編成が4輌というコンパクトさ加減は、それだけ乗降客の少なさを反映している。常磐線の水戸や勝田発の下り線のことで、昨日の写真の1枚にそれが写っている。この編成は2年前の地震以降、線路が分断されたせいかもしれない。
今回筆者はいわきから5つ先の、ひとまず線路が途切れている駅まで行ってみようかと最初は考えた。ちょうどTVの震災2年目の特別番組でその駅から北に延びる線路がぐにゃぐにゃと歪んで見えている場面がとても印象的で、それをこの目で確かめ、出来れば写真を撮ってブログに載せたいとも思った。ただし、それは一瞬で、震災の爪痕の写真は撮ってもあまりブログに載せない方がよいと思った。記録として意味はあろうが、個人がそういう写真を興味本位で撮って、ブログにたくさん載せたところで何がどうにかなるものではない。それに今も個人の資産である住宅のコンクリートの基礎がさびしげに広がっている光景を撮ることは、かつての住民に申し訳ない気もする。常磐線が途切れていることに話を戻すと、いわきから5つ先の駅まで行く電車は、いわき行きよりも少ない。2時間に1本程度だ。これならば、ぐにゃりと曲がって線路を撮影していわきに戻って来るのに、電車待ちの時間の方が圧倒的に長くて数時間もかかるかもしれない。JRの時刻表を見てすぐに断念した。いわきより北に行く電車の数がそのように少ないのは震災以降だろう。それに水戸からいわき行きも減ったのではないか。原発付近の常磐線のいくつかの駅は立ち入り禁止が半世紀ほど続くのだろうか。いわきから仙台に行くには、いわきから5つ先の駅で一旦降りて、バスで大きく迂回してまた常磐線が利用出来る区間の駅まで行くのか、あるいはいっそのこと常磐線を利用せずにバスで行くのか、そのあたりのことがよくわからない。仙台には以前自治会に住んでいて親しく話をした家族が住んでいるので、全く縁がないのでもないが、今のところは行ってみたいとは思わない。江名のMさんにいわき以北でどこまで行ったことがありますかと質問すると、仙台をバスで一度だけ見たことがあるだけで、それより北は知らないとのことであった。案外そういうもので、かえって東北から遠い旅好きが東北をよく知っているだろう。

昨日の続きのようなことを書いているが、常磐線は太平洋の面したところを走るので、車窓からの眺めは面白かった。これが常磐線を乗り換えてたとえば郡山に行くとすると、山の間を縫って行くので、窓の外の様子はおおよそ想像出来、それは何となく面白みに欠けるように思える。常磐線のどの駅の近くであったか、海が見える区間があって、写真を撮ろうと思いながら海は激しく見え隠れを繰り返したので諦めた。それにしても太平洋が見えたことは楽しかった。とはいえ、その海が著しく隆起して陸に迫って来て、多くの家屋と人命を奪い、原発事故まで引き起こした。磐城の国は太平洋に面した温暖な気候の浜辺こそが売りであったのに、それに復讐された形だ。自然は与えるが奪いもするということだ。それを人間は与えてくれる一方の存在と思い過ぎる。その過信が原発事故を引き起こしたとも言える。もう少し津波を侮らなければよかったのに、まさかという稀なことが起こった。さて、いわきより5つ先の駅で降りたとして、それより北に行くにはバスを利用するのは間違いない。それはJR7が運行しているのだろう。JRバス路線の時刻表が、筆者が10日ほど前に入手した分厚い時刻表に載っているのかどうか。そういうことを調べるのも楽しいかもしれない。そのバスは原発事故の処理の間のみの運行で、バス好きは今のうちに乗っておくのもよい。筆者はバス好きというほどではないが、大阪に住んでいた頃から市バスにはよく乗り、たとえば名古屋といった遠方に行く場合でも利用して来た。格安であるし、指定席なので確実に座れるのがよい。それに車窓の風景も楽しめる。東京駅で梅村さんと交わした話の中で、リニア新幹線が京都ルートを採用すると、東京京都間が1時間で結ばれることを言うと、それだけの速度が果たして日本に必要なのかという梅村さんの意見であった。新幹線の構想は日本は戦前から持っていた。それが戦後の高度成長期に半ば実現化し、もう半分のリニア構想もどうしても成功させたいというのが、日本の鉄道に携わる人たちの彼岸でもある。それは国民の便利さを思ってのこともあるが、今の医療と同じで、技術の勝利を誇りたいためだ。リニアがうまく行けばその技術を海外に売ることも出来る。それはそうとして、東京京都をほとんど直線で結ぶため、半分以上はトンネルで景色が見えない。車窓をのんびり楽しむことは、時間をそれだけ多く費やすことで、これからは金持ちのすることになるだろう。TVでは路線バスにだけ乗って旅をする番組がある。かえってその方が時間も金もかかり贅沢なのだ。Mさんも同じことを言っていて。各駅停車で旅することは一番の贅沢で、忙しいサラリーマンには出来ない。リニア新幹線は少しでも早く目的地に着きたい人向きで、窓からの眺めといった風情はどうでもよい。リニア新幹線の運賃は恐らく現行の新幹線の5割以上高く設定しなければならないはずで、それに乗れるのは経済的に豊かな人だ。新幹線でもあまり使わない筆者には縁がなさそうだが、ないならないで別の楽しみを味わえばいいだけのことだ。
青春18切符で京都からいわきまで行ってみようかと思ったのは、車窓の景色がどのように変わって行くかを眺めるのも楽しいからで、筆者は目的地に着くことだけが目的の旅ではなく、なるべく途中の時間を噛みしめたい。この考えが往復1時間以上かけてスーパーに徒歩で買い物に行くことの理由になっている。近隣のたいていの人、いや筆者以外のすべてと言ってよい人たちは車を使う。それなら10キロ先でもすぐであるし、たくさん荷も運べる。筆者は車を持つ資力はないし、あっても興味がない。それで時間がかかろうとも自分の足で行く。であるからヘルツォークがミュンヘンからパリまで歩いたといったことに感動する。「そんな無茶な」と人は言うが、筆者は無茶をする人が好きなのだ。無茶をしなくて何の面白い人生だろう。ミュンヘンからパリは、京都からいわきまでより少し短いはずだが、2か月ほどかけて宿も取らずに徒歩でいわきまで行く無茶はさすがに60を越えている筆者には無理だ。だがか普通列車でならどうか。一駅ごとにいわきに接近して行くことを味わうのも乙なものではないか。新幹線を使って最単時間で行くならば、現地に立つありがたみが減少する気がする。遠方を実感するには、体力をそれなりに使って疲れなければならない。その感覚がヴァーチャルとの最大の差で、人間は自分が消耗する存在であることを常に知っておくべきだ。その消耗こそが人生であり、その消耗と引き換えに感動を得る。消耗のないところに何の感動があるか。お金の問題も同じで、貯める一方では感動はない。有意義に使ってこそ初めて感動をもたらす。話がなかなか本題に入らない。ここで急展開。水戸の話をする。水戸にまさか降り立つとは思わなかった。夜行バスが八王子駅前に着いたので、咄嗟の判断でそこで下車した。それは今回の旅で自分でもよくぞ決断したと思う。もう1,2分遅ければバスは新宿に向けて出発した。そうなれば水戸駅に降り立つことは出来なかったし、偕楽園を見るのはさらに何年も経ってからか、あるいは生涯見ることはなかった。
水戸で滞在出来る時間は2時間ほどだ。偕楽園を往復するには充分だろう。水戸でいわき行きに乗り換える際、1時間以上の待ち時間があれば偕楽園か水戸芸術館のどちらか、あるいは双方を見たいと考えた。水戸芸術館が出来たのは10数年前だろうか。音楽評論家の吉田秀和が最初の館長ではなかったか。現代美術を専門に展示し、いつか行きたいと思いながら、まだそれがかなわない。2年前の地震の際、水戸の揺れを報じるTVの映像は必ずこの芸術館の三角形を組み合わせたような塔が近景に捉えられている。いわば水戸の代表的な建物だ。それを一度この目で見ておくのは、美術ファンとして義務でもあろう。水戸駅のすぐ下にバス乗り場があり、偕楽園行きはすぐ目の前であった。たくさんの人が並んでいて、みな通勤客のようだ。最後尾に就くと、眼鏡をかけた60歳ほどのおじさんが筆者に声をかけて来た。「偕楽園にお出でですか」「はい」「ではこちらに」「この列ではないのですか」「はい、偕楽園行きはもうすぐ到着します。偕楽園は往復しますか」「はい」「ではこの1日乗り放題チケットをどうぞ。往復で500円ですが、元が取れます」こんな会話から始まってバスが来るまでの間親しく談笑した。水戸芸術館に行くにはどのバス停で下車すればいいかも訊いたが、2時間では偕楽園の往復だけでたぶん立ち寄ることは無理で、遠目に建物を見る程度であろうと内心思った。結果を言えば、それも無理で、水戸中央郵便局に立ち寄っただけだ。これでまた水戸を訪れる理由が出来たことになるので、それもよい。水戸の駅前の大きな通りは緩やかな登り坂になっていて、この道を四半世紀もっと以前に土浦に住んでいた友人の車に乗せてもらって走ったことがある。その時のわずかな記憶どおりの光景が偕楽園に向かうバスの車窓から見えた。ごく短い時間であっても実際に体験したことはTVで見るのとは違って鮮明な記憶となることがこのことからわかる。それをもっと実感するには、自分の足で歩くことだ。水戸駅前から偕楽園を往復したのではそれは味わえないから、帰りは駅から少し手前で降りて歩くことにした。その話は次回にしよう。水戸駅前から乗ったバスでは、最前列に座った。京都の市バスでもたいてい同じ場所に座る。実は京都市バスでその場所に陣取って前方を撮った写真が3枚ある。それらをまとめて「オン・ザ・バス」の題名でブログに投稿しようとここ1か月は何度も思った。今日はそれを実行するのにいい機会だ。最初の写真は去年7月21日の四条烏丸界隈、2枚目は27日に水戸駅前から乗ったバスから撮った。同じような写真ながら、2枚の場所は800キロほど離れている。