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●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その1
水してしまう地域が半分は占めるような南海大地震とのことで、大阪の有名な地下街はみなその被害を受ける。となれば、地下に高速道路を走らせるより、頭上高くの方がよいことになる。



そのことを考えて阪神高速道路をビルの高さくらいにしたわけでもあるまいが、津波の被害は受けにくいのは確かだ。瀬戸内海に面する大阪湾は、和歌山の南方に大きな地震が発生しても津波はさほど高くならないと思っていた。それがそうでもないらしい。2年前の東北大地震以降、地震の被害を過小に想定しないようになった。それもあって敦賀の原発の下に断層が走っているかいないかの騒ぎは、土俵際でうっちゃり逆転のような雰囲気で断層とみなされるという考えに至った。そうなれば敦賀から原発がなくなり、その稼働分をどこかが何かの形で負担するか、電気代を上げることになる。世界的に見て電気を使い過ぎている日本はこの際、省エネ意識がますます徹底してかえっていいのではないだろうか。話は変わる。ドイツが東北大震災以降に原発全廃を決めた。それはスイスなど隣国の原発による電力を買うことが出来るからだということを、正月の談笑の中で聞いた。筆者はそのことを知らなかった。原発を廃止すればどこかから電力を賄う必要がある。急に他の発電方法に転換することは無理であるから、隣国から買うのは実際的だろう。ドイツがそのことを今後もずっとし続けるのはどうかは知らない。まずは当分の間で、やがて自国が消費する分はどうにか自国内の発電に頼るのではないだろうか。日本は隣国が地続きではない。そのため、原発が減少すれば原油をタンカーで買わねばならない。それは原油産出国から足元を見られ、世界的にも割高な料金を吹っかけられるとTVで聞いた。それが事実かどうかはわからない。そういうことは当然あるだろうが、そうならないように外交を一方でしているはずで、していないのであれば政府は怠慢だ。それはいいとして、同じ理屈で言えば、ドイツが原発の稼働を全部やめると、隣国はドイツに電力を割高で売るはずだ。そうなっているのかどうかは知らないが、その可能性が大であっても原発を全廃するのは、日本とは腹のくくり方がそうとう違うのではないか。外国から電力を割高で買うとしても、自国民を放射能の危険から守るという考えはごくまともだ。日本はそうなっておらず、自国民より自国だ。これは金持ちだけが生き残ればいいという思いだ。そして、放射能は多少は健康に全く影響がないといった情報をマスコミを使って繰り返し流し、国民を洗脳する。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その1_d0053294_16485235.jpg
 南海大地震はいつ起こっても不思議ではないとされる。そしてそうなれば大阪の繁華街は津波に襲われる。それを想像したCGが完成していてTVで何度か見たことがある。津波の被害は大阪西部から順に生じる。高さ10メートル級のものがやって来ると、水没してしまう施設が多い。水没だけならいいが、船がどんどん陸に上がって来て、それが建物を壊す。東北大震災で見た光景だ。そこで改めて大阪市内の大半は海抜が低く、西へ西へと埋め立てて土地を増やして来た都市であることを思う。上町台地という言葉を小学生で習ったが、当時は大阪市内の各地を知らず、その具体的なイメージが把握出来なかった。台地であるから津波が襲来しても安全だ。そういうことを昔の人は知っていて、寺など重要な建物を台地に築いたのであろう。大阪に大津波がやって来て大きな被害が出た記録は当然あって、石碑まで建っているが、何でも喉元過ぎればであって、100年もすれば昔の被害を忘れる。そしてまたどんどん海を埋め立てて便利さを謳歌する。東北大地震で津波が襲った地域もそのようにして大勢の人が住んだ。今は津波で街並みが見えたところも、100年後はまた元に戻っているはずだ。1000年に一回それが全滅するなら、それはやって来ないも同然だ。津波に全部持って行かれても、元どおりにするのに数十年もかからない。1000年と数十年では誰でも数十年を取る。つまり、1000年に一度の大津波の被害は仕方がない。それを教訓として二度と同じ場所に住まないとは考えず、むしろ以前に増して海を埋め立て、そこに住む。それは経済を考えてのことだ。世の中は自然災害の危険度よりも、快適さや経済性が優先される。そのことで仮に大地震、大津波によって殺されても、それは最初からリスクとして折りこみ済みであると考える。本当は人災であっても、それを自然災害と思わせられるのだ。人災というのは、誰かが犠牲になり、その陰で誰かが甘い汁を吸うことだ。そのことは犠牲者には知らされず、天災であるから我慢しろと言われる。それでも天災はいつ起こるかわからず、また運悪くそのことで死ぬかもしれないから、天災と人災の絡まりは複雑で分離出来ない。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その1_d0053294_16492292.jpg
 去年秋の「関西文化の日」のほとんど最終日近い頃に、5,6年前から気になっていた施設「なにわの海の時空館」にひとりで出かけた。思い切らないといつまでも行かない。入場無料という日に、また天気がとてもよかったこともあって大阪湾を臨む場所まで行った。この施設は橋下市長の歳出カットの考えによって閉鎖があり得ることを聞いた。筆者がこの施設の存在を知ったのはある人のブログだ。その人は二度訪れ、写真を載せていた。その写真の中にぜひとも見たい模型があった。それを見るために出かけた。去年の「関西文化の日」に訪れた施設の中では、ここが最も多くの写真を撮った。そのため、最後に取り上げようと考えた。つまり、この施設について書くことが、京都、大阪と順にあちこち巡ったことの感想の最後だ。写真が多いので、6,7回に分けて投稿する。今日はその第1日目だ。さて、大阪湾を見ることはそこから近い住民でない限り、大阪市内に住んでいる人でもめったに機会がないだろう。筆者はサントリー・ミュージアムがあった頃はよく出かけた。それが閉館になり、大阪市に建物が寄贈されてからは、一度も大阪湾を見ていなかった。それがこの「なにわの海の時空館」を訪れることで久しぶりに見ることになった。サントリー・ミュージアムは湾に面して全面ガラスの大きな展示室があった。そこからの見晴らしは、近景はあまりよいとは言えないが、遠景がよかった。その遠景の中の左端に「なにわの海の時空館」が見えていた。半円級のお椀を被せたような形をしているから、遠目にも目立った。当初何の施設かわからなかったが、前述のブログによって市立の建物であることを知った。サントリー・ミュージアムに行ったついでに足を延ばせばよかったものの、京都から電車を乗り継いではるばるサントリー・ミュージアムまでやって来て、その内部の展示を堪能すれば、また電車に乗ってさらに市内から外れた場所まで行く気にはとてもなれなかった。筆者は何事もついで主義だが、この施設に行った日は、ここだけを家から往復してほかに立ち寄らなかった。それは非常に珍しいことで、そのためにもたくさん写真を撮った。最初の写真はサントリー・ミュージアムの大ガラス窓から見えるのと同じ角度で、当然のことながら筆者の背後遠くに同館が見えていた。前に書いたように、遠くに見ている物をついに目の前で見、それと同時にその場所から遠くに元の物を眺めるのは何となく気分がよいが、目的をついに達成して何とはなくさびしい。遠くに見ている老いの境地に至って若い頃を思うこともそうだろう。そう考えると、遠くにあって手の届かないものがあることはかえって幸福かもしれない。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その1_d0053294_074536.jpg
 海沿いに建つので、南海大地震があれば跡形なく流されるに違いない。表面はガラスで出来ていて、少々の衝撃では割れないはずだが、船が衝突すればひとたまりもないだろう。この館の所蔵品に重文や国宝はないはずで、津波で流されてもさほどもったいないという思いは起こらないのではないか。こう書いてしまうと、いかにもつまらない施設で、見る価値がないかのようだが、京都国立博物館といった国宝が保存される施設と比べての話だ。また、この館の目玉は実物大に再現された菱垣廻船の「浪華丸」で、これは津波が襲っても海に浮かんでさして被害を受けないかもしれない。津波の被害を受けるかもしれないとの考えは建設前からあったはずで、津波は困るが、それに襲われてもよいような資料を中心にしたのではないか。そうでなければこの施設は上町台地に建てられたはずだ。ところがそこではこの施設の目的にあまりふさわしくないし、「浪華丸」を館内の中央に展示することもまず無理であった。ここはどうしても海辺である必要があり、津波が来てもいいような、一種仮設的な雰囲気が強い館となった。普段どれくらいの人が訪れているのか知らないが、筆者が入館している間、かなり大勢の親子連れなどの姿が見えた。だがそれは「関西文化の日」の無料公開を当てにした来訪がほとんどであったかもしれない。写真には撮って来なかったものとして、館内の太い柱や壁面などにとても目立った展示があった。画用紙に描かれた海に因む水彩画だ。市内の児童の作で、学校ごとにまとめて貼られていた。これが館内の印象をかなり雑然としたものにしていて、筆者は賛成しかねた。そのために撮影しなかった。恒久的な展示ではなく、せいぜい1年程度だと思うが、児童の絵を飾ることは、この施設を小学校の団体がよく訪れるためだろう。大阪の地理や歴史を知るうえではとても役立つ施設であるから、館は大いに市内の小学校、そして中学校にも宣伝していると想像する。では小中学生向きの館かと言えばそうではない。大人が見てわかる展示も多い。館が出来た当初はあまり小中学校の団体は見に来なかったのではあるまいか。入場者が伸びず、このままでは税金の無駄使いとされて閉館の憂き目を遭うという心配が出て来たので、どうにか団体客を誘致し、その人たちの口込みで評判を拡散させようと狙ったのであろう。大阪市内の小中学生がこの館を訪れてどのように大阪の歴史などに理解を深めるかはわからない。その成果が出るのは数十年先のことであり、こうした施設は儲からないからといって即座に閉館すべきではない。それが筆者の結論だが、次回からは館内の説明をしよう。
●大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館、その1_d0053294_082251.jpg

by uuuzen | 2013-02-04 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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