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●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その10
内は自由に撮影してよく、それもあってこの館について今日を含めて10回も投稿するだけの写真を撮った。2月28日に訪れた時、4階、3階で若い女性モデルを使っての写真撮影が行なわれていた。



その様子を写真に撮ろうと一瞬思ったが、何となくそれがはばかられる雰囲気が目が合ったカメラマンの顔つきにあった。撮影隊と言うほどのものではなく、カメラマンとモデルのふたりだけだ。これが3組いたろうか。モデルはアニメのキャラクターのような衣裳を着ていた。以前に写真を載せた波消しブロックのテトラポットを模したピンク色の革張りソファにモデルが戯れている様子をカメラマンはしゃがんだり立ったりしながら撮影していた。おそらく許可を取っていないだろう。そのソファは少しくらい触るのは見逃されても、抱きついたり馬乗りにならんばかりの状態は、子どもたちは誰もがそうしたいはずで、すぐに縫い目がほころびりたり、汚れたりする。間もなく閉館することを聞いて、急きょ撮影に訪れたのだろう。当日は館内はとても人影がまばらであったからよかったものの、たくさんの人が訪れていれば騒ぎになった。とはいえ、そんなことは絶対にないほどの不人気の施設で、また大人気であってもあまりに館内が広いので大混雑という状態にはならない。入場前に見た小さな説明パネルによれば、この館のガラス・ドームは現在の地で建設したのではなく、播磨の海辺で建設し、それをタンカーに載せて引っ張って来た。その前に菱垣廻船をドームが被さる円形の中央にクレーンでぶら下げて設置し、その上にお碗を被せるようにドームで覆った。播磨から海を通じて大阪湾まで運ばれたのは、いかにもこの館の目的としてはふさわしいし、船が陸上輸送よりはるかに重量のあるものを運ぶ能力をあることを示した。また、このガラス・ドームは3日であったか、自動的に外側の汚れを落とす機能がついている。人間が窓を拭くような形では、半球状であるから、つるつる滑って落下しかねない。それに海辺であるから風が強い場合が多いだろう。全体の汚れを落とすのに3日かかることは、絶えずその清掃機械がゆっくり周囲を移動しているのかと思わせられるが、そうではなく、汚れたと思われた時に3日を要してきれいにするのではないか。それが1か月に一度なのか、半年に一度なのかはわからない。汚れ具合が都会の中心にあるビルの窓とどれほど差があるかとなれば、館内にいる時、ふとドームの外を見ると、ちょうどカモメが表面すれすれに飛来し、それを見ながら、鳥の糞で汚れる確率がビルの垂直な窓ガラスの数十倍の確率であろうと思った。カモメだけが目立つのではない。昨日載せた整備された運河では鵜が何度も潜りながら魚を漁っていた。時にはその鵜がドームの上を飛んで白い糞をべたりと落とすこともあるだろう。それに帰りがけに海沿いの小径を歩くと、見知らぬ小さな野鳥が数羽、樹木に隠れてさえずっていて、そんな小鳥もドームの表面を多少は汚すかもしれない。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その10_d0053294_1421482.jpg

 10日に閉館した後、ドームの表面はおそらく汚れるに任される。それに無料休憩所は使えないから、誰も周辺にやって来なくなる。当面は荒れるがままという状態にはならないだろうが、10年、20年と経つと内部の水道などの設備は劣化する。それにエレベーターで地下に降りてガラス・ドームまで至る海底トンネルに設けられた3か所の丸い天窓は、今でこそその外側だけは藻が繁茂せずに済んでいるが、半年も経たない間にすっかりガラスの表面を覆い尽くし、トンネル内部から見上げても、魚が泳ぐ姿や波のゆらめきは楽しめないに違いない。藻どころか、フジツボがびっしりとつくかもしれず、そうなるとその除去にまた金がかかり、ますますふたたび開館する案は退けられる。このフジツボはすぐに船底にこびりつくらしく、浪華丸を引き上げて館内に展示する前は、船底の汚れを落とすのが大変であったようだ。フジツボの接着度は頑固で、それらを取り除くのに苦労したらしい。また船底は今回は以前よりじっくり見たが、赤茶の銅板が貼ってあって、その一部は緑青に覆われていた。ごく短い間だけ海中にあったというのにそれだ。江戸時代ではすぐに船底全体が錆びたであろう。当時菱垣廻船はどこで造ったかも今回知った。現在の北新地がその代表地で、船大工が集まっていた。木船の需要がなくなれば彼らはそこに住む必要がない。そこで新しく歓楽地に変化したのだろう。船関係の町は大阪市内に数か所あったようで、ある町では古くなった船を解体することがもっぱらで、木材や古鉄を再利用した。菱垣廻船は巨大な船であるから、解体作業はクジラの解体より壮大であったろう。分厚い木材を使っているので、表面を削ればいろんな道具の材料になったと思う。以前浪華丸に使用された木材の輪切り写真を載せたが、今回はその部屋で10数分過ごした。その輪切りの裏手に手ごろな椅子がふたつあったからだ。それは浪華丸の帆柱の長さ50センチほどの輪切りで、寄木細工になっていた。本当は1本の太い木を使うそうだが、それには多額の費用がいる。輪切りと言うと断面が円形を連想させるのでまずいが、帆柱は正方形から長方形の断面をしている。人間が数人は座れるほどの断面であるから、その帆柱を江戸時代はどのようにして建てたのかと思う。電力によるクレーンがない時代、菱垣廻船の建造は現在の数倍の日月を要したのではないだろうか。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その10_d0053294_1422963.jpg

 今回は映像の部屋をふたつ見た。本当はもっと多くあったはずだが、赤字を減らすために閉鎖したのだろう。そう言えば、1階の端に企画展示室というのがあった。ネットで調べると、そこでは企画展をやっていたようだ。この館は現代絵画などの美術作品も所有していて、それらが展示されもしたであろう。人気がなかったのか、あるいはその部屋を開けると係員を数人要するし、その人件費節約のために元からないかのような状態に追いやったと思える。これは来場者減少の悪循環ではなかったか。人気がないので儲からない。儲からないからよりけちって一部を閉鎖する。するとさらに人気がなくなる。巨大な空間にぽつぽつとしか人影がないでは、やって来た人は何となくさびしい。そしてまた来たいという思いをなくす。それはともかく、最初に見た映像は半円形の暗い小部屋で、係員に誘導されてまず最初に数種の現代の船からひとつを選んでボタンを押す。すると、その船長になって眼前のパノラマ画面に映し出されるその船を運転するがごとくの状態で、その船の説明が流れる。家内は豪華客船、筆者は国際フェリーを主張し、勝手に国際フェリーのボタンを押した。南港から韓国のプサンまで週に数回運行しているパンスター・フェリーの説明が流れた。若い女の係員にその船がまだ運行しているのかと訊くと、そうだとのこと。巨大な船がいかにたくさんの荷物や船を一度に運ぶことが出来るかの説明がまずあった。菱垣廻船もその利点があったが、現代の輸送船とは比べものにならない。映像は10分ほどで終わった。2,3名ずつ内部に導き入れ、それぞれ10分ほどかかるから、たくさんの来場者があれば体験出来ない。黒いカーテンを広げて外に出ると、家内が叫んだ。眼前に今しがたCG映像で見たパンスター・フェリーが右手すなわち北へと向かって走っていた。すかさず写真を撮った。家内は「豪華客船のボタンを押さずによかったね」と言った。ちなみにこのフェリーを筆者は間近で見たことがある。午後に南港を就航し、夕方に本州四国連絡橋の下をくぐり、11時間ほどかけてプサンに着く。
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 もうひとつ見た映像は、4,5つが横に連なったパノラマ画面は同じだが、菱垣廻船に携わった商人を描いたアニメだ。大嵐に遭った時は積荷を海に投げ捨て、一刻も早く近くの港に接岸したことや、大量輸送の利点を解き明かしていた。積荷を捨てると損をするが、命には代えられない。板一枚下は地獄という状態であるから、いくら大船であっても危険はつきまとった。その恐怖を跳ね除けて運行したのは、一度の運行で莫大な収益があったからだ。北前船は、確か毎年3月頃に大阪を出て、瀬戸内海から山陰を回り、秋田や青森、蝦夷へと行った。港ごとに積荷を売り、帰りは昆布など、現地の品物を積んで、往復で商売をした。この昆布で思い当たるのが、中之島の裁判所近くに昆布店があることだ。大阪はほかにも昆布を扱う名店があり、うどんの中にとろろ昆布を入れた記憶があるのは、筆者世代の大阪人ならば誰でもだ。そういう食文化を支えたのが菱垣廻船で、大阪からうまいものがたくさん生まれたのは、大阪が江戸時代に天下の台所を誇ったからだ。昆布をだし汁としてふんだんに使う文化は大阪が筆頭ではないか。前述したように、大阪は菱垣廻船など大小の船の建造に携わった人たちが多く暮らしたが、中之島界隈にもそんな場所があって、そこに昆布の名店があるのは、今なお大阪は江戸時代の名残を示している。こういう話を面白がるのは大人だけだろうか。この館の菱垣廻船を通じて大阪の食文化も紹介出来るところに、この館の収入だけでは量れない価値がある。たとえば、これも前述した浪華丸を造るのに用いた巨大な木の輪切りが展示されているが、それはケヤキだ。以前筆者は檜かと書いたが、硬い木でなければならない。浪華丸を造るに当たって、樹齢200年の木が選ばれ、御神酒を添えて伐採した様子が紹介されていた。船大工には4,5つの流派があって、使う道具も違ったようだが、そうした道具の実物展示もあって、これは子どもがごくわずかな時間でも一度は見ておくとよい。横たえた幹の左右から大人がふたりがかりで大きな鋸でゆっくりと切る様子の写真、あるいは菱垣廻船などの大きな船の設計図や江戸時代の外観図、そして何より手を伸ばせば触れることの出来る浪華丸が控えていることは、人間の物づくりの執念を示すにはまたとない教材ではないか。何階か忘れたが、西洋の昔の大きな帆船での生活を図解したパネルがあった。5,6枚つながりで、帆船の構造から運行、食生活そのほか、ありとあらゆる活動が一目でわかるように図解してあった。各パネルをじっくり読み進みながら、未知の世界を求めて海の彼方を目指した人間の勇気に心打たれる思いがした。人生という船の運航で、自分はどれほど多くの宝を積んで来たであろう。閉館後に浪華丸が撤去されず、いつかまた人目に触れるようにしてほしい。
by uuuzen | 2013-03-04 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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