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●『加山又造全版画展』
昨日、平安画廊でリトグラフ作家の個展を観た後、京都高島屋でこの展覧会を観た。『多摩美術大学加山又造資料研究室発足記念』で、全155点の出品だ。



●『加山又造全版画展』_d0053294_112686.jpg会場はいつもより広いスペースが使用されていたのでもっと作品数が多いかと思ったが、チラシを見ると155点とある。銅版画、リトグラフ、そして木版画のコーナーが順に並び、加山が実際に使用した道具、それに技法の簡単な説明も逐一なされていて、初心者にもわかりやすい展覧会だった。加山又造の名前は京都に来てから知った。友禅の師匠のもとでの修行から染色工房に転職した時、その工房の先生が加山又造のファンで、今回の展覧会にも展示されていた猫や鶴などをそっくりそのまま模写して帯に顔料で染めていた。加山の屏風の画集もあったと思うが、京都の伝統的友禅の文様をそのまま日本画に移したようなその作風は、全くいいと思わなかった。今もそれはほとんど変わらない。文化勲章をもらったほどの画家だが、筆者にはよさがわからない。創画展の出品作も毎年観たが、桜を描いてもまるでへたな学生の手になるような花びらの集合による、これ見よがしのわざとらしい幻想性の表現で、峻厳そうな中国風の山水にしても、舞台の安っぽい書き割りのように感じた。とにかく感動がさっぱり伝わらないのだ。それどころか目をそむけたくなるほどのいやらしさを感じる時がある。無残と言ってもよい。絵とはこんなものではないという気がいつもした。筆者にとってこういう画家も珍しい。大抵の画家は何らかのわくわくする感動を伝えてくれるが、加山の絵だけは情感が欠如して見える。あえて情感を否定した画面を創ることを目的としたのかもしれないが、それにしては花鳥風月の題材が合わない。だが、その独特の裸婦だけは、加山の創造したものとして突出しているとは思う。だが、それも猫のような感じがして、いい女とは思えない。本当の色気というものがないのだ。妖艶も感じない。たとえば北野恒富の女と比べてみるがよい。北野には女のすべてがある。猫で思い出したが、犬か猫かで言えば、加山は完全に猫派であったように思う。それゆえ女性を猫のように描くという意味では加山はよく女性のことをわかっていた。猫が好きな男はきっと加山の描く女にぞくぞくするだろう。以前、ある人が加山のことを大天才でとんでもない才能に溢れた画家としきりに持ち上げた。その時、返答に困った。どこが大天才なのかと訊くのもアホらしいし、相手がそう思っているのならそれはそれでけっこうなことであり、目くじら立てて反論することもない。だが、その人とは話が絶対に合わない気がしたものだ。加山に限らず、筆者には好きではない日本画家がほかにもいる。全部が嫌いなのではなく、才能のある面は認めるが、それでも総じて嫌いに属するというわけだ。これは人間であるので当然だろう。好き嫌いは誰にでもあるからだ。画家にしても同じで、絵で表現する才能を持ってはいても、その表現されたものがこっちに何ら響いて来ない場合はある。
 言っておくが、筆者は加山がどこかの教授や会員になって政治力を発し、文化勲章をもらうまでに登りつめたといった、絵以外の事柄を見て評価しているのでは全くない。加山が文化勲章をもらったことも今チラシを見て確認した程度で、どのような受賞歴があるかなども知らないし興味もない。ただ複製を通じてもう四半世紀ほど、そして創画展で実作を毎年20年近くも観て来たことくらいしか加山については知らない。その結果、今までこれは凄い、出来れば手に入れたいと思った作品は1点もなかった。そんな好きでもない画家の展覧会になぜわざわざ行ったかと言えば、版画の実物を観たことがなかったからだ。いや、正確には毎年ある。それは平安画廊でのことだ。東京芸大卒のOB画家12名が毎年数センチ角程度の銅版画を1点提供し、それを新聞紙程度の大きさの1枚の紙にカレンダーとともに寄せ集めして刷った作品が毎年展示販売されていた。これは平安画廊でも人気があって、価格がさほど高くないこともあって、毎年すぐに完売していた。そこに加山が黒1色で刷られた烏の作品を毎年提供していたのだ。加山のネーム・ヴァリューが最も高いので、最上部の中央といった目立つ場所に刷り込まれていた。加山亡き後もそのカレンダーつきの版画寄せ集め作品はまだ続けて作られていると思うが、売れ行きはどうなのだろう。今回の展覧会にもそのカレンダー作品の一部が展示されていたが、そのカレンダー作品に提供された加山の烏だけを刷ったものも別に展示されていた。それは刷りを任された工房が加山に試し刷りを送ったものがそのまま加山の手元などに保存されたもので、独立した完成作ではないという意味で、資料としての赤いスタンプなどが隅に押されていた。加山はカレンダーに毎年提供する小さな作品は、他の人の作品も集まってカレンダー作品になったものだけが完成作とみなしていたようで、試し刷りが独立して市場に流れることを嫌ったようだ。このことからは、加山の作品がそれだけ高値で取り引きされていることがわかる。その烏はまるでビュッフェが描いたようなとげとげしさがあって、1960年代に加山が銅版画を手がけ始めた頃の雰囲気を残していたが、それは加山にとっては初心を忘れないためであったのだろうか。あるいは名刺サイズ程度の作品では1羽の烏を描くだけで精一杯であったからか。それにしても、そのカレンダーに作品を寄せるのは洋画家か銅版画家であり、加山のように日本画家は他にはいない。そのことからも想像出来るように、日本画家であって銅版画に手を染める例は珍しいのではないだろうか。加山が銅版画に関心を持ち、当初は自らの手で版作りから刷りまで行なっていたことは、加山を知るうえでひとつのヒントがあるだろう。
 加山の生まれは京都だ。確か実家は西陣で染織関係の図案の仕事をしていたのではなかったか。これは加山の芸術の方向性を決定づけたであろうことは充分に想像できる。京都では画家が図案家の仕事をすることは昔からよくあった。画家は微細な文様もきちんと描けるものであるというのが、画家本人も、また周囲の人も疑わない鉄則であったと言ってよい。純粋な芸術と応用芸術としての工芸の垣根があまりなく、絵を描く者は割合と自由に双方を行ったり来たりした。これは光琳の例を持ち出すまでもないだろう。そんな京都の伝統というものをよく知っていたに違いない加山は、結局はその伝統上に沿った仕事をしてさっさと世を去った。銅版画はさまざまな技法があるにせよ、どれも思うほど単純な仕事ではない。版は作れてもそれをきれいに自分の思いどおりに刷り上げるのは、また大変な手間と時間を要するからだ。つまり、かなり工芸的、職人的な作業の面を持つ。これは日本画でもそうであるし、油絵でも同じと言えるだろうが、それでも銅版画は直接に紙やキャンヴァスに絵を描くのと違って、版という間接表現の介在があり、それは分業しやすいことを意味する。染織もまさに同じで、工芸はすべてそうだと言える。当初は自分で刷りまでやっていた加山だが、大きな銅版画作品を片手間に次々と作るのはとても無理な話で、やがて版だけを作った後、刷りは工房に依頼することを始めた。これは木版画とは違って、銅版画の場合は、誰が刷ってもさほど仕上がりには変わりがないからでもある。こういう版を作ればこう仕上がるという手応えをある程度確認すれば、後はせっせと版作りだけをして、実際の刷りは他人に任せた方が時間が有効に使える。加山のように日本画で名を馳せていれば、版画の需要は大変大きかったであろうし、実際問題として刷りは外注に任せてるしかそれに応じることは不可能であったろう。だが、単なる金儲けで同じような作品を量産したのではないことは今回の展覧会でよくわかった。加山はひとつの技法やひとつの作風にこだわってそれを深く追求するということはあまりせず、むしろおおよそ納得出来れば次々と未知の手法や作風に臨む傾向があった。つまり版画においても、あらゆる技法は全部ひととおりやってみないことには気が済まないといったところがあった。
 だが、これはさほど驚くことでもない。銅版画を学び始めた者ならば、ごく短期間にひととおりの技法の追求はしてみたくなるもので、そのことは可能であるからだ。その意味で加山の銅版画作品は技法的には突飛なものはなかった。だが、あらゆる技法を混在させる点で技巧派と言えるし、中には凝ったものもあった。たとえば裸婦だけをメゾチントで表現し、周囲のベッドのシーツの皺はドライポイントやエッチングに頼るなど、さまざまな技法の特徴をひとつの絵の部分ごとに分けて使用していたものは、それなりのこだわりを感じた。大変な手間のかかるカラー・メゾチントの作品も多かったが、蛾と蜘蛛、あるいは熱帯魚のグッピーを描いたものなどは、絵も色彩も感心しなかった。それらはいかにもつまらない図案的な絵で、銅版画独特のよさが出ていない。ただし、加山自身があえてそうした図案的な絵がどこまで表現出来るかを考えていたふしはある。それが工芸王国の京都に生まれた画家の宿命でもあるからだ。そう言えば加山は現代の光琳のような作家態度を実践したかったのかもしれない。京都出身だが京都には住まなかった加山の思いの中にはやはり京都の伝統というものに絶えず回帰する心が宿っていたとも思える。そう考えなければ、加山の仕事が理解しにくいのだ。ただし、銅版画に興味を持ったことはどうだろう。大体銅版画は愛好家が密かに自分ひとりで楽しむ雰囲気に満ちるもので、微細な表現にも最適と言える。そのため作品の大きさはさほど大きくないのが実情だ。そして、好事家が密かに愛好するとなると、画家は自分の欲望に何ら制限を設けずに、本当に好きなものを好きなように描く方向により傾く。そんな時、あたりまえのように登場するモチーフが、たとえば裸婦だ。これは男としてはごく当然な欲望の対象で、画家の方もどれだけうまく自分の裸婦を描けるかで画家としての勝負をするといったところがある。イギリスの偉大な風景画家とされているターナーでも、裸の娼婦を描いた絵がたくさんあったそうだが、ターナーの没後、これはターナーの名を汚すという勝手な理由で、関係者がそれらを全部処分してしまった。全くもったいない話だ。偉大な画家は聖人であるべきであるという考えなどは凡人のもので、ターナーの偉大性はそうした娼婦の裸の絵も臆することなく描いた点にこそあったのではないか。自分が興味を持つものはすべて描くというのでなければ一流の画家ではない。その点、加山は勇気もあり、また偉かった。もし加山の画業から裸婦を取り除けば、加山の名前は後世には残らない。断言してもよい。加山を加山たらしめているのは裸婦像以外にはない。そしてそれは光琳や琳派がやらなかった仕事だ。
 加山の銅版画のモチーフは最初は日本画で描いていた狼などの動物であったが、それからすぐに裸婦が登場する。日本画で描いたのとどちらが先かは知らないが、おそらく銅版画ではないかと思う。その銅版画で培った裸婦の仕事が後に大きな屏風に展開されたのだろう。もしそうだとすれば、よけいに加山にとって銅版画の仕事は大きな意味、意義を持っていた。だが、銅版画の裸婦はあまり大きな作品ではないし、線描もやや固い。それが一気に花開くのはリトグラフを手がけてからだ。今回の展覧会で初めて観たが、銅版画よりも大判の作品の裸婦シリーズは実に素晴らしかった。刷りは銅版画同様、工房に任せてはいるが、石板に実際に原画を描くのは加山自身であり、その時に使用した特注の面相筆による線描は、銅版画の固さは微塵もなく、緊張を孕みつつ流麗で、藤田嗣治をどこかで意識した挑戦的な意思が感じられた。それがモデルになった裸婦の不敵な笑みと相まって、加山でしか表現出来ない世界を十二分に表現していた。写真製版によるレースを背景に応用するなど、技法的にも他にはない、そして完成度の高い画面を作り上げ、しかも紙の全面に銀を刷り、そのうえに細い線の裸婦を墨や白緑で刷る作品は、リトグラフ史上でも例のないユニークさを誇るものであろう。工房と相談して、どのような効果が実際に可能なのか、かなりの試行錯誤をした結果に生まれた作品だと思うが、いきなりそうした作品が完成したのではなく、初期の銅版画から次第にモチーフを洗練させ、そして線のこだわりを追求して行った結果、ついにリトグラフに到達したとことが、ずらりと並ぶ版画作品を順に観ることでよくわかった。
 だが、リトグラフだけで加山の版画熱は収まらなかった。最後のコーナーは木版画が並べられていた。そこでも女をモチーフにしたものはあったが、それでも木版画で表現出来る線は、太さでは銅版画やリトグラフにははるかに劣る。そのため、もっぱら加山が木版画で着目したのは、日本独自ないし江戸の粋に着目したモチーフということと、数十版以上による多色表現だ。しかし、木版画作品は加山の日本画をそのまま模倣したような仕上がりになっている。これは加山が原画だけ提供して彫りや刷りを一切していないので当然と言える。独自のこだわりとしては、日本のキモノ文化をよく知っている者が見れば納得出来るような題材とその描き方をしたものがあった。ここでも好事家相手をよく認識した態度がある。その意味からして、加山はよく版画技法のつぼを押さえ、こうすれは人はこう感心するということをよく知っていた。これは工芸家的才能と言ってよい。自分だけがわかればよく、作品が別に売れなくてもよいという傲慢とも言える態度とは正反対の、誰にでもわかりやすい、そしてかかった手間や工夫はそれなりにはっきりと作品からは伝わるということを加山は常に意識した。そして、そこが実は筆者にとって加山の作品には謎めいたところがあまりなく、面白くないと言える点なのかもしれない。
by uuuzen | 2005-09-18 23:55 | ●展覧会SOON評SO ON
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