人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●石峰寺での若冲忌
若冲忌の案内の封書が届いたのは3週間ほど前だった。今年は本堂裏の五百羅漢の石像のある竹林で音楽パフォーマンスがあるとのことで、それを案内するチラシが2、3枚同封されていた。



ここ数年、若冲が若い人たちの間でよく知られて人気が高まったことを思えば、こうした音楽パフォーマンスが奉納されるのは不思議ではない。このパフォーマンスについては後述しよう。さて、石峰寺に初めて訪れたのは3年前だ。台風が去った直後の9月中旬であった。「竹林は蚊が多いので団扇を持って行ってください」と、住職の奥さんから手わたされたことが、まるで昨日のことのように思い出される。当時、その奥さんの御主人である住職は亡くなってまだ数年ほどであったのではないだろうか。現在の住職は息子さんで、まだまだ若い。「先だって若冲忌がありましたが、もしよろしければ来年は御案内を差し上げますので、御住所などをお伝えください」と奥さんから言われ、その次の年から9月10日の若冲忌に出席することにした。今年で3回目だ。幸い、台風にも遇わずで、天気に恵まれてよかった。ただし、午後6時頃にとんでもない激しい雷雨があったが、その時は三条寺町の平安画廊に行って喋っていた。若冲忌に一度出席すると、毎年案内が届く。そしてその案内の封筒を持参すると記念品を手わたされる。だが、法要であるので、お供えとしていくばくかのお金を包んで行く。これは強制ではないが、みんながそうやっていることに気がついて次の年から持って行くことにした。それでも1年に1回のこの若冲忌は、石峰寺からすればかなりの赤字で、お供え金だけでは到底足りない。それでも若冲ゆかりの寺であるので、この日に限り300円の拝観料は徴らず、法事に出席する人々にいろいろと振る舞うことになる。何だかいつも申し訳ない気がするが、土曜や日曜であればいいが、平日となると、なかなか遠方から足を運ぶことが出来ない人が多いはずで、寺の出費もある程度はやむを得ない。すぐ近くに伏見稲荷大社があるので、観光ルートからは外れているとは言えないが、バスを停める場所がないため、たくさんの人が一度に訪れることに対処出来ない。せっかくの五百羅漢像という珍しい文化遺産があるのに、深草の鄙びた一寺という立場に甘んじているが、それでも逆に考えれば、あまり俗化しないからよいとも言える。いつ訪れても同じように五百羅漢像があるというのは嬉しい。
 2年前に出会い、今年も話をした人がふたりいる。そのほかにも去年見た顔がちらほらとあり、毎年訪れる人は少なくないようだ。それに関東方面からが多いそうだ。みんな若冲に何らかの思いを抱いてやって来るし、自分がどのようにして若冲に出会ったかを得意気に語る人も珍しくはなく、見知らぬ人でも親しくなるのは早い。今年は高齢の小柄な女性と2時間ほどずっと話込んだ。すでに亡くなった御主人が晩年に若冲の絵を気に入り、分厚い画集を購入したり、石峰寺に墓を建てることさえ考えたそうで、その意思を思って奥さんがはるばる毎年若冲忌に訪れているようであった。そう言えば、去年も来ておられた記憶がある。法要にやって来た人は、本堂隣の住居になっている床の間の部屋に通されるが、一旦座蒲団に座り込むと席を換えることは何となくはばかれるから、話し合うことになるとしてもほとんどが隣合わせた人だけになりやすい。今年は音楽パフォーマンスが午後からあったので、法事の後に昼食が出された。それが終わった後、来客同士で話合う時間がそこそこあって、筆者の左隣に座った前述のおばあさんが話しかけて来たのだ。なかなかの美術通で話がよく合ったが、せっかく京都に来たのだから、泊まりがけで展覧会を観るとのことで、京都工芸繊維大学の場所を教えてほしいと言われた。そこでは今『ルイジ・コラーニ展』が開催中で、若い人ならいざ知らず、こうしたデザイナーの展覧会まで観に行くパワーがあることに驚いた。展覧会のために日本各地を動いているといった感じで、それが健康の源にもなっているのだろう。若冲忌は近所の檀家から手伝いに来る老人も含めて、老若男女が集まるが、今年は去年、一昨年に比べて最も多かった。それでも50人ほどだ。もちろん午後からやって来て、法要に参加しない人はここには含まれない。50人は少ないようだが、本堂でひとりずつ順に焼香をするので、あまり多いと本堂に入り切れないし、読経を続ける住職も大変だ。経験から言えば50人ほどでちょうどいい。
 床の間のある部屋には、若冲の画集では必ず掲載される虎を描いた水墨画がかけられる。今年はそこには石峰寺の五百羅漢像の配置を俯瞰的に描いた江戸時代の無名の絵師の掛軸が代わりにかかり、虎の絵は隣の部屋に他の若冲の6、7点と一緒にかけられた。石峰寺にはこれとは別にまだ2、3点の若冲があるが、全部が一度にかかったことはない。奥さんの話によれば、まだ一度も公開していない1点があるとのことだが、これは見せてもらえずで、今年は残念ながら初お目見えの作品がなかった。音楽パフォーマンスよりもこっちの方を期待したが、そう毎年購入して若冲忌に披露出来るはずもない。ある出入りの骨董商が、若冲の作品の出物があれば持参するそうだが、奥さん曰く、一目で贋作とわかるものが多く、購入は慎重にしているとのことであった。若冲は水墨画ならばよく市場に出回るので、眼力と金力さえあれば、数だけはそこそこ揃えられる。だが、大抵は同じような鶏の絵だ。珍しいモチーフ、そして大幅となると、市場価格はちょっとした不動産並みの額に相当する。それは小さな寺が自前で購入するには到底無理な話で、理解力と金力のある檀家あたりが一肌脱ぐ必要がある。しかし、そういった檀家があってもまず無理で、掘り出し物は美術館や海外コレクターが狙っている。そして競り合いの結果、価格は天井知らずになってしまう。それはさておいて、床の間のある部屋と次の間の襖を全部取り払うと、全部で36畳ほどになるが、相国寺のように特別の展示室は無理としても、せめて若冲忌には所蔵する若冲の全作品をずらりと鴨居から吊るして見せることが今後も続けられ、その間に少しずつでも作品が増加することを期待する。そして、そのうち常設展示が可能な空間が寺の境内のどこかに設けられる時代もやって来るかもしれない。そうなればこの寺を訪れる人もさらに多くなるはずだ。
 音楽パフォーマンスをする人や他の運営者も、かなり若い人々のようであることがチラシのデザインからはわかった。それは若冲の絵とは関係のないもので、竹林という格好の場所があることでパフォーマンスは想定されたのであろう。部屋やコンサート・ホールのような閉ざされた空間ではなく、外気の中、しかも自然の音がさまざまに鳴っている中で自分の作った音楽を響かせてみたいと考える人は多いだろう。日本ではそのような機会はなかなか与えられないからなおさらだ。10年ほど前だったか、冨田勲がヨーロッパのドナウ川の畔で自作のシンセサイザー曲を大きく鳴りわたらせたパフォーマンスがあった。年配の冨田がそうしたことを行なうのであるから、それにたとえば感化を受けた若手が似たことをしたいと思っても当然で、それにふさわしいイヴェントとタイアップすることに積極的になるのもよくわかる。これは後で奥さんから聞いたことだが、当初は大きなスクリーンを張って、映像を加えたものを考えていたそうだ。だが、竹林の際にはたくさんの民家があり、極力迷惑をかけないようにということから、映像は中止にしてもらったという。映像を加えたパフォーマンスであれば当然夜に行なわれたはずで、そう言えば音楽も夜向きである気がした。どのような音楽かと言えば、シンセサイザーによる雄大な感じを思えばよい。BOSEの小さなスピーカー2個が五百羅漢像の間に隠すように置かれたが、音が天から降り注ぐというより、どうしても地からは這い上がって来るような響きをしていた。それに、これは仕方のない話だが、鑑賞者の立ち位置によっては左右のスビーカーの音がバランス悪く聞こえた。音楽は冨田勲のようなクラシックの素養は感じず、ここ10年ほどのロバート・フリップのギターによるサウンド・スケープにやや近い感じがあった。しかし、それとも全然違うのは、時々ロックを思わせるダンサブルなリズムも鳴ったことだ。現代音楽でそうとう奇妙なものに慣れている耳からすれば、前衛的と呼べるものではなく、また若冲との関係も何ら見当たらず、単に若冲忌という人の集まるイヴェントに乗っかった作品披露となっていたと思う。若冲忌のためにこの過剰な音のパフォーマンスがわざわざ書き下ろされたものかどうかは知らないが、音のインスタレーションという面を強調した音楽アーティストは今はかなりいるし、竹林の中の風や鳥の音を考えて、自然をもっと感じさせる音楽であってもよかったと思う。外気の中で、しかも個性的な若冲を前提にするのであれば、どこで鳴らしてもかまわないような音楽はふさわしくない。実はジョン・ケージ、あるいはモートン・フェルドマンの静謐なタイプの音楽を勝手に期待していたが、そうしたニューヨーク・スクールとはかけ離れたもっとポップに近い音楽で、これはチラシから何となく想像したとおりで、拍子抜けしたのが正直なところだ。ま、それでも実験的にこうした試みが竹林で行なわれるのはいいことだ。50名限定で、作者が作ったDVDやそれはと同内容のヴィデオが配付された。だが、DVDプレイヤーを所有しないので、どんな映像が入っているか確認出来ない。音楽よりもむしろ映像作家とのことだそうで、それならば、どうにか映像つきで音楽パフォーマンスを行ないたかったのも無理はない。
 パフォーマンスが終わった後は流れ解散になった。前述したおばあさんが筆者を探していたようで、顔が合ってまた長く話しかけられた。話が尽きないまま一緒にJRの伏見駅まで歩き、そこで別れてひとりで本町通りを北上した。先月教育大学に聴きに行った伏見人形についての講演会で知った情報を確認するためだ。伏見人形の珍しい形、つまり若冲がよく描いた布袋像と同じ格好をした土人形が売られている店が本町通り沿いの東福寺付近にあるということで、その店に行くために歩いたのだ。深草あたりの本町通りはとても好きだ。舗装されていなければ、ほとんど江戸時代そのままの風景ではないだろうか。もちろん道筋に沿った家は全部建て変わっているが、高層建築がほとんどなく、左手、つまり東方面に稲荷山や東福寺の境内があって、全体にとても落ち着いた印象がある。その空気は他の京都市内にはない独特のもので、車もあまり通らない。さびれていると言えばそうなのかもしれないが、のんびりとした味わいは、京都人であっても観光気分に充分浸れる。江戸時代にはこの本町通り沿いに伏見人形を売る店がたくさんあったのに、今は有名な店は丹嘉だけになっている。ところが、まだ伏見人形を作るための型を保有している家があったりして、先に書いた布袋像もそうした昔は伏見人形を商いしていた家が、細々とにしろ、また制作を復活させたようなのだ。作っているのは別の場所かも知れないが、そうした疑問も含めてぜひこの店に行って事情を訊ねたかった。ところが、七条通りまで歩いてもそのような店はなかった。確か講座では、週末だけやっていたのが毎日見せるようになっていると言っていたから、まさか土曜日が閉まっているはずはないだろう。京阪の深草駅あたりから以北の本町通りではなく、ひょっとすれば南方向にあるのかもしれない。正しい場所を聞いておくべきであった。それでも初めて歩き通した深草から七条までの本町通りは何だかとても面白かった。成人映画をやっている小さな映画館もあって、これには意表をつかれた。そんな店がぽつんとあったりして何だか田舎っぽいが、それも含めて人間らしい町に思える。また歩いてみようと思う。
by uuuzen | 2005-09-10 23:25 | ●骨董世界漂流記
●『転換期の作法』 >> << ●『出光コレクションによるルオー展』

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?