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●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その2
りの程度というものがある。筆者は細々としたものが好きなので、家の中には飾りというほどのものではないが、物が多過ぎて壁に隙間がないような状態になっている。



先日妹はその様子を改めて見ながら、もうそろそろ処分して行くのがよいと意見した。家が狭い割りに物が多いだけで、妹宅のようにわが家の何倍も居住面積のある家庭では、TVひとつ取っても馬鹿でかいし、わが家以上に物はあるはずだ。昔筆者の知り合いが妹と同じことを忠告してくれた。筆者が体育館のような広い家に住みたいと言うと、そんなところに住んでもまた物が増えるだけで今度はもっと広い場所がほしくなるとの返事で、これには納得した。筆者は隣家を買ったはいいが、すでに本を初め、物がどの部屋にも山積し始めている。先月は思い切って筆者の服を隣家に半分ほど移動した。おそらくもう二度と着ないジャケットが何点もあるし、ズボンも裾上げしていない新品が何本も吊られたままになっている。それなのに、また買うので、たまる一方であるのは自明の理だ。ところが、先日こんなことがあった。カーキ色のブルゾンを探してもない。家内に訊くと2年ほど前に古着に出したと言う。そう言えばそうであった。捨てる際、まだ着られるし惜しいなと多少思った。それでまだ捨てていないと勘違いしたのだ。今年の冬は寒いので、それがあればちょうどよかったのだ。筆者は着替えるのが面倒なので、普段着はいつも同じものを着ている。たとえば秋から今に至るまでピエロのように派手な柄の厚手のセーターに黒のジーパンだ。このジーパンはいつ買ったのかわからないほど古いが、着用を始めたのは2年ほど前だ。家の中にいる時やムーギョに買い物に行く時もずっとこのジーパンだ。さすがにもう洗わねばと思う頃になると、家内がそれを察して洗ってくれる。だが、2か月に一度程度だ。洗って乾く間は別のズボンを履くが、乾くとまた同じ黒のジーパンで、おそらく自治会内の住民は、筆者はこれしか普段着のズボンを持っていないと思っている。膝が破れて来ると別のを履くつもりでいるが、かなり丈夫で破れない。昔はすぐに膝が破れたが、痩せていたので膝の骨が出っ張っていたのだろう。セーター1枚では寒いので、特に寒さを感じる日や買い物に出る時には上に黒のジャケットを羽織る。このジャケットは秋に箪笥の中から見つけた。買った日を覚えておらず、ひょっとすれば息子のものかもしれない。息子は筆者より痩せているが、ほとんど同じ体形で、服は同じサイズだ。このジャケットも秋からもう半年近く着続けている。木綿の薄手なので、セーターに羽織るだけではさほど防寒効果はないが、黒の毛糸の帽子にオレンジ色のマフラーをすると、松尾橋が摂氏0度の夜でも寒さはあまり感じない。もっとも、松尾橋まで速足で歩く間に体が温まるからだ。今日家内は筆者のその恰好を見ながら、よくもまあ毎日同じ服を着ているなと言った。セーターの中は必ず木綿の襟つきの柄シャツを着るが、これは1日置きに着替える。家内の言うとおり、少しは別の服を着ればいいと思うが、さて何を着るかとなると思い浮かばない。箪笥その他を探せば、「こんなものがあったな」とあれこれ出て来るはずだが、その作業が面倒だ。時々筆者は思い出して家内に「あの服はどこへ行った」と訊く。だいたいどこに収納しているか家内は答えるが、探しても出て来ない場合がある。そうして数年が過ぎる。買って二、三度しか着ていないものがそうしていずれ古着になる。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その2_d0053294_146333.jpg

 筆者は普段着でいる方がスーパー以外の外出する時間に比べて十倍は多いと思うが、いわゆる余所行き用の服はよく買うのに、普段着をほとんど買わない。これは間違っているなと今日は思った。年に1回も着ないスーツが何万円もするからには、毎日それを着て仕事すればいいではないか。20代の若者が着るようなデザインのジャケットにジーパンといった格好では、自治会長の貫禄も何もあったものではない。スーパーに行くにも背広を着て行くと背筋が伸びる思いがするかもしれない。ところが家内はきっと「普段着と余所行き着は違う」と文句を言うだろう。昔従姉の夫が、「60を過ぎるとどんなデザインのものを普段に着ればいいか悩む」と言った。その意味が筆者にも多少わかる。筆者は自治連合会の副会長の女性から、芸能人みたいと言われたことがある。それは服装が派手で、若者みたいにちゃらちゃらしているという意味だろう。年齢相応に地味なものを着るべきか。その地味とはどんなものか。筆者の服装は案外地味で目立たないと思う。派手に見えるのは、前述のセーターにしても、20年ほど前に買ったもので、年齢を考えずにいまだに着ているからだ。家内が筆者に同じものばかり着ているというのは、この20年間、毎年そのセーターを着ていたのではない。ほとんど着なかったものを今頃になって引っ張り出し、気に入ったのでもなく、ほかのものを着るのが面倒なので、つい「これでいい」と毎朝思う。そのうちどこかがほころびるなどすれば古着回収袋に入れて出すことになる。それでもそこまで着ることは珍しい。ほとんど着ないままに処分するのは誰しもだろう。前置きが長くなった。「なにわの海の時空館」には児童が描いた水彩画があちこちに貼ってあって、その写真を撮らなかったと昨夜書いた。今日載せる写真からわかるように、厳密にはそれは間違いで、焦点を合わせてはいないが、その絵画群は写り込んでいる。この児童の絵はこの館にはあまりそぐわない気がするが、大きな円形の内部空間は殺風景になりやすい。開館当初の予定にはなかったが、埋め草的に何か飾りがほしいということになったのだろう。館ならではの展示品が高価な余所行きの服とすれば、この児童の絵は言うなれば普段着だ。余所行きと普段着が混ざっているのが、全体をごちゃごちゃした印象にしている。飾りの質が均一ではなく、また過剰であるからだ。だが、誰でも普段着と余所行き着を持っているから、この館は人間的な温かみがあると言える。余所行き着的展示作品ばかりもいいが、何度も気軽に来館してもらうには、普段着的演出は必要だ。それがこの館では児童の絵画となっている。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その2_d0053294_1465574.jpg

 ここに絵が展示されることを嬉しいと思う子は多いだろう。立派な展示空間に自分の絵が飾られるという経験を味わった子は、そのことを生涯記憶しているのではないか。昔の子ならばそうであったが、今はまた違うかもしれない。それでも展示は晴れがましいことであり、親は喜ぶ。そこで親子でまた来館することになる場合もあるだろう。児童の絵はあくまでもそうした私的なものであり、展示物としては副次的で、またじっくり見る時間もまずない。それほどにこの館には余所行き着的な作品が多く、また内容が多岐にわたっている。あまりにそうであり過ぎることがまた雑然とした印象のもとになっている。これは誰でも何かひとつには魅せられるのではないかという考えからとは思わないが、海と大阪の関係をテーマにしているだけに、何に重点を置くべきかは、館を建てる前から難しい問題であったはずで、それが理想的な形として成功しているかどうかは賛否があると思える。結果的に入場者が毎年多く、採算が取れているのであれば、展示がよいと判断される。だがこれは、向こう岸にあるユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンのようなテーマ・パーク的な施設であると同時に文化教育施設でもあって、何度も来館してもらうにはハンディがある。つまり、ある程度は最初から採算が取れることはまず不可能とわかっていたはずだ。財政が破綻同然の大阪府や市であるから、赤字の施設は閉鎖して行くのはある程度は仕方がない。だが、建物の寿命がまだまだあるのに、それをみすみす閉鎖してしまうのはあまりにもったいない。せっかく識者が集まって建てた施設であり、似たような館はほかの県にはないのではないか。また、天六の「住まいのミュージアム」と連動する部分もあって、館としての目的や機能はうまく考えられていると思う。それは大阪が海に面していて、かつては海運が盛んであったことの紹介だ。同じことは神戸にも言える。神戸はこの館に似た施設を持っているだろうか。マリンパークのどこかに似たものがあると思うが、この館の神戸版といったものはないだろう。そのあたりは、海に面した他県の同様の施設を調査したうえで、この館が企画されたと思いたいし、また同じ海辺や港を持つにしても、大阪は歴史から言えば圧倒的に古く、また重要であったから、そうしたことを紹介するだけでも意義ある展示が可能だ。ただし、そうしたことはパネル説明ではあまり伝わらない。伝わるとしても、初めて訪れた者の目には浪華丸など、ほかの物が印象的だ。そのため、数回は訪れた方がよい。それほどに全部の展示をじっくり見るのに時間がかかる。そしてそれだけで見ても、満腹したという気分にはならないのではないか。それは展示物の種類が多過ぎるからであり、またこのことはもっと展示すべきものがほかにいくらでもあることであり、全体にまとまりのなさを感じさせる。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その2_d0053294_1471537.jpg

 さて、昨夜載せた写真の説明からしておく。最初の写真は地下鉄中央線のコスモスクエア駅で降りてすぐの海辺だ。次のトレードセンター前駅で下車してもよい。最初のパノラマ写真の右側には赤い鉄骨のキリン状クレーンが並ぶ。その向こうに神戸方面の六甲山系が見える。階段を下りたところが板張りで、それがこの館まで真っ直ぐに続いている。距離は600メートルほどだ。2枚目のパノラマ写真からは、海岸から向こう岸の左端に、以前このブログで紹介した舞洲のゴミ焼却施設の煙突が見える。右端には赤と青のタイルの海遊館、そしてその右隣りにサントリー・ミュージアムがある。板張りの遊歩道を行くと、半円球のガラスのドームに至る。どこが玄関かわからず、ドームを囲む板張りを半周ほどした。すると、海の下にそのドームにつながる直線の太い管が見えた。それが出入り口のようだ。それでドームを囲む板張りの始発点まで戻り、数メートルほど階段を上って陸に出た。鉄筋コンクリートの柱が並ぶ、湾曲した回廊があって、そのすぐ奥に低い建物の内部が見えた。その建物に展示はなかったと思う。若い女性がカウンターに座っていた。当日は入場無料であるから、チケットを買う必要はない。仕切りを越えて進むとエレベーターがあって、それで地下に行った。海底だ。扉が開くと、まず真っ暗の部屋があった。その中央に、スポットライトで照らされた陶磁製の異様な形の船のオブジェが1点だけ展示してあった。まず現代芸術を見せようということで、これはなかなかよい。部屋を過ぎると半円級のドーム展示場につながるトンネル状の通路だ。それを進む。天井にはいくつかガラスの円形窓があって、見上げると魚の姿がたまに見えた。水族館的な趣向で、これも面白い。筆者はしばらくこれを見た。帰りも同じようにして写真を何枚か撮ったが、館内に入る前に撮った最初のものが一番よかった。昨夜はそれを最後に掲げた。今日はドーム内の船首飾りの彫刻だ。これをたぶん漏れなく撮った。海運が盛んな国から集められたもので、国柄が出ている。船の飾りとしては最も目立つもので、それだけに美意識が高い。これは飾りではあるが、船の安泰を願った呪いとしての意味が大きい。飾りは最初はそういう意図があった。それが物質社会の度合いが強まるにしたがって、単なる遊びの具となった。物が溢れるわが家は、呪術的なこととは全く無縁で、遊びの過ぎる普段着もいいところの空間になっている。そうした考えはこの館の展示にもある。船首飾りとは別の場所であったが、ヤノベケンジが作った赤い目のドラゴンのロボットに出会った。その写真を今日は最後に載せる。この金属の大きな作品は、特に児童には人気があるだろう。芸術として見るか、娯楽として見るか、ともかくこの彫刻がここに展示されるのは製作の経緯からしてふさわしい。またこのような作品が展示されるところ、今後展示は増加して行くはずで、そのための場所はまだまだある。このドラゴンは2,3年前、堂島川か大川での祭典に登場し、筆者も見た。その写真をこのブログに載せた気がするが、明日調べることにしよう。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その2_d0053294_1473239.jpg

by uuuzen | 2013-02-05 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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