人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●『将軍の息子 3』
なかなかじっくり座ってTVを見る時間がない。韓国のTVドラマの『砂時計』のビデオを妹から借りてあるが、もう10日以上になるのにまだ全然観ていない。全何話だったか、とにかく長いドラマで、よけいに観始めるのに勇気のようなものがいる。



そうこうしているうちに、今日は東京から『悲しき恋歌』のビデオも届いた。こうたくさん手元にあると、なおさら敬遠してしまう。韓国ドラマは一旦観始めたならば、そのままずんずんと数日で観終えてしまわないと落ち着かないから、仕事などが詰まっている時は観てはならない。この『将軍の息子 3』も録画したのはいいが、しばらくそのまま放っておいた。だが、TVドラマと違って2時間もあればいいから、まだ観る気になりやすい。そして、観たが、すぐには感想を書かないでおいた。だが、このままずるずると感想を書かないでおくと、そのうちすっかり内容も忘れてしまうので、今日は書くことに決めた。さて、この映画は最初の1作目から監督はシリーズ化することを念頭に置いていたはずだと前に書いたが、その後ネットで調べると、それは間違いであることがわかった。監督は原作本を読んで、1本だけを構想したという。それほどヒットするとは思わなかったのだろう。1作目は前にも書いたが、最後になって主人公が抗日運動家の金佐鎮の息子であると、大怪我をしたキワニ兄貴分から明かされる。それがあまりにも取ってつけたような筋立てで、全くの蛇足に思えたが、映画の題名がそもそも『将軍の息子』であるから、どうにか映画の中でそれを表現する必要がある。また、無学で貧乏でヤクザにしかなりようがないような不幸な青年でも、実際は将軍の息子であったという設定にしなければ、朝鮮、中国、日本のヤクザ間の闘争を中心に描く映画であっても、格好がつかないと思っているようなところは、よい家柄を重んじる韓国人の思想を説明するものと考えられもするが、娯楽映画として見た場合、主人公を将軍の息子であるとする設定は不要に思える。どうしようもない無学で卑劣な親から生まれた捨て子がヤクザの親分としてのし上がる話であっても、それはそれで面白いと思うが、韓国ではそれは下品な設定と映るのかもしれない。ここに、この映画から垣間見える現代韓国の特徴的な人々の意識があらわになっているかもしれない。実際問題として将軍の息子である人はごくごく少ないわけで、そんな少数の人間が親分になって行く話であれば、大多数の凡人の息子は何だか浮かぶ瀬がない。したがって、この映画は実話にしたがっているとはいえ、『将軍の息子』というタイトルは物語の内容とはほとんど無関係で、あまりよいものとは言えない。
 3本作られたうちの2本目はどういうわけか放送されなかったので、1作目から3作目を観て話がわかるかと少し心配したが、各作品はそれなりに独立していて、2を観なくても3は楽しめる。ただし、2を観ているともっと3が面白いかもしれない。これまたネットで調べたところによると、2では将軍の息子であるキム・トハンは、負傷した子分のために治療費が必要となり、それを頭山満の会社である東洋貿易を襲撃するという話に展開するらしく、1本目でわずかに示唆された頭山満がここではもっと大きくかかわって来るところが見物のように思える。もちろん日本にいる頭山満が登場するわけではないから、あくまでも1本目と同じく林組との戦いという形が繰り返されるだけだ。1回しか観ていないので、はっきりしたセリフは忘れたが、なぜ独立運動に参加しないのかと、満州の逃れたトハンが現地で偶然出会ったトンヘに訊ね、それに対してトンヘは、「首まで裕福な生活に浸り切った自分には不向きだ」と言う下りがあった。そんな質問をするトハン自身がトンヘと同じ生活をしているのであるから、この場面に至って将軍の息子であるという本来の意味がすっかり欠落し、単なる本当のヤクザ・ドラマにすり変わっていることが宣言された形だ。つまり、2や3は『将軍の息子』という題名はふさわしくはない。日本ではヤクザ映画が一時期大いに評判を取ったが、韓国ではかなり遅れてヤクザの仁義を扱った映画やドラマが作られ、それがかなりの人気を博しているだろうことは想像がつく。そして日本のヤクザ映画とは違って、時代背景を日韓併合時代に設け、そこに抗日闘争を絡めると、日本でのヤクザ映画とは違って、大人から子どもまでかなり幅広い世代から指示されるであろうこともまた容易にわかる。この映画がそうしたヤクザ映画の先鞭をつけたかどうかは知らないが、この映画の大ヒットによって『野人時代』というTVドラマが生まれ、数年前に大ヒットしたそうだ。これは全124話というとんでもない長編で、映画では描かれなかったキム・トハンのその後の国会議員になってからの人生まで描かれていて、小説『将軍の息子』の全編がドラマ化されているかもしれない。
 この映画や『野人時代』は、「反日」の作品とネット上では書かれているが、「反日」という言葉が適切かどうかは疑問がある。「抗日」と言う方がふさわしいのではないか。ここで思い出すのは「日韓併合」という言葉だ。週間朝日百科『日本の歴史』によると、これは明治42(1909)年に閣議決定されたものだが、それまでは実際は「合邦」や「合併」が用いられていた。ところがこれでは『韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となるの意』と『その語調のあまりに過激ならざる文字』ということで、日韓両国の対等合併とか新国家建国とかに考える者があったにもかかわらず、「日韓併合」を使用することが決められたということだ。かつて「敗戦」を「終戦」と呼んでけしからんということもあったが、言葉ひとつで微妙に人に訴える内容が変化するので、流布している言葉をあまり意識せずに受け入れて使用することは考えものだ。「反日」は、反抗される方の日本に何の落ち度もないというように今の若い人に単純に意識されてしまう危険性があるから、ここは金佐鎮将軍の抗日運動を考えるならばやはり「抗日」がふさわしい。だが、ややこしいのは金佐鎮将軍はそうであったかもしれないが、その息子の人生を何十年も経った現在時点で描くとなると、「抗日」の言葉は古いものとして合わない。そこでやはり「反日」となるのかもしれない。だが、映画を観てわかるように、「反日」のプロパガンダのためにこの作品が機能しているとは全然思えないし、日本がことさら滑稽で悪役に描かれていることもない。それゆえよけいに「反日」の作品と呼ぶことには抵抗がある。そうした色眼鏡でこの映画を観てしまうと、今度は無意識のうちに「反韓」の意識が芽生えそうな気もするからだ。そういうことになるのがこの映画の目的ではないだろう。日韓併合時のことを韓国側から眺めたドラマに対して、今度は同じように日本側から見た作品が大いに作られるべきではないかと思う。だが、前にも書いたように、日韓併合のソウルを舞台にして日本がどのようなドラマを作れるかは、今の日本の外交あるいは、義務教育での歴史授業を見る限り、さっぱり期待出来ないのは明白だ。むしろ日韓併合時代に政治、経済、文化的にソウルでどのような動きがあったかの詳細な事柄は一切明らかにしないでおこうという思惑すら感じられる。それは、ソウルでのことは韓国に任せておけばよいというつもりなのかもしれないが、日本人が大勢住んでいた事実を思えば、日韓併合時のソウルは日本の問題でもある。そこに何ら注目しないで、たとえばこの映画を『野人時代』を「反日」とひとくくりにしてしまっていいものだろうか。
 日韓併合時のソウルでただちに思うのは、たとえば柳宗悦の行動だが、韓国では文化相の発案で柳が死んでこの世にいないにもかかわらず勲章を与えて讃えているの対し、日本ではどういうわけか柳の日韓併合時の発言や行動がごく少数の人にしか知られていない。当然、教科書でも教えない。韓国から見れば屈辱的な時代であった日韓併合時代にも韓国文化に理解を示してその保存に奔走した人物がいたという事実を、韓国は国家として正式に認めて感謝しているのに、日本ではすっかり無視を決め込んでいるのは、その裏に何か触られたくない事情があるのだろうと勘繰ってしまいたくなるものすらある。それは日韓併合が恫喝やら買収によって強引に日本が推し進めたという後ろめたさのようなものを感じているからかもしれないが、併合時代に日本が完全に悪人ばかりであったはずもなく、両国で歴史を突き合わせて、もっと正当に評価出来るものは、それはそれとして合意すべきと思う。伊藤博文の1000円札が夏目漱石に変わったのはいつのことか忘れたが、日韓併合時代の初代の総督の博文を撃った人物は日本では単なるゴロツキ扱いであったのが、韓国では英雄であるとされる。国が変われば歴史が異なることの最もよい例だが、日本としてはさすがに伊藤博文の1000円札をいつまでも使うのはまずいと思ったのかもしれない。実際は日本は日韓併合の功績を讃えるために伊藤博文を紙幣のデザインに使用したつもりは全くないはずだが、何事も相手がいるのが外交であり、妙な誤解を招くようであれば、わざわざその危険を冒すこともない。文化人が紙幣の顔になる方がはるかによい。日本の内政に口出しするなという意見があるが、どこまでが内政であるかの線引きは人によって考えが違うし、周辺国に不快感を与えるのであれば、それは極力避けるべきではないか。ただし、この映画、あるいは『野人時代』がいみじくも示しているように、どの国もインテリからヤクザまでさまざまな人間がいて、国家権力のある部分にはかなり暴力的な人間が関係している。歴史に名前を残す偉大な政治家も、言葉は悪いがヤクザのトップといってよいようなもので、国家外交というものが、あらゆる汚い手段の駆使が裏や表にあって成り立っているものであることは、大人になってさまざまなことを知るとよく見えて来る。清廉潔白な人間ばかりでは国は動かないのだ。それゆえ、逆にまたこの映画が日韓併合時代のヤクザを扱ったドラマではあるが、政治闘争にそのまま置き換えて見ることも出来るという考えも出来る。となれば、「抗日」から「反日」へするりと変換もするし、この映画を歓迎した人々はそうした二重の面白さを見ていたのかもしれない。
 3作目となると、日本人のキモノ姿のおかしさも大分解消されていたし、1作目以上に日本人がよく登場し、なかなか面白いエピソードも多かった。登場する日本人は相変わらず韓国人が演じていたようだが、特徴をよくつかんでいて滑稽さはあまり感じなかった。部屋にかかっている掛軸や襖絵など、安っぽさがあちこち感じられるのは仕方のない話で、これは金のかけようと、日本が映画作りに参加していないことが関係している。だが、日本特有の家屋や、鐘路を走る市電などの登場はよい。これはみな撮影所内のセットだが、かなりお金がかけられている。このセットを転用して『野人時代』も作られたのであろうが、ソウルにおける日本的なるものがどのように保存されているのかいないのか、そうしたことにも興味が湧く。1作目もそうであったが、キム・トハンと恋仲になる女性が登場し、際どいベッド・シーンもある。今回はそれが歌手であったのが面白い設定であった。その美人歌手に惚れ、日本まで連れて行ってレコーディングさせようとする憲兵の中尉が登場する。どこか不気味な存在で、それは憲兵であれば当然だが、悪役としては描かれていなかった点がよい。それは1作目でも登場した丸岡警部という柔道師範も同じだ。男っぷりがよければ日本韓国を問わずに一肌脱ぐという、義兄弟の契りを交わすような人物が登場するのは、ヤクザ映画の基本であろうが、実際の日韓併合時代でもそうしたことがあったことをうかがわせて映画に深みを与えている。「日本=悪役」という紋切り型の描写では、映画としては結局は失敗するだろう。国を越えた人間同士という見方がいつの時代でも出来るものであるということを、韓国人も日本人も知らないはずはないからだ。1作目で登場した林組の親分はついにこの映画の最後でキム・トハンと一騎討ちになる。そして林の腹心であったキム・トンヘはやはり同じ民族のトハンの味方をし、林を裏切ることになる。トハンと相討ちになって重症を負った林に謝るトンヘだが、林は自分もお前の立場であったなら同じことをしたと、トンヘの行動に理解を示す。ここでも林は完全な悪役としては描かれていない。「日本=悪役」、つまり「反日」という単純な物語ではないことがこうしたことからもわかる。話は前後するが、トンヘは満州に逃れて行って、そこでトハンと出会うが、トンヘは入手した阿片をどこで捌くかを考え、結局馬賊の縄張りを侵してひどい目に遇わされる。当時、阿片禍は日本には入って来なかったが、日本は中国での阿片禍の広がりに対する加害者となった。もちろんそんな事情は描かれないが、阿片がちらりと登場することで、なおさらこの映画の国際的な舞台性が感じられる。本当かどうかわからないが、阿片は馬賊が専門に扱う商品であることをこの映画で初めて知った。蛇足かもしれないが、昨日書いたフィニ展の会場最後に掲げられていた作品は、若い中国人が横たわって阿片を吸飲している姿を描いた絵であった。それは他の作品とは題材的にかなり毛並みが変わっていて、妙に印象に残った。フィニには阿片への憧れがあったのであろうか。それにしても、どんな土地にもそれなりにヤクザは生きているものと思わせられるが、この映画で描写される時代のそれぞれの国のヤクザの質や事情は全然異なっていたはずで、そこがもっと詳しく描写されれば面白いが、単に利権争いの集団闘争としての面のみ強調されているのがやや白ける。また、中国ヤクザ=馬賊の単純化の描写も誤解を与えかねないが、馬賊側から見たこの当時のドラマも当然制作され得るはずで、それはそれとして待つしかない。いずれにしても、ソウルから満州の諸都市を股にかけたトハンの物語は、1作目以上に国際的で面白い。だが、2、3作目と続けば観客動員も減少するのは自然で、この3作目も1作目以上の斬新さや意外な話の流れはない。
by uuuzen | 2005-09-13 23:57 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
●『レオノール・フィニ展』 >> << ●『パリ・モダン』

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?