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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「災後」の気分、その後
世的な気分になることは誰でも避けたい。大震災からちょうど2年経ってTVでは特集番組が多くなっている。それも来年の3月11日直前になるまではまた少なくなるだろう。



悲惨な出来事は当事者でなければわからないし、またわかろうと想像を逞しくすると、生きていることが何だかいやになる。人間でいるのがいやと言い代えてもよい。昨夜のTV番組では復興予算が2兆円ほど被災地とはほとんど何の関係もないところに投入されたことを伝えていた。火事場泥棒はいつの時代にもいる。大きな悲劇があれば、それこそ金に潤う機会とばかりに内心満面の笑顔になる連中はいる。数十兆円という実感を伴わないお金が復興のために用意されると、数千万円くらいはうまく自分の懐に入れる政治家やその関係者がいてもおかしくないだろう。今朝のネット・ニュースに、沖縄や福島が日本の豊かさの犠牲になっているかという問いを見出しにしたものがあった。そしてそう思うかどうかをクリックで投票するようになっていて、筆者は「そう思う」を選ぶと、結果はそれが「そう思わない」よりやや多かった。福島に原発を建てたのは、東京に電力を運ぶのに便利であったからだ。それだけでも犠牲そのもので、このことは2年前に筆者はさんざん書いた。なので、今頃どういうつもりの記事かと思うが、「そう思わない」を選ぶ人もかなり多いことは、犠牲ではなく、原発が地元に出来たお陰で雇用が増え、生活が豊かになったことを言っているはずで、福島の人たちは犠牲者面するなという思いなのだろう。だが、2年前にもはや住めない地域になってしまったことを思えば、一時期経済的に潤ったことはみな帳消しで、どう考えても犠牲と言う以外にはあり得ない。沖縄の問題もそうだ。沖縄は昔独立した王国であったから、内地人は沖縄人を心のどこかで自分たちとは違って本土のために犠牲を支払って当然と思っているだろう。それがいやなら独立すればいいという考えかもしれない。だがそうなればすぐに中国の支配下に置かれるかして、日本にとっては大いに損だ。それで日本のひとつの県にしながら、アメリカ軍を置いて種々の犠牲を強いる。その代わりに『沖縄の経済はいいこともあるでしょう』といった態度を見せる。そういうドライな本音を読んだり聞いたりすると、いやなものを見た気分になって厭世的になる。
●「災後」の気分、その後_d0053294_021812.jpg

 今から10分ほど前、ネットでまたアンケートに答えた。震災から2年経って、今政府が最優先すべきことは何かという問いだ。これに1,2分悩んだ。どれも同じくらいに重要だ。選択項目は「その他」を省いて14ある。こういう問いの場合、最初に書かれるものに目が行きやすい。そのため、項目はなるべく前後が無関係であるように並べるべきだ。筆者が選んだのは、「復興住宅など住まいの確保」だ。結果を見ると、それを選んでいる人が最も多く、全体の21パーセントだ。次に多いのが「福島第1原発の安定化」、そして「雇用支援や失業者対策」だ。このふたつも筆者の思いと同じで、筆者は平均的な人の考えであると言える。原発関連のニュースはめっきり少なくなり、もう危険な状態は脱したのかと思ってしまう。あるいはあまり深刻なことを叫び続けると国民がパニックになったり、また神経が鈍感になったりするとの思いから、報道管制的なことが考えられているのかと疑ってしまう。あるいは、2年もの間、緊張の連続では誰しも耐えられないので、よほど重大な変化がない限りはニュースにしないようにという優しさか。いずれにしても原発のニュースはうんと減った。3年目以降はもっとだろう。そしてそのうち、甲状腺癌が増えて来たというニュースが増える。震災当初、誰も炉心がメルトダウンしているなどとは想像しなかった。それが今では1,2,3と3基がメルトダウンし、内部がどうなっているか誰にもわからない。また、溶けてしまったものは今さらどうしようもないし、またメルトダウンをひた隠しにする必要もなくなったので、案外原発関係者はさばさばしているのではないだろうか。後は粛々と作業を進め、炉を解体することで、それに半世紀ほどかかるとして、今の上層部はみんな死んでいるから、若手にせいぜい頑張ってもらいたいと、悠長にかまえているのが実情ではないか。それに解体までの半世紀は仕事が確保されたのであるから、職を失う心配がない。これは原発事故様様で、予算をたっぷり使って世界でも初めての試みがいろいろと出来るとばかりに内心大喜びではあるまいか。それもつまりは火事場泥棒と同類で、現地に住めなくなった人たちへの思いやりは二の次、三の次だ。
●「災後」の気分、その後_d0053294_0213741.jpg

 昨日、梅田から中之島に歩いて行く途中で原発反対のデモに遭遇した。参加団体ごとに30メートルほどの距離を置きながらの行進で、全体はどれほどの長さであったのだろう。1キロほどはあったのではないか。西へ向かって行進していて、おそらく関電前に集合だ。あるいは市役所前か。日曜日なのでどちらも休み、職員の仕事には差し障りは出ない。と思うとまるでピクニック気分だ。どれほど効果があるのかとなれば、やらないよりましといった程度か。日本に原発は向かないのは確かだ。とはいえ、代わりとなるエネルギー源はどうするか。メガソーラーという巨大な太陽電池が話題になって、それが今どの程度進行中なのかどうか知らないが、電池パネルは寿命が当然あるはずで、その交換や処分の費用など考えると、どれほど効果的なのかまだ答えは出ていないだろう。それに原発の開発で得をした学者や業者があったのと同じように、メガソーラーもまた同じ図が繰り返される。とはいえ、原発ほど危険ではない点は評価される。筆者が思うのは、これだけネット社会になって個人が個人から品物を買えるようになったのと同じように、電力を個人が起こし、そのあまった部分を誰か個人に売るといったことが出来ないものか。これは結局のところ電池ということになる。電池1個で1年程度は優に家庭の電力を賄えるというシステムが開発されれば、電力会社は不要になる。そんな性能のよい夢の電池をいつか開発してやろうと意気込んでいる研究者はいるだろう。100年後にはそんな電池が各家庭で使われているかもしれない。そうなれば、震災2年後に際して原発反対のデモ行進をした甲斐もあったと賞賛もされるか。反対するのはいいが、それには代替案を提出すべきという意見がある。これはどうかと思う。代替案がなくても、とにかく危険なものはやめておこうと主張するのは無責任とは言えない。なぜなら、原発を推進したのは一部の学者や政治家で、全国民が納得したのではない。いわば信頼を置いて勝手にやらせたのだが、それがうまく行かなかったとなれば、反対するのはあたりまえではないか。代替案は別の学者が考えればよい。そして利点と欠点を国民に提示し、「最悪の場合、こういう結果になりますよ」といったことを正直に提示してもらう。原発の場合もたぶんそうであったのだろう。だが、「絶対安全ですよ」という意見が大手を振り、誰しもそれを信じた。信じ込まされたからだ。
●「災後」の気分、その後_d0053294_0222615.jpg 厭世的な気分でいる時はどうすればいいか。スイートが大はやりの昨今、厭世的な気分が日本中に蔓延しているのではないか。甘いケーキでも食べてうさを忘れている間は笑顔でいられるということだ。そのために「ゆるキャラ」が大ブームにもなっている。中之島の東洋陶磁美術館で展覧会を見た後、館内の2階から外を見ると、中央公会堂を背景にして、式典に出席した連中が記念撮影をしていた。結婚式だろうか。卒業式か、それとも入社式か。ともかくお目でたいことがあった。みんな笑顔で前途洋々だ。前途が洋洋ではなく、もうすぐ近くに岸辺が見えているような老人であっても、笑顔でみんなと楽しい時間を過ごしたい。そういう光景が震災から2年後の仮設住宅その他で被災者たちに見られることを昨日今日の震災関連のニュースで紹介されていたが、それが実際をどれほど反映しているかと思う。夢も希望も持てなくなっても、生きているだけでありがたいという気持ちはわかる。ただし、そうして生きていることが辛くもあるはずで、そっちに顔をあえて向けないようにしているそのことが傍目に悲しい。昨日は一昨日とは打って変わって寒かった。中之島から天神橋筋商店街まで歩くことにしたところ、いつものように家内はいやがる。とはいえ、地下鉄を使ってもあまり体力も時間も変わらない。歩いている間に寒さが凌げる商店街の中に着くし、また途中で何か面白いものに出会わないとも限らない。そうして昨日載せた林の樹木を印刷した工事中の塀を見つけた。家内に説明したのは、そこは2,3年前まで、間口が奥行の20倍ほど大きい極端に扁平なビルがあったことだ。奥行は畳1枚分ほどであった。そんなビルの内部がどうなっているのか、想像しただけで息苦しくなった。そんな変な建物が壊され、次にどういうビルが建つだろう。馴染みの商店街に入って北上していると、右手に面白い郵便受けが上下にふたつ取りつけられていた。初めて見る形で、帰宅後に調べると1個8400円であることがわかった。この赤白を買って、わが家と隣家に備えつけると楽しいか。スマイルマークに最初は誰しも微笑むだろう。だが、何度も書くように、この極端に簡略化された笑顔の記号は、腹黒い微笑みとも受け取れる。笑顔にするより、いっそのこと悲しみの表情のポストはどうか。郵便配達人はそれを見るたびに同情するか。悲しみの表情は内面だけにして、外に出すべきではないが、深い悲しみをたたえていると、それが普段の表情に滲み出て来る。今の被災者たちはそうではないか。彼らにスマイルマークを見せて、心から喜ばせることが出来るとは思えない。前途洋洋たる希望をどう持ってもらえるか。住まいをまず確保し、仕事を生み出し、悩みの元凶である原発の後始末をする。来年は少しはましになったと誰しもが思えるようになってほしい。
by uuuzen | 2013-03-11 22:59 | ●新・嵐山だより
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