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●柳原良平の資料室、その3
むものが船だけというのは、趣味で集めるものはそんなに多いようには思えない。鉄道ファンはたくさんいても、船舶ファンはあまり見かけない。



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港に普段縁のない者にとってはそうだが、日本は海に囲まれているから、港町の住民には船舶ファンは鉄道ファンより多いかもしれない。船の方が線路を走る列車よりはるかに自由さがあって、船舶ファンは鉄道ファンの几帳面さとは違って、もっとおおらかなイメージがある。柳原少年は鉄道よりも船に興味を持ち、船をかたどった玩具を収集したが、その一部が「なにわの海の時空館」の片隅に展示されている。それも10日までのことで、それ以降はまた本人の手元に返却されるのだろうか。展示中の玩具はさほど多くなく、船舶ファンが鉄道ファンより少ないことを思わせるが、世界中を対象にすれば、船舶は鉄道よりはるかに長い歴史があり、船を表現した玩具類は鉄道よりはるかに種類が豊富だろう。この館の玄関前に埴輪から復元した木造船の「なみはや」が展示されている。それはいわば玩具から実物の船を復元した例で、船の玩具は古墳時代からあった。日本に限っても船の玩具はとても多いように思うが、「玩具」と名づけるとさほどでもないかもしれない。「模型」を含めば、筆者が子ども時代によく組み立てた戦艦大和など、日本の軍艦がある。これは大和だけでも生涯を費やすほど奥が深いと言ってよく、店では販売されていないほど大きなものもある。柳原は軍艦にどれほど関心を抱いたのだろう。そのことは紹介されていなかったし、また軍艦を表現した玩具や模型はなかった。軍艦は柳原のイメージにそぐわない。サントリー・ウィスキーのコマーシャルで描いたイラストはとにかく明るく、軍艦の灰色とは別世界のものだ。開高健のように文筆家であれば戦争にまつわる思い出話をあれこれどこかに書いて来たはずだが、コマーシャルに使うイラスト専門となれば戦争について表現する場がない。そこで柳原が少年期の記憶を含む自伝でも書けば面白いが、書いたことがあるのだろうか。あるいは書いても誰もあまり読まないであろうから、執筆を薦める人がいなかったとも思える。
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 尾道での展示を縮小したとのことで、その度合いがわからないので何とも言えないが、柳原が集めた船の玩具はさほど感心するほどのものではなく、普通の船舶ファンならほとんど誰でも持っている程度のものではないか。たとえば一作日はその写真を1枚、今日は残り2枚を載せるが、この3枚で全体の8割ほどを占めている。一昨日のものは日本の郷土玩具に関心のある人ならば即座にわかる高松の木製の蒸気船や伏見人形のそれを認める。この代表的な郷土玩具からわかるように、日本は船の有名な玩具は種類がごく限られている。日本では船は、他国の珍しいものを運んで来る象徴的存在として、大黒と戎のセットとともに宝船として庶民に愛される造形として伝えられて来た。その宝船は木版画として盛んに摺られ、それをよく夢を見るようにとの願いから枕の下に敷いて眠ったりしたほどで、そういった木版画だけでも数百種はあるはずで、船に因む造形は日本ではかなり多いと言える。ともかく、船にはおめでたいイメージが今もなお健在と言ってよく、それが恐怖になったのは蒙古襲来と黒船くらいだろう。宝船は伏見人形のような土製の玩具で今でもよく作られていて、弘法さんや天神さんの縁日では、露店の骨董品の中にいつでも見つけることが出来る。伏見人形に一時期大いに関心を持っていた筆者だが、どういうわけか伏見人形には宝船はない。あるいはほとんどない。それで土製ではあっても宝船の古い玩具を見つけても買ったためしがない。伏見人形で船そのものが表現されるのは明治になってからの蒸気船だ。あるいは江戸時代では帆船の宝船ではなく、帆を立てない、もっと小さな小舟に自在鍵といった宝を積んだ様子を表現した。これは京都伏見の港では大阪と違って菱垣廻船のような大型の船が運行出来なかったことに理由があるだろう。京都ではせいぜい伏見から大阪を行き来する三十石船が大きな船であった。そこに京都と大阪の違いがよく表れている。伏見人形の船についてもう少し書いておくと、這うことしかまだ出来ない赤ちゃんをひとり載せた小さな作品がある。これは育てることが出来ないので舟に乗せて流したことを表現していると思うが、そんな悲しい現実を玩具で表現した理由は何であったのだろう。この伏見人形はかなり有名だが、柳原の展示資料の中にはなかった。話を戻すと、柳原が集めた土で出来た宝船の玩具は、いつ頃どこで製作されたものかのキャプションがなかった。柳原はそこまで関心がないのだろう。郷土玩具の楽しく鮮やかな色使いが面白くて集めただけで、またそのことは彼のイラストの雰囲気につながっている。この柳原の作品の陽気さは60年代の昭和に呼応したものである一方、大阪で青年時代を過ごしたことが理由になっているのではないか。その大阪でようやく落ち着いたかに見える柳原の資料が、またさまようことになるのは残念で、出来ればサントリーか大阪市が買い取るかして、しかるべき場所に恒久的に展示してほしい。そんな場所はどこにでもありそうなものだが、経費がかかるということなのだろう。世知辛い話だ。
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 筆者が最も面白いと思ったのは、アフリカの黒光りする木の彫刻だ。これを玩具と呼べばいいのか戸惑うが、カヌーに5人の漕ぎ手がオールを持って立っている。日本の郷土玩具にはない大きさで、それがまたよかった。おおらかでありながらシャープで、見事な造形だ。それはこの作品に表現されたアフリカ人が、カロリー摂取過剰でぶくぶく肥えていなかったからでもあろう。古代ギリシアの戦士のように格好よく、またどことなく温かくもある。金持ちの応接間に飾れば映えるようで、筆者はほしいとは思いながら、家の中にどこにも飾る場所がない。一瞬のうちにそう思って鑑賞し、そして写真を撮った。アフリカの仮面や椅子をほしいと思った時期があったが、一点でも所有して部屋の中に置くと、たちまち部屋全体の雰囲気がおかしくなるような気がして今は断念している。それはいいとして、柳原が船を表現した世界の立体作をどれほど系統立てて、また熱心に集めて来たかは、この資料館の展示だけではわからない。鉄道ファンと違って船舶ファンは少ないであろうから、柳原の収集に興味を抱く者も少ないだろうが、それだけにかえって収集されたものは重要ではないか。写真から少しわかるように、浮世絵も集めている。浮世絵に船がどういう形でどれほど表現されたかとなると、これは珍しいのではないか。明治になると鉄道を画題に含めた浮世絵も登場するが、船の方が歴史が古く、作も多いだろう。さて、最後に筆者が目に留めながら気になったのは、展示室の突き当たり右端の木製の扉だ。その向こうに入れるはずだが、関係者の詰所であったようだ。ノブの頑丈な鎖が巻きつけてあって、誰も中に入れないようになっていたのは、その関係者さえも養える余裕がこの館にはないということで、さっさと解雇されたのだろう。それはいいとして、その扉がよかったのは、上部に直径30センチほどの丸い窓があって、そこに向こうが見えないガラスが収まっていたことだ。丸窓は船舶に因んだものだ。この木製扉は特製だろう。そんなところにも気を配ったところが楽しい。あるいはこの扉は尾道の展示館にもあったものか。木製のドアに丸窓を設けるのは、四角の窓よりうんと手間がかかる。開けるだけならさほどではなくても、縁を木の枠で飾る必要があり、それが手間だ。最後に書いておくと、この館を後にして次に行く予定であったのは、その船舶の雰囲気をたたえた喫茶店で、その丸窓の写真を撮ることであったが、時間がなくてそれはかなわなかった。
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by uuuzen | 2013-03-07 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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