蕪斎という落款が入っている古い掛軸がある。まだ買っていない。その画家についてわからないからで、それがもどかしい。とても達者な筆さばきで、やまと絵の系譜だ。応擧の弟子筋ではないはずで、江戸で描かれたのかもしれない。
だが狩野派ではないだろう。筆者がほしいと思っている禅僧の賛が入っている。200年以上前のものだ。画家は「蕪斎」の署名のほかに印章をひとつ捺している。6文字でこれを1日がかりで解読した。以上の手がかりをもとに明日図書館に行って「蕪斎」について調べるつもりでいる。たぶんわからないだろう。今も知られる画家はほんの一部だ。大半は忘れ去られ、記録に残っていない。それでもそんな画家の中に驚くほど上手な者がいる。これは最近のことだが、ある禅僧の絵を入手した。掛軸に仕立てる前の状態だ。紙代にも足りないほどの安さであった。一見して凄いと思った。実は思い当たることがあった。近年急速に有名になりつつある禅僧が描く画題で、しかも同じ様式、賛の内容も書体もそうだ。ところが落款と3つの印章はどれもその禅僧のものではない。ネットで調べるとヒットしない。いや、実際はヒットしたが、それは画家とは関係がない。そこで先日府立総合資料館に行って調べた。その禅僧の展覧会が昔行なわれ、その図録を見た。それでわかったことは、20代半ばから描き始め、その後60年ほどの間に10万枚ほど描いたという。その大部分は60代以降の作らしい。実際市場で見かける作品はほとんどが70代後半に描いたことを署名に記す。このことが昔から筆者は気になっていた。禅僧が晩年になって急に絵を描くはずがない。必ず若い頃からたしなんでいる。図録によると、実際その禅僧は20代半ばから描き始め、しかも当初は几帳面に何を何枚描いたか記録していた。当初は1年に100枚程度であった。それほど描いていたのであれば、その後も同じ調子で描き、最晩年に向かうにつれてたくさん描いたと考える方が自然だ。爆発的に多作する以前に助走的な期間があるはずで、それが20代半ばに始まった。だが、そういう若描きの作は全く市場で見かけない。
その禅僧の書や絵にはどれも同じ号を署名している。それを名乗って記すようになったのがいつなのか、これが気になっていた。図録によれば20代半ばからだ。だが、かろうじてそう名乗る前の1,2年前から年に100枚は描いていることがわかった。ところがそういう初期作にどういう署名や印章を用いていたかがわからない。筆者が入手した作はその最初期作の1枚ではないかと思っている。確定的な証拠はないが、絵の仕上がりといい、賛といい、その迫力は晩年のものに劣らないが、どこか若描きのぎこちなさは漂っている。賛は全く同じ内容のものを晩年にも描いている。これは好きな文句で、何度も書いたはずだ。かなり崩しているので、その晩年作と筆者が所有するものを見比べても全文が読めないが、同じ者が書いたことは確実だ。絵も別人が模倣したものとはとうてい思えない。贋作であれば署名も印章も真似る。ところが印章の彫りは鋭く、またそこに彫られる遊印の字句はかなり専門的なものだ。ただ同然で入手したその作が、禅僧の最も早い時期の作とすれば何がわかるか。それはさすがの名僧と言われるだけはあるということだ。20代半ばでその迫力は信じられない。それほどの人物であるから、生涯10万点も描き、ますます過激と言えるほどの作風になった。ネットや図書館でかなりのことがわかるかと言えばそんなことはない。その禅僧の作を専門に扱っている古美術店でもその禅僧が最初にどういう画風でどういう号を名乗っていたかは知らない。1枚の墨絵が気になって、そこから自分であれこれ調べるのは面白い。そういうような作に筆者はよく出会う。そこで大切なことは、その作が何を自分に訴えているかだ。迫力と言い代えてもよい。それは下品なものであってはならない。本当に優れた作は見て0.1秒ほどで訴えて来るし、何とも言えない気品が漂っている。その気品を心の中に感じることが何にも代え難い。
実は先週もそんなことがあった。それは黄檗僧の水墨画で、筆者が今までに知っていた画風とはかなり違った。あまりに素晴らしいので、贋作の心配は皆無だと思った。署名は絵のど真ん中にあって最初は読めなかったが、1,2時間かかってわかった。そうなるとますます珍しい真筆であると確信した。手元に資料をと思って本を探し始め、すぐに1冊見つけた。階段に長らく置いてあるもので、ここ数年は中を見ていない。その本を手に取ってその禅僧の作が紹介されていないかと調べると、すぐに1点見つかった。1ページ大に紹介されていて、解説にはきわめて珍しい構図の作とある。それは紙本だが、筆者が見たのは絹本だ。構図は全く同じ、署名の位置も同じだ。そしてどちらが優れた出来栄えかとなると、絹本の方だ。この作には江戸前期の有名な鑑定家の書類が付属していた。それがどうも贋物臭い。調べると、その鑑定家は当の禅僧が来日した年に死んでいる。ということは、その絹本の水墨画は来日前に日本に舶載され、鑑定家はそれに太鼓判を押したことになる。それはあり得ないことではないが、禅僧の書名には「翁」の文字が使われている。来日した当時はまだ若かったので、まさか「翁」は使わなかったのではないか。となればその鑑定書は贋物だろう。第一その書体がいかにも貧弱で、昭和あたりの人物が書いたものに見えた。そんな鑑定書をつけてまで真筆を謳う必要があったのだろう。だが、筆者はそれがなくても飛びっきり素晴らしい作に思えた。鑑定書がなければ買わないという人は多いだろう。自分の目に自信がないからだ。その作がほしくてたまらなかったが、筆者が思うような価格ではなかった。次々にほしい絵と出会うので、どれも買っているとすぐに破産する。それにしても、その作との出会いによって、今までのその禅僧に対する見方が大きく変わった。
これもつい先ごろの話。筆者が昔から知る骨董業者がネット・オークションに出品している。そのIDを書くとまずいので伏せるが、いつも面白いものを出品する。どこで探して来るのか、京都には古いものが眠っている。その業者の出品物の中に、日本画家が使ってしたとおぼしき大量の筆や刷毛があった。それらが特注の数段の渋くて大きい箱に収まっている。筆者が注目したのは、刷毛の中に染色で使うものがままあって、2本は新品であった。それは1本で6000円ほどする。とても高価に思うが、商売道具なので消耗品とみなして定期的に買わねばならない。出品画像を見ると、筆と刷毛全部で65本ほどだ。筆は大小太細さまざま、また半数ほどはかなり使い込んでいて、おそらく使いものにならない。だが、新品もあって、銘などからかなり高価なものであることがわかる。それをいくらなら買ってもいいか。新品の2本の刷毛代だけでも12000円だ。それ以上は出してよい。当初2万円と考えたが、どんどんせり上がる。25500円まで入れたが、結局そこで諦め、26000円で落札された。次点となった筆者が落札していれば、直接業者のもとに行って世間話をしながら受け取ったのに、その機会がなくなった。3万円ほどならば落札出来たかもしれないが、日本画用の筆はあまり必要がない。それに染色用の高価な筆はまだ新品を20本ほど所有していて、今のところ不便はない。筆者がその刷毛と筆セットをほしがったのは、南画の物まねをするにはちょうどよい道具になると思ったからだ。最近自己流で南画の山水を描いてみようかという気になっている。何せ毎日窓の外の嵐山を見るし、眼下の庭には春になると牡丹が咲く。水墨画を描く環境には充分あるではないか。それにはまず最低限の道具だ。しかも中古の安物でいいと思っている。自分好みの筆や刷毛を見つけて一から揃えるとなると、数十万円はかかる。それに絵具や紙がもちろん必要で、絵を描くのも随分金がかかる。先ほど、禅僧が生涯に10万枚も描いたと書いたが、その行為はもはや禅僧とは言えず、画家ないし書家と呼ぶべきだろう。だが、禅の教えを伝えるために描き、書いたのであって、それも修行のひとつだ。以上のような話はいくらでも続けることが出来るが、切りがない。今日こんな骨董の話をするつもりはなかったが、最近ここ数年ずっと待ち望んでいた画家のとても珍しい作を入手した。その嬉しさで有頂天だが、前述のように涙を飲んで手に入れられないものもある。さて、今日はどんな写真を添えるのがいいかを考え、先日撮った2枚を載せることにする。最初は筆者が毎日これを書く位置から正面に見える裸婦のエッチングだ。陽射しの関係で壁に虹が映った。それが面白い。2枚目は筆者が座る場所のすぐ背後だ。普段は写真のように掛軸を吊っていないが、たまにかけて楽しむ。他の壁面は本棚か家具で占められていて、ここしかかける場所がない。