走る阪急の特急電車の窓から山崎のサントリーのウィスキー工場の背後にシートで覆われた高層マンションらしき建物が工事中だ。先日の10日、家内の姉の一周忌で見た光景だ。
3,40年前は同工場の付近に目立つ建物はなかった。大山崎山荘美術館が開館する前、その敷地にマンションが建設される話が持ち上がった。それが地元住民の反対もあって昔の山荘を残した形で美術館が出来た。そのことからしても、天王山の中腹や麓はマンションがあちこち建つのは時代の流れだ。マンションや住居がたくさん建つことはそれだけ水がいるから、ウィスキー工場は天王山からの水を以前のように汲み放題というわけには行かなくなるのではないか。車窓から過ぎ去る工場を見ながらそんなことを思った。今日は映画の感想を書くつもりでいたが、撮りためているMOディスクのファイルを先ほどよく見ると、「なにわの海の時空館」で撮った写真を2枚紹介するのを忘れていた。ガラス・ドームではなく、チケット売り場を持つ半円型の鉄筋コンクリートの建物の一画に、サントリーのウィスキーの宣伝イラストで名を馳せた柳原良平の資料を展示する部屋があった。これをどう呼ぶのか知らない。そこで「柳原良平の資料室』とでも題しておく。柳原の生み出したキャラクターで最も有名なものは、アンクル・トリスと呼ぶのだろうか、60年代にはそのキャラクターをかたどったプラステッィク製の爪楊枝入れがわが家にもあった。2等身のおじさんで、線は、今にして思えばベン・シャーンの影響を受けていたと言ってよい。色合いも全体にハイカラで、ウィスキーには似合った。このキャラクターのお蔭でTVのコマーシャルも大ヒット、サントリーのウィスキーはよく売れた。「トリスを飲んでハワイに行こう」というキャッチ・コピーもこのキャラクターとセットになっていた。山崎のサントリー工場には、柳原がサントリーに勤務している時代の業績を紹介したコーナーがあった。2年前の3月19日から3日間、同工場訪問記を
「サントリー山崎蒸留所」と題して書いた。工場を見学したのは13日で、東北の大地震から2日後だ。天気がとてもよかった。それも手伝って試飲した水割りやハイボールがとてもおしかった。春の日差しの中で昼間からウィスキーでほろ酔いになるのは楽しかったが、思えば東北は地獄であった。その現場に立っていないので、地獄の度合いが実感出来ない。今年もその3月がやって来る。また山崎蒸留所に行くか。それとも東北の被災地を訪れるか。
柳原良平の名前やイラストなどの仕事をよく知っているのは筆者世代から上であろう。今でもアンクル・トリスはたまにTVに登場するので、若者でもどこかで見たことがあるはずだが、その作者の名前までは覚えないかもしれない。それでもいいだろう。作品が末長く記憶されるだけで充分で、サントリーがウィスキーを製造し続ける限りは柳原の仕事は記憶される。先ほどネットで調べて初めて知ったことがある。尾道に柳原の資料館「アンクル船長の館」があった。1995年9月から2009年9月までで、柳原の自宅のアトリエが再現されてもいたという。常石造船が運営していたというが、これは柳原が大の船好きであることの縁だ。アンクル・トリスは船長の格好をしたものもあったが、ひょっとすれば本来船長をイメージしてそのキャラクターが描かれたのかもしれない。これはよくあちこちの店やまた骨董市などで見かけるが、木彫りに着色した船長の高さ20センチほどの立像がある。もっと大きなものもあるが、片手にパイプを持ち、白い顎髭をたくわえている。青のPコート姿のものと、横縞のTシャツを着たものとの2種類があって、いつ誰がどういう名前をつけて量産した、あるいはし続けているものかは知らないが、アンクル・トリス以降に世に出たものと思う。そして、その木彫りは2等身ではないものの、陽気な雰囲気はアンクル・トリスに通じるし、またどことなく顔も似ている。船好きの柳原であれば、この市販の木彫りを知っているはずだが、収集までしているだろうか。尾道の「アンクル船長の館」は知らなかった。尾道に行った時に気づかなかったところ、市の中心部から少し離れたところにあったのかもしれない。とはいえ、筆者が尾道を訪れたのは2010年3月であるから、閉館して半年経っていた。閉館の理由は常石造船の諸事情とあるが、これは「なにわの海の時空館」と同じように、運営資金の捻出に横やりが入ったのだろう。だが、せっかく集めた資料を死蔵するのは惜しい。そこで全部ではないが、「なにわの海の時空館」で再登場することになった。もちろんそのことを先ほど知ったばかりだ。
会場はあまり大きくない。縦長の一室だ。じっくり見るとそれなりに面白い資料ばかりだが、筆者はざっと一周した。入ってすぐに柳原の言葉を記した垂れ幕があり、その向い側にアンクル・トリスを描いたボードが2体並んでいて、その写真を撮った。垂れ幕には柳原の喜びの言葉があった。当然それは、自分が集めた資料と作品の紹介がまたようやく理想の地を得たことに対するもので、ささやかと言えばささやかな展示場所だが、ひとりの創造者にとっては永続的に自分の業績が展示紹介されるのは嬉しいし、それが自分が愛する船に関係する建物の内部であればなおさらだ。「なにわの海の時空館」のガラス・ドーム内ではふさわしくないが、玄関となる建物の隅であるので、ちょうどよい。また、なぜ大阪かと言えば、柳原が勤務した時代、サントリーは大阪堂島に本社があった。今も同じ場所にビルがあるが、本社は東京なのだろうか。ともかく、柳原を紹介する施設は大阪にあるのが彼の経歴からしても理想ではないか。「なにわの海の時空館」が赤字を理由にやがて閉館されることになれば、この柳原を紹介する部屋も引っ越しを余儀なくされるだろう。柳原の仕事はサントリーのコマーシャルと密接につながって記憶されていることもあって、通常の美術館での紹介は難しいかもしれない。また、それほどに広く知られているとも言い難いかもしれない。だが、彼の仕事を概観出来る1000円程度の小冊子が作られ、この展示室かチケット売り場の脇ででも販売されることを期待したい。そうした図録の製作費用を誰が持つかで問題があるのだろうが、せっかくの資料であるから、写真満載の本を記念に買って帰りたい人は多いだろう。昔INAX、今はLIXILと改名したギャラリーの有名な正方形のブックレットを思うのだが、資料の一部をそこで巡回展示すれば、図録の夢がかなう。柳原の仕事が生活にどれほど密着したものか、またLIXILギャラリーの思想に適合するものかどうかが問題だが、「船」という切り口はどうにか「住」に強引に結びつけられないものか。今日は昨日の「船の思考連鎖」の続きのような形になった。「なにわの海の時空館」にまた行くことがあれば、じっくり見なかった展示に時間を費やしたい。