活気を取り戻すことが出来るのかどうか。人口が減少し、経済も衰退して行くなかで、かつての高度成長期のことばかりを懐かしがって、その頃の日本にしたいと思っているのは、現在筆者より上の世代であろう。
若者はそんなことは知らないから、昨日書いたようにせめて老人になった時に家賃で困らないようにとひとり住まい用のマンションを買う。だが、鉄筋コンクリートの寿命もあって、そういう若者が高齢になった時、修繕や建て替えによって、予期していなかった費用を負担せねばならないだろう。昨日書くのを忘れたが、あまり長い先はどのようになるかわからないから、30やそこらの年齢で定年以降のことを考えなくていいと思う。第一、そういう高齢に達するまで生きているかどうかわからないし、予想外の病に伏していることもある。これも以前書いたが、筆者が小学生2,3年生の一時期、よく遊んだ同級生のUは、中学生になって間もなく、区役所に勤務したいと真顔で言ったことがある。両親に姉がふたりいる平凡なサラリーマン家庭で、きっと親から生涯安定した職業に就けと言われていたのだろう。役所勤めは絶対に倒産しないので安全な生涯設計が立てられるというわけだが、そういう考えをまだ10歳半ばに達しない子どもが持つことに筆者は嫌悪感を覚えた。もっともその頃にはUとは遊ばなくなっていたが、それは本当の学力の程度もいよいよ周囲にわかって来たからでもあって、かつて筆者に偉そうにしていたUは、中学では全く目立たない、成績も下から数えた方が早いありさまであった。そのUが筆者にとって区役所の職員の典型となっている。つまり、目立たない、安定ばかりを求めて仕事のやり甲斐などもとより念頭にないような人物だ。今Uは定年を迎えてどうしていることかと思う。そういうUの姿は、30を超えて間もなく、マンションを買おうとしている独身女性にだぶる。それは真面目かもしれないが、あまり一緒にいたくないタイプの女性だ。そうであるから、結婚せずに、昔で言う「売れ残り」になってしまうのではないか。『自分は男に持てないので、自衛のために自分の城を自分で始末しながら貯めたお金で買う』 女性のホームレスが少ないのは、そういうような考えを女性が男性よりも多く持っているからだろう。それはさておき、今日は昨日がらみで天神橋筋商店街に交差する天五中崎通商店街の写真を載せる。この商店街は阪急の天六で降りて天神橋筋商店街を南下し始めて間もなく、最も大きな四辻に出た時、右手に見える。大きな道路をわたって向こうに見えていて、アーケードには『おいでやす通り』の文字が見える。ところがこの名前とは裏腹に、昼間でも人影がまばらであることは天神橋筋商店街からもわかる。筆者は長年関心がありながら、そこに踏み込んだことがなかった。その気になればすぐであるのに、あまりに閑散としている様子が敬遠させた。それがついに昨年の12月に家内と歩いた。今日の写真はその時に撮った。
歩く気持ちになったのは、TVで最近二度そのさびれた商店街にある古本屋が紹介されたからだ。青空書房で、筆者は昔から名前だけは知っていたが、どこにあるのかわからず、また調べるつもりもなかった。筆者がほしがるような本を置いていないことは明白であったからだ。ところがTVで紹介され、ネット検索すると、筆者が毎月歩く天神橋筋商店街から1,2分のところにあることがわかった。また店主が書いた戦前からの付近の古書店事情がネットで紹介されていて、それを読むと途端に同書店やその界隈を歩いてみたくなった。商店街は500メートルほどの長さで、端から端まで歩いたことはないが、交差する道を何度か歩いたことがあり、また天神橋筋商店街とは反対の口は10代後半に何度もバスの車中から眺めていたことに気づいた。つまり、40数年経って初めて同商店街の出口からかつて筆者が何度も乗った市バスが走るのを眺めた。40数年前はこの商店街はもっと活気があったかもしれない。だが、バスから一瞬見えた商店街の出入り口は、記憶の中では暗い。またこの商店街を歩けばすぐにわかるが、どの店も昭和の雰囲気で、40数年前とほとんど雰囲気は変わっていないように感じさせる。12月に筆者が商店街の出口に立って、通り過ぎる市バスを眺めた時、そのバスに10代後半の筆者が乗っていて、60を越えた古い筆者を一瞬見たような想像をした。40数年は一瞬だ。10代後半の筆者が遠い過去のものではなく、それは今の姿で、今の61歳の筆者はその決して古びない10代後半の筆者がバスの中で想像した姿だ。赤ん坊がすでに老人の表情を宿しているように、老人は赤ん坊らしさを失わない。年齢を重ねても、それはその年齢のみの人格ではなく、全生涯の各瞬間が刻み込まれている。青空書房の店主が昔を思い出して書いている天神橋筋商店街の古書店を想像すると、筆者にはすでに失われてしまった当時の街角がありありと見える気がする。そして、そういう古い町の表情は「おいでやす通り」の方が濃厚に漂わせている。青空書房について取り上げたTV番組のほかに、この商店街の面白い店の紹介がこれも最近いくつかあった。今日載せる写真に見える「アートと化学のカフェ」もそうで、ほかの商店街にはない一風変わった店がある。もちろん青空書房もそのひとつで、話題になるだけの個性ある人が集まっているということだ。
昨日は神戸に行ったが、嵐山から電車に乗ってすぐ、車内の広告に目が行った。大阪経済大学の宣伝で、白黒写真が全面に使われていた。それがやや蛇行した道幅の狭い商店街で、アーケードはあるものの、テントやガラスが張られていないようで、昼間だけかもしれないが、シャッター通りと化している。どこの商店街かと舐め回すように見たが、店の看板などの文字情報が極端に少なく、わからなかった。一瞬「おいでやす通り」かとも思ったが、それほどに筆者が歩いた時の同商店街は人通りがなかった。その写真に添えられていた文章は、シャッター通りが日本中に多くなっているが、ぽつぽつと若者が入り込んでシャッターを開ける店が増えているということと、そういうよい兆しに同大学が寄与したいということだ。大学で経済を盛んに教えて日本経済が好転するのであれば、日本に不況があっておかしいから、筆者は経済学など全く信用していないが、不況であるので大学で経済学を学ぶべしと宣伝するのは、大学にとっては不況大歓迎でもあって、日本で唯一儲かっているのは大学という商売のみであることを改めて思う。また、シャッター通りをそうでない活気のみなぎる状態に戻したいという思いはわかるが、最初に書いたように人口が減り続け、金もあまり儲からない時代となれば、シャッター通りどころか、すっかり商店街を壊して原っぱにする動きが今後は出て来るはずで、またそれはそれでいいのではないか。都会に自然が少しでも戻るのは、自然なことだ。また、シャッター通りに若者がアイデア商売をするのはあたりまえのことだ。京都の西陣の町家と同じで、家賃が安いことが何よりもの理由だ。そして、そういった古い、半分壊れかかった家に住むとなれば、改装は必要で、それを若者に任せると時代に応じた一風変わった味を出す。そしてそういう空間で何かするとなると、若者が興味を持ちやすいような商売となる。それは30を超えて都会の小さなマンションを買う人種とは違い、もう少し生活を楽しみながら何かクリエイティヴなことをしたい若者で、青空書房の店主のようにその道数十年といった職業を持つ意識のある若者とばかりは限らず、とりあえず好きなことをしてどうにか生きて行ければいいと思っている。そういう生き方を中途半端で遊び人タイプと謗る人もあろうが、世の中はさまざまな人がいてバランスを保っている。都会の便利なマンションを買って住まずに、シャッター通りとなっている商店街の1軒を数人で借り受け、そこで自分も楽しみながら他人にも面白がってもらうという考えは、ごくまともであるし、また人間的でもあって筆者は好きだ。
シャッター通りが増えた理由はいくつかある。そのうちのひとつは、何代にもわたる老舗として生き残るほどの売り物となるべきものを持たず、店主が高齢化して時代について行くことがもはや出来なくなったからと言えるだろう。そうなると、店は自由な発想をする若者が移り住むのは目に見えている。これはネット時代になって加速化しているとも思う。面白いことをしている人はいずれ多くの人に関心を持たれる。これは商品も大事だが、まず人ということだ。人が面白いと面白いことをしたり、面白い品物を作る。人と物が合わさって名が知れわたり、遠くからでも若者が集まり、その次には老人も足を運ぶのではないか。どこにでもある商品を売るばかりでは廃れて行くのは当然だ。シャッター通りを少しでもなくすには、若者が創造的になり、生活を楽しまねばならない。そういう動きが各地のシャッター通りにあるとすれば、これは大学の経済学部の出番ではなく、芸大や美大がもっと頑張って面白い人材を続々と輩出することだ。「おいでやす通り」は夜になるとどれくらいの活気があるのだろう。どの店も営業し、シャッターを閉めておるところが一軒もないのであればいいが、そうでないとすれば天神橋筋商店街に比べてあまりにさびしい。また、天神橋筋商店街とは違った雰囲気を持つべきで、それにふさわしい人種が集まることを目指すのがよい。すでにそうしていることと思うが、何をすれば多くの人に来てもらえるかとなれば、安売りの商品という時代ではもうない。魅力ある人が多く住んで活動すれば魅力ある町になる。大阪市がそういう人材育成にもっとお金を使うことが出来ないだろうか。撒いた種が大きな木に育つには長い年月がかかる。たかだか数年で成果を求めることを役人は期待し過ぎる。無粋な連中が生活安定のために役人になるのであるからそれは当然だ。役人の試験にもっと創造力を問えばいい。どんな分野でもそれが求められる時代で、安定志向ばかりで危機感のない、また冒険心を持たない弱虫は用がない。今日の最初の写真は2枚を左右につないで撮ったつもりがわずかに途切れていた。写真の右は小さな公園で、向こうに青いビルのてっぺんが見えるのは関西テレビ局だ。