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●「PADAM…PADAM」
を歌うピアフ。ついこんな文句を思い浮かべる。筆者が12,3年前に買った2枚組のベスト・アルバムの解説を先ほどまた読んだ。そこに「20世紀最大のシャンソン歌手」と書いてある。彼女の歌を聴いて感動したことがない人にはこれはわからない。



●「PADAM…PADAM」_d0053294_2154725.jpgそういう筆者もCDを買うまでは「愛の讃歌」や「バラ色の人生」程度しか知らなかった。知っていたというのは、どういうメロディで、だいたいどんな声であるかだ。中学生でビートルズを聴き始めて以降、楽しむ音楽はロックか、あるいは20頃から聴き始めたクラシック音楽で、シャンソンは縁がなかった。CD時代になると、今までに知らなかった、また聴かなかった音楽を聴いてみる気になった。今でこそCDはいとも簡単に入手出来るが、1960年代は中古レコード屋というものがなく、流行を過ぎた音楽のレコードの入手が難しかった。レンタル・レコード店が登場したのは70年代後半ではないだろうか。その頃には中古レコード店も増え始めたが、レコードは中古でも高価であった。筆者が設計会社に勤務し始めた頃の給料がいくらであったか記憶がないが、レコードは月に2,3枚買うのがやっとであった。今では聴く時間がないほどにセットもののCDは安価であるし、無数に発売される。音楽ファンにとっては夢のような時代になった。これほど手軽に思いつく限りの音楽をよい音で聴くことになるとは、60年代にはとても想像出来なかった。昨日書いたように、現在の便利で清潔な生活に慣れた者は60年代を懐かしく思うが、実際にその時代に住むとなるととても耐えられないという意見がある。そのことには全面的に賛同しないが、多様な音楽に簡便に接することが出来ることだけは譲れない。もっとも、それは経済力の問題かもしれない。60年代でも金持ちは2000や3000枚のLPを持っていたはずで、世界中のあらゆる地域、あらゆる時代の音楽を書斎にいながらにして聴く人があったろう。その王様のような立場が今ではごく普通の人が享受出来る。レコードに比べ、CDは20分の1ほどの価格とはいえ、それでも枚数が増えると出費が嵩むから、やはり多くの音楽を聴くには経済力という意見があるだろう。ところが、ネットのYOUTUBEではあらゆる音楽が投稿されていて、無料で終日BGMのように楽しむことが出来る。金よりも時間なのだ。関心がありさえすれば、今ではどんな珍しい音楽でも手が届く。
 その関心だが、60年代と比べて音楽の量は膨大となった。そのため、おおげさに言えば、選択肢が増えた分、ある曲を昔のように繰り返し聴くことがなくなった。あれこれといい音楽が増えたのはいいが、接する態度は希薄になったのではないか。これが進むと、いくら周囲に音楽があっても、無関心となる確率が増える。筆者の周りには60、70の年齢になってもレコードやCDを1枚も買ったことがなく、また美術展にも行ったことがない人がある。だが、そんな人の方が多いのではないか。趣味が違うと言ってしまえばそうなのだが、せっかく周囲にいい音楽や絵画があるというのに、そこに目を向けない。これは音楽や美術は人間の生活上、必需のものではないからだ。では何が必要か。衣食住がまず肝心と言うだろう。だが、これらも美が関係している。どんなに無学な人でも美しい衣服とそうでないものとの差はわかる。となれば、意識しなくても美は生活のあらゆるところに及んでいることがわかるはずで、そこからその美をもっと追究して行けばどうなるかと考えないだろうか。ま、それはいい。別の話をしよう。今日はエディット・ピアフの曲を取り上げるが、ピアフは「雀」の意味だ。誰にでも親しみのある鳥を芸名にしたのは暗示的だ。この名前のとおり、ピアフは世界的に有名な歌手になった。ピアフで思い出すのは美空ひばりだ。雲雀の方が雀より美しくさえずるので、「美空ひばり」という芸名はえらく大きく出たものだ。ちなみにピアフは1915年、ひばりは37年生まれで22歳の差がある。ひばりが「ひばり」と名乗るのは48年のことで、当時ピアフは世界中に知られて2年経っていた。このことから、「ひばり」はピアフの「雀」の影響を受けたのではないかと思う。ピアフの曲は世界中で歌われるのにひばりの曲がそうでないのは、才能の差というよりも、日本の歌が世界に出にくいからだろう。また、ピアフは作詞作曲をしたが、ひばりはそうではなかった(と思う)。またピアフはより激動の時代に生き、直接的に多くの才能を育てたが、ひばりは後の歌手に影響を多大に与えたものの、その人生はピアフほどに恋愛が多彩でもなく、ドラマティックとは言えない。
 筆者が所有する2枚組CDの解説は永田文夫という人が書いていて、これがすっきりしてわかりやすい。波乱万丈とはピアフのような人のことを言うのだなと感心させられる。全文を引用したいほどだが、ネットでも情報は得られる。簡単に書いておくと、イヴ・モンタンをムーラン・ルージュの舞台で知ったピアフは「バラ色の人生」を作詞する。本当は作曲もしたらしいが、当時は音楽著作権協会の作曲の試験に受かっていなかったので登録出来なかった。イヴ・モンタンはピアフより6歳下で、「バラ色の人生」はピアフ30歳の作品だ。他人がまず45年に歌って大ヒットし、ピアフは翌年に録音した。2枚組CDは録音順に収録されていて、この曲が最初にある。47年にピアフはアメリカ公演を行ない、マルセル・セルダンという、フランス領であったアルジェリア生まれのボクサーと出会って恋に落ちた。解説には「彼に対する愛情は、かず多い彼女の恋愛遍歴の中でも、最も激しく真剣なものでしたが、1949年10月28日、セルダンは飛行機事故に遭って急死し、この恋は悲劇的な結末を迎えました。一時は死を想いつめ、降霊術に救いを求めたピアフが、そのような状況の下で作詞したのが、あの不滅の名歌「愛の讃歌」だったのです。」とある。今日はこの曲を取り上げようかと少し迷った。「愛の讃歌」は日本でも大ヒットした。筆者が聴き馴染んだのは、アメリカの女性歌手ブレンダ・リーのヴァージョンだ。63年発表で、英語で歌う。日本のTV番組でも何度か見たことがある。パンチの利いたその歌声は弘田三枝子と通ずるものがある。ブレンダ・リーの「愛の讃歌」のほかに越路吹雪も歌ったが、筆者が越路のヴァージョンを聴いたのは60年代終わり頃だったと思う。これはどうでもいいことだが、ビートルズの日本盤LPの中袋には東芝音楽工業が抱える歌手のLPジャケットが裏表に整然とカラーで印刷されていて、その中に越路のものが2,3枚あった。どれもジャケットに文字がなく、顔だけで彼女とわかるというジャケット・デザイナーの思いで、このセンスは時代の先端を行っていた。ただし、日本ではジャケットに文字がなくても、帯が必ずつくので、それで誰の何のアルバムかはわかった。「愛の讃歌」でもうひとつ思い出すのは美輪明宏だ。彼は越路吹雪が謳う岩谷時子の温和な意訳が気に入らなかったようで、自分で辞書片手に訳して歌った。ピアフの歌詞はとても激しいもので、愛の重さは地球以上といった趣がある。これをあまりにおおげさで理解不能でお笑い事といったようなことを書いている人がネットにある。ピアフの時代にも同じ考えの人はいたろう。筆者は歌詞を読みながら、胸が熱くなり、涙がいつも滲む。これ以上の感動的な歌詞はない。まさに「愛の讃歌」で、これを笑う人は憐れだ。本当の女の愛というものを知らない。ピアフがこの曲の歌詞で言っていることは、アダムとイヴのような原始的人間の愛だ。国家や友情や道徳などを作る以前、男女はもっと本能的に愛し合ったはずで、そういう愛をピアフは理想としている。愛する者がありさえすれば地球がひっくり返ってもかまわないという純粋さだ。誰でもそんなことを神や仏の前で誓って結婚するであろうし、この曲の歌詞はごくまともなことを歌っている。前述のように、最愛の男を不慮の事故で突然失ったピアフが、それを乗り越えるために書いたから、歌詞が持つ深みは尋常ではない。ブレンダ・リーが歌う英語の歌詞は、ピアフのものと違って岩谷時子の訳に近いものであろう。ピアフはそのことを否定しなかったと思う。愛の大切さが説かれさえすれば、細部の差はどうでもよかったに違いない。
 ピアフには名曲が多い。その中でどれか一曲となれば、今日取り上げる51年に録音された「パダン・パダン」だ。ピアフの曲は全体に音があまりよくないが、それでも他の者がカヴァーしても模倣出来ない魂がある。嬉しいことにYOUTUBEではステージでのこの曲の熱唱がアップされている。楽団の音を手振りで仕切り、また歌詞に合わせて両手を動かす様子はいかにも音楽家、芸人といったところで、飾りのない素朴な衣装もよい。シャンソンは語りから自然発生したような歌であるから、詩の朗詠に限りなく近い味わいがある。そのことに慣れればシャンソンの魅力がわかったことになる。「パダン・パダン」は擬音語で、トン、トンやパタン、パタンを思えばよい。カヴァーする歌手によっては「PADAM」とだけ表記する場合もある。以前にこのカテゴリーで取り上げたドイツのウテ・レンパーはそうしている。彼女のヴァージョンは筆者は大好きで、毎年秋から冬にかけてよく聴く。そうそう、先月下鴨にある波動スピーカーの試聴室を訪れるのに持参したCDが彼女のもので、もちろんこの曲をかけてもらった。雄大なオーケストレーションと張り上げる声はピアフのヴァージョンとは正反対のものだが、録音がよいのでスピーカーの性能を試すにはよい。話を戻して、この曲は題名の擬音語がそれこそ心臓の鼓動のように何度も繰り返されるのでメロディは覚えやすい。だが、歌詞は哲学的でもあって日本の歌謡曲ではまずあり得ない内容だ。ここに歌謡曲のつまらなさがあると言えるし、芸術の国フランスの厚みを思う。3分ほどの長さに人生の真理を圧縮して詰め込むと言えばよいか、シャンソンは人生を知り尽くした大人が味わうものだ。「PADAM」が何の音かだが、歌詞の最後に「木の心臓のような音」とある。これでは意味不明だが、歌詞を全部読んでもよくわからない。大野修平の訳で前半を引用する。「夜も昼もつきまとうあの一ふしは、昨日今日からのものじゃない。わたしの生まれたときと同じくらい遠い昔から、幾十万の音楽家に連れられてつきまとう。ある日わたしはこの一ふしに気が狂うだろう。その訳を言おうとあせっても、言葉さえ切られてしまうのだ。いつもそれはわたしより先にしゃべり、その声にわたしの声が消される。パダン、パダン、パダン、それはわたしを追いかけてくる。パダン、パダン、パダン、『覚えているか』とこづかれる。パダン、パダン、パダン、それはわたしを指さす。そしてわたしは後にひきずって行くのだ。変なまちがいのように、何でもちゃんと知っているこの一ふしを。」解説によれば歌詞はアンリ・コンテで、作曲がノルベール・グランズベールとなっているが、メロディは10年ほど前に出来上がっていて、それをピアフが「パダン、パダン」と口ずさんでいたと言う。となると、半分はピアフの作詞だ。また、アンリはピアフがなぜ「パダン、パダン」と歌うのかを訊ねて詩を仕上げたはずで、ピアフの人生観のようなものが投影されているだろう。日本でヒットしなかったのは、訳すことが難しかったからではないか。「愛の讃歌」のようにわかりやすい内容ではなく、それを無理して平易な内容にすれば原曲の持ち味を損なった。ところがメロディはとてもわかりやすいので、その一部をベギー葉山が歌う「学生時代」が引用したように想像する。「夢多かりしあの頃の」という部分の節回しは前述の引用の「そしてわたしは後にひきずって行くのだ。変なまちがいのように、」と同じと言ってよい。そういうことはよくあるので、目くじらを立てる必要はない。引用しながらよいものを生んで行けばよい。ただし、「パダン・パダン」を知ってしまうと、「学生時代」は貫禄が違い過ぎて聴く気になれない。ピアフは大道芸人と場末の歌手との間の子で、父とともに街頭に立って歌った。そういう芸人がやがて世界的に有名になるのは面白い。ピアフが死んだ報せを聞いてジャン・コクトーはその不世出の才能を惜しみ、そのショックがもとで4時間後に死んだという。コクトーの言うようにピアフを真似出来る歌手は今後生まれないだろう。
by uuuzen | 2013-01-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●大阪市立住まいのミュージアム... >> << ●『パダムパダム~彼と彼女の心...

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