恥のしるしとして、強制的に女性をバリカンで丸坊主にしてしまうドキュメンタリー映像を昔TVで見たことが。ナチス・ドイツの兵隊と交際していたことが発覚したフランスの女性だ。
純粋な気持ちからの恋愛であったかどうかは誰にもわからないし、わかったところでフランスの血気盛んな連中は「ドイツ憎し」の思いをどこかにぶちぶち撒けなければならない。戦争直後にはどの国でもだいたいそのような魔女狩りと言ってよいことが行なわれたであろう。筆者が見たのはBBCが製作したナチスのトップ・クラスの6,7人を毎回順に取り上げた番組で、人気があったようで再放送は二度あったと思う。戦時中にドイツ軍の兵士とフランスの女性が恋愛したことは、売国奴として見えたことであろう。だが、男女の仲は国境や戦時中の敵味方を超えることがあるだろう。理屈では割り切れないものが男女の仲だ。ドイツが戦争に負けなければ、彼女たちは丸坊主にされてみんなから嘲笑されずに済んだ。また、戦争に負けなければ、実際問題として彼女たちはどこで暮らすことが出来たであろう。普通は男の故郷について行くから、どっちが買っても女は男の国に行く。丸坊主にされた彼女たちは、関係を持ったドイツ兵が捕虜になるか殺されたので、その夢が断たれた場合が多かったのではないか。そして、女の家族や親類は女の一門の恥と思って故郷にそのまま住むことをほとんどの場合、快く思わなかったと想像出来る。となると、女はどう身を処すべきか。ドイツやフランスではそういうことを題材にした小説や映画があるのかもしれない。だが、あっても日本では関心が持たれにくい。戦争はどこでも悲惨で、何もドイツやフランスのそんな細かい事情を詮索するより、日本には原爆という、とてつもない大きな問題があるではないか。そして以前このブログに書いた新藤兼人の『原爆の子』が撮られ、また『ゴジラ』も生まれた。前者は筆者1歳の昭和27年(1952)、後者はその2年後の公開で、昭和20年代に日本は特筆すべき作品を撮っていた。この創造性は今なお健在であろうか。それはさておき、これらの映画はヨーロッパでも知られた。そこで今日取り上げる映画が広島で撮影された。監督はアラン・レネだ。先月彼の短編映画について書いた。運よくと言おうか、製作順に見ることが出来た。本作『二十四時間の情事』はレネ監督の最初の長編だ。DVDを右京図書館から借りて来て一度だけ見た。もう一度見る気が起こらなかったのは、退屈な映画であったからではない。一度でたっぷり味わった気分になれた。重い内容であったからだ。昭和34年(1959)の公開で、広島でのロケはその前年に行なわれた。
全編が広島が舞台ではない。フランスのヌベールという古い田舎街が登場する。ロアール川の畔にあって、パリの南東200キロほどだろうか。映画の中で主人公の女性がロワール川は底が浅いので船が通れないと語っていた。ロアール川の名前は誰でもよく知っているが、そんな事情をこの映画で初めて知った。だがそれはこの映画には関係がない。女は20代前半の時、フランスを占領していたドイツ軍の兵士と恋愛関係になった。人目を忍んで逢引きを重ね、ドイツへ一緒に行こうと約束していた時に終戦を迎えた。そして男は村人の誰かから射殺されてしまった。女は先に書いたように見せしめのために丸刈りにされ、その屈辱から両親は娘を地下に閉じ込めた。そしてある夜、娘はパリに行くことを許され、自転車に乗って家を出る。その時から8,9年経って、女は女優として広島にやって来た。そこで日本の男性と出会い、ホテルで体を重ねる。その場面から映画は始まる。また、ヌベールでの女の過去を描く場面は、中盤頃に登場する。女な男にヌベール出身だと言い、どんな土地か知らないでしょうとつけ加える。男は知らないし、筆者もそうだ。「ヌベール」はこの映画について言われる最初のヌーベル・バーグの作品という「ヌーベル」を思わせるが、綴りは「NEVERS」で、英語の「ネヴァー」だ。女が決して親元に帰らない覚悟で、つまり過去を切り捨てて生きて来たことを暗示させるような街の名前で、そこまでレネ監督が考えて女をヌベール出身にしたのかどうか。レネ監督は自分で脚本を書かない。この映画は日本の映画会社が勢いがあるので、フランスの映画会社が作品を売り込もうとして出来た。ところが当時の日本は外国の映画の上映には一定の枠があって、年間何本と決まっていた。アメリカ映画が大半を占めるから、フランスの小さな会社では出番がなかった。そこで日仏共同で製作すれば上映が可能ということになって、指名された最初の監督が撮影を断ったので、レネにお鉢が回って来た。レネは最初ドキュメンタリーにするつもりであった。結局マルグルット・デュラスが脚本を書き、それにしたがってレネが撮った。それまで短編のドキュメンタリーばかり撮って来たので、この映画にもその味わいが強い。特に最初から10分ほどはそうだ。
最初は裸の女と男が抱き合う場面のクローズアップだ。見ている間に砂糖のような粉が体に降り注がれたのか、肌がきらきらして来る。筆者はそれを見て勅使河原宏の『砂の女』を思い起こした。この映画は1964年の公開で、本作より5年後だ。影響を受けたことは充分あり得る。それに本作の主人公の日本人男性を演じる岡田英次は『砂の女』でも主役となる。だが、本作の冒頭の男女のわずかな絡みの場面のみが『砂の女』を連想させるだけだ。『砂の女』は実験的前衛的な作品で、同じ傾向はレネの作品にも流れているが、これはフランスのシュルレアリスムの影響ということから言えるだろう。その一方でレネがドキュメンタリーから出発したことの意味は大きい。冒頭のベッド・シーンの背後にまず流れるセリフは、女が『ヒロシマのすべてを見た』ということに対して、男は『君は何も見ていない』と答える。これは女が映画の撮影のために広島にやって来て、その短期滞在で見聞したことで広島のすべてがわかるはずがないという日本人の思いを汲んだものだろう。このベッドでの会話を、女が日本の男と寝たことによって、より日本のことがわかったと捉えるのはどうか。それはかなり俗っぽく、また下品だが、女がたまたま出会った男をホテルに招いてベッドをともにすることは、動物としての本能であり、レネはそのことに関して否定も肯定もしていないように見える。セックスをしたからといって、男女がすぐに理解し合えるはずはないし、お互いの思想を理解し合いたいためにセックスをするのでもない。この映画では女がどこでどういう形で男と出会ったかは描かれない。だが、少しずつお互いの生活がわかって来る。男には妻がいるし、女にも優しい夫がいる。そういうふたりがベッドをともにするのであるから、邦題にあるように「情事」なのだが、当時にこの大人向きの内容が公開されたことは良識派から非難もあったかと思うと、情事ではあるが女の方には拭い去れない過去の精神的な傷があり、それが広島を見たことで男を求める行為につながったという描き方で、見様によっては反戦映画だ。だがヒロシマのかつての惨状を前にして、フランスが何を持ち出すことが出来るかとなると、最初に書いたように丸坊主された女性の悲しみが、脚本を書いたデュラスの脳裏に浮かんだのだろう。そしてその女が広島の男と寝ることによってどういうことが起こるのかを次に考えた。
女は自分が登場する場面の撮影は終わったので、明日はもう広島を離れる。男とは丸一日の出会いだ。ところが男は女に日本に留まることを懇願する。妻がありながら、知った女を手放したくない。これは男としてはずるいかもしれない。ところが、男と抱き合った女はかつてのドイツ兵との恋愛を思い出し、そのことを男に話す。誰にも言ったことのない秘密はいつかひょんなことで誰かに明かしたりするものだ。ところが、女は男に話したことを後悔する。思い出を汚し、かつての恋人を裏切ったような気持ちがするからだ。その罪の意識によって女は男が追い回すのを避けながら、夜の広島の街を徘徊する。これは女のトラウマがどういうことがあっても癒えないことを示唆している。それは広島の原爆をある意味では同格だ。惨事の規模は違っても、個人の内面の傷は同じだ。この映画では広島の街はすっかり元どおりになってネオンがきらめき、本通り商店街はほとんど現在の大都会の商店街のように見える。10年少しでそこまで復活した広島だが、それは女も同じだろう。表向きはどんな悲惨な過去を経験しているかわからない。ところが広島も女も内面には忘れ得ない大きな傷を抱える。日仏で撮ったのであるから、そのような設定になるのは当然だ。これを、「広島は戦争で悲惨な目に遭ったが、それに劣らずフランスも悲しいことが多々あったので、あまり原爆の被害ばかり喧伝するな」といった見方をすべきではない。そういう見方は確かに出来るが、ここでは男女の愛の形というものが重きをなしている。女は敵国人と恋愛した。ドイツと日本は同盟国であったので、戦後復興を遂げた日本でフランス女が日本の男と肉体関係を持つのは、昔のことを忘れていない証拠といった読み取りも出来るが、この映画では男女の恋愛に国は時代は関係がないと表向きは言いながら、やはりそれに囚われてしまうことを描いているようでもあるし、そのことは戦争という大きな出来事が関係していればなおさらと言いたいのであろう。レネの短編『ゲルニカ』からは、戦争に関心が強かったことがわかる。同作を踏まえ、本作では男女の愛を中心にお互いどういう思いで別れるかを描く。一夜をともにしたのであるから、本能的にお互い惹かれたことが前提になっている。それはともに配偶者があっても、大いにあり得ることで、そのことを不倫や不道徳とみなすことをこの映画はほとんど問題視していない。そんな意識がこの映画の男女にあれば、ほかの行動はもっと違った描き方がされた。お互いを認め合いながら、お互いの過去を知り、そしていい別れをする。生涯二度と出会うことはないが、女は男を広島と結びつけて記憶し、男は女をヌベールそのものと思う。そんなセリフが最後に語られる。これは同じ傷を抱えた者同士が一夜をともにして、悲惨な過去を認め合ったという一種のハッピー・エンドであろう。
筆者が面白く思ったのは、広島の原爆ドームを中心とした市街の様子だ。『原爆の子』では、建設中の原爆記念館が映った。本作では完成したその内部、展示品がつぶさに見られる。5,6年の間にどれほど広島が元の姿を取り戻したかがわかり、その点は貴重なドキュメントとなっている。カメラが広島市街の南北を走る大きな通りの西側を北上して本通り商店街に入り、そこを抜けて右折して間もなく原爆ドームの前を通り過ぎ、そして市電が走る道路に出てそれを左折する。この一連の場面はバイクか自動車に乗って撮影されたのだろう。倍速ほどで映じられるものの、中心街の様子がよくわかる。フランス人には日本の繁華街のネオンが珍しかったのか、映画の後半では執拗にそんな場所が登場する。今ではもうない店ばかりと思うが、昭和30年代の空気が懐かしい。これはほとんど最後に近い場面で、女はホテルを出て国鉄の広島駅に行く。その待合室のベンチで女はある老婆の隣りに座る。その隣りに追って来た男が座ると、老婆はしげしげと男の顔を見て女のことを訊く。何でもない場面のようだが、女がもう帰国せねばという心の迷い、男の焦りがうまく表現されていた。その後女は夜の街をタクシーを拾ってとあるキャバレーの前で降りる。「CASABLANCA」というネオンが外に点っていた。女の後を追って男も中に入り、無言の女とは10メートルほど距離を取って座る。白い制服のボーイが何を飲むか注文を取りに来ると男はハイボールと言う。当時はそれが流行ったのだ。一方、女は男の方を向きながらも、笑顔を見せない。すると広いホールの端にキャバレーの女2,3人と一緒にいた若いやくざのような男が女に近づいて来て、英語であれこれ語りかける。反応がないので、その男はフランス人と思ったのか、パリから来たのかと訊く。すると女は静かにうなづく。その様子を見て追って来た男は苦い表情をする。このキャバレーの場面は当時の都会の夜の一面をうまく表現している。大きな熱帯性の植物がホールの隅にあるなど、ダンスに興じた当時の大人の遊び空間がわかって面白い。なぜこんなキャバレーの場面を挿入したのかだが、レネは戦後の日本のアメリカナイズさ加減を示したかったのかもしれない。このキャバレーの場面は筋立てには不要と言ってよいが、映画に大きなふくらみをもたらしている。同じように酒を提供する場所としては「どーむ」とのれんに染め抜いた居酒屋が登場し、男と女がテーブルで向い合って話す。原爆ドーム近辺の川沿いにそのような店が実際にあったのだろう。レネはそんな日本独特の店に関心を持ったのかもしれない。当時の日本では珍しくなくても、フランスではそうではなかったに違いない。この映画の原題は『ヒロシマ・モナムール』(広島、わが愛)で、これは映画の中の女が男に対して思った言葉だ。だが、映画の冒頭で広島をすっかり見たという女の言葉に対して男が何も見ていないと返すので、愛は結局はお互い何もわからないままということになりそうだ。これはいかにもフランスらしい。愛すなわち人生は不可解だ。だが、楽しむべきもので、その思いがあったからこそ、この映画の男女はベッドをともにした。邦題は映画の内容からして間違っていないが、この題名からエロ映画と思い込んで、当時下駄履きの男どもが映画館に押し寄せたそうだ。ところがすっかり当てが外れた。また難解な内容のために話題にならなかったが、ヨーロッパで評価が高まったので、大映もよいうやく胸を撫で下ろした。使用される音楽は現代音楽調で、これがまたよく合っていた。それに広島でのデモや市民の祭り、それに伴う日本の音楽など、実に盛りだくさんな音楽と言うべきで、そのことが映像と相乗効果を上げている。日本だけでは絶対にこういう作品は生まれなかった。レネの才能あっての名作だ。岡田英次はフランス語を全く理解しなかったのに、全編うまくこなしているのは耳でセリフを覚えたからだ。その男前によく釣り合ったフランスの女優エマニュエル・リヴァで、彼女は翳りがあって薄幸そうに見え、本作では適役であった。最初の方で広島の原爆投下で皮膚が焼けただれた群衆の惨い映像が見えるが、これは本物の当時のものではなく、『原爆の子』の翌年に撮られた映画からフィルムを引用した。