牝鶏は卵を産む。人間で言えば女だ。それが風の中にいるという題名は、せせこましい鶏舎ではなく、野放しで養鶏している様子のドキュメンタリー映画かとも思ってしまうが、そうではない。小津安二郎が田中絹代を主役にして撮った映画で、製作完成は昭和23年9月だ。
戦後間もない頃の東京を舞台にしている。東京には土地勘がないので、とんちんかんなことを書くかもしれないが、映画の最後の方で特徴的なアーチ型の鉄橋がふたつ並んで見える土手が出て来る。それが千住大橋と白髭橋だと思うが、このふたつは隅田川に架かりながら、川が蛇行しているので、本作のようにふたつのアーチが左右に並んで1キロほど先に見える場所があるのかどうか定かではない。1948年は60数年前だ。ふたつの橋の周辺はおそらくすっかり変わり、またふたつの橋の間には新しい橋も出来た。土手はもともと見通しがよいイメージがあるし、筆者が3,4年前に
隅田川を徒歩でわたった時はかなり下流の清洲橋と新大橋であったが、それらの橋の上からの眺めは、本作の土手からおそらく上流を見わたして白髭橋や千住大橋を写し込んだ様子と大差ない。それほどに隅田川の幅は大きいし、また戦争直後から変わらないはずだ。本作では最初と最後に同じ数秒の映像が使用されている。厳密に言えば、最後の場面では遠くに紙芝居の集まりが見え、また野良犬が一匹こちらに向かって小さく走って来る様子が写り込んでいる点が違うが、小津は最初と最後を同じ場面にすることで何を言いたかったのかと思う。そこに映る最も目立つ物は大きくそびえるガス・タンクと、そのすぐ手前に建つ2棟の木造長屋だ。その塀沿いをふたりのモンペ姿の女性が荷を背にして画面奥に向かって並んで歩いて行く。ガス・タンクは同じ形ではないにしろ、今も千住大橋や白髭橋付近にあるので、この冒頭のごくわずかなカットだけで東京人ならば、だいたいどういう所得層の人が住むかがわかるのだろう。先に書いた土手の場面は、田中絹代演じる時子の夫の雨宮修二が復員して来て間もなく、妻が金のために一夜だけ体を売った売春宿を訪れ、妻が頻繁にそこで体を売ったのかどうか確かめる時に登場する。女将は誰かの紹介がなければ客を中に入れないようだが、修二は時子が紹介してもらった女の名を挙げて信用させる。中に入ってすぐに女将からどんな娘がいいのかと訊かれると、誰でもいいと無愛想に応え、そして20代前半の若い女がやって来る。修二は女を買うことが目的ではなかったので、金を置いてすぐに外に出る。そして隅田川沿いに行ってそこで休憩する。そこへ先の若い女がやって来て会話が始まる。その場面で背後にふたつの大きなアーチ橋が見える。つまり、千住大橋や白髭橋に近いところでは、小学校のすぐ裏手に売春宿があったという設定で、これは東京人ならよくわかる感覚であろう。そういう事情は半世紀ほどで変わるものではない。時子と修二が住む家はガス・タンクの真横の横丁で、ネットで調べると荒川区南千住三丁目とある。最寄の駅は常磐線の南千住で、隅田川右岸だ。売春宿の場所は、時子が修二の厳しい問い詰めに対し、終点で降りて左といったように語るが、この終点が何線かわからない。戦後すぐの頃は時子の住む地区のみが貧しかったのではないが、どこかがはっきりとわかるガス・タンクの真横の家としているところに、リアリズムを追求しようとの思いが見える。
小津がなぜ田中を起用したのだろう。この映画は新藤兼人の『小説 田中絹代』にわずかに触れられている。小津作品としては本人はあまり気に入っておらず、むしろなぜこんな作品を撮ったのかと思っていたようだ。「風の中の牝鶏」という題名がそもそもよくない。小津にすれば当時の小さな子を抱えた戦争未亡人ないし時子のように長年夫の復員を待っている女性に同情して、彼女らば厳しい風の中に曝されているとでも言いたかったのだろう。今とは違って女性の働き場所が極端に少なく、キモノや家財を売って食いつなぐことには限界もあった。確かに本作に登場する時子の友人の同世代の独身女性のように手に職を持っていればまだしもであったが、そうでない時子は数歳の子を抱え、優しい大家の2階に間借りしている状態で、子が発熱して病院に走らねばならないとなれば、先立つものに真っ先に困った。そして友人に相談せずに、かねてから誘われていた売春に走る。それは止むに止まれないことであって、時子は絶望のあまり、覚悟を決めた夜は泣き伏す。身を売った後、友人の女性にそのことを告げると、友人はなぜ相談してくれなかったのかと責める。ところが時子はその友人も生活がぎりぎりで、とても時子に貸す金がないことを知っている。時子のような女が当時は少なくなかったのだろう。それは戦争の被害者であって、間接的には本作は反戦映画の要素が濃い。戦争で生活がずたずたになりながらも懸命に生きる時子で、友人に話した時の友人の態度によって、自分が大きな過ちを犯したことを認める。それに息子は恢復して診療所を退院したので、まとまった金は必要ない。そうこうしている間に修二が復員して来る。それはちょうど映画の半ばだ。何年かぶりで会ったふたりだが、すぐに抱き合ってキスをするのでもなく、割合淡々としている。この様子を欧米人が見ればかなり奇異に思うのではないか。だが、日本はそれが常識であり、また60数年前は特にそうであった。修二は佐野周二が演じる。彼は田中相手にどういう演技をするかかなり難しかったのではないだろうか。というのは、妻が見知らぬ男に体を売り、それを知った後の態度の変わり具合と、時子に対する暴力だ。本作は田中の名優ぶりが納得出来るとされている。その名優ぶりは佐野の演技もあってのことだ。後半は本物の夫婦のように演技が肉薄している。詫びる一方の時子だが、辛いのは修二も同じで、その辛さの持って行きようがない。そして時子に当たってしまう。その描き方はかなり陰湿だが、そうなるのは理解出来る。今ならがこの夫婦はその出来事によって離婚するかもしれない。いや、本作でもそれは同じだが、売春宿に調べに行った後、もう一度怒りを時子に向かって炸裂させた後、修二は妻をいたわる。
その怒りの炸裂場面がとにかく凄まじい。本作はその一点で長らく記憶される。先に時子は2階に間借りしていると書いた。しつこいほどに本作は2階へ上がる階段を真正面から何度も捉える。それは小津の映像構成のこだわりで、またふく伏線にもなっている。男に体を売ったことを時子から聞かされた修二は、最初は怒りで物を投げる。それが階段を転がり落ちる場面がある。これも伏線だ。何の伏線かと言えば、後日もっと大きな出来事がある。修二は時子を階段のてっぺんから突き落とすのだ。その瞬間を部屋の中から真横に撮影し、次にカットが切り替わって時子が真っ逆さまになって階段をこちらに向かって転げ落ちて来る。今までは静けさを暗示させるために真正面から撮影されていた階段だが、それと全く同じフレームの中に田中絹代が転がり落ちて来るのであるから、度胆を抜かれる。部屋の中から真横に撮った場面では、田中は両手を空に挙げてのけぞりながら頭から下に落ちて行く様子が映る。これはスタントを雇わず、おそらく一発勝負で田中が体当たり的に演じたはずで、その度胸たるや男でも尻込みするものではないか。今ならCGで描くか、下に分厚いクッションを敷くが、本作ではまともに落ちる。もし頭を打っていたならば、その後の撮影は出来なかった。そういう危険な演技を小津が田中に命じたのはなぜだろう。田中しか了解しなかったからか。あるいは小津は田中の鼻をへし折ったり、また本当に名優と呼ばれるだけはあるのか、試したかったのだろうか。何となくそのあたりのことを想像すると、後味はよくない。階段に転がり落ちた後の田中は実際に足腰が痛かったはずで、そのままむっくりと起き上がって大家には不注意で落ちたと嘘を言い、また2階に上がって行く。その時の動きは演技とは思えない。実際に落ちてすぐその場面を撮ったのだろう。痛々しい時子を見て修二は謝らない。先に謝るのは時子だ。とにかく取り返しのつかないことを自分はしたのであるから、修二の気の済むようにしてほしいと言う。こういう健気が女性はそうはいないだろう。今まら警察を呼んで夫は暴力で逮捕されるかもしれない。いや、時子がもし失神して動けなくなったりすれば、それこそそういう事態になった。時子が階段を上り、言葉を発することが出来たことは修二にとっても運がよかった。この出来事の直後、修二はふたりで出直すことを妻に言う。その態度は、どういう理由であれ、妻がほかの男に抱かれたことを夫に対して清算するには、階段から突き落とされるほどの暴力を加えられねばならないという、当時の男社会を示していると言えそうだ。持って行きようのない怒りを抱えた修二の思いは、元をたどれば戦争があったからだ。戦争によって夫婦は離れ、妻は体を売るしか子を助ける術がなかった。
そういう貧しい時子と修二の生活とは違って、売春宿の女将やその友人たちはまるで別世界だ。彼らはきれいな身なりをして麻雀に時間を潰し、酒もふんだんにある。そういう仲間のひとりの男が時子と床を一緒にしたのだが、女将に時子の感想を訊かれ、ダメであったと言う。「そんな齢でもあるまいし」と女将は笑いながら返すが、男はおそらく時子が始終泣いてばかりで、その気にならなかったのだ。それでも金を得たのは確かで、修二の怒りは収まらない。今調べるとGHQは公娼を1946年に廃止するように命じている。売春防止法は1958年に施行されたから、本作の1948年はちょうどその合間となる。赤線に関係して本作ではほかにも話が出て来る。時子が息子を退院させた時、その姿を見送るふたりの看護婦は、学生が恥ずかしい病気になって云々と話す。学生が売春婦を買って淋病などになったということだ。そういう時代であるから、修二もいわば堂々と時子が身を売った家に真昼間から赴き、女を寄越せと言う。そして、女は部屋で待機しておらず、土手にいて、女将が係の者に呼びにやらせるという仕組みだ。修二の前に出て来た女は時子とはまるで違うセクシーさで、すでに商売が板についている。土手に座っている修二のところにその女はやって来て、修二は商売をやめろと説教をする。女がそんな商売をするには家庭の事情があった。形は違うが時子と同じなのだ。それでもその気になればいつでも違う職業に変わることが出来ると修二は諭す。女を買いに来て説教する男は、女から見れば野暮の骨頂かもしれない。すでに商売にどっぷり浸かっている場合はなおさらだ。口で諭すのは簡単でも、では収入をどうするかとなると、男が女に金を与えるわけでもない。そういうことを修二は重々承知のうえで、女がまだどこか純粋さを持ち合わせていることを見て取ったのだ。その後女がどうするかはわからない。修二のような男に出会えばいいが、悪い男につかまってさらに悪い方向へと向かわないとも限らない。それは修二が復員出来なければ時子に降りかかっていたかもしれない。つまり、当時の女は風に晒されて、雄鶏がしっかりしなければ哀れな存在であったということだ。今の若者は本作をどう見るだろう。悲しい物語など見たくないという人が多いと思うが、こうした社会派的な作品によって個人に覆い被さる圧倒的な力を告発することは、今の日本では歓迎されないのではないか。その点では、一昨日書いた『グエムル』は飛びっ切りの娯楽作品を装いながら、権力風刺はしっかりしていた。それはほとんどゲオルゲ・グロッスで、そういう毒ある笑いを今の日本が持たないのはさびしい。話を戻して、本作以降、日本の貞操観念は減退一途であったようであるし、また男女機会均等法によって、風の中で哀れな存在は男も同じことになったから、若者からは評価されにくいのではないか。小津と言えば『東京物語』が代名詞になっていて、山田洋次がリメイクしたが、本作は小津作品の中であまり有名でないのだろう。筆者が買ったDVDには「日本名作映画集20」とある。パッケージは涙顔の田中が大きくデザインされる。当時39歳で、年齢より老けて見える。これは『小説 田中絹代』によれば、若い頃からの撮影用の厚化粧によって肌が老化していたとあった。田中が若い頃の撮影は、ライトはとんでもなく熱く、その防御のために化粧を厚くする必要があったようだ。このパッケージの田中の顔は苦労を重ねた様子があって、3年後の『お遊さま』とはまるで別人だが、映画の内容にぴったりで、いかにもリアルだ。リアルで言えば、映画の最後、修二に抱きしめられる時子が、修二の背中に手を回し、両方の掌を拝むようにきつく組む様子がアップになる。いかにも象徴的な美で、小津の細部のこだわりはさすがだ。