畳と女房は新しいほうがよいという言葉を聞いたのは子どもの頃だった。畳はわかるとして、女房はひどいと思った。この表現は、畳と女房以外は新しくなくてもよいという考えが支配的であったからだろうか。
古いものが家の中にあるのはどこの家庭でも同じで、別段古さに恥じる思いはたいていの人にはなかったのではあるまいか。もちろん、つぎはぎだらけの衣服や靴は別の話で、古さにも程度はあった。それが高度成長期に入り、大量に物が作られると、新品を買うことに感激が薄らいで行った。電化製品は7,8年がとても古くなって買い代える必要があるし、古着というほど着ていない服が誰でもそれなりに持っていて昭和30年代からすればまだ新品同様のものをさっさと古着として処分する。日本の電化製品や車、衣服が外国に持って行かれ、そこで第2の人生を歩んでいる様子がたまにTVで紹介される。そうした映像を見ながら、日本人は金持ちであるという自尊心をくすぐられるだろう。一方、そうした古いが、まだまだ使用に耐える消費財をリサイクルして使う国の人々は、日本のことを不思議に思い、黄金の国というのは本当のことだと思うかもしれない。そんな物に溢れた日本が折りに触れて昭和30年代を懐かしみで回顧するのはなぜか。当時でも物は多かったが、現在ほどではなく、新しい物を買うことに喜びがあった。今でもそうと言えるが、昔ほどではない。ほしかった物を入手しても、その喜びは長く続かない。そして、また別の物をほしくなるが、内心そのことにうんざりもしている。物がどういう感動をもたらすかはだいたいわかっているからだ。そうなると、畳と女房は古いほうがよいといった気分にもなる。使い古したものはそれだけ生活をともにして来て愛着があるからだ。こうなると、ピカピカの新品ばかりに囲まれた空間と、古いものばかりの空間が等価値といったことにもなるし、場合によっては、古いものばかりがかえって高価につく。3日前の「その1」で書いた増田健一という昭和家電の収集家はそうだ。古いものに価値があることをもうそろそろ日本中が気づくべきだが、これは老朽化して使いものにならないインフラとは違う。古いことが価値を持つ場合だ。その最たるものは町並み、家並みだろう。一戸だけならあまり意味がない。それは他の新しい建物に囲まれてただみすぼらしく見える。もっとも、その家の大きななど、貫禄によるが。

「その1」に載せた写真は撮影順だ。まずエレベーターとエスカレーターを乗り継いでビルの上方へ行く。そこは吹き抜けとなっていて、1階分を抜いた天井の高さとなっている。まずガラス越しに江戸時代の大坂の家並みを見下ろすコーナーがある。そこでは落語家の桂米朝による5分程度の説明がエンドレスで流れている。確か天保年間の様子を再現したものだ。写真は残っていないから、そういう建築や町並みに詳しい学者の意見を参考に、大工が集まって作った。雨ざらしでないので朽ちる速度はとても遅い。それでは雰囲気が出ないので、色を塗るなどして古ぼけた味わいを出した。そうした製作風景の様子は別室だったか、1階下のフロアだったか忘れたが、ビデオで紹介されていた。大工たちにとってはまたとない、そして自分の造ったものがほとんど新品のままで半永久的に保存されることを嬉しく思ったであろう。だが、ビルの寿命がある。この施設のためにビルを建てたのではなく、ほかの階には別の目的で使用しているから、竣工がいつなのか知らないが、吹き抜けの階を設けてあるところ、やはりこの施設が主な目的で建てたのかもしれない。ともかく、半永久ではない。となれば、ビルの建て替えまでの寿命か。それではかえって青空の下に建築した方がよかったかもしれない。大阪市内には今でも築100年以上の木造住宅はあちこちにある。「その1」にも書いたように、こうした施設は儲からないとなれば閉鎖の憂き目を見る。そうなればビルの寿命より早く内部の展示は撤去だ。そして別の展示場があるかとなると、建物は移築するより新たに建てた方が安いであろうし、結局は取り壊しだろう。なので、今のうちに興味を持った人は見ておくとよい。この施設はテーマ・パークであり、子どもも大いに楽しめると思う。そのためには、今あるグッズ・コーナーをもっと拡張し、また昭和の食べ物を出す食堂コーナーを作ることだ。筆者らが訪れた時、中央の道の右側手前の家屋を利用してぜんざいや甘酒を老人たちが販売していた。200円程度と安かったので早速注文した。江戸時代を再現した家の中で食べるのであるから、雰囲気はそれなりにある。老人たちはボランティアであったと思う。この施設に愛着があって土日はそうしたちょっとした食べ物を供しているようだ。通りを挟んで両脇に店が何軒建っているだろう。呉服屋、人形屋、本屋など、当時を代表する商売だ。看板や商品を並べる部屋を再現しているが、完璧とは言えないのは仕方がない。たとえば、土人形を売る店があった。そこに並ぶのは現代の作で、色合いがどぎつい。しかも大阪であるのに伏見人形がかなり混じっていた。ここは郷土玩具の研究家を動員して大阪の当時の玩具を並べるべきであったろう。大阪にもさまざまな土人形がある。このように、見る専門家によっては納得し難い部分はあちこちあると思うが、テーマ・パークであって厳密な研究の成果を見せる博物館ではない。とはいえ、「住まいのミュージアム」と命名されてはいる。専門家ばかりが来るとは限らず、大多数は異空間の楽しみを求めてやって来る。小さな個々の物よりも、町並み全体の雰囲気の方が大事なのだ。その気になれば玩具の店の陳列はいつでも昔の大坂らしいものに変えることは出来るが、人間が住むことの出来る家屋はそういうわけには行かない。主役は建物だ。

そう思いながら、やって来た人はあちこち細部に目を向ける。またそういう趣向が凝らされている。たとえば野良猫や野良犬だ。それらは最初に見た時は本物かと思った。そういう遊び心が随所に見られることがよい。こういうテーマ・パークでは、観客は積極的な参加を求めがちだ。その工夫は前述のぜんざいや甘酒を内部で食させることや、またキモノを無料で貸してくれて着付けもしてくれる。これは若者に人気だ。別世界に入ったことをなお強く味わうには、その世界に見合う衣服をまとうべきだ。京都は街全体にキモノを着た人を増やしたいと考えていて、行楽季節にはキモノ着用者にはさまざまな特典が用意されている。残念ながら、大阪は京都のような古き町並みの風情はほとんど残っていない。そこでこの施設の意義もある。昭和ならまだあちこちに濃厚に空気が漂っているが、江戸時代となればどこにもない。そのことを惜しんだのであろうか。京都にないものを大阪が作るべきで、「関西文化の日」に因んで言えば、関西が一丸となって補完的に文化施設を運営すべきだ。そのようになっているとは思うが、大阪の財政悪化が大きな問題で、半永久どころか20年そこらで閉館になる場合がある。先ごろ亡くなった藤本義一は数年前に橋下知事に文化に投ずる金を削るなと直談判に行った。その様子がTVで紹介された。藤本は落胆した様子で会談を終え、橋下の決意に半ば呆れ顔で反応していた。橋下が藤本に言ったのは、藤本さんが代わって知事をやればわかるといったことであった。大阪の財政が驚嘆すべき最悪状態にある中、文化だけが重視されていいのはよくないという考えだ。これはもっともなことだが、大阪は豊かな財政の時代でもそんなに文化に金を使わなかった。藤本はもう少し橋下が話のわかる男と思って出かけたのはTVでの表情からわかった。ところがすげなく断られ、取りつく島がなかった。そのことにもう自分の出る幕はないと思ったのかどうか、久しぶりにTVに登場した藤本はその後また出なくなり、そしてそのまま死んだ。藤本は昭和の人だ。もう昭和は遠いのだ。ついでに書いておくと、同じような大阪の施設に「リバティおおさか大阪人権博物館」がある。ここには出来て間もない頃に二度訪れた。大正区と思っていたが、今調べると浪速区だ。また、筆者の記憶とは違う建物だが、水平社に関する展示があるので、ここだろう。あるいは、似た施設に「ピースおおさか大阪国際平和センター」がある。ここにも水平社の旗などの展示があることをTVで知った。橋下はこの施設の展示のまずさを指摘し、また小学生に同和問題をあえて示す必要はないと言って財政援助を拒否したようだ。同和地区出身の橋下がこの施設のそうした展示に意見するのは公平と見られるだろう。「ピースおおさか」には行ったことがないが、一度行くと充分と思わせる施設は生き残りが難しい。リピーターをいかに増やすかは、たまに斬新な切り口の企画展が欠かせない。その意味で入場者数の増加を各館が真剣に模索し、税金の投入をなるべく最小限に抑えることは当然であろう。だが、それと同時に行なうべきことは、そのほかの歳出に無駄がないかどうかだ。「リバティおおさか」や「ピースおおさか」にはそれなりに重要な収蔵品があるから、館が財政問題から閉鎖になれば、もう二度と同様の施設は出来ないだろう。そのことは「住まいのミュージアム」にも言える。