湾に流れ込む川が土砂を運び、それが元となって海抜の低い土地がどんどん西に広がった。今から200年前の大坂の地図を見ると、現在よりかなり狭かったことがわかる。
埋め立て地は周囲が角張っていてすぐにわかるが、「なにわの海の時空館」は港区かと思うと、住之江区に位置し、200年前は海のど真ん中であった。200年の間にどれほど埋め立て地が増えたかは、グーグル・アースで調べることが出来る。また200年以上前から埋め立て地を新地と称して造成していたことはもっと古い地図を見るとわかる。そう考えてみれば、公共事業の多さは現代に始まったことではなく、長い歴史があることを知る。また、今で言う土建業も大昔からあって、人間は何か大きなものを造っては壊すを繰り返して来ている。そのことは先日取り上げた天王寺のルナパークからでもわかる。それが今では跡形もないのに、写真その他資料によって実物そっくりの模型を作ることは出来る。とはいえ、本当に実物そっくりかどうかは誰にもわからない。古い地図を元にした街の模型ならもっとだ。それでも飛行機に乗って見下ろすような細部にあまり固執しない程度ならば、全く的外れではない程度には可能だ。
「大阪市立住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館、その4」の最初に載せた写真は大正から昭和初期の大阪の一画を捉えた模型だが、その頃では資料がまだ豊富であるし、また生存者がたくさんいるのでかなりの精確さを目指すことは出来る。同じ縮尺の模型で天保年間の街並みの模型を作ることもそれなりに出来るが、それよりもっとお金をかけて実物大の家を建てたのが同館の目玉となっている。通りを挟んで両脇に並ぶさまざまな店舗は、ある特定の場所の再現ではなく、店や家屋の代表的特色を示すための架空の家並みで、うまく作られたと思う。天保年間というのが味噌で、これがもう100年遡るとどうであったか。江戸時代のことであるので、建物や家並みの変化は100年程度ではさして変化はなかったろうが、何事にも流行があるので微妙に時代の空気の差をまとったはずだ。昭和30年代だろうか、その街並みを実物大で再現したものが海遊館のすぐ東にある商業施設の中にあって、このブログでもその写真を載せたことがある。このように他の施設と関連させると、過去の街並みの再現を実物大ないし模型で行なうことはここ2,30年の間に増加して来たことがわかる。これは歴史を振り返ろうという思いがあってのことで、高度成長の気運がひとまず落ち着いたからと考えてよい。

立ち止まって過去を振り返ることで何か将来に向けて得るものがあるかどうか、それは誰にもわからない。そうであるからこそ、面白いし、また将来に期待が持てる。そんな賭けのようなことに大きな税金を投じることは無謀だとの意見はあろう。だが教育とはもともとそんなものだ。先行投資したものが数十年後にどのような形で実をもたらすかわからない。そしてどういう形かわからないが、予想のつかない大きな実が得られるかもしれず、そのことに現在の研究者その他が精魂込めてこういった展示施設を造るのは夢があってよい。それはどこか産みっ放しのところがあって、後はどうとなれといった無責任さがつきまといはするが、想像から創造への道はそうしたものだ。大阪湾に面するこの施設が大阪湾の歴史すなわち大阪の特色などについて展示説明するのはあたりまえのことだが、大阪湾が日本の中でどのような位置を占め、どういう役割を担って来たかを児童や生徒に教えるには最適で、教科書では得られない体感といったものが得られる。それが大事なのだが、受験戦争に巻き込まれる彼らからすれば、教科書にあることを丸暗記することの方が先決で、こんな施設で油を売っている暇はないと言いたいかもしれない。それは本末転倒と言うべきで、まず勉強して無目的のまま大学に入り、ところてん式にそこを押し出されて何の夢もないまま年だけ重ねるということになりかねない。であるから、せっかくのこの施設、あるいは別のミュージアムでもいいが、小学生低学年の間にあちこち訪れ、わけがわからないままにそういうものが世の中にはあるのだということを知らせた方がよい。こんなことを書くと、筆者はこの館を大絶賛していると思われるが、欲を言えば切りがなく、これから展示を増やし、また変え、時代に対応して行く柔軟性があると思うので、入場者数の激減のために閉館するのは無謀と考える。つまり、養護派で、それはここでしか得られない感動を認めたいからだ。ネット時代とは逆行するような実物主義、模型主義は、体全体で感得するという大きな利点がある。その体で覚えたことは忘れにくい。したがって、話は脱線するが、体罰を加えると、加えた方も加えられた方も後味悪く覚えていて、利益があっても帳消しになる。

脱線ついでに書いておくと、大阪湾と他の海とのつながりについての紹介はこの館にそれなりにあったが、海に囲まれた島国であることゆえの隣国との問題が最近盛んに報道され、人々が飛行機で移動するとはいえ、まだまだ海が重要であることを知る。離れ小島の領土問題は海の国境をどう定め、そこからどのように魚資源や海底の天然ガスなどの資源を多く確保するかという経済性に直結しているだけに、お互いの国は目の色を変える。この館でそうした問題まで提起する必要はないだろうが、海はどこまでもつながっているから、島国の日本にとっては、海が大陸のような、遠くまで移動出来る手段で長年あり続け、そのことによって外国から文化が流入したから、大阪湾が瀬戸内海に直結し、瀬戸内海が外国の海とつながっていることを児童に教えるのは夢を抱かせるのはよいだろう。そう考えられたのでこの館の中央に「浪華丸」を復元展示したはずで、日本が海運国であったことを知らせるには持って来いの施設だ。それに木造の大きな船は大工あっての産物で、その点は「大阪市立住まいのミュージアム」の天保年間の家並みの再現と同じで、手仕事の重要性を再確認させる。それは児童に水彩画を描かせ、それを館内にたくさん展示するという考えにつながっている。先日の自治連合会の新年会で教頭から耳にしたが、図画工作の授業時間が以前と比べて減ったそうだ。その分を英語教育にでも使うのだろう。そういう風潮であるから、いよいよこういう施設はどうでもいいと思われる。大工さんになるのは落ちこぼれで、自分の子は一流大卒のエリートに育てますというわけだ。そしてそういう連中が自然の脅威を過小評価して原発を造り、それが津波で破壊されても素知らぬ顔をする。脱線具合を戻す。筆者がこの館をいつか訪れたいと思ったのは、ある模型の画像を他人のブログで見たからだ。それは200年前よりもう少し前だろうか、大坂のかつての姿を縦横3メートルほどに縮小したもので、湾に接する地域は田畑で、市中は小さな家をびっしり並べて再現してある。地図でも充分かもしれないが、かなりの想像力がいる。地図を元にしてそれをそっくり実物を縮小した模型にすると、現実感が一気に増す。CDならば安価かつもっと簡単に再現出来るが、それは画面内の世界だ。この館は体感をモットーにしている。地図からどういう具合にリアルな模型が出来たのかを比較するだけでも面白い。ところが、小学校ではそういう工作の授業時間を削っている。これではせっかく大人が苦心して作ったものの背景を子どもたちが考え、読み取ることが出来るか。前述したように、わけがわからなくても見ておくに越したことはない。子どもは理屈よりもまず感じることが大切だ。理屈は後でどのようにでもこじつけられるが、体感は正直だ。

さて、グーグル・アースでは大阪の現在の地図に200年前の地図を重ねて表示することが出来る。その画像を今日は最初に載せておく。またこの館の筆者が見たかったコーナーの写真は今日と明日に分け、今日はまず3点だけとする。その最初は模型の元となった、というより模型を撮影した写真に川の名称などを記した地形図だ。残念ながら細かい文字が読み取れないが、グーグル・アースの現在の大阪に重ねた古地図とおおそよ比べると、湾に面した埋め立て地がより狭いことがわかる。つまり、200年前より以前の姿だ。面倒なので調べないが、筆者は260年ほど前の大坂の地図を持っている。複製ではなしに現物だ。2色摺りであったものが、おそらく赤色はかなり褪せている。その地図にすでに湾を埋め立てた新田の名称がいくつもある。この館が大阪の江戸時代の様子を模型で示そうとした時、いつの時代の姿を採用するか議論になったであろう。浪華丸を展示するからには大阪が天下の台所として日本中に名を馳せた江戸時代であるのは当然ながら、その前期か後期のいずれかだ。2枚目の写真の元になった古地図があればすぐにわかるが、筆者は見落としたかもしれない。ともかく菱垣廻船を浮かべて古地図にはない現実感の演出は求められた。ただし、この地形図および3枚目の写真に写る船は家の大きさからしてかなり誇張し過ぎだ。3枚目の写真からはわかりにくいが、模型は西の湾側が台ごと低くなっている。これは東側の家並みを大人が背を低くせずに鑑賞するにはよい。また、西が下方すなわち南に置かれているので、慣れない間はどこがどこかわかりにくい。この地形図の模型は「住まいのミュージアム」にあったガラスの床に大きく拡大された大正から昭和初期の大阪市内の鳥瞰的地図を思い出させる。江戸時代に外国人が気球を紹介したが、空高くから街を見下ろす考えはまだ一般的ではなく、建物のひとつずつを正確に描く、あるいは模型にすることはなかったのではないか。それが今ではグーグル・アースは宇宙から地球を見て、目的とする場所に急降下出来る。この外の目は世界がそれだけ狭くなり、時空を超える意識が高まったからだが、そのひとつの展示がこの施設だ。今の生活はもちろん大切だ。飢えている人があってはならない。だが、一方で人間は将来を見通し、それに望みをかける。どんな動物でもおそらくそうだろう。であるから進化して来た。その果てに何が待っているかは誰にもわからない。今のネット時代を見ると、身体は無用で魂だけが飛び交っている時代が来るかもしれない。そうなっても魂は時空を自在に超えることを希求するはずで、そんなことをごくおおざっぱではあるがこの建物は紹介している。