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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その6
船で運ばれたのか、たとえば京都の伏見人形のとても古いものが富山で初出しされたりする。こういうことは今日の弘法市や天神市の業者の品物からわかるが、ネット・オークションではもっと顕著だ。



●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その6_d0053294_2314066.jpg

もちろん富山からの初出しとしても昭和初期あたりに持ち込まれた可能性はあるから、江戸時代に船で運ばれたとは言えないが、出品者の中にはわざわざ昔の廻船問屋の血筋の人から仕入れたといったことを注釈し、あながちそれは嘘とは思えない。筆者が言いたいのは、京都までやって来なくても、地方の大きな港を抱える街では上方の珍しいものが金さえ出せば手に入ったことだ。船は陸路より一度に大量の物品や人を運ぶことが出来る。また、その利点を生かして、積載量ぎりぎりまであらゆるものを詰め込んだ。諸国の品物が大坂に一度集められ、それらが廻船を使って江戸その他日本中に運ばれた。こういう大坂の特殊な位置は今では考えにくい。港湾は今でも機能しているが、飛行機による輸送が断然早くなり、送料は割高になってもそれに頼るのは誰しも経験している。となると船による輸送は時代遅れで、廻船を復元して展示しても時代錯誤と思われかねない。だが、大量輸送の利点は今でもあるし、原油はタンカーで運ぶ。海に囲まれる日本は船はまだまだ重要だ。そのことを示すのが、先日の中国軍艦によるレーダー照射事件で、海の重要性を再認識させられた。日本の戦艦大和といった巨大な造船技術は、材質は違えども、それなりに日本に大きな船を造る技術があってのことだ。それが「なにわの海の時空館」の中央に展示されている菱垣廻船「浪華丸」だ。「菱垣」は文様に詳しい人ならすぐに「檜垣」を思い出す。似たようなもので、「菱垣」は菱型の連続模様を形成する垣根だ。これが廻船の両脇についている。今日載せる最初の写真ではわかりにくいが、波が当たるか当たらないあたりにその模様が木材で組まれているのがどうにか見える。これは何らかの機能を持つものではなく、廻船の種類を表わす一種の記号のようなものとされる。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その6_d0053294_23141815.jpg 「なにわの海の時空館」を建設する案が出た時、真っ先に考えられたのが菱垣廻船の復元ではなかったろうか。半円球のドームはこれがすっぽり収まる形をしている。この船は展示用の実物大模型ではない。会場に小さなモニター画面が置かれ、この船が実際に海を進んでいる様子を撮影した映像が流されていた。そのまま港の係留し、人々をたまに乗せて大阪湾を料金を徴ってクルージングしてもよかったように思うが、そのための人件費その他、あるいは運行許可を得るのが難しかったのかもしれない。そして建物を造ってその内部に収容することになった。それが「なにわの海の時空館」だが、半年ほど前のTV番組では、この館を赤字のために閉館するとしても、浪華丸を解体撤去するのに億単位の金がかかり、それも難しい問題だと誰かが意見していた。造ったはいいが、動かすことは出来ず、また展示も無理、解体も困難となると、まさに箱物行政の難しさを露呈した感じで、「浪華丸」が無用の長物で、税金を食い潰すやっかい者に見えて来る。だが、この船を実際に目前にすると、その威容に打たれる。これほどの大きな船が大坂湾を初め、日本中をぐるぐると廻り続け、大量の物を消費地に運んだことは、教科書の短い記述では決して得られない感動を与える。廻船は多くの木材と船大工を費やしたもので、大きな屋敷を一軒建てるといった程度の規模の話ではない。積荷は人々の欲望を満たすもので、全積載の総額はどれほど巨額に上ったことであろう。そういう船であるから安全第一は言うまでもないが、一方では速さも求められた。ほしい物は一刻でも早く手に入れたいと願うのはいつの時代でも同じだ。人々のそんな思いを廻船は担っていた。充分頑丈に建造されたのは当然だが、そういう大型の木造船が今では皆無であるから、復元するのに不自由はなかったかと思う。そこは船の学者がたくさんいて、江戸時代の廻船を復元するための設計図は何ら問題ではなかったのだろう。そして、大工の力を合わせて浪華丸を復元した。これだけでもロマン溢れる話で、児童や生徒に熱く語ることが出来るのではないか。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その6_d0053294_23145029.jpg

 浪華丸を収容するために「なにわの海の時空館」の場所と規模が決まった。一旦解体してもっと内陸に展示することも可能であったと思うが、どうせなら海が見える場所がよい。そこで現在の住之江区の西端となった。大坂が西へ西へと埋め立てを続け、陸地は広くなり、小さな船が運行する川もほとんどが消えたが、港湾施設は現在も機能しているし、それを今後もっと拡大化させることは念願でもあろう。そういう時に江戸時代の大坂湾が果たした役割を浪華丸の復元という形で忘れないようにするのは安いものではないか。そういうことに大阪が今まであまりにもお金を使わなさ過ぎた。過去の栄光を懐かしむというのではなく、それを踏まえてこれからもあるという気概を子どもに教えるのが大人の役目ではないか。この館は4階から1階まで半円球内部をぐるぐると周りながら浪華丸は絶えず右手に見えている。その雄姿をあらゆる角度から眺めてほしいという配慮でもあろう。そういった大人の密かな思いを子どもたちはよくわからないままにも感じる。欲を言えば、館の一部の壁面を可動性にして、浪華丸がいつでも出入り出来るような設計は出来なかったのであろうか。それには船を水面に浮かべておかねばならず、とすれば潮の干満があるし、また悪天候では館の内部も波が大きくなる。それに船底に貝や藻が繁茂して木材が劣化する。それはわかっているが、せめて館の外に数年に一度は出して浮かべることの出来る仕組みがほしい。完成時は進水させて海を走ったはいいが、今ではすっかり模型化して、本当に浮かぶと思う人は少ないのではないか。それにしてもかつてはたくさん運行していたこうした大型木造船がすっかりなくなったことは、西洋の鉄の船、しかも汽船の方が頑丈であるからという理由によるが、船もまた積荷と同じ消費材であったことを示している。江戸時代と比べて大坂の街並みがすっかり変わったと同時に人々の欲望の運搬道具も変わった。そして菱垣廻船が一艘でも復元されたことは、まだ江戸時代の大坂を忘れないでいたいという人たちがたくさんいることであり、近畿を考えた場合、大阪しか菱垣廻船はふさわしく、「なにわの海の時空館」は大阪が元気な街であり続けるには必要な施設と思う。浪華丸を解体して燃やしてしまうようなことがあれば、それこそ大阪の恥ではないだろうか。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その6_d0053294_2315323.jpg

by uuuzen | 2013-02-09 23:12 | ●展覧会SOON評SO ON
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