鎖のようにブログの話題をつないで行こうとはあまり思っていないが、せっかく写して加工した写真を没にするのは惜しいので、今日は先日来の「船」続きとして飛行船の写真を載せる。
さきほど筆者のこのブログの右欄にある「『歩録」を検索する」をクリックして現われる画面で「飛行船」を検索したところ、5年前に嵐山上空に浮かぶ飛行船を撮影した写真を載せている。これは今でもTVでコマーシャルが流れる保険会社が宣伝のために飛ばせているもので、その後も何度か遭遇している。見るたびに写真を撮っているのではないが、京都市内から大阪市内にかけて飛んでいるのだろう。「なにわの海の時空館」に入る前にこれが近くのWTCビルの向こうの空に小さく浮かんでいた。その時にはそれを目当てに写真を撮らなかった。ズームにしても大きく写らず、角度も悪かったからだが、今日の2枚目に小さく見えている。その代わり、遠くに小さな旅客機が飛び去るのが見え、その右手に月が浮かんでいた。面白い構図だなと思って慌てて1枚撮った。それを今日の最初に載せる。写っているものが小さな横向きの飛行機と月と一本の枯れ木なので、どこで撮ったのか誰にもわからない。こう書きながら筆者も自信がない。時空館に入る直前であったのか、あるいは出てからであったのかだ。また、考え込むと、そもそも時空館に行った日の撮影であったかがよくわからない。今日載せる他の3枚に雰囲気が近いので同じ日だと思っているが、こうして書きながらやはり入館前であったことを思い出している。ま、いつ撮ったものでもいいではないか。今日の題名は「船の連鎖思考」であるから、旅客機も船には違いない。この最初の写真は空が広々としている。時空館のある南港はだだっ広い。視界を遮るものがなく、こうした写真を撮るには最適だ。なので、やはり時空館に入る直前に撮ったものという確信が生まれて来た。だだっ広いと言えば、このあたりは埋め立てた島で、橋下市長が知事時代に府庁をこの地のWTC(ワールドトレードセンター)に移転させる案を出した。ところが東北の大地震があって、震災、津波に弱いと指摘され、あえなくその案は流れた。現在の府庁とWTCは同じく地下鉄の中央線沿いにあって、WTCは西の果てにあるが、通勤するのに30分ほど違うだけで、職員にとってはとても通勤が不便になるというほどでもない。府や市は箱物をたくさん作ったので、建物はあまっている。WTCのような赤字の建物を府庁として使い、現在の古い府庁はほかの施設に転用するのは合理的でいい。ぜひそうすべきと思うが、いつやって来てもおかしくないとされる大地震による津波の被害を真っ先に受けるから、そうなれば府民市民の避難を誘導出来るのかという問題がある。そう言いながら、現在の上町台地にある古めかしいビルでも揺れにはひとたまりもないだろう。市庁舎はまだ新しいから移転の必要もないが、橋下市長が望む大阪都となれば府庁と市庁は合体出来るから、現在の府庁は不要になり、WTCに移転する話もなくなる。筆者は大阪都大賛成で、そうなって府や市の赤字がなくなり、たとえば菱垣廻船を格安でどこかに売ることも回避出来ればいいと思う。大阪のイメージを高め、赤字をなくすには大阪都化するしかないのではないか。
時空館はあまりに市中から離れた辺鄙なところにあるイメージが強い。それは行き慣れていないからでもある。この近くの住民にはさほどでもないだろう。筆者はWTCには一度だけ行ったことがあるような気がする。またその向い側に建つATCには展覧会を見るために三回訪れた。何度行ってもだだっ広さと辺鄙な印象がある。それを利用して大型店舗が誘致されているが、興味があるのは若者がほとんどだろう。またそういう人は時空館にはあまり行かないのではないか。ともかく、時空館は周囲に全く施設らしきものが何もないのではなく、派手な色合いのATCがまず目につく。そうであるからこそ、筆者が時空館内部を見ている間に飛行船はその上空を旋回し続けた。宣伝効果がなければ飛ばないはずで、大阪南港は大勢の人が集まり、また上空を見上げれば容易に飛行船が視界に入る条件を持っている。となれば、時空館は理想的な場所に出来たと言えそうだが、入館者が少ないのは宣伝がそれなりに行き届いている割に展示内容が面白くないという評判が立っているからか。府庁がWTCにそっくり移転すれば、時空館にも改めて光が当たるはずで、そうなれば定期的に一部の展示を大幅に変えたり、内部で話題を呼ぶ催し物を開いたりすることでも出来る。ところが大地震の恐怖を言われると、ガラスの壁の時空館は真っ先に壊れそうで誰しもあまり行きたくなくなるのではないか。昨日の朝のTVでは、東京駅前のKITTEという新しく出来た中央郵便局ビルの地下だったか、大地震があった際の都民の避難場所が確保されていることが紹介された。大阪もそんな備えをしているとは思うが、梅田地下街は水浸しになると予想され、数千人単位で避難させ得る広大な屋内施設があるのだろうか。相手が想像のつかない大きな地震であるからには、誰しもそれに街中で遭遇すれば、なるようになるだけと諦めているのが実情ではないかと思う。
そんな巨大地震があった場合、一番安全なのは空に浮かんでいることだ。飛行船は安全だ。となると、耐震を強固にすることはもちろんだが、いざとなれば即座に空に舞い上がることの出来る気球のような装置がこれからは市販されるかもしれない。その一方で人間の鳥化だ。つまり天使のように羽を普段から持っていることだ。そういうファッションが生まれるかもしれない。それが進むと歩行者とは別に空を羽ばたく人が大勢出て、空で衝突する事故が増える。交通戦争が空に持ち込まれることとなって、鳥類は大迷惑だ。なぜかと言うに、羽を取りつけた人間はすぐに鳥の巣を見ようとし、また中にはその卵を盗む者ですぐに現われる。また、高層マンションの窓辺に飛んで行って、中を覗き込む者もたくさん出て来るし、空き巣も増える。警察はそういう犯人を追うために同じように羽を用い、かくて空はいつも羽ばたく音が響きわたって住民はうるさくて仕方がない。そうなれば騒音防止法が強化され、羽音は数年のうちにごく微量となる。そうなるとまた空き巣や覗きが増えるから、カーテン屋と錠前屋が大繁盛する。また、空を飛ぶことによって便利さを手に入れる代わりに、飛行中に傘やカバンを落としたり、中にはトイレに降り立つのが面倒なので、飛びションするものが出て来る。そうなれば地上の干し物は雨天でもないのに、洗濯物には湿りが戻り、うっすらと黄色に染まる。鳥によるそうした被害はごくごくわずかであったのに、人間となれば鳥とは違って許すことが出来ない。そこで飛びションを厳重に取り締まる法律が出来るが、一方では空中トイレを作ろうという動きが出るに決まっている。当然それは高層ビルの屋上となるから、そこは旧来のビアガーデン以上に賑わいが生まれ、またトイレだけ借りることは許さないとなって、ビールを最低でも一杯は飲まねばならないことになる。そうなると、用を足したはいいが、今度は酔ってしまい、飛行中に羽ばたきを忘れて落下してしまう者が続出する。すると中には地上の歩行者に衝突する場合があって、取りつけの羽はやはり具合が悪いのではないかという意見が出て来る。養護派は、大地震の際にただちに空に浮かんで難を避けることが出来ると主張するし、否定派はいつやって来るかわからない大地震にそこまで備えるのは無駄無謀と一歩も譲らない。そこで登場するのが保険会社だ。わが社は宣伝に昔から飛行船を使っています。それは巨大な船ですから、大地震の際はいち早く地上の人をたくさん乗せて空に浮かぶことが出来ます。津波が押し寄せて来る様子を見下ろすことも可能で、どうぞわが社の保険に早速加入して地震に備えてください。
時空館を出た後、ATCの上空に飛行船が浮かんでいて、ちょうど筆者の方向に飛んで来る態勢を整えていた。みるみるうちにそれは筆者の眼前の上空に到達し、そして右旋回して海遊館方面に飛び去った。その様子を3枚撮った。こちらに向かって飛んで来るのを見て、飛行船の操縦士は筆者に気づいているなと思った。まさか。だが、そのまさかはあり得る。大地震がそうだ。そう思う人が多いことは保険会社の儲け増加につながる。筆者は保険が嫌いで、生命保険に入っていない。また家内は20歳の頃、ある占い師に、「あなたはどんな大事故に仮に遭遇しても死ぬことはありません」と言われたことを今でも信じている。占いが当たるとは思わないが、自信につながって気分よく生きられるのであれば利点もある。ともかく、青空に浮かぶ飛行船を見るのは気持ちがよい。太っていて、ゆっくり進むからか。何事ものんびりとかまえ、急がないことだ。そんなことを言っているように見える。時空館の展示を隅から隅までつぶさに見たのではないにもかかわらず、当日は満腹の気分になって、地下鉄の駅に真っ直ぐ戻り、どこにも立ち寄らずに京都に戻った。昨年秋の「関西文化の日」がらみで撮った写真はようやく今日で全部投稿が終わる。肩の荷を下ろしたような気分だ。飛行船は宣伝の役目を終えて毎日どこへ着地するのだろうか。着地の間は鎖のようなものにつながれて膨らんだままなのか。そうであれば、周囲に胴体の広告が目について保険会社にはよい宣伝になるが、飛行船は肩の荷を下ろした気分になれない。いくら太っていて性格が鷹揚であっても、休息の時間は必要だ。今日はいつも以上にどうでもいいことを書いたが、休息日といったところ。