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●『手をつなぐ子等』
京都文化博物館で開催中の『日本三景展』を観た後、映像ホールで鑑賞した。『日本三景展』のチケットはまだ何枚か所有しているので、来月中旬までにもう2回ほど映像ホールで観る予定をしている。



今月のプログラムは『生誕100年記念企画 映画監督・稲垣浩の世界』と題して、全部で10本を上映している。この中で最も有名な作品は『無法松の一生』だ。これは昨日やっていたが、当初の予定を変更してこの映画を観ることにした。プログラムによると『無法松の一生』は上映時間が83分となっている。明確な説明がないため、どの程度カットされたヴァージョンかわからないが、10年近く前に観た修復版ではないことが推察出来、それなら観ても仕方がないと判断した。その10年前のヴァージョンは当時新聞でも話題になって、検閲を受けて削除されたフィルムがどこかから出現し、それをどうにか挿入編集したものだ。それでも完全版ではないので、後の部分は残っている脚本を利用して文字画面だけを新たに作り、どうにか完成当時の作品に近づけるべく努力がなされた。出現した断片映像は、太平洋戦争の戦果を祝って村人たちが夜に提灯行列をするシーンで、どういうわけか音は入っていないため、その部分だけはサイレントになっていた。脚本段階、それに公開当初においても検閲削除を受け、さらに戦後GHQによって軍国主義的な表現と思われる部分がさらに切り取られるという不幸な経緯をこの『無法松の一生』は持っているが、それにもかかわらず日本映画を代表する名作としての地位は今後も揺るがない。そんな映画を作った監督であるので、今回上映される10本はどれもそれなりに面白いはずだが、すでに観た『無法松の一生』、それにチャンバラの時代劇は除外し、結局この作品を選んだ。笠智衆が主演であるので、心温まる映画であることは想像がついたし、これも10年ほど前か、笠智衆が亡くなった時、NHKが確かこの映画の引き合いに出して笠の俳優歴を紹介していたのを思い出したことも理由としてある。
 1948(昭和23)年の大映京都、86分のモノクロ作品だ。筆者が生まれる3年前、しかも京都が舞台というのがいい。ほぼ半世紀前の京都の風景がこうした映画にせよ記録されているのは嬉しい。それは京都を舞台にすると、たいていは誰もが知っている場所が映り、今と比較することが出来るからだ。案の定、この映画でも小学生たちが嵐電、つまり京福電車に乗って嵐山に遠足で行く場面がある。嵐電は現在も路線、電車ともに全く変わらずにそのまま走っている路面電車だが、嵐山や渡月橋の風景もほとんど変化はない。ただし、そこに点景として映る建物はみな今とは違っている。昔はもっと素朴で数も少なかった。これが戦前となればもっとで、坂口安吾の書く文章では嵐山は観光客の賑わいがほとんど伝わらない静けさが支配している。こうして書いていて、筆者の目の前にはその嵐山が立ちはだかって見えるが、連休ともなると嵐山一帯は大勢の人込みで遊園地のような状態になる。それがいいのか悪いのかわからないが、この映画に出て来る嵐山は渡月橋下の砂州で時代劇の撮影が行なわれていて、それを子どもたちが橋のうえから喜んで見つめる場面がある。そこにはのんびりとした、おそらく江戸時代と大差ない空気が流れている。今でも嵐山界隈での映画撮影はたまにあるが、半世紀前に比べてはるかに監督は苦労しているに違いない。よけいなものが写り過ぎるからだ。もう時代劇の撮影は到底無理だ。この映画には大映京都撮影所のある地元の太秦、嵯峨野小学校、それに少し離れるが第三錦林小学校、そして和歌山県の御坊小学校が協力している、今60代半ばの年齢でこれらの小学校に在籍した人は、運動場や校舎がさまざまに映っていることに懐かしい思いがすることだろう。筆者にしてもそれは同じで。木造の校舎やその配置は大阪の50年代のそれとほとんど同じと言ってよい。全国どこでも同じような形の校舎が、同じような配置で建っていたのであろう。映画に登場する石炭をくべるダルマ・ストーヴや足踏みミシン、ペダル上部に三角形の金属広告板をはめ込んだ運搬用自転車、室内に垂れ下げるうす茶色の粘り糊がついたハエ取り紙など、みんな筆者の小学生時代には馴染みのもので、この映画が筆者の生まれる前に撮影されたとはいえ、同時代感覚で共有出来る部分はとても多い。また、今だからわかるものもあった。それは主人公の男子の家の玄関を入ってすぐ上部に太秦の牛祭りの紙製の白い仮面が掲げられていたことで、大映京都撮影所近くの民家を借りて撮影したことをそのままうかがわせる。今は牛祭りも行なわれず、郷土玩具の収集家しか知らない仮面になってしまったが、こんなところからも失われた京都の姿が見える。
 また、京都独自のものとしては、登場人物の言葉だ。京都の言葉は大阪のそれとはかなり違うが、小学生低学年からすでに毎年何度も京都の親類の家に泊まっていた筆者は京都の言葉は違和感なく耳に馴染んでいたので、よけいにこの映画に登場する言葉の訛は面白かった。主人公の精神薄弱の男子児童中山寛太の母親役を演ずる杉村春子はうまく関西言葉を喋っていたが、学校の先生たちの中には明らかに関西訛ではない人が何人もいた。それは先生であるから標準語を話すべきという了解があるだろうという考えから、あるいはたとえば関東から赴任して来たことを匂わすためなのかもしれないが、そこに京都対中央の意識が少し垣間見えた気もする。また、映画は京都を舞台にしても、上映されるのは全国であるので、京都訛だけに固執するわけにも行かないのだろう。寛太をいじめることになる山田金三という男子が途中から転校して来て同級生となるが、あまりのいじめっ子ぶりで、女子たちは「やまきん」と短縮形で呼んで嫌うシーンがある。これは今の子どもたちと全く同じである気がしてとても面白かった。それは侮蔑一辺倒ではなく、憎まれっ子に対する形を変えた愛情表現であり、それだけ「やまきん」は目立つ子でもあるということを示す。この「やまきん」がみんなに通用する愛称となって、先生たちまでもがそう呼ぶところもまた思わず笑ってしまった。陰湿なガキ大将でもどこか救いようがあるとみんながみなしたいた余裕のある時代と言うことも出来るが、そんな牧歌的な時代ではとっくになくなって、親も子も先生もぎすぎすしている昨今、果たして「やまきん」と名づけてみんながそう言う面白さをどれだけの人が理解するかと思う。今なら「やまきん」の親も怒鳴り込んで来るかもしれない。だが、この映画ではやまきんの両親は描かれない。そのためどういう家庭状況かはわからないが、手に負えないワルの「やまきん」も実際はさびしいゆえにそう振る舞っているだけだと、笠智衆演ずる担任の松村訓導が温かい目で見守る。この点と、そして誰もが想像出来るその結末がこの映画の見所だ。
 いじめが深刻化し、警察の厄介になる質の悪い先生が出現しても誰もあまり驚かなくなった現在、このような内容の作品がどういう意義を持つか、かなり疑問に思えるところもある。この映画を現実的として捉える人は少数派と言えるだろう。だが、果たしてそうだろうか。この映画で描かれるようにはもはや自然の中で思い切り遊べなくなってしまった今の子どもたち、そして校舎も立派な鉄筋コンクリートに変わり、物が溢れて一見豊かになった日本だが、人間は半世紀程度で本質が変わるだろうか。この映画が作られた当時でさえ、この映画で描かれるヒューマニズムを嘲笑った人は多かったと思う。残念なことだが、今も昔も今後もそういう人は一定以上占める。そして、この映画はそうした救いようのない人々の固い心までを溶かすためのものではないだろう。ここで描かれるのは、あくまでもひとつの理想であり、それ以上でも以下でもない。それは娯楽として鑑賞されもする運命にある映画の宿命で、映画館を一歩出てしまえば、もうすっかり忘れて元の自分に戻るというのが現実だ。だが、一旦感動すれば何らかの形で心のどこかに刻まれる。そのような感動を与えるのが監督の、そして映画の目的だ。それを信じなければモノ作りなどやっておれないものなのだ。教育者が子どものうえに君臨し、何事にも指示を出して導くというようにこの映画が描いていないのもよい。もちろん先生や大人たちが陰で見守るだけで何の手出しをしないということではない。映画の題名にあるように、子どもたちは子どもたちで手をつないで問題を解決して行くという眼差しを大人たちが示して点が、この映画を理想主義ではあるが好ましいものとして成立させている。教育はうまく育つように教えることであり、育つのは子どもたち自身の自然な力だ。それを強引に矯正しようとしても、どこかで無理が生ずる。育って行く方向の正しい先導役をするのが教師であり、この映画はそのことを見事に教えている。級長役の男子は勉強が出来、心も優しく、また腕力で喧嘩する度胸もあるという優等生ぶりだが、現実にそうした児童や生徒はいるもので、誰しもこの映画を見れば自分の子ども時代と同じであることが納得出来るであろう。
 話は変わる。筆者が小学生の頃、いつも青バナを垂らしたA君が同級生にいた。体は脆弱ではなかったが、動きは鈍く、そして常ににこにこしていた。近くにいてこっちまでほのぼのとさせられる何かがA君にはあった。それは学業優秀な連中には絶対にない何かで、その無抵抗ゆえのおおらかさのようなものを今でも感じ取ることが出来るほどだ。A君は精神薄弱ではなかったが、勉強は文句なしにクラスでビリだった。今なら意地の悪い男子から徹底していじめられるような存在と言ってよい。しかし、みんなはその子を無視せず、いじめもしなかった。A君は同じ中学に進んだが、高校には行かず、近くの小さな酒屋に勤めた。そのことを風の便りで知っていたが、20歳代に一度A君が紺色の酒屋のマークの入った前かけをしてバイクに乗り、酒を配達している光景を見かけた。A君は筆者のことがわかって、少しはにかんだが、その時のA君の顔がもう30年ほども経っているのにまるで昨日のことのように思い出せる。出会った時、とても嬉しかった。あの機敏に動けないようなA君が堂々と働いていることに対する嬉しさだ。どんな経営者か知らないが、その人に内心感謝もした。もうひとつついでに。筆者の小学校には特殊学級があった。精薄児が所属していたが、それはこの映画で描かれるのとはまるで別世界であった。精薄の度合いにもよるのだろうが、特殊学級として区別してしまうところにすでに普通の子どもと一緒には勉強させないことを決めてしまっている。また、近所には小学生に上がる年齢に達しているのに学校へは行かない子もいた。その子は筆者がその家の前を通るたびに唾を引っかけて来たが、そんなことが数年続いた後、珍しくも銭湯でその子と会ったことがある。すると少しは成長したのか、それなりに筆者に親しげに話しかけて来るのであった。その時、温かい何かが筆者とその子の間には流れていた。どんな出来の悪い子どもでもそれなりに世の役に立って働ける場所があるという国こそ本当に豊かな証ではないか。勉強が出来る人ならばそれなりの義務を果たすべきで、難しい仕事をこなしているからといって何も自慢するには当たらない。神がそのような人並み外れた能力を与えたのであって、それに釣り合った仕事をするのは当然のことだ。それはA君が酒を配達するのと何ら変わらない。人生においてはどんな能力の人もそれに応じて頑張る必要がある。A君は今どうしているかとふと思う時がある。地元の小さな酒屋などもうとっくに廃業しているかもしれないが、もしそうならA君にまたどんな職業があるだろう。同窓生で医者になったような、つまり世間で言う成功した男には全く会いたいとも思わないが、A君やそのほか、何かハンディを背負っていた者には少なからず関心がある。会っても何を話すこともないが、元気でにこにこしている姿がもし確認出来れば、それだけで嬉しい。
 中山寛太の父親は洋服の仕立て屋で、母をそれを手伝っているが、寛太はひとり息子であるのに、生まれてすぐに病気になって脳の発達が遅れた。小学校に入っても勉強について行けず、担任からは疎まれ、机を廊下に出されて放ったらかしにされるあり様。両親はそのため何度も引っ越しと転校を繰り返している。やがて父は戦線に赴き、母は学校に子どもの面倒を頼み込んでどうにか受け入れてもらう。担任の松村は校長に一任してほしいと言い、そして子どもの2パーセント、つまり30万人が寛太と同じような精薄であることを告げ、寛太をしっかりと教育することは大きい意義があることを訴える。理解ある校長は松村を見守るが、担任たちも影ながら協力を惜しまない。寛太は純真で、人を疑うことを知らず、命にかかわるほどの陰湿きわまる「やまきん」からのいじめを、全然そうとは受け取らない。町角の落書きをクラス全員で担当場所を受け持って消すことになった時も、さぼるやまきんに代わって寛太は夕暮れ遅くまで作業に没頭する。そんな寛太を相手に、やまきんは少しずつかたくなな心を溶かして行く。やまきんのひどいいじめを松村は一切注意せず、むしろ黙って見つめ続け、やまきんが寛太によって改心する日を気長に待つ。映画は1年ほどかけて撮影されたようで、真夏、真冬の場面が映るが、それはじっくりと児童たちを見守る松村の気持ちの反映でもあり、映画をより美しいものに仕立て上げている。寛太は級友や先生のおかげで初めてクラスに馴染み、学校に行くのがとても楽しく、用務員のおじさんがびっくりするほどの早朝から校門が開くのを待つほどになる。そうしたことを妻の手紙で知った父は戦地から松村に感謝の手紙を送る。これがまたどのような父親でも思う心をそのまま描写していて、泣かせられる場面であったが、映画でもその手紙に感動した別の先生は松村からそれを借りて校舎の掲示板に張り出したりする。美談と言えばそれでおしまいだ。この映画はテンポが現在のドラマ以上に早く、だれる場面がどこにもない。そのため美談に酔ってそれが冷める時の一種の後ろめたさを覚える暇がない。そこは編集のうまさの賜物だが、映画は編集してなんぼのものであり、結局のところ監督の手腕だ。子どもを使う映画は誰しもがある程度は感動する映画になってしまうもので、そこを嫌う人もいるが、この作品は最初から子どもが主人公の映画とわかるし、そのつもりで観ても、意外な方向、かなりどぎつい描写などが散りばめられ、全体に退屈することはない。落書きを消してもまた落書きされればどうするかという松村先生の質問に対して、寛太だけは「また消します」と答える。これはなかなかすごい言葉だ。この映画の最も重要なシーンと言ってよい。非暴力主義のガンジーを連想したが、弱い者の無抵抗主義が結局は最も大きな抵抗力になることを示していて、この映画から教えられることは少なくない。プログラムの解説によると、原作は戦前から京都市の滋野小学校で特殊学級を担当し、知的障害教育のパイオニアとして知られる田村一二が戦争末期の1944年に出版した同名小説という。もう少し引用しておく。『…結核で療養中であった伊丹万作はこの小説に感動し原作者と文通を開始、脚本化するが、ついに体調は戻らず、1946年6月、不帰の客となる。この遺作を、千恵プロから盟友・稲垣浩が追悼の意を込めて映画化する…』。『無法松の一生』に劣らない名作だ。
by uuuzen | 2005-09-23 23:44 | ●その他の映画など
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