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●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その3
の中を進むような思いで毎日ブログを綴る。「なにわの海の時空館」を見た日、写真をたくさん撮ったので、いずれ感想を書くにしてもそのことが億劫に感じていた。



当時、つまり去年11月中旬頃だったか、撮りためた写真がたくさあって、それらをなるべく撮影順にブログで取り上げるとして、それがほとんど終わるのは遅くて年明けの1月末頃かと想像した。それが2月にずれ込んでいるのは、途中で映画の感想をいくつか書いたからだ。それでも藪の中を手探りで書き進む思いが少しずつ減少し、もう残すところ数日で去年11月に予定したことが全部終わる。もちろんその後にまた写真を撮っているから、書くべき内容はまたたまっているが、心の中の区切りというものがある。今はちょうど深い藪を抜けて出口が見えていて、その先にまた別の藪が生い茂っているような気分だ。これではブログを続ける限り、藪から抜け出だせない。これはかなりの精神的重圧とも言えるが、毎晩こうして書き始めるのはほとんど肉体労働で、始めると一気に終わりまで目指すので、疲れをあまり感じない。今日はブログのことを少し考えた。ここ2,3日はいつも以上に枕的な内容がその後の本論とは異質で強引過ぎる。これは冒頭の一字を今までに使用したことのないものを探し、その文字から始めるからでもある。つまり、本論とは全く何の関係もない言葉を最初に用いるからだ。だが、書き進みながらその言葉となるべく関連させるように話題を転換し、また出来るならば最後の落ちも、いわば適当かつ条件的に見出した冒頭の言葉と関連させたいし、またたまにはそれが多少成功していると感じるので、毎晩こうして書くことは筆者にとっての「ひとりライヴ演奏」のようなものだ。観客は毎日100人ほどいるが、反応がないので出来がどうかは自分で判断するしかない。さて、そうした観客の反応は市立の施設ならば来場者の数すなわち収入の形で判断される。美術館がそうだ。大ヒットするような企画展をたまにやらねば、税金の無駄使いと槍玉に挙げられる。高度成長期以降、日本は美術館博物館の箱をたくさん建てて来たので、ありがたみがなくなっているところがあるだろう。展示空間としての箱物は大切だが、それが出来たところで完成と錯覚してしまい、肝心の展示内容がおそまつになったり、時代遅れになったりする。これは日本の一般家庭に似ているかもしれない。ちょっとした有名な画家の絵を季節ごとにかけかえるような家は珍しいのではないか。生活は衣食住のみが足りれば充分という思いがあって、心を美しく飾るために美術品を買うなど、よほど変わった人のみだろう。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その3_d0053294_155138.jpg

 家の中に美術品がないので各地にたくさん美術館を建てたかと言えば、それはあまり関係ないように思う。ヨーロッパではどんな小さな街にも美術館があると言われる。それは家の中をきれいに飾る思いが一般人にそれなりに多いことの反映だ。となると日本ではこれから自宅内部を美術館並みとは言わないまでも作品で飾ることが一般化するかもしれない。ところが、そういう風潮は京都や大阪には江戸時代からあった。季節ごとに掛軸をかけ直すことはちょっとした家庭ではあたりまえであった。だが、美術館がない時代であったからそうであったと言えるかもしれない。そのため、各地に美術館だらけになった現在、家の中に画家が描いた一点ものの絵画を飾る必要がなくなった。そう考えると何となく納得出来る。日本はヨーロッパとは違うというわけだ。またヨーロッパのまねをする必要はないという意見も多いだろう。右傾化しつつあると言われるから、ますます外国に見倣うことはない。そして税金を投入する施設は採算が取れないところから閉鎖されるだろう。そうなった果てにまた一般市民が重要な作品や資料を所蔵することになればいいが、その可能性は低い。今から家の中を絵画など美術品で飾ろうと声高に叫んでも、まず誰も振り向かないどころか、衣食住をどうにかせよという罵声を浴びる。衣食住が充分足りていた時にすら美術に関心がなかった者が、より貧しい時代になってどうなるかは目に見えている。そんなことをたまに思う筆者は、「なにわの海の時空館」は今の間に見ておくべきだと考えた。来年になれば閉館になっているかもしれない。そういう運命になった施設はいくらでもある。一方で思うのは、こうした展示施設の運営に携わる人たちの賃金だ。入場者が少ないのに、その人たちの給料が何十、何百とかかる施設があるのだろう。大阪は地下鉄を民間に払い下げつつあるが、そうすれば給料はかなり少なくて済む。それを同じ考えをこうした展示施設にも適用すればいい。どうしても置かねばならない学芸員は別として、チケットのもぎりくらいは自給1000円ほどのアルバイトでも出来る。ま、実情を知らずにかなり無責任なことを書いているが、こういう施設を設けてそこに天下る役人がいたりすることが問題にもなっているのかもしれないし、また建物は建てて終わりではなく、清掃や雨漏りなどメンテナンスも必要だ。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その3_d0053294_161776.jpg

 大阪は文化に金を使わず、金儲けばかりが熱心な街と日本中から思われているだろう。小説や映画その他で大阪弁を話す人物はたいていはがめつい、また愚かな商人で、標準語を話す主人公らは男前、別嬪を想像させるし、作者もそのように考えて物語を書いている。そういう作品に触れるたびに筆者は悲しい。大阪がそのように見られていることではない。そのような見方しか出来ない標準語を話す作者の心の狭さを思うからだ。何を恨みに思って大阪をそのように描くのだろう。大阪弁がそれほどに下劣か。大阪弁といっても、いくつか種類があるし、泉州と摂津では違うし、京都や神戸、奈良とはまた違う。その微妙な言い回しがわかりもせず、大阪はあくどい商人が巣食う街とされて来たのは、大阪に文化人と呼べるほどの人が少ないからかもしれない。そういう人たちはみな東京に行き、たいていは大阪出をあえて言わずに標準語を話す。話が脱線しているが、言いたいことは大阪にも文化施設はたくさんあることだ。そのひとつに「なにわの海の時空館」を挙げてもよい。ところが京都からわざわざこの施設に行くのはよほど暇のある人か、大阪の海に関する事柄に関心のある人だけのはずで、もったいない話だ。そう考えることもあって、このブログで数日にわたって取り上げる。というのは、先日書いたように筆者が行こうと決めたのは、ある人のブログで写真が紹介されているのを数年前に見たからだ。ブログの力はそれなりにある。筆者のように関心を抱く者がごく少数であっても、ゼロよりかはいい。それにブログでの画像を見て行った気になるのはやはり間違いで、建物はその内部に入って初めて実感出来るものがある。自分の足と目を使って見るべきで、その全身的経験は視覚だけの画像体験とは違う。紙の本がなくならないと考えるのは、画面で読む電子本と違って、紙質など感触を魅力が大きいと思うからだが、そういうことがわからない人が今後増えて行くのであれば、「なにわの海の時空館」という施設も不要と思われるだろう。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その3_d0053294_163390.jpg

 この館には美術品と呼べるものがどれほど所蔵されているのだろう。ブースといってよい小さな部屋に入ると、江戸時代の大坂湾の様子が紹介されていて、床には浮世絵を拡大してタイルのように敷き詰めてあった。それは確か中之島の府立図書館の大型画面でも1点ずつ拡大して鑑賞することが出来る。現物の所蔵は同館か、あるいは市立美術館あたりだろう。それは比較的小さなものであるし、また誰もが手に取って鑑賞するとたちまち劣化するので、撮影して画像を見ることはある程度仕方がなく、また便利でもある。名画といったものは今後みなそのようにデジタル画像をどこからでも見ることが出来る時代が来るだろう。それはそれで教育的観点からは喜ぶべきことだが、そればかりではないことを知っておくべきだ。浮世絵は紙に摺られたものであり、また空摺りなどは浮彫のような立体感を味わう。油彩画であればもっとそうした感触的な要素が美に関係している。それを平板な画面に緻密な画像として浮かび上がらせれば、美の質をどこか変えて味合うことになる。「絵に描いた餅」なのだ。本物の絵画は「餅」で、それを撮影した画像は「絵」だ。それほどの差があることがネット時代になって若い人にはわかりにくくなっているのではないか。この館のその浮世絵が敷き詰められた床を見ながら、筆者は安っぽさを感じた。ガラスケースの中に本物の版画を飾ってほしいが、美術館ではないのでそれを求める声は少ないかもしれないし、また日当たりの問題からは避けた方がいいかもしれない。そこで思ったのが、この館の模型主義だ。それは画像主義よりはるかにましで、まだ手触り感が残っている。 だが、版画の模型はないので、画像を拡大印刷して床に敷いて見せるといった考えになる。
模型主義はいつか津波に襲われて壊れてしまう可能性がなきにしもあらずのこの施設には似合っている。模型は本物の代用であり、またいつでも再現出来る。もちろん模型でないものもある。昨日載せた写真の船首飾りの彫刻やヤノベケンジの立体作品だ。それらはこの館の大きさからすれば充分展示可能な大きさで、模型を作るよりかえって安価でもあろう。模型で言っておくと、今日の最初に載せた肌色の革製のソファは、子どもを対象にこういうソファがあればいいなという公募展で選ばれた図をデザインしたものだ。その原図が紹介されていた。テトラポット型とは面白い。現代美術彫刻の趣があり、また汚れたり縫い目がほころびることを懸念してか、触れることは許されない。年間の予算が少しあったので、こうしたものを子どもアイデアで作ったのだろう。さて、昨夜ふと見つけたのは、この館からもらって来たスタンプ・ラリーの用紙だ。館は4階建てで、1階からエレベーターで一気に4階まで上がり、そこから順に下へと見進む。海中の通路も含めて、スタンプは8か所に置いてある。筆者が気づいたのはひとつだけで、子どもとは見るものが違ったようだ。全部押しても記念品がもらえるわけではないが、子どもたちが退屈しないようにとの配慮だ。それほどに展示内容が子どもには魅力のないものと言えるかもしれない。それでも館内の空気を味わってほしいという思いだ。これほど大きな半円球のガラス・ドームは近畿ではここしかないはずで、子どもにとって展示の大半が藪の中を進むかのようにわけがわからくても、館内を一度体験しておくとよい思い出になる。大人でもそうだ。また、大人はこの館のどの展示に最も関心を抱くかは、人によって違う。歴史ひとつ取っても切り口は多いし、地理も同じだが、一方では大阪湾の海洋生物や船の運航のために必要な星座の知識など、各ブースはがらりと違う展示内容となっている。またブースの外、いわゆる通路にも展示があって、それらは恒久的なものからそうでないものもあるだろう。筆者は各部屋をしっかりと見ず、だいたいどのような展示なのかを把握するのみで、館内を時計回りに歩いて4階から下へと降りて行った。ガラスを透かして外が見えるが、悪天候の場合はあまり居心地がいいものではないかもしれない。今日の最後の写真は、ガラスの向こうに館の玄関がある建物が右下に見えている。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その3_d0053294_165285.jpg

by uuuzen | 2013-02-06 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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