汽車の時代のことだと思うが、江名から日立まで4時間かかったとMさんから聞いた。50キロほどの距離であるから、今なら自動車で1時間もかからない。日本中の公道がアスファルトで覆われ、電車を使わずに短時間でどこにでも行くことが出来るようになった。
日本の住宅事情は悪いので、自家用車にお金をかける人がとても多いが、それは移動する部屋という感覚があるからだ。こうなれば住宅も下に車輪をつけてどこへでも移動出来るようにすればよい。アメリカではそういうキャンピング・カーの文化が発達している。日本でも10年ほど前か、家を持たず、病弱になった奥さんを車に乗せて日本中を旅し、その途中で奥さんを見送った人があった。今後の高齢化社会では同様の旅をする人が増えるのではないか。筆者の従姉の旦那さんは、昔から旅に憧れていたが、70代半ばになっても旅行したことのある場所は、たいていは自家用車で日帰り出来るところだ。宿泊代がもったいないという考えだが、一方では電車に乗ることを昔からほとんど経験しておらず、頭の中には道路網しかない。車に乗る人はたいていそうだろう。電車やバスに乗るのが煩わしく、またその運賃を高く感じる。実際は車を所有すると車検やガソリン代など、電車やバスの定期券を利用するより高くつくが、自宅から目的地までつながる便利さはいくら支払ってももったいないとは感じないらしい。先日のネット・ニュースに、1000万円以上する高級車がぼつぼつと売れ行きが好調になっているとあった。アベノミクスで景気回復とばかりに金持ちは豪勢な買い物をする。車や時計はステイタスを誇示するのに格好の品物で、高ければ高いほど歓迎する金持ちがいる。高級車に乗っているだけで王様気分を味わえるのであるから、1000万など安いものだ。話を戻して、家を処分して残りの人生を移動する車の中で過ごすというのはそれなりの夢があってよい。日本を何べんも一周し、毎日変わる景色を楽しむ。車の経費は自宅で過ごすよりも大きいだろうか。近いうちに電気やガス代が1割ほど値上がりするから、車生活の方が安いかもしれない。従姉の旦那さんは旅好きというよりも運転好きで、よい景色を見たり、おいしい食べ物に全くと言ってよいほど興味がない。ならばタクシーの運転手にでもなるべきであったが、人に指示されて移動するのはいやなようだ。80になってもきっと運転は続けると思うが、今後は注意が散漫になって行く可能性が大で、事故を起こす前に周囲がとめるべきだろう。去年も発車する際に逆進して背後の塀を破壊し、50万円以上の修理費を支払った。それでも本人は平気で、80、90になっても運転する気でいる。塀に衝突する程度ならばいいが、人身事故となると話は別で、高齢者の運転は今後急速に社会問題化する。
Mさんが病院に行くのにタクシー代が往復1万円も支払うことを聞いて、移動にそれほど出費せねばならない不便がどうにかならないものかと思った。小さな地域で小型バスを走らせているところがある。だが、江名のような狭い地域ではそれは現実的ではない。移動する人が少ないし、たいていどの家も車を所有している。インターネットの発達によって世界中から簡単に物が買えるようになって来たが、医療といったサービスは医師に診断してもらう必要がある。処方された薬の方は、物であるからいずれ在宅しながら入手出来る時代が来る。そこで考えるのは、医者のもとに行くのではなく、医者がこっちに来てくれることだ。歯医者はそんなサービスをしているところがある。医者はあまっていると思うが、地方には足りないから、やはりMさんのように遠方まで診てもらいに行くということが今後も日本の至るところで続く。それはそれでいい面もあるかもしれない。病院に行くことで、患者同士が親しくなったりするし、その非日常的なことがよい気分転換になり得る。物は考えようだ。これも気分転換と言ってよいが、筆者はある場所を往復する時、帰りは違うルートを選ぶことが多い。近くの郵便局に行く時でもそうだ。そういう考えからでもないが、江名から東京に向かい際はいわき駅前ではなく、泉駅に着くバスに乗った。これはそのまま岸壁側のバス停から乗ればよい。向い側のバス停から乗ればいわき駅前に行く。その時刻表もネットで調べていて、それとJRの常磐線の時刻表を照らすと、泉駅に向かった方が待ち時間が少なく、早い電車に乗ることが出来る。それを知っていたので、東京からいわき駅に着いた時、なるべく駅付近を歩いておこうと思い、美術館まで足を延ばした。次回来ることがあればその時でもよいが、その次回はないかもしれない。Mさんは筆者の来訪を一期一会と表現した。人生は何事もそうかもしれない。まして遠方であればなおさらだ。泉駅に出たのは、いわき駅に向かうより近いこともあった。それに東京には3つも駅が近い。だが、駅前はいわきと違って殺風景で見るべきものがなさそうであった。駅舎は新しいようで、改札を入ると左手にトイレがあったが、その窓が大きな円形で、それと呼応するように
トイレとは反対側の向こうの突き当りの窓も丸く刳り抜かれていた。それが珍しいので写真を撮った。窓からの景色は遠くに住宅が建て込む丘が見え、まあまあのものだ。満月がその丘の上に見えるのであればもっとよいが、そんな夜もあることだろう。
江名はトンネルに囲まれた土地で、泉駅に向かう時、そのひとつを通った。その時撮った写真を今日は最初に載せる。トンネルは丸い窓だ。川端康成の『雪国』ではないが、それで結ばれる両方の地域は別世界の様相を呈することが多い。これは昔は山を隔てて国が違ったからでもある。江名のトンネルはごく短いのでそんな変化はないと言ってよいが、それでも景色は変わる。2年前の震災の直後、江名に関してのYOUTUBEに投稿された映像をいろいろと調べたところ、小名浜にあるマリン・タワーの麓あたりから車で北上し、フロントガラスから豊間、塩屋崎までの道のりを切れ目なしで撮影した映像が音楽つきでアップされていた。それを当時数回見た。震災以前の光景で、それと震災後に同じ区間を走った映像と比較すると、海岸べりがどのような被害を受けたかがよくわかった。ただし、同じ区間は永崎海岸沿いの道路のみだが、その道からの景色は見晴らしがよく、江名とはまた全然違う雰囲気であると感じた。江名のバス停からバスに乗ると、乗客はほとんどおらず、筆者は最前列のひとり座りの座席に着いた。バスがトンネルを抜けてしばらく走ると、その永崎海岸に差し当たった。2年前にYOUTUBEで盛んに見たことをすっかり忘れていたが、それらの映像が一気に蘇った。左手に海岸、眼前の道路はほぼ真っ直ぐに伸びている。やがて大きな看板が現われ、「いわきサンマリーナ」の文字が見えた。リゾート地の趣だ。江名郵便局で押してもらった風景印にはマリンタワーがデザインされているが、その場所を示す看板が「いわきサンマリーナ」を記す看板の50メートルほど向こうに立っていた。江名あたりでは美空ひばりの歌で有名な塩屋崎の灯台のほかはこのタワーがある周辺が観光客が訪れるのだろう。タワーに上れば360度のパノラマで太平洋が見えるとのことで、これは東尋坊タワーに似ている。昨秋東尋坊に行った時にそのタワーに上らずで、いわきのマリンタワーもあまり興味がない。これは移動が不便であるからとも言える。先のYOUTUBEの動画では、マリンタワーから塩屋崎まではすぐで、バスを利用したのでは望めない便利さだ。一生訪れることがないかもしれないのであれば、タクシーで回るべきだろう。そうしない筆者はバスからの景色で充分と思う、単なる始末家だろう。