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●リフォーム、リリフォーム、その6
癖かどうか試されるのが税金の申告だろ。誰でも収入を過小にして税を逃れようと思う。商売人はだいたいみなそうだ。サラリーマンはその点、逃げ道がない。



これを不公平と捉えるべきかどうか。筆者は自営業だが、商いにさっぱり関心がないので、損ばかりしている。それをある人が馬鹿だと言ったが、確かのそうなのだろう。作家たるもの、作品には自分で価値をつけねばならない。住宅のリフォームについて最近は調べることが多いが、タイル職人や大工などの工賃は、1日数万円で、しかも2,3時間ほどしか仕事をしない。つまり、時間給で2万は取る。専門職であるからそれくらいはあたりまえということか。筆者の友禅染も専門職であるし、しかも勉強、研究のために日夜努力を欠かせない。タイル職人や大工とは違って、大いに美的感覚を磨いておかねばならない。にもかかわらず、その工賃たるや、筆者は学生アルバイトの半分にも足りない計算で今まで売って来た。これなら誰しも作品に値打ちがないと思う。そこで方向転換したいが、家内に言わせると『今さら無理』だ。だが、そうだろうか。公務員は55歳で昇給しないようになったが、筆者のような仕事は経験を重ねて来たこれからが充実する。今まで冷や飯を食べて来たことの挽回の番だ。そのように思っているが、さてそれにはどう注文を取るかだ。それはさておき、さきほどようやく税務申告の書類をまとめた。明日は最終日だ。間に合った。全く儲かっておらず、赤字の連続であるから、書類をまとめていてもさっぱりしたものだ。どうして税金をごまかそうと考える必要がない。それもさておき、潔癖かどうかを試されるのは、誰にでも機会がある。たとえばお金が落ちていたとして、その金額がいくら以上であれば交番に届けるか。5000円程度ならまず届けないだろう。落とした人も惜しいと思いながらも諦めがつく。筆者は注意深いつもりなので、お金を落とした経験はほとんどない。ところが今日はそれがあった。隣家のリフォームには、照明を全部交換するつもりでいる。無粋な工場用の蛍光灯がついているからだ。少しずつ揃えていて、先日は2か所あるトイレのために同じものを2個ネット・オークションで買った。出品者は自転車で20分ほどのところにいて、引き取りに行くことにした。送料800円がかからずに済む。商品代金を振り込むつもりでいたが、商品と交換でよいと言う。それで今日は封筒の中に代金をきっかり入れ、自転車で出かけた。
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 昨日と打って変わってとても寒い日で、いつものスタイルに寒さよけの赤い半コートを着た。そのポケットに代金の入った封筒を入れ、しかも出かける直前にそこにカメラも放り込んだ。途中、嵐山郵便局で振り込みをし、その時左右のポケットに入っているものを交換した。銀行のカードを収めたケースがポケットから落ちてはまずいので、ズボンのそれに収めた。出品者の家のすぐ近くに白梅が数本あって、満開であった。自転車から降りてその写真を2枚撮った。そして出品者と会ったが、ポケットに入れたはずの封筒がない。白梅を写すためにカメラを取り出した時に落ちたかもしれない。そこまで200メートルほどで、しかも人通りは少ない。すぐに引き返した。見当たらない。仕方なしに近くの郵便局まで行ってお金を下ろした。赤いコートのポケットはとても浅い。以前からそれが気になっていて、スーパーの袋をいつの間にか落としたこともある。だが自転車を運転している間には落ちないだろう。嵐山郵便局でポケットの内部のものを入れ替えたので、その時に落としたかもしれない。だとすればATMブースの中か、それを出てすぐのところだ。帰りがけに郵便局に立ち寄って訊くと、落し物はなかったとのこと。郵便局は人の出入りが多い。封筒が落ちていて、中にお金が入っていると、そのまま懐に入れる人は少なくないだろう。2000数百円であったので諦めもついたが、これが数万円なら数日は悔しい。やはり代金は振り込めばよかったのだ。それに封筒は筆者の名前が表に大きく書いてあって、拾った人は調べようと思えば調べられる。郵便局に預けなかったのは、落とし主に返すつもりがないからで、そういう人は筆者の名前を調べたところで、筆者に直接返すこともないだろう。それはいいのだが、筆者の名前が書いてあったのは、筆者宛ての封書を使い回ししたからだ。そのことで何か後でトラブルめいたことがなければと思う。そういう心配をしておいた方がよい。ついでに書いておくと、家内の姪の旦那さんのYは毎朝同じ電車で通勤している。ある日、腕時計を車内に忘れた。5,6万円のものだ。落し物係に問い合わせると届けた人があったとのこと。筆者なら引き取りに行くが、Yは自分のものかどうか確認しに行き、間違いないことを知ったうえで自分のものですとは言わなかった。その理由は、拾った人が、落とし主が現われれば必ずその名前と住所を聞いてほしいと係員に伝えていたからだ。これはお礼がほしいからと単純に考えられる。だが、Yはいつも同じ車両に乗っているので、時計を拾った人はすぐ近くにいた同じように毎日同じ車両に乗る人と考え、しかもYが毎朝電車の中でしていることを観察していると想像した。Yは重要で特殊な研究をしている。自分に接近して妙なことをされれば堪らない。そこで時計は放棄し、また通勤の時間帯や車両も変えた。拾った腕時計を善意で届けた人が、落とし主が現われれば自分に面会させろと言うだろうか。そこには潔癖とは言い難い何かを感じる。筆者は2,3か月前にケータイ電話を拾った。交番に届け、しかも名乗らなかった。それが普通ではないか。
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 さて、今日の隣家の写真は前回言及した天井裏と床の間の床板があった形跡だ。天井裏は懐中電灯で照らした一部のみ明るくなっている。本当はもっと暗く見えたが、筆者のデジカメはかなり明るく写す。天井裏は電気配線のごちゃごちゃを隠すのにつごうがよい。人が毎日目にする部分以外はどうなっていてもかまわないという考えだ。人間にはそういうところがある。これは見えないところはどうでもよいということで、物を拾った時、誰にも見られていなければネコババしてもかまわないという意識につながっている。天井裏までクロスを張ったり、きれいに左官工事をする建物があるだろうか。まず考えられない。見えないところは潔癖にならなくていいのだ。このことから思うのは、人間の衣服だ。下着は恋人にいざという時には見せて魅せる必要があるから、あまり汚れたものは用いないが、人間が裸でなく、何らかの衣をまとうのは、裸が汚いからか。特に性器だ。レオナルド・ダ・ヴィンチは男女の性器とも酷いもので、女性のあそこはボロ雑巾のようだと記している。そういう意識を本能的に持っていたので、人間は衣装を華麗に発展させた。そう考えてみることは出来る。人間の裸は天井裏のようなものということだ。また、見えない心もそう言える。ザッパが体の中で一番醜いものは心と言った。隠れているものが汚いからこそ、人間はそうでない状態を目指す。精神を磨くとはそういうことだ。だが、それを大きな声で唱える者に限って、磨かれるどころかいつまでも汚れたままだ。隣家の天井裏に汚れたブロックの大きな塊があった。わざわざそんなところに忍ばせておいたとしか思えないもので、工事した者はどうせ見えないところであるから、気晴らしに廃棄物処理場のようにしておいてやれと考えたのか。天井を破って裏を確認するのは20年やそれ以上経ってからのことで、その頃には誰が工事したか誰も知らない。新幹線の橋脚のコンクリートの中にゴミの木材が突っ込まれていることが何かの拍子でわかったことがある。それと同じことだ。工事に携わる人たちの心が汚れ切っているとは思いたくないが、見えないとなれば何をしでかすかわからないのが人間で、それはリフォームのしようがない。生まれ変わった時には違う人になりたいなどとほざくことなかれ。生まれ変わっても同じことをする。
●リフォーム、リリフォーム、その6_d0053294_1125246.jpg

by uuuzen | 2013-03-14 22:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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