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●「WASHINGTON SQUARE」
胆を抜かれる、腰を抜かす、どちらもおおげさだが、ともかくそれほどに驚いたことが去年の春にあった。その原曲を今日取り上げる。本当は先月末にしたかったが、「パダン・パダン」は韓国ドラマと連夜取り上げるのがいいと判断した。



●「WASHINGTON SQUARE」_d0053294_23475453.jpg2月末はまだ冬と言っていいが、1月末とはえらく違う。そのため、やはり先月末にした方がよかったが、まだどうにか2月末ならいい。この日を逃すとまた1年待たねばならない。この「ワシントン広場の夜はふけて」は、寒い夜の風が吹く街中を連想させる。それは題名もさることながら、この曲に馴染んだ頃の記憶だ。アメリカでヒットしたのが1963年9月末で、日本では歌詞がつけられて11月にレコードが発売された。当時のヒット曲の息は半年以上続いたから、63年末から翌年春頃まで頻繁にラジオで聴いたはずだ。したがって筆者の連想する風景とは矛盾がない。当時筆者12歳半で、ビートルズに夢中になる直前であった。ビートルズが日本で人気をさらってからは、こういうディキシーランド・ジャズのスタイルを持った曲は若者には歓迎されなくなった。この曲をヒットさせたヴィレッジ・ストンパーズは8人グループでビートルズの倍だが、ビートルズのように歌わないので、新曲として次々に発売する曲のメロディがよほど誰にも耳馴染まないものでない限り、人気の持続は難しかった。その点ビートルズは4人で演奏して全員が作曲やリード・ヴォーカルが担当出来るから、当時としては最高度に合理的なバンドであった。つまり、この曲を懐かしむ世代は筆者と同じか上で、ビートルズにぎりぎり夢中になったか、あるいはよさがさほど理解出来なかったと思う。筆者はこの曲に対する愛着が特にあるのではないが、63年を代表すると感じるし、また筆者の生活など当時のあれこれを回想する鍵のような存在になっている。それにしても、原題は単に「ワシントン広場」であるのに、それに「夜はふけて」を加えたのはヴィレッジ・ストンパーズに了解を得たのであろうか。日本の音楽業界では柳の下の二匹目のどじょうを狙う傾向があって、「夜はふけて」は本曲B面の「ウィーンの夜はふけて」や、また「モスクワの夜はふけて」にも見られる。これは邦題をつけた人の感性に過ぎないと言うより、世界的に当時はそんな雰囲気にあったような気がする。
 63年は日本の歌謡曲は大ヒットがたくさんあった。演歌一辺倒ではなく、大人から子どもまで歌えるような、明るく、それでいて物悲しいような曲だ。たとえば舟木一夫の「高校三年生」だ。この曲を中学の体育の先生が大好きで、体育の時間に雨が降ると講堂での授業を早々に切り上げ、全員を音楽室に集めてこの曲を名曲だと紹介しながらピアノで演奏し、みんなに歌わせた。赤ら顔で、それが日焼けなのか酒焼けなのかわからない顔をして、寡黙で凄みがあった。今ならそんな先生の居場所があるだろうか。授業中に生徒たちに歌謡曲を合唱させるとは何事かと、校長やPTAが顔をしかめるのではないか。当時でも筆者には例外的に映った。同僚の先生たちからはもっとそうであったのではないかと思う。そうそう、そんな授業があったからでもないが、学校にビートルズのLPを持って行って、無人の音楽室のステレオでかけたことがある。また、音楽の若い女の先生にビートルズの「ガール」の楽譜を見せ、それを放課後に演奏させたこともある。先生はサビの部分で「まあ、ここはとても簡単で同じ音符が続くわね」と言ったりしたが、「ガール」を知っているのは学級で2,3人程度で、もちろん先生も知らなかった。ま、そのように60年代半ばの思い出はビートルズで染まり切っているが、その前夜はラジオやTVで盛んに聴いた洋楽と歌謡曲で、その中に本曲もある。この曲の日本でのヒットぶりは、揺れるようなイントロがサントリー・ウィスキーのコマーシャルに使われた曲によく似ていることからもわかるのではないか。小林亜星の作曲で、それもまた夜更けを連想させるのは、家でウィスキー・グラスを傾ける時間が主に夜であることからも当然だ。小林亜星は自作のメロディが盗作されたと別の作曲家を晩年に訴えたが、メロディの一部が似ることはよくある。それは盗作と目くじら立てるほどのことではなく、半ば無意識で、好きな曲から影響を受けたと言うにふさわしい。小林亜星に「あなたは「ワシントン広場の夜はふけて」が好きで、そのムードをサントリー・オールドのコマーシャル・ソングに適用したでしょう?」と言えば、おそらく猛然と拒否した。だが、本曲の存在がなくては同コマーシャル・ソングが生まれたとは筆者には思えない。
 しかしそういうことを言い始めると、本曲に似た曲が以前にあるはずで、どんどん遡るとどの曲もいくつかのごくわずかな型に収斂するだろう。人間がアフリカから誕生し、やがて白人、黄色人種、黒人などと分かれていったのと同じだ。そういう長い歴史の中で本曲を見たいというのではない。63年というごく短い月日の記憶と結びついていて、当時生まれていなかった人でもこの曲から何とはなしに当時の雰囲気を感じ取れるのでないか。それは音楽の力というよりも、形あるものすべての力だ。となれば、形は時代と国を刻印することになりそうだ。アフリカに出現した最初の人類と現代のそれは、形の細部はあれこれと違っている。おそらく精神構造もそうだ。これは形が違い過ぎると相互理解は困難という理屈になるが、音楽で言えば演歌ばかり好む人とクラシック音楽ファンとの間には深い溝があるということだ。そこで話を本曲に戻すと、本曲の裏面のメロディはモーツァルトの「トルコ行進曲」で、当時はクラシック・ファンでなくても名曲のメロディに耳馴染む機会があったと言ってよい。もちろん今はもっとそうだが、洋楽はシャンソンやカンツォーネがたくさん日本に紹介されたし、歌謡曲でも洋楽っぽいものがたくさん書かれた。今は分離化が進んで何でも簡単に聴くことは出来るが、知らず知らずのうちにほかのジャンルの曲もたくさん聴く機会が少ないように思う。これはラジオをあまり聴かなくなったからだ。ところがひとつの新たな方法が生まれている。YOUTUBEだ。そこで本曲を調べると、カヴァー演奏が一瞬のうちにたくさん表示される。こういう便利さは60年代には夢想だに出来なかった。また、カヴァー・ヴァージョンだけではなく、本曲がヒットした当時の別のヒット曲も表示されるから、その気さえあれば直ちに60年代半ばの日本の大衆音楽の代表曲に触れることが出来る。この「能動的」は知りたい人にはよいが、筆者は本曲を知りたいと思って知ったのではない。たまたま何度もラジオから流れて来るのを耳にしたから覚えたのであって、そういう「他動的」も人生には必要だ。特に筆者はそれを愛する。「たまたまの出会い」を運命的とまでは思わないにしても、この世に生まれて来たことひとつとっても筆者の想定があったためではなく、「たまたま生み出されて来た」のであるから、「予期せぬ出会い」は大切にしたい。であるから、今で言う合コンといった出会いの場は好まない。
 冒頭に書いた「腰を抜かすほどの驚き」について書こう。去年の3,4月、YOUTUBEで本曲を調べていると、冒頭の映像はヴィレッジ・ストンパーズの63年の日本発売のシングル盤ジャケットであるのに、イントロの演奏が違う。その音はどう考えても21世紀のもので半世紀のずれがある。まさか63年にヴィレッジ・ストンパーズがその音を録音したのか。そんなことはあるがない。となれば、オリジナルをサンプリングしてどこかのグループが近年演奏したのか。そんなことを考えながら30秒ほど過ぎ、そして歌が始まった。それが夏木マリのものであることを知ったのは映像の下の小さな説明文字を見たからだ。当夜筆者はそのヴァージョンを数十回は聴いた。そして数日後にはCD『夏木マリ THE HIT PAREDE』をアマゾンに注文した。夏木マリに関心はない。また本曲のみでよかったのだが、CDには当時の日本でヒットした曲がほかの9つ入っていた。届いたばかりのCDを1階の波動スピーカーで鳴らした。どの曲もイントロは思い切り原曲とは隔たりがあるように編曲されていて、イントロで曲名を当てるクイズではまず誰も何の曲かわからない。そういう意外な面白さを狙った編曲をしているが、これは60年代半ばのカヴァーではなく、21世紀に入っての演奏であるから、編曲者や演奏家は昔のメロディが今の音楽の好みに充分耐えることを証明したかったのだろう。だが、あまりにやり過ぎと捉える人もあるはずで、筆者は正直なところ、本曲以外は一度しか聴かなかった。本曲の性格は冒頭の印象的なバンジョーにあるが、さすが夏木ヴァージョンもそれは無視出来ず、ほかの音色に置き換えなかった。そのことが原曲の味わいを濃厚に残す理由になった。形が違えば精神も変わると前述したが、編曲がどこまで原曲の形を変えるかとなると、程度の差は限りなく大きい。バッハはそのことをどこまで広げられるかをとことん試した最初の作曲家と言ってよい。バッハの時代に比べて音楽が多様化し、また楽器や音色の豊かさも手に入れた人類は、昔を懐かしがり、また尊敬しながら、現在を表現しようとする。そのひとつの試み、成果が『夏木マリ THE HIT PARADE』だが、原曲をどこまで超えているかとなれば、それは不可能ではないかと思わせられる。それでも本曲に限って言えば、ヴィレッジ・ストンパーズの演奏を聴いた後では夏木マリのヴァージョンに触れたくなる。
●「WASHINGTON SQUARE」_d0053294_1404759.jpg

 その理由は凝りに凝ったバックの演奏というより、歌詞だ。これは誰が書いたのだろう。よく出来ていて、夏木ヴァージョンを何度も聴きながら、筆者は時に涙した。最初に聴いた12歳にはわからなかった味を噛みしめると言えばおおげさだが、この歌詞はやくざ映画を見た後の気分のように、格好をつけている男の姿が様になっているのかなっていないのか、男心をうまく描いている。夏木の声はそれを知ってか中性的で、なかなかよい。ヴィッレジ・ストンパーズの演奏にはない歌詞をつけたことで日本ではアメリカ以上に記憶されたのではないだろうか。今調べると、作詞作曲はボブ・ゴールドスタインで、日本の歌詞はそれを漣健児が訳したものだが、英語の歌詞はほかにもいくつかあって、歌い継がれて来ていることがわかる。これはメロディはそのままに自由に歌っていいことになっているのだろう。日本では漣健児のものだけが歌われているように思う。それにしてもこの曲から思い出すイメージは、当時筆者が過ごした大阪市内の下町のさびれた一画の夜だが、それは歌詞の内容とそっくりだ。懐かしくはあっても、その夜に帰りたいとは全く思わない。筆者が暮らした家は建て替えられることなく、多少のリフォームがなされ今もあるが、その近くに知る人もほとんどおらず、現地に実際に立っても長い年月が経ったことを実感させられ、さびしさが募るだけだ。そう言えば小学校も中学校もすっかり建て変わり、かつての同級生と道端で出会ってもお互い誰かわからないはずで、回顧は思いの中だけにしておくのがよい。それにしてもカラオケにこの曲があるのだろうか。あったとして、歌うのは60歳以上の世代だろう。カラオケにはほとんど行ったことはないが、今度この曲を歌ってやろう。「♪夜霧に浮かーぶ、月明かりー」という下りが特にいい。
by uuuzen | 2013-02-28 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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