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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「考えて下さい 死後の行方」
のように横歩きする男が韓国ドラマの時代劇に登場したことがある。一方、上田秋成は「無腸」と号して自分を蟹になぞらえた。人間が蟹のように横歩きする動物であったならば、道路や建物はどのように今と形が違ったであろう。



今あるものを唯一正しいと思わない方がよい。とはいえ、人間は横歩きしない動物で、背中に目はついておらず、前を向いて生きて行くように出来ている。これを過去の辛いことは忘れた方がよいと解釈しろと言いたいのではない。背中に目がついていないのは、それだけどこか抜けている、つまり不用心で、人間が完璧な動物でないことを証明している。江名に向かう新常磐交通バスを3つ手前の停留所で降りたことは先日書いた。今にして思えばそれがよかった。自分の足で歩いた区間は、バスの車窓から眺めた風景よりもはるかに覚えている。車では見過ごすものに気がつくから、人間は徒歩こそが本来の生き方に見合っているはずで、車社会になって何か重要なことを置き去りにした。そう思わない人は単に車の便利さに酔っているだけだ。話は変わるが、黄檗僧の売茶翁は若い頃、故郷の肥後から仙台まで旅をした。もちろん徒歩だ。あまりの雪に往生したことを晩年に思い出したりしているが、同じ黄檗宗の禅寺があったためにそういう遠方への旅が出来た。筆者は売茶翁が各地を歩いたことを想像するたびに羨ましくなる。話を戻して、合磯でバスを降りた時、震災の爪痕は周囲にそれほど目立たなかった。ひどかったのはもっと北だ。神谷作入口というバス停を過ぎて間もなくだったと思う。見事な遠近法で遠くまで連なった仮設住宅の集合地が見えた。一瞬、アメリカに住んでいた日本人が戦争勃発で砂漠に隔離されたキャンプ地を思い出した。そこから合磯までバス停で20ほどの距離で、太平洋の際を道路が走る。道路沿いに住宅が建っていて、海に近い方は全滅であったろう。バスがジグザグと小刻みに走る区間があり、道の両側は見わたす限り家のコンクリートの土台のみで、そこに住んでいた人たちが仮設住宅に移ったことが想像出来る。筆者は隣家のリフォーム前の作業でわずかなモルタルを崩すのに骨折っている。それに比べると家の土台は何万倍も大きく、また強固だ。土台が強固であらねば家が満足に立っておれないと建築家は考える。ところが、津波で家はひとたまりもなく、土台のみが残った。この頑丈なコンクリートの塊を今さら取り崩す気力はなく、またその資力もない。強固であるだけに厄介な存在で、まるで家の墓標に見える。どんな家でもまず墓標のような土台をしっかりと造り、その上に寝起きする家を建てるのであるから、常に死をどこかで思っているはずなのだが、案外基礎のコンクリートには思いを馳せないものだ。
●「考えて下さい 死後の行方」_d0053294_20380881.jpg
 GOOGLE EARTHのストリート・ヴューは、東北の被災状況を一時も早く人々に知らせるために地震から8か月後に現地を撮影して回った。そのお陰と言えば語弊があるが、まず10年かもっと先と思われていた江名は、車が走るほぼすべての道路の映像が去年見られるようになった。それで昨日、合磯のバス停から筆者が歩いた江名までストリート・ヴューで辿ってみた。筆者の記憶とその映像を照らすと、撮影から1年4か月を経て、より震災の被害は整理されたことがわかる。この段落の最初に合磯のバス停付近のストリート・ヴュー画像を載せておく。左端に少し海の水平線が見える。右端は地震で崩れた家の跡だ。この横長の写真の中央に見える道路を奥に向かって歩いた。左端の海に続く道との角にバス停があり、ストリート・ヴューのほかの角度の映像を見ると、それがあちこち曲がっている。津波でやられたのだろう。筆者が下車した時はそれは新しいものに取り代えられていた。筆者が歩いた時もちょうど同じような曇天ないし小雨で、また擦れ違う人は皆無で、車も数分に一台であった。放射能のことは全く思い出さなかったが、それを心配して子どもを江名に住まわせない人はたくさんいるだろう。合磯のバス停から500メートルほどだろうか、右手の建物の壁に「考えて下さい 死後の行方」と書いた看板が貼られていた。キリスト教の信者が用意したのだろう。震災以降に貼られたものだろうか。たぶんそうだと思う。ついでにストリート・ヴューで同じ場所を探すと簡単に見つかった。その画像を別角度にして複写したのでこれも今日載せておく。「考えて下さい 死後の行方」とは、「死を想え」であって、ヨーロッパでは古くからの言葉で、虚栄を戒める。一方、死ねば終わりであるから、生きている間にせいぜい楽しむべしという見方もある。死後の行方は生きている間に考えてわかることだろうか。死後の世界は死んでみないことにはわからないし、死ねば意識がないから、死んでもわからない。そのため、「考えて下さい 死後の行方」は何の意味も持たない文句と言える。Mさんは筆者に神仏を信じますかと二度訊き、返事を待たずに「わたくしは信じません」と言った。Mさんの家には立派な神棚と仏壇があり、毎日拝むことを忘れない。そのことと信じるかどうかは別のことだ。神仏を信じたところで経済的、精神的に裕福になれるのかどうか、神社や寺は絶対にそうだと主張するだろうが、それを言う連中がどれほど神仏を信じているかどうかは疑わしい。立派な伽藍の寺に住む僧の8,9割は破戒をしていると売茶翁は喝破した。今ではもっとひどいことになっているのではないか。
●「考えて下さい 死後の行方」_d0053294_112559.jpg
 「考えて下さい 死後の行方」を説く人は何を言いたいのだろう。「欲を出すな、信心深くあれ、そして始末した金銭をわれわれに寄付しろ」 おそらく内心そんな調子で、生前にたくさん寄付をした人は死後に報われ、そうでない人は地獄に行くといったことをほのめかす。ところが、現実は心の優しい人が地震や津波で呆気なく死ぬ。これもMさんの話。Mさんの御主人は昔船を持っていた。船主だけでは漁が出来ないから漁師を雇う。気仙沼やあるいは地元近くなどから男たちを招く。そうした人の中に、福島原発の建設に反対し続けた人がある。その人は2年前に津波で家が流された。生涯かけて建てた家を一瞬のうちに失って、これからどうして生きて行くのだろう。そういう場合、信心深くあれば救われるか。それもあるだろうが、まずほしいのは雨風を凌ぎ、誰にはばかることもない家だ。そのためにはお金が欠かせない。最近沖縄と福島の人たちは日本の犠牲になっているかどうかを問うネット・アンケートがあった。犠牲になっていないと思う票がそう思うと答えた票と拮抗していた。そのことをMさんに話すと、福島原発誘致でお金をもらったのは、地元住民のみで、江名は含まれなかった。江名のすぐ北の豊間もだ。その豊間はバスの車窓から見ると、家が密集していた地域がコンクリート基礎の大平原になっている。そこに戻って家を建てたくても、保険会社は契約してくれない。そのためローンが組めない。おまけに放射能だ。この状態で東電が素知らぬ顔をしているとするならば、「考えて下さい 死後の行方」と言われるとかえって「そんな余裕はない。『考えて下さい われわれの現在の行方』だろう!」と激怒したくもなる。それはさておき、死後の行方は誰にもわからない。であるから、生きている間に少しでも喜びたい。その喜びは他者と共有するものが一番だ。他者の喜ぶ顔が何より嬉しいと思う人でなければ宗教家や政治家になるべきではない。さて、「考えて下さい 死後の行方」を撮影した後、目を引く予想外の物に遭遇することを期待しながら、また前進を始めた。
●「考えて下さい 死後の行方」_d0053294_1122475.jpg

by uuuzen | 2013-04-01 01:12 | ●新・嵐山だより
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