府庁は大阪にもあるが、中に入ったことがあるのは京都の方で、しかも内部をじっくり観察したのは去年が初めてだ。秋の一般公開が開かれていることを美術館に置いてあるチラシで知った。
2週間ほどの会期で、最終日の1日前、11月10日に家内と出かけた。その日を正確に覚えていたのではない。チラシ裏面に催しのスケジュールが10いくつか棒グラフで記してあって、それを確認してわかった。1日だけの催しがいくつかあって、そのうちのひとつに「オペラプラザ京都」が11月10日に開催されている。筆者らが館に入った時、ある大きな部屋で男女の高らかな歌声が響いて来た。オペラの合唱曲のようだ。そう思って声の聞こえる2階の廊下を行き、部屋の前に来た時、扉が開いていてちょうど歌が終わったところで、赤や紫の鮮やかなド色のドレスを着た中年女性と、黒いスーツ姿の男性がこちらに向かって歩んで来た。小さな休憩であったようで、その後また部屋に戻って歌が始まった。気になったのは廊下に2、3歳の子どもを連れた若い母親がいて、大声で泣くその子をあまりあやすこともなく、廊下をうろうろしていたことだ。歌手の声より強烈で、歌を鑑賞していた人たちやまたせっかくの晴れの舞台の歌手たちは興醒めしたに違いない。それでも誰も注意しないし、また出来ないのだろう。子どもが泣くのは自然であるし、仕方がないという考えだ。これがお金を払って見るコンサートではまず会場から追い出される。その日は無料であったから、そうした突発的な事態は我慢せねばならない。とはいえ、その母親はだらしがなかった。普通の神経ならば、泣きやませるために外に出るか、もっと遠くの方に行くかだ。府庁の廊下は長いし、また1階に下りることも出来る。他人が迷惑していることに気づかないのに、自分が迷惑だと思うことは平然と主張する。筆者の近所にもそういう若い母親がいて、鼻つまみ者になっているが、本人はそのことを知らない。そういう母親に育てられる子が同じような大人になるのだろう。これは経済力とは無関係だ。金持ちでもそうした頭の悪いのはいくらでもいる。そして、金持ちであるがゆえになおさら鼻持ちならない大人になって、世間を騒がすような者も出て来る。それはさておき、歌手たちはなぜ扉を開け放って歌っていたのだろう。閉じていればまだ子どもの鳴き声は内部に聞こえなかったはずだ。それに当日は寒かった。その点からも扉は締めるべきだ。おそらく歌の途中でもいいので訪れた人に気軽に内部に入って来てもらいたかったのだろう。だが筆者は全くその気になれなかった。裾が床に着くほど長いドレスを着た女性たちの姿を間近に見てたじろいだと言えば多少当たっている。また、何となく彼らが場違いな感じがした。今チラシを見ると、NPO法人の連中と、オペラ講座の受講生たちが出演したことがわかる。オペラ好きが高じて人前で歌ってみたくなる人が多いと見える。年末にベートーヴェンの第9交響曲を演奏する風習が日本にあり、先日の大晦日のTVでもやっていたが、始まる直前にチャンネルを変えた。何となく気恥しかったためだ。また、筆者は同交響曲の素人合唱団には誘われても絶対に入らない。
京都府庁旧館は重要文化財だ。改めてそのことに気づくと、一度は内部を見ておくべきと思う。これまで筆者は二度京都府庁を訪れたことがある。最初は10数年前だ。市が主催する工芸家を対象にした年一回の公募展で友禅屏風を出品して優秀賞をもらった。その時染色では筆者のみであったし、またその年度は優秀賞が最高賞であったので、気分はよかった。税金から捻出した賞金をもらった。翌年は友禅訪問着で出品した。するとまた同じ賞をもらった。その公募展は府立文化博物館で作品を展示するが、友禅屏風で受賞した年度は例外的な措置だったのか、府庁で優秀賞の作品が展示された。その場所は旧館の正面玄関を入ってすぐのホールで、左右にガラスをはめた展示壁があり、向かって左の壁に飾られた。めったにないことなので見に行った。その時に撮った写真もあると思う。玄関ホールまで入ってその奥には進まなかったのが、去年11月にはたっぷりと内部を見た。さて二度目に訪れたのは、ブログに2年ほど前に書いたように、嵐山の桜を保全する署名を自治連合会が実施し、4000名分ほどが集まったので、それを知事に手わたしに行った。これは旧館ではなく、議員会館と呼ぶのか、議員が詰めている館だ。知事に直接手わたしは出来ず、担当者が数人と、地元の府会議員を前にして談話し、そして手わたした。そんな経験ももうこれからはないはずで、一度くらいはそんな経験をしたのもよかった。初めての経験を割合楽しむ筆者で、知らない人に会って話すことはさほど億劫ではない。ただし、うまく波長が合えばいいが、そうでない人もあって、そういう時は数日は気分が悪い。その意味では、誰と話すのでもない、未知の場所を訪れることはさらに気楽だ。誰しもそうで、そのために旅行会社が儲かる。旅行会社とはほとんど関係ないが、府庁旧館を一般公開するのは、せっかくの重文を閉鎖したままにするのは税金の無駄使いとそしられるからで、また物見遊山な人々へのサービスだ。そしてどう見学させるのであれば、中の部屋で何か催しをさせ、より楽しんでもらおうということになる。その意味では初めて行った一般公開だが、催しがもっと面白いものであれば来年も足を運んでよい。そして、催しはどのようにして選択されているのか、今度はそれが気になる。
市内に展示施設は少なくない。一般の画廊も含めると、何か人に見せたいものがある場合、その展示場所には困らないと言ってよい。人がよく前を通るような繁華な場所では1日当たりのレンタル料が1万円以上から数万円程度となるが、府庁のようにあまり人が行かないようなところではかなり割安だろう。府庁にこれまで行かなかったのは、まず用がないからだが、それと丸太町通りからかなり北に奥まったところに位置して、丸太町通りからはこれま何百回も見て来たのに、府庁前のバス停で下車して府庁目指して歩くという気にまずなれない。その道は何となく陰鬱であるからだ。かなり幅が広いが両脇にビルが建ち並ぶ。東側は日赤病院で、それもあってあまり踏み入れたくない空気が漂っている。日赤のほかは京都府警の建物があちこちにあり、これも近寄りたくない香りを放っている。つまり、自分とは関係のない、あるいは関係したくない地域だ。そう思いながらも、その日はぜひとも府庁に行ってみたいことがあった。もっとも、筆者は「ついで主義」で、その日はまず京都市美術館に「創画展」を見に行き、またそのすぐ近くの岡崎公園で開かれていた「手作り市」をじっくり巡り、その後に足を延ばした。さらに府庁を見学した後にも予定があった。家内はいつも筆者のこうしたハードな行動に文句を言う。だが、せっかくに外出するからには最大限に時間を有効に使いたい。この「ついで主義」によって思考があれこれを絡んでブログのネタも多く集まるし、また次なる興味も湧く。それはいいとして、今日の写真の最初は府庁玄関前右手に置いてあったアカンサスの鉢植えだ。なぜこれが置いてあるのかと言えば、内部に入ってわかった。内部の装飾にアカンサス模様を使っているからだ。その説明はなかったが、きっとそうだ。アカンサスは去年夏に天王寺公園内の慶沢園で背の高い花を見た。その勇壮な姿からすればこの鉢植えはあまりに小さい。もっと大きなものがおそらく敷地内のどこかにあると思う。府庁の内部にアカンサスの花の写真が飾ってあったからだ。だが、府庁の花で最も目立ち、また自慢しているのは「ロ」字型の建物の内部に植えられている大きな桜だ。これが満開になるとさぞかし立派だろう。2階の廊下の窓からそれを何枚か撮った。その写真を今日は載せる。3枚目は玄関方面を向いている。この中庭には立たなかった。チラシを確認すると、そこに野外用の彫刻が展示されていて、また日によってはロックやフォークのコンサートがあった。また館のすべての部屋が解放されているのではなく、中庭の向こう見える北側はほとんど使われず、内部には入ることが出来なかった。この府庁訪問記は「その3」まで予定している。