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●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その7
造がどうなのかを知るためにはその内部に入ってみるしかないが、浪華丸は幸いなことに甲板や船室に土足のまま入ることが許されている。



●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その7_d0053294_26421.jpg

児童はふざけて足を踏み外す危険もあって、乗船する前にヘルメットを強制的に被せられるようだが、それもまた波に揺られる船に乗る気分が増していいのではないだろうか。たくさんの人が木造の船に出入りするとあちこちが擦り減るが、それほどにたくさんの人が来館しない施設でもあろう。ともかく、この館の展示の目玉である浪華丸に乗って各部を確認出来るのは大サービスと言うべきで、その体験だけでもこの館を訪れる価値は充分にある。それが順路の最後に用意されているのもよい。最初は4階にエレベーターで運ばれ、順次下の階に移動しながら最後は浪華丸への乗船だ。欲を言えば、浪華丸が大阪湾を巡航している映像をもっと大きな画面に上映し、この船が昔の菱垣廻船と同じように役割を果たすことが可能であることを強調しつつ、大阪が海ときわめて関係が深いことを知らせるべきではないか。児童に菱垣廻船の意味を説くことは出来ても、本当にその意義を知らせることは難しい。また、こうした船ひとつ取ってもあらゆる事柄と関係していて、教科の枠を超えた面白い授業が可能なはずだが、残念ながら現在の小学校のカリキュラムには収まり切らない。そこでせいぜい社会見学として団体で館内をざっと一巡りする程度に終わるのであろうが、何度も言うように浪華丸の存在感は意味がわからぬままに印象に残るだろう。そういった、将来どのような果実をもたらすかわからないことに、現世代が多少の無駄使いと思われることを覚悟のうえで夢を描き出す行為は、日本のような先進国では必要だ。その意味からはよくぞこの館を大阪が建設したと思う。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その7_d0053294_27358.jpg 浪華丸に乗船してまず目につくのは、昨日の最後の写真が示す神棚だ。その上部には「浪華丸」を刻んだ額が掲げられていて、船が一戸の家のような雰囲気をかもし出している。船倉は思ったほど広くないが、これは一部しか見られないからかもしれない。それでもかつての船員が荷物をどのように運んでしかるべき場所に置いたかは充分に想像出来る。帆船であるので、構造は単純と言えばいいのか、全体はしっかり密閉された細長い箱で、家とは違って木材の組み方に独自の方法があることはすぐにわかる。これはもちろん江戸時代に始まったことではなく、古代から伝えられて来た技術だ。それが明治時代の汽船の登場によって一気に衰退し、その後造船技術がどう伝達されているのか、素人目にはさっぱりわからないが、浪華丸を見る限り、江戸時代の菱垣廻船とどのように微妙な差があるのかどうか知らないながら、いつでも再現出来る技術集団があることを実感する。そういう船大工に活躍の場を与える意味でもこの施設は意義があった。それは天六の「住まいのミュージアム」の天保年間の住居の復元と同じで、一方では文楽に対する市の援助を思う。一旦廃れた技術の復興は難しい。細々とながらも温存されて行くべきで、その観点から浪華丸の復元が行なわれたとは表向きは言われていないはずだが、識者の本音はそこにいくばくかはあるのではないか。また、筆者には浪華丸はイギリスの産業革命によって誕生した汽船に対する、アナクロニズムではあるかもしれないが、造船技術の矜持を示す意味があるように思える。風力を使う船は今でもヨットに例があるし、浪華丸は全くの時代錯誤の船とは言えないだろう。汽船が登場してからは、船底に貝などの海洋生物の付着を防ぐ意味で、また鉄の腐食の防止のために特殊な塗料が塗られるようになったが、それが微量でも海洋生物に影響を及ぼす環境ホルモンの原因になっていることが近年の研究でわかった。木造船ではそういう問題はなかった。木材が人間の手技で船に変化しただけで、自然環境に悪影響はない。汽船の登場は木造船を圧倒したが、その利点の陰に人間が予想しない難題が隠れている。そういったことも浪華丸を示しながら子どもたちに説明出来るから、実物の展示はいくらでも多用な価値を見出すことが出来るのではないか。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その7_d0053294_272494.jpg

 そうした多様性は今の学校教育でどれほど実践されているだろう。話は変わるが、先月の自治連合会の新年会で筆者はひとつ意見したことがある。年間の配り物がおよそ200点あって、これがほとんど一種ずつ届けられる。たとえば今日それをおよそ20分かけて自治会内に筆者が配布したとすると、帰宅後に別の配布物が届いている。そういう時は癪なので、翌日に配るが、もう10分かそこら出かけるのが遅ければその資料も同時に配れたものを、別々に各機関から届けられるので、そのたびに配り歩かねばならない。毎月届く配布物は大半が警察や小学校、消防署など決まった機関からのものだ。これをたとえば冊子状に束ねるなどすれば、回覧された住民も見やすいし、配る筆者も手間が省けてよい。ところが日本独特の縦割り行政のために、各機関は連絡をいっさい取り合っておらず、数日違いでいくつもの種類の資料が毎月筆者のもとに届く。しばらく手元に置いてまとめて各組長宅に配ればいいようなものだが、中には急を要するものもあるし、また組によっては回覧の速度がきわめて遅く、最後の家に届いた時はすでに配布物に記されている行事などの期日が終わっている場合がある。そのため、届けられれば当日か翌日には配るようにしている。筆者は義務を迅速に果たしていると言うべきだが、1枚ずつの回覧物はほとんどの住民はろくに読まずに隣家に回す。それを防ぐにはやはり冊子状にして一括回覧した方が注目されるのではないか。筆者が言いたいのは、縦割り行政が小学校の授業と関係しているのではないかということだ。国語、算数、理科、社会など、教科は分かれているが、浪華丸を前にしてあらゆる授業が可能だ。たとえば今日掲げる写真に「浪華丸」と彫った額がある。漆で文字が黒光りしている。それは子どもでも印象的だろう。そこで漆について説明することが出来るし、美術工芸についても話は広がる。そういう教育の素材として浪華丸は無限の価値を持っているが、おそらく残念なことにそういう授業が出来る先生がおらず、また授業時間は許されていない。どこかの学校が1年かけて中勘助の『銀の匙』を教材にして国語の授業を行なうことが以前NHKのTV番組で紹介された。それよりもっと幅広い事柄が浪華丸を取り上げることで可能なはずだが、縦割り行政の思想が浸透し過ぎているあまり、また受験のための授業を最優先するために、そんな呑気過ぎる考えは最初から相手にされない。そこが日本の義務教育の限界と言ってよく、児童、生徒は実社会を縦割りした事柄を詰め込まれて世に送り出される。かくてこの館にわざわざやって来るのは酔狂な大人で、また少数なのだろう。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その7_d0053294_274089.jpg

by uuuzen | 2013-02-10 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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