと思った。どう見ても独身だが、愚鈍といった顔つきではない。髭を剃り、髪を整え、スーツを着れば普通のサラリーマンに見える。スーツを着てスーパーに買い物に来いと言いたいのではない。まだ若いのであるから、もう少し自分の姿が他者に見られていることを自覚した方がよい。筆者も偉そうなことは言えない。今朝家内はTVに出ていた落語家の腹部を見てそれが出っ張っている意外さを指摘した。彼は筆者の1,2歳年上だ。「おいしいものばかり毎日食べて、それに運動もしないからああいう体になるんやろな」「格好悪いね」筆者はまだそこまで太っていないが、家内に言わせると猫背が目立つそうだ。散歩に出る時はその言葉を思い出して背筋を伸ばすようにしている。言いたいことはこうだ。他者を意識し、また自己を顧みながらの行為は常識であって、そうでない者が傍若無人と言われる。子どもの頃によく言われた「人の振り見てわが振り直せ」とはそういう意味だ。ところが、筆者は他人のブログをほとんど見ないので、ブログにおけるわが振りを直そうとは思っておらず、傍若無人が甚だしいかもしれない。なかなか本題に入れない。写真と無関係の雑談で段落を3つも消費しようとしている。だが、今日は写真が多いので、いつもよりたくさん書かねばならず、思い切り遠回り的なことを最初に書いて傍若無人ぶりを曝さねばならない。いやいや、遠回りであればよい。それは本題あってのことで、また本題につながる話題の意味だ。以上までの内容をどう本題につなげていいのやら、今途方に暮れながらキーを叩いている。
●水戸の偕楽園、その2_d0053294_0221344.jpg
 「莫大」の枕詞で思い出した。偕楽園の梅の木は何本あるのだろう。数えられないほどたくさんで、花の数は莫大の三乗では済まないほどだ。それだけ花が咲けば梅の実もとんでもなくたくさん出来るだろう。京都北野天満宮では烏梅と呼ぶ独特の加工品を作っている。偕楽園の梅の品種は実が成るのかどうか。また成るとして大粒なのかどうか。梅にも種類はいろいろあって、実の収穫をあまり期待出来ないものもあるだろう。大粒が実ってもおいしくなかったりすることもあるかもしれない。茨城の土産で最も有名なのは豆を使ったものではないか。茨城県の友人は昔会うたびにそんな土産をくれた。それがあまりおいしいとは思わなかった。筆者は豆が好きであるから、豆菓子はよほどのことでなければ全部食べる。それが友人の土産はいつまでも残っているものが少なくなかった。豆のほかに菓子の材料になるものがないのが不思議だが、偕楽園の梅の実は使えないのか。水戸駅でいわき行きの電車を待つ間に土産として売られている菓子をいくつか見た。その中に梅の実を使ったものがあった。見栄え以上に高価で買わなかった。梅を使っているからには酸っぱいだろう。だいだいどんな味か想像出来る。京都の和菓子を食べ慣れている者からすれば、地方の初めて見るお菓子はどうも見下げてしまう。それはともかく、梅の実を使った菓子が売られていることを偕楽園と結びつけるのは早計かもしれない。偕楽園で収穫されたものとして、それを販売する権利は県にあるだろう。県が特定の業者に売るのはまずいし、そこは入札があるはずだ。そんな手順を踏んでまで菓子を作るのであれば、菓子の名前かパッケージに偕楽園で実ったものと宣伝すべきだろう。筆者が見た限りはそんな文字はなかった。やはり別のところから仕入れているのかもしれない。となれば偕楽園の梅の実はどこへ行くのか。毎年大量に出来る。これを業者に売ることで入園無料が続けられるのだろうか。もうひとつ疑問に思うのは、江戸時代はこの梅林の梅の実をどうしていたのだろう。考えられるのは梅干しだ。今でも梅干しはよく食べられているが、偕楽園梅干しといった商品があるのだろうか。せっかく天下の偕楽園の梅の実だ。これをもっと宣伝して大いに食べてもらうのが、「みんな楽しい」偕楽園の趣旨にかなう。
●水戸の偕楽園、その2_d0053294_0225489.jpg
 今偕楽園でもらった「水戸の梅まつり」と題するパンフレットを見た。すると、「元祖水戸の梅」という商品の広告がある。「明治時代の県令安田定則の奨めにより、井熊総本家初代。小林熊次郎が、偕楽園の梅の実を精選し創業したしました」とある。梅干しではない。キャラメルのような形で、紫蘇のような葉で1個ずつくるんである。「井熊」で思い出した。昨夜載せた写真の最初のものは、バス停「偕楽園前」からすぐの常盤神社の鳥居だが、2枚目はそれをくぐったばかりの右手に大きな文字で「井熊」と書いた看板が見える。そこに店があって「元祖水戸の梅」を売っているのだろう。パンフレットの広告からは、これが菓子なのか食事のおかずなのかわからない。茨城県人ならみな知っているはずだが、遠い関西にいては馴染みがない。同じパンフレットに、「水戸の味」という商品の宣伝がある。その最初に「水戸の銘菓」として「水戸の梅」が位置している。一見おはぎのように見えるから、やはり菓子だ。そのほか、桃色をした「梅ようかん」、梅干し、それに「のし梅」という菓子もあって、梅はそうとう使われていることがわかる。それはさておき、このパンフレットをくれた受付嬢は「梅まつり」のことを言ってくれたが、あまりぴんと来なかった。表紙の下には振袖姿で笑顔の梅娘が10人並んでいる。彼女らが立っていると言っていたのかもしれない。そのことを忘れて園内を一巡すると、ほぼ一周しかけたところにある、見事に満開になったばかりの「左近の桜」のすぐ近くで4,5人の梅娘を見かけた。パンフレットと同じ振袖で、キモノ染色の専門家である筆者から言わせれば、安物のシルクスクリーン染めで、これは予算の関係で仕方ないとはいえ、もう少しどうにかしてほしい。「水戸の梅大使」の襷にふさわしい手描き友禅の逸品を着せたいものだ。園内は客がほとんどいなかったせいか、梅娘たちは2,3人をつかまえて笑顔を振りまいていた。そこに筆者が通りがかった。梅娘のひとりが筆者に向いて何か話しかけるような素振りを見せた。電車の時間が気にならないのであれば立ち止まって話をしたかった。そう思わせるほどにかわいい女性で、パンフレットに居並ぶ10人の顔を見ると、向かって右端からふたり目であることがわかる。10人のうち、筆者好みは右端から6人目で、イ・ヨンエ似だ。彼女が中央に立っていることは、最も美しいと認められたからだろう。筆者好みの美女はごく常識的と言える。とはいえ、10人はみな美女だ。振袖美人と話すことを諦めた直後に撮ったのが前出の左近の桜で、これを今日は3枚目に載せる。
●水戸の偕楽園、その2_d0053294_11540259.jpg
 さて、梅林の中を歩き始める前、左手に梅が植わっていない芝生だけの広い区画があることが気になった。そこは見晴らしがよくて梅林よりも明るく、また偕楽園を広々としたものに感じさせることに効果がある。そこも梅を植えてしまうと、かえって園は狭く感じるだろう。梅林の中央の道を突き抜けると、竹林や杉が植わる区画に至る。そこで景色が一変して薄暗い日陰を感じることになる。これは園全体を陰陽の対比をつけた構成にしたためだ。そして、偕楽園は本来表門から入り、まず竹林や杉の林を目にし、その後梅林に向かう。つまり、陰から始まって陽に至る。現在は表門はあまり利用されず、筆者のように常盤神社を右手に見ながら東の端の東門から入る人が多いのだろう。筆者は表門を見ずに反対方向の中の門に急いだ。その写真を今日の2枚目に載せる。なかなか絵になる構図だと思ってシャッターを切ったが、写真とほとんど同じ構図で平成13年発売のふるさと切手の図案になっていることを先ほど知った。中の門を出るとおじさんが熱心に箒で掃いていた。それよりも気になったのは、その傍らの椿の巨木だ。これほど太い幹は見たことがない。樹齢300年ほど経っているのではないか。梅ばかりかと思うとそうではない。今日の最初の写真は梅林を抜けたところで撮ったもので、椿に紅梅、白梅、それに何の木か、葉をつけない木や緑色豊かな木など、春らしい絵になる構図ではないかと思って撮った。偕楽園は江戸時代の武士の力があったために出来たが、たとえばの話、平成時代に偕楽園に匹敵する遺産を日本を作ったであろうか。造っては壊しを繰り返す安っぽい建築物ばかりで、それも地震で寿命が短くなったりする。そう言えば、偕楽園も2年前の地震で被害を受け、全面的に復旧したのは去年のことだ。弘道館は「震災の影響により建物内には入館できません」とパンフレットには書いてある。そうそう、受付嬢から偕楽園は入場無料だが弘道館は有料と聞いたと記憶するが、それは好文亭であったかもしれない。弘道館は偕楽園とは全然違った場所にある。好文亭は中の門からすぐで、その際に立つと眼下に常磐線が走り、その向こうにまた広い梅林が見え、見晴らしがとてもよい。そこまでいつか行ってみたいと思わせるに充分な珍しい眺めであった。好文亭を右に、眼下の梅林を左手に見たパノラマ写真を今日は5枚目に載せる。最後の写真は左近の桜の近くから好文亭を見た。傍らの巨木やその向こうの崖に生えている満開のハクモクレンが見事であった。東門に戻ると、まだバスの時間まで少し時間があったので梅林を5分ほどで描いた。莫大な時間がありそうなのに、いつもこのように焦って動いている。
●水戸の偕楽園、その2_d0053294_0225361.jpg

by uuuzen | 2013-04-24 23:59 | ●新・嵐山だより
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