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●オン・ザ・バス、その4
って来る波をどのように避けながら車が走ったかと想像した。それほどにバスの左手に永崎海岸が迫っていた。ここは海水浴場として合磯より人気があるのだろうか。



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江名を含めてこの辺り一帯は東北の湘南と呼ばれるそうで、サーフィンを楽しむ若者が目立つのであれば、同世代のビキニ姿の女性も多いのかと思ってしまうが、人口の少なさから、また東京から遠方であるから、湘南といっても風俗はかなり違うだろう。それはさておき、新常磐バスが永崎海岸に差しかかった時、かまえていたカメラが活躍する番であるとばかりに、左手に見える海をファインダー越しに見続けた。波が荒く、人影はない。まだ3月であり、サーフィンには早い。それに、そんな悪天候でも渚を歩く者があるとすれば、筆者のようなよそ者だ。合磯の海水浴場でもそうだが、砂浜の背後に波消しブロックの連なりがある。これは波が道路や住宅を襲わないようにという配慮だろう。こうしたブロックが積まれるようになったのは70年代に入ってからではないだろうか。どの道路もアスファルトで覆うことになるのと並行したように想像する。砂浜の自然さとこの人工的なブロックの積み上げが同居した光景は何とも無粋で、せっかくの海水浴場も台無しという感じがする。それでも道路や住宅を災害から守ることが優先され、地元の人たちは誰も文句を言わない。ところが、そういう波消しブロックでは何の役にも立たない大津波が2年前に襲った。その際、ブロックが破壊されたり、また積み状態が大きく変化した場所があったのかどうか。津波による被害があまりに広範かつ甚大で、直接的な人的被害に比べ、そういった施設関係のことはいわばどうでもよいこととして今は報告もされない。それはともかく、バスの中から海を撮影しようとしたのは、合磯海岸を歩かず、また江名の港から撮った海に防波堤が写り込んだためだ。筆者が江名への旅に当たって予定したことの中に、去秋に東尋坊で撮った日本海の写真と同様、500×360ピクセルの横長で、ちょうど上半分が空、下半分が海という構図の太平洋の写真を撮ることであった。この水平線がちょうど横長写真の縦中央に位置する写真は、杉本博司の有名なシリーズの真似だ。構図は雲がない空と岩や波しぶきのない海が画面を半々に分けている。江名の波止場でそのような景色があるかと期待したが、合磯岬の丘に上がればあるいは可能かもしれないが、岸壁際では無理であることを27日に到着してすぐに悟った。それでも一昨日の3枚目に載せたように、いちおうは撮っておくことにした。
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 それで昨日の最後の写真はバスの中から最初に撮った永崎海岸で、これはブロックが積まれていない区間に差しかかった時に撮影した。全部で7枚撮り、そのうちの最初の3枚に波消しブロックが写っているが、どれも砂浜の背後すなわち道路際ではなく、砂浜のずっと向こうの波の中に見える。ということはそのあたりは海水浴場ではないのかもしれないと思って地図を見ると、そうでもないようだ。波消しブロックが沖合にあることによって浜が静かになる。海水浴場にはかえって必要なものだ。道路がすぐ近くに迫る永崎海岸は、海水浴場から南方の500メートルほどの長さで、これはバスで走ると30秒ほどだ。その間、筆者はカメラを覗き込み続け、しだいに手応えを感じた。つまり、空と海以外は写り込まなくなったからだ。ただし、杉本の作品のように海が静かではなく、白波が見える。最後にシャッターを押したのは、沖合に江名の方面に向かって飛ぶカモメが4羽ほど見えた時だ。それを確実に捉えた直後、海岸は視界から消えた。そのカモメが飛ぶ写真を今日は最初に載せる。これは厳密に言えば杉本の写真のように空と海のみではないが、ファインダーを覗き込んでいる最中に小さな鳥の隊列が飛び込んで来た時の意外性を記念しておきたい。また、この天気の悪さ、波の激しさでは、浜辺を歩いていると足元が濡れそぼった。走行するバスの中から撮ったにしては、よく出来た写真で、江名行きの目的のひとつを果たしたことで気分はよい。GOOGL EARTHのストリート・ヴューでは青い空に青い海が写っているかもしれないと思い、今調べるとやはりそうであった。それを2枚目に載せておく。筆者が鳥の隊列を収めたのとさほど違わないはずの場所を見ると、自転車が停められている。その付近から浜に降りることが出来そうでもないから、これは誰が何のために停めたかを想像すると面白い。また、その自転車の位置に立てば、杉本の写真のように海と空がちょうど半々に捉えられるかもしれないが、道路を走る車からでは無理であることがわかる。ただし、バスのように座席が高い場合は別で今日の最初のような構図はストリート・ヴューからは得られない。
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 永崎海岸を抜けると家並みが建て込む小名浜の地域に入る。原発事故の処理で日本中から労働者がかき集められ、彼らは小名浜の歓楽街で金を落とすということをネット記事で読んだ。JRのいわき駅から江名に向かう間の道のりとは全く違う人口密度の高さのようで、これは小名浜が江名には比較にならないほど大きな漁港であるからだろう。バスの中から見える街並みは、東北らしさを感じず、日本のどこにでもある地方都市のそれで、筆者が住む京都やあるいはもっと限定して嵐山と大差ない。そこで思ったことは、小名浜に暮らすことと大都会のそれとの差がどれほどあるのかだ。確かに街の規模は違うとしても、小名浜にもコンビニがいくらでもあり、日本中で知れわたっている食堂、レストランのチェーン店があるとなると、入手出来る商品やサービスに変わりはない。そこでMさんのことを思う。家からほとんど出ない生活だが、食糧は売りに来る人があるし、世の中の動きはTVや新聞でわかる。となると、辺鄙な場所でもさほど不便なく生活出来るのではないか。よけいなものに関心を持たずに済んでかえって精神衛生上はいいかもしれない。空気がよいから、肉体上もそうだ。ただし、福島は放射能の心配がある。27日の夜、Mさんと話をしながらTVが鳴っていて、その天気予報のコーナーでセシウムの数値を報告していた。それは改めて思えば、「とんでもない世の中になった」ではあるが、地元の人は忌々しくは思いながらも慣れっこになっているだろう。異常なことでもそれが常時となると正常と感じる。それは恐いことだろうか。人間はそのようにして異常を正常にし続けて来ている。何でも「自由」であるから、どんな異常も許される。特に政府が主導するとそうだ。アメリカやその他の国で同性間の結婚が許されるようになって来ている。一昔前から考えられなかったことだ。話を戻して、知らない街を走るバスの中で筆者は孤独をあまり感じなかった。物珍しさが勝ったというのでもない。どこにでもあるような街並みであり、筆者がどこかのバス停で下車しても、すっかり風景に溶け込むだろう。そして明日からでも暮らして行くことが出来る気がした。問題はそこからだ。地震や津波に襲われても地元を離れたくないのは、土地に愛着があるためだが、それは人のつながりが大きな意味を持っている。「あなたと一緒なら、どこでも住めるわ」「そうだよ」そのようにして女性は男性のもとに嫁ぎ、その地の人となる。Mさん御夫婦が江名に住むのも同じことだ。長年夫婦の関係を育んで来た者は、「住めば都」の意味を強く実感している。それは同じ場所に長年固執し続けることだけを意味しない。ある人は「自由」を常に移動することと捉える。そういう人は車で全国を回りながら生活するし、それもまた「住めば都」だ。どこでどのようにいようが、生きていることは夢がある。Mさんは別れる前、「次に大山さんに会う時はわたしはもっと老けていますよ」と言った。どんなにさびしい土地であっても、心が通う人がいれば会いに行くのが人間だ。それが無理ならば、心で思う自由がある。今日の最後の写真は、「オン・ザ・バス、その1」の最初に載せたのとほぼ同じ場所で、2月17日、京都市バスの3番に乗り、四条烏丸の交差点を越えた直後に撮った。
●オン・ザ・バス、その4_d0053294_2333342.jpg

by uuuzen | 2013-04-21 23:34 | ●新・嵐山だより
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