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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●外から内、内から外
に押し寄せた津波がどれほど荒れたかが、昨日紹介したYOUTUBEの映像からわかる。ケータイ電話で映像を撮影出来るようになって、今では特ダネ的映像が誰でもいつでも撮影出来るようになった。



●外から内、内から外_d0053294_153431.jpg

気仙沼のような大きな被害ではなかったこともあって、関西では江名の津波の映像はTVでは紹介されなかったはずで、江名の人にはこの映像は貴重な記録になるだろう。Mさんは、揺れの大きさに驚き、普段歩行に困難な体であるのに、玄関から飛び出し、庭石にしがみついたそうだ。津波がどのように波止場を襲ったかは知らず、後日瓦礫の山でその大きさを想像しただけだ。パソコンがあればこの映像を見ることが出来るので、筆者はノート・パソコンを持参すればよかったが、WⅰMAXに契約しておらず、またしたとしても江名に電波が届くのかどうか、あれこれ調べたり契約するのが面倒でパソコンは持って行かなかった。それにパソコンは調子が悪く、江名に行く2週間ほど前、キーが表示どおりの文字を反応しなくなった。そこでUSB接続で別のパソコンのあまっていたキーボードをつないで使っている。1年ほど前に中古で2000円程度で買ったノート・パソコンであるので、このように壊れるのは仕方がない。それはさておき、先のYOUTUBE映像からは、港のすぐ際に合磯岬の小高い丘があったため、津波に飲み込まれずに助かった人があったことがわかる。丘に登っていた人たちは、ヘルメットに「いわき市消防署」の文字が見える。この消防署は取り壊された漁協の建物の南にあって、筆者がバス停に立った時は、中に消防車が2台停まっていた。映像では消防署員がゆっくり歩いてこちらに向かう中年女性に早く来いと急かしている。まだ津波はさほど荒れておらず、そのことを知っているのでいささか呑気な行動だ。だが、津波はすぐにとんでもなく荒れて、丘の際の建物の壁を破るなどする。丘がなければ、あるいはもっと遠ければ、波に襲われた人があった。この映像に見える津波は最初のものだろう。この後何度かやって来たと想像するが、最大の高さになったのは最初のものだろうか。映像からは眼下に見える銅像の土台下までで、岸壁をさほど乗り越えたようには見えない。昨日載せた銅像の写真と比較すると、高くて地面からせいぜい1.5メートルだ。それでも建物を壊すに充分で、人間ならばひとたまりもない。車が流されて行く様子を見ながら、消防署員は少し笑う場面がある。呆気に取られてのことで、その気分はわかる。
●外から内、内から外_d0053294_16925.jpg この映像を見て、銅像を間近に見たいと思ったことは昨日書いたが、昨日同じく写真を載せたように、合磯の海水浴場に立ってもみたい。このように思いを残すことは旅行に限らず、どんなことにもよくある。これは昨日書いた「内」を突き詰めても相変わらず「内」が出現することでもある。であるから、1年か2年後に江名に行くことがあっても、また何らかの心残りは生まれるだろう。それはいいとして、こちら、すなわち「内」から遠く眺めている向こう、つまり「外」に行ってそこに実際に立つことは、思いを果たした満足を覚えさせる。向こうの様子をあれこれ想像していたことが、実際に赴くことで、モヤモヤしたものが晴れる。確かにそうなのだが、そうでもないことをこのたび実感した。これは欲というものかと思う。つまり「内」にようやく到着出来て満足なのだが、その「内」的存在がまた別の「外」をもたらし、それを「内」に取り込みたい思いが湧く。ここで少し話題を変える。2年前の巨大地震の直後、半年ほどだろうか、筆者は夢によくうなされた。それから解放されるには、ひとつには江名に行ってみることであるとはわかっていた。ところが、江名を実際に見たにもかかわらず、つい先日また地震直後のような夢にうなされた。そこで愕然とした。これは地震の傷跡に対する思いが癒えていないからか。表向きはそうだろう。裏は何か。筆者はそれを考えてみる。そこで思い至るのが、何重にも覆われた「内」としての存在だ。その「内」の核心は何か。それを筆者はわかっているが、わかっていてどうすることも出来ないものだ。そのため、また同じような夢にうなされる。では、江名行きが無駄であったか。そうではない。「内」の真なる核心に到達出来ないことはわかっているから、玉ねぎのように、いくらかを表から剥いた「内」で満足するしかないし、また誰しも、何事に対してもそのような「理解」で安心するように精神構造が出来ている。それがよくわかっているにもかかわらず、夢にうなされるのは、筆者の精神がおかしくなっているからかもしれない。そう考えられるところ、まだ本当に精神がおかしくはなっていないはずで、地震から半年後のように、今回の江名行きから半年も経てば夢にうなされることもないと、ひとまず楽観的に考えるしかない。
●外から内、内から外_d0053294_162873.jpg Mさんが江名に住んでいなければ、江名に行くことは生涯なかった。そこで、Mさん宅にお邪魔したことは、江名の「内」に入り込んだことになる。それはホテルや民宿で泊まること以上に「内」的行為だ。Mさんとは話が弾んだ。27日は7時間、翌日は1時間ほど話した。これによって「内」を深く知ったが、何度も書くように「内」には切りがない。そのため、Mさんともう会って話が出来ないとしても、もっと「内」を知りたかったと悔いを残してはならない。ともかく、27日は江名に行って本当によかった。行かねばもっと後悔した。地震の被害を被ったMさんには悪いが、地震がなければたぶん江名に行かなかったから、地震は筆者には思わぬ決心をもたらした。地震直後に電話で聞いていた家の被害も、少しずつ修理されたのだろう。予想以上に傷跡が見えず、安心した。家の修理で費用が嵩み、また老夫婦ふたりでどういう手順で行なったかについて訊くことを忘れたが、地震の被害が表向きほとんどわからなくなっているからには、わざわざ蒸し返さない方がいいかもしれない。人生は瞼を閉じるまでどんなことが待っているかわからない。80代になって大きな事故に巻き込まれたMさん夫婦だが、地震を経験しなかったような気丈夫さであった。そこには人生の荒波を達観する優しい眼差しがある。それに触れ得たことは、Mさんの「内」の核心に対峙出来たことであって、それこそが今回の江名行きの最大の収穫であったことは言うまでもない。布団は自分で敷いてほしいとMさんから言われたが、2階に上がって筆者とふたりで行なった。布団を包んでいるのが大漁旗で、それが珍しいので少し広げながら訊ねた。昔所有していた船のものとのことで、船の名前が赤で染められていた。それは予期せぬ「内」で、江名が漁業で栄えた町であることを今さらに実感した。昨日載せた港の岸壁沿いの土井商店も、震災半年後に大漁旗を出入り口脇に垂らしていたことがわかる。漁業で得たお金をうまく別の商売に用いるなどしてそれなりに成功した人も江名にはいるのだろう。江名の海に魚がたくさん泳いでいるのに、原発事故のため、誰も気持ち悪くて獲らないとMさんは言う。原発さえなければまた元通りになったのに、数十年かそこらは無理だ。Mさんは2階の窓から港を示して、海が見えると教えてくれた。その時、悪天候のために水平線は見えなかった。翌朝6時前、同じ場所から港を撮影した。やはり水平線は見えない。それがどこあたりまで高さがあるのか、これを確認するために今度は晴れた日にMさん宅を訪れたい。
●外から内、内から外_d0053294_164543.jpg

by uuuzen | 2013-04-18 01:06 | ●新・嵐山だより
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