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●今年の紅葉、酬恩庵一休寺、その4
我蛇足は一休に参禅し、一休に絵を教えたとされている。蛇足の絵を見る機会は少ない。生没年がわからず、絵師の地位が低かったことがわかるが、蛇足はその後流派が出来て直庵や二直庵を生み、そしてさらに蕭白も登場する。



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直庵は蛇足から数えて6代目であったらしいが、勝手にそう名乗っていたのかもしれない。蕭白がそうだ。それほどに蛇足の絵は強烈な個性があったということだろう。そこには禅が関係している。大徳寺の真珠庵の襖絵が有名で、一休寺の方丈にも描いていたかもしれない。直庵とその次代の二直庵に関しては奈良県立美術館が昔展覧会を開催した。めったにない企画展だ。その図録はつい1,2年前まで売店で売られていたが、見かけなくなったところ、ようやく完売したと見える。同館を訪れるたびにその見本をぱらぱら見ながら、ついに買わなかった。それはいいとして、蛇足を思い出したのは年賀状をそろそろ買わねばならず、その図案を来年の干支の蛇をどうデザインしたものかとぼんやり思っているからだろう。その一方、3週間ほど前に右京図書館の帰りに蛇塚古墳を初めて見たことも理由かもしれない。蛇足とは関係がないが、「蛇」で共通する。蛇足ながらかもしれないが、蛇足の絵に達磨を描いたものがある。西洋人に見える顔つきで、これの優れた模写が数年前にネット・オークションに出た。朱衣は鮮やかに塗られ、また手慣れた筆さばきでかなりの画力だ。この模写絵には不思議なことに若冲の贋印があった。蛇足の原本を知らず、また若冲の本物の印章を知らない人は若冲の作と思うだろう。もちろん入札しなかったが、数万円で確か落札された。それと全く同じ絵が去年か今年の初め頃か、また出品され、今度は1,2万円で落ちた。以前に買った人が贋作と知って手放したのだろう。だが、なかなかよく出来た絵で、蛇足の原本に及ばないまでも、かなりの迫力を見せている。原本はあまりに有名であるので、このような模写は数多いだろうが、若冲の贋印であることが気になる。ひょっとすれば若冲が修行時代に模写した絵に後に誰かが印章を作って入れたこともあり得る。それは楽しい空想だが、若冲の修行時代の作とする証拠は何らない。それはいいとして、若冲が蛇足の絵を模写したことは大いにあり得る。むしろない方がおかしいだろう。蛇足のその達磨図は蕭白が描きたくなるような荒々しい画面ではない。どちらかと言えば筆は整っていて若冲が好みそうだ。それにそのオークションの出品作は朱色がとてもいい顔料を使っているようで、それがいかにも若冲を思わせた。蛇足の達磨図はその朱衣はかなり色がうすい。模写時にその様子を模倣することが多いと思うが、本来はもっと鮮やかであったはずと考えてこってりと塗る場合もあるだろう。そしてそのこってり描かれた具合が若冲らしいのが気になった。1,2万円であればちょっとした本より安いので落札してもよかったが、二度出品されたことは三度あるだろうと考えて見過ごした。
●今年の紅葉、酬恩庵一休寺、その4_d0053294_22492015.jpg 蛇足の達磨図はどんな絵の影響を受けたのだろう。達磨図は定型化していて、禅僧ならば手すさびに誰でも同じような構図で描くが、蛇足のその朱衣達磨は東洋人には全く見えない。蛇足は何か参考にしたと思うが、その達磨の顔と一休の肖像を見比べると前者は達磨の普通名詞で後者は似せ絵として超一品と言ってよく、蛇足の名声は一休の頂相を描いたことに大きく負っている気がする。これは達磨図を貶めているのではない。あまりにも多くの人が描き続けて来た達磨図にあって蛇足のそれはきわめてバランスがよく、完成度が高い。それゆえ印象に強いのだが、上野公園にある西郷さんの銅像のように、つまりキヨッソーネの描いた肖像のように理想化が露わで、一休の肖像のような人間味に欠ける。達磨が生存していた時の肖像がないのであるから、これは致し方がない。それをいいことにと言えば語弊があるが、後世の人たちは達磨をどんどん漫画的に表現し、しまいには起き上がりこぼしのダルマさんにまで身近なものなった。だがそれはそれでいいことなのだろう。一休さんのアニメと同じだ。となると達磨と一休は同じほど有名と言ってよいが、一休には生々しい頂相が伝わっていてこれは一休にとって得なことなのか損なのか。顔の理想化を行ないにくいからだ。キリストは細身で色白、鼻の高い美男子として描かれるのが常だが、本当にそのような人物であった証拠はどこにもない。ひょっとすればずんぐりした体格で団子鼻であったかもしれない。では一休がキリストのような理想化が行なわれないことは不幸かと言えばそうではなく、一休らしさがあるからこそ人気があるというべきだ。その一休らしさは頂相や書、それに一休が書いた文章などから伝わるが、アニメの一休さんに毎回描かれていたように頓智好きであったのかどうかは知らない。このアニメに登場した頓智は禅問答をわかりやすく説明したものと言えば勘違いもはなはだしいと言われそうだが、小さな子どもに禅僧の存在を知らせるためには役立ったのではないだろうか。この一休の頓智を示すものとして、寺の西にあった小さな橋の手前に「はしをわたるな」と書いた立札があった。それを見て親子連れが微笑んでくれればいいという趣向だろう。一休が本当にそんな駄洒落を日頃周囲に言っていたとすればなかなか面白い。
●今年の紅葉、酬恩庵一休寺、その4_d0053294_22492445.jpg

 その橋を渡る前に数枚の写真を撮った。今日はそれらを載せる。最初は一休の石像だ。これは昭和になってからのものではないだろうか。頂相が伝わっているからそれを参考に顔の造りは一休らしさを表現することが出来る。かなり背が低く表わされているが、実際に低かったのだろう。この石像の前に開山堂があったと思う。それは3枚目の写真で、端正なたたずまいをしている。2枚目は一目瞭然、アニメの一休さんの立体化だ。これを見て赤塚不二夫のレレレのおじさんを思い出すのは筆者だけではないだろう。ここから今日の本題と言うのでもないが、この少年一休の銅像はなかなか関心いた。子どもに見せるのは特にいい。学校では教室の掃除をする当番が今でもあると思うが、これが大学になれば清掃会社に一任する。このことに何か大きな間違いがある気がする。大学生は将来清掃会社に勤務して大学の教室を掃除するために勉強するのではないだろう。むしろそんな職業を蔑み、学のない者が清掃業務に就くと思う。おそらく大多数の人はそのことに異論はない。ここに京都山科の一燈園の話を持ち出すつもりはないが、人間は生活するうえにおいて日々汚れる、汚す動物であり、それを絶えずきれいにしなければならない運命を背負っているとすれば、自分で汚したものは自分できれいにするという考えがまともであろう。自分の歯や体を洗わねばいずれ病気になるし、部屋もそうだ。その考えを広げると学校や町ということになる。自分が学ぶ教室を自分らで掃除するのはあたりまえの話だ。それが大学生になるとぴたりとやらずに済むということは、それだけ勉強に精を出せという親心だ。それをわからないで清掃業を見くびるとすれば、そういう連中は学問をしてもろくな人間にはならない。そして今の日本はそんな連中を毎年大量に生産している。赤塚不二夫が偉かったと思うのは、いつも町を掃除しているレレレのおじさんを有名にしたことだ。レレレのおじさんは案外一休禅師ではないか。昨日書いたが一休寺の枯山水の庭は見事に整って汚れひとつなかった。庭とはそういうものだが、わが家の小さな裏庭が毎日見ていてもいっこうにきれいにならないことを思うと、禅寺の庭が常に清浄さを保っているのは驚くべきことと思う。その精神が禅寺以外のところに押し広げられ、汚れがある場所は少しでも清潔にしておこうという考えが広まるべきで、それを義務教育では教室の掃除ということで実行している。学習塾に通うのが忙しくて掃除などする時間がない子どもが今は多いだろう。親たちは子どもにそんな無益なことをさせず、業者に任せればいいと思うかもしれない。だが、生きて行くこととは何かを考えると、いい成績を取っていい大学、そしていい企業に入り、他人よりも収入を多く得るだけか。そんなことを禅は見抜いていて、掃除もまた修行であり、悟りに至る道と考える。
●今年の紅葉、酬恩庵一休寺、その4_d0053294_22495684.jpg 掃除のことを思い出したのは、もうひとつ理由がある。昨日自治会館を大掃除した。筆者は今年で4回目で他の自治会長とは違って多少要領がわかっている。誰が何をしてもいいのだが、筆者は毎年長い箒を持って窓の桟や網のサッシの埃を落とし、そして次に屋根の埃を地面に払う。自治会館は2階にあるのだ。幸い昨日は午前中はぽかぽかと太陽が照ってあまり寒くなかった。1時間半ほどで終わり、弁当と飲料をもらって帰宅。午後からは自転車で西院の王将に生ギョーザを買いに行った。全身黒づくめで、頭は毛糸の帽子だ。ネットで買った男女兼用の手編み、サイズがあまりに大きく、内寸周囲60数センチもある。目深にかぶると昔の虚無僧がかぶった顔を覆う竹籠のような恰好で、家内はそれが見られたものではないと言うが、寒いよりかはいい。それで他人の目を気にせずに使用している。あまりに目立つのか、すれ違い様に必ず誰でも筆者の顔を見る。白髪がすっかり隠れるし、耳も覆われるので外出時には手放せない。ただし、せいぜいムーギョあたりを往復するか自治会の配り物をする時だけで、大阪の繁華街を歩く勇気はない。最近洒落た帽子を見つけてほしいと思っているが、5万円以上もする。ほしいものは気にせずに買っていると先日書いたが、優先順位があって、ファッションやグルメは最下位だ。さて、ギョーザを買った帰りに自転車後輪の空気が抜けてしまい、三菱自動車の工場あたりまでそのまま乗ったが、ペダルがあまりに重い。それでそこから押して歩き、段町を越えた自転車屋が開いていたのでそこで空気入れを借りた。それでまた快適に走ったかと思うと、バス停をふたつ過ぎた頃からまた後輪がペシャンコになった。パンクしているのかもしれない。ムーギョで買い物をしてまた自転車を押して歩いた。ムーギョから歩くのは慣れている。松尾橋を渡る時、猛烈な風に吹き飛ばされそうになった。樹木の残り少ない葉がぱらぱらと落ちる。そう言えば三菱脇の歩道に並ぶプラタナスは枝が剪定されたが、わずかに葉が残っていて、まだ歩道にそれを散らしていた。以前書いたように自転車の前輪でそれを轢くのが楽しみだ。ところが昨日はいつものようにクシャッという心地よい音がしなかった。どれも湿っていて、轢くとぐにゃりとした感触が気味悪かった。とても不満であったが、雨の多い季節になっているのだ。またここ数日猛烈に寒く、今朝は雪が降った。先日は霰が降って珍しいなと思ったが、今年は寒さが厳しいらしい。写真の説明を忘れていた。4枚目は開山堂が左、右が本堂で、空の中央にはかすかに月が見える。この月を撮りたかった。最後の写真は境内西端の池で、長方形と楕円のふたつがある。これはどっちであったか忘れた。紅葉が池に反射しているのが面白いと思った。
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by uuuzen | 2012-12-10 22:50 | ●新・嵐山だより
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