雄大な虹の写真を今月1日に法輪寺で撮った。自治会の回覧物となるチラシを配布するために長い石段を上るのがしんどいが、上り切ったすぐ右手に清水寺のものと同じような見晴らしのよい舞台が見えるのがよい。

それに下りは楽だ。その下りの光景は先日投稿した『大菩薩峠』に載せた。両側に苔蒸した木製の灯篭が並ぶ。それが灯されることはなく、花灯路の期間中は灯篭下に別の特性行燈が置かれる。それが灯っている写真を去年秋に載せたと思う。この石段はところどころがやや崩れかけていて、もうそろそろ修理した方がいいだろう。石段を上り切った正面に本堂があるが、車でその前まで行くことが出来る。その道は石段とは違って山手をぐるりと回る。先日筆者が石段下まで来た時、一台の車が筆者の前を横切ってそのカーヴした道を走り去った。石段を上り切る前にその車が本堂前に着いたのが見えた。江戸時代の人間なら魔法に見えたことだろう。筆者でもそう思ったが、それほどに車は早い。というより、猛スピードで走ったのだ。その車が走る道を当然人が利用することも出来る。筆者は2,3年に一度くらいはその道を上り下りする。石段を行くのとは違ってあまり疲れない気がするが、時間をかけて上るだけで、使うエネルギーは大差ないはずだ。短い間だけしんどいか、そのしんどさを長い時間かけてあまり感じないかの違いだ。人間の寿命で言えば、長生きする人は短命な人より感動のレヴェルは低いかもしれない。短く生きるのも長命も寿命とすれば、どちらも同じことで、どちらが得ということもないのではないか。むしろ80、90まで生きて退屈な日々を送るのであれば、さっさと50くらいで死ぬ方が人生が充実していると思える。今急に思い出した。先月一休寺に行った時、一休の彫像の前で記念撮影をした。筆者のカメラを使った。その写真を先日河原町に出た時に焼いた。便利なもので、30枚ほどが1分かからずに仕上がった。何と言うスピード化の時代か。昔のフィルム写真なら丸1日かかったが、それでも早いと思ったものだ。また、うまく写っているかどうかが心配で、仕上がりを待つ楽しみがあった。それが今では撮った瞬間に仕上がり具合が確認出来てそのとおりの写真を焼くことが出来る。無駄がないのはいいが、何となく味気ない。それは写真の仕上がりにも言える。鮮明ではあるが、昔のようなどことなくぼやけた味わいがないのがさびしい。それはさておき、一休像の前で写真を撮った直後、従妹が最近ある人の葬儀に出て、遺影があまりに若いものであることに違和感を覚えたと言った。30年か40年ほど前のものだったらしい。近年撮ったものがなかったのだ。そう言えば誰しもそのようで、みんな一斉に「きちんとした正面顔のものを撮っておこう」と言った。そう言いながら、すぐにそのことを忘れ、葬式の際に同じように古い写真を使うことになる。それもさておき、長生きすると、その最晩年の写真がその人の代表的肖像として扱われる。これは何となくいやだ。筆者が80や90で死ぬとすれば、周囲の人はその頃の筆者の顔から筆者を思い出したり、また性格などを判断する。せめて50歳くらいの顔写真を使ってほしいが、それは先の例のように最晩年の写真がない場合に限る。あるいは遺言しておかねばならない。葬儀にその人の最も新しい写真を遺影として使うのは、人間は年齢を重ねるほど完成して内面が豊かになると一般には信じられているからだ。これは誰しも老いるほどに自信を持つべしという大人社会の掟を示してもいる。であるので、筆者が仮に80や90で死に、遺言として50歳の肖像写真を遺影として使うようにという意志が披露された時、周囲の人たちは失笑するはずだ。そう思えばやはりそこそこの年齢で死ぬ方が老醜を曝さずに済む。

いきなり話が脱線した。虹の写真の話だ。今月1日は土曜日で、嵯峨嵐山にまだ観光客は多かった。法輪寺の石の階段を上がり切った時、舞台には10数人がいて市街地の眺めを楽しんでいた。そんなことは珍しい。たいてい誰もいないか、いても2,3人だ。珍しいのはそれだけではなかった。彼らの背後に大きな虹がかかっていた。そんな光景は初めてであった。カメラを持って出なかったことを後悔した。チラシは法輪寺に配った後、もう5軒回らねばならない。そうした後で家に帰ってカメラを取って引き返せばもう虹は消えているかもしれない。小糠雨が降ったり止んだりで、また陽射しが出たと思えば雲に隠れるという目まぐるしい変化のさなかにあった。10分も経てば雨は本降りになるかもしれないし、またすっかり晴れて虹は消えているかもしれない。そう考えて、チラシ配布を一旦止めて自宅に戻ることにした。それも初めてのことだ。喫茶らんざんの近くまで来た時、左手の空に虹の末端が見えていた。これなら大丈夫かと思いながらも急いでカメラを持ち、同じ道を法輪寺に向けて歩いた。石段を上る辛さは先ほどでもなかった。現金なものだ。焦る思いがあれば労はあまり苦にならない。石段を上り切ったところで舞台を見ると、虹はまだくっきりと見えていた。ともかく引き返したことはよかった。舞台に入る手前で1枚撮り、次に舞台の端に行って4,5枚撮った。眼下に渡月橋がI字型に見える。その両側の歩道をたくさんの人が歩いている。紅葉も少し写り込んだが、盛りが過ぎて美しくない。みんな虹を撮影しながら、きれいだとか話している。またチラシ配りの続きをするために舞台を後にした時、石段で60代の夫婦と目が合った。ふたりを引き離してさっさと下に向かえばよかったが、関東の言葉を聞いて気になった。「どこから来られたのですか。」「千葉です。京都が好きで、もう4,5回来ています。今回は3泊4日です。」「今日は虹が出てよかったですね。」「そう、とてもきれいですね。」「珍しいですよ。この地域に30年住んでいますが、初めて見ました。」「あらそう、あなた、よかったわね。とっても珍しい光景が見れて。今日が最終日なのですが、どこか見どころがありますか。」「そうですね、松尾大社とか鈴虫寺ですかね。桂まで出れば地蔵院があります。細川総理がたまに訪問して有名な。」「もう2時間ほどしか自由時間がないんです。帰りは飛行機ですから時間厳守でね。」松尾大社まで往復2時間はかからないと言ったが、関心がなさそうであった。ましてや鈴虫寺は無視だ。京都が好きで何度も訪れる人でも、行くところはだいたい決まっているだろう。松尾大社など見ても面白くないかもしれない。それならまだ見晴らしのよい法輪寺の方がよい。

舞台から見える虹は今まで筆者が見た最も完全な形をしていたが、大きさはさほどではない。こ見ながら思ったことは、空に透明のスクリーンがあって、そこに太陽が映写している形だ。霧のような細かい雨粒が空に漂っていて、そこに虹が映っているのだが、映写と言えば映画のスクリーンのような平面を思う。この虹もそのことを強く感じさせた。前述のように自宅に向けて歩いた時、虹の右3分の1ほどが見えていたが、それはTVや映画の画面をかなり斜めから見るように歪んでいた。もっと北に、つまり太陽とは反対の方向に歩んでいればそれはさらに斜めになり、しまいには見えなくなったはずだ。空に扁平な虹がかかっている様子はきれいではあるが、どことなく作り物めいている。虹は必ずしも幸運の象徴ではなく、不吉な前兆と捉える国や地域もあると聞く。めったに見られない光景であるから長い石段を二度往復する覚悟でカメラを取りに帰ったが、虹色が好きでもあるからだ。派手な色合いが筆者は好きだ。昨日は部屋の壁に反射する虹の写真を投稿した。その続きで今日はこの法輪寺の舞台から見えた虹の写真を投稿しようと決めたが、一方ではこの珍しい光景が来年に向けてのよい兆しであることを願う思いもある。そのため、写真を撮りながら年内に投稿せねばと思った。先日の「花灯路」では、法輪寺は例年どおり、本堂にカラフルな模様を投影しながらの音楽祭を行なった。最終日に家内と行くことが出来たにもかかわらず、あまりの寒さに徒歩10分の距離を歩く気が起こらなかった。今までに何度か見ているので、どういう具合かはわかる。前にも書いたように、サイケデリックな模様が本堂やその背後の山にぎらぎらと動き回る。動く光の抽象画といったところだ。また光源が強大ではないので、全体に暗い。その夜の歪んだ虹色のショーに比べ、1日の午後に舞台から見えた半円の虹は、もっともっとシンプルな形であるのに、いやそうであるからこそ美しい。その場にいたおそらく数十人しか鑑賞しなかったはずで、本当に美しいものはそのように人知れず、しかもすぐに消える。蛇足になるが、最後に「黄葉」の楓の写真を。これは15日の夜に撮った。ムーギョとトモイチの間にある。すぐ前が四条通りで、向い側はブックオフの店舗だ。ここが驚くべき光量で店内を照らしていて、夜中でも真昼ほどに明るい。目が痛くなるので、筆者は夜でもまともに見つめることが出来ない。このしょぼい楓の木は望んでもいないのに、ライト・アップされている。