顧みる今年という12月も3週間を残すばかり。嵐山の紅葉も終わり、観光客がぱたりと来なくなった。阪急嵐山駅は下車する客専用に臨時改札口を花見と紅葉のシーズンに開ける。

このブログの嵐山駅前の変化シリーズで円形階段と称している場所だ。今週の日曜日まではそこが使われていた。3日前その改札口つまり円形階段のてっぺんに白い板が張られ、その前に地元の小学生が描いた灯篭が雛段のように並べられた。観光客がもうあまり来ないので臨時改札口は使わないという考えだ。ところが、この灯篭を並べるのはその激減する観光客に楽しんでもらうためで、激減具合を少しでも食い止める意味合いで、毎年12月に行なわれる。もう10年ほど前からだろうか、「花灯路」という行事だ。清水寺界隈でも実施される。京都の東の清水寺と西の嵐山は観光地の双璧だ。「花灯路」は夕方から夜の嵐山と嵯峨を楽しんでもらおうとするもので、嵐山をライトアップしたり法輪寺でコンサートが開かれたりもするが、毎年催しは違う。先ほど昨日に続いてまた自治会に配りものをして歩いたが、法輪寺ではテントが張られていて、ばったりと出会ったお手伝いさんから、明日は甘酒の接待があるので飲みに来てほしいと言われた。花灯路の一貫としてそんなサービスもしている。今年は特に寒いので、夜の法輪寺まで行く気になれないが、地元の商店主たちが中心となってこの催しを今後も継続する様子だ。灯篭は賛同する店の前に1個から4個ほど置かれ、その電気代は賛同している店主らが分担する。商店街と呼べないほどのかなりしょぼい嵐山の店の連なりは、花灯路があるからといって売上が増えることは絶対にない。地元の心意気で継続している。ところが狭い道路に歩道はないに等しく、その歩道に灯篭がずらりと並ぶから、歩いていて背後に迫るバスや車が気になって仕方がない。普段灯篭がなくても轢き殺されそうな瞬間を何度も経験しているから、なおさら道が狭まる花灯路の期間中は歩かないに限る。観光客でも同じように不便を感じているのではないか。来てほしいのはわかるが、かえって反感を買うこともある。それはともかく、紅葉の名所とされる嵐山に住んでいるのに、これを書く3階からその山は丸見えで、わざわざ出かけることはない。今年もついに家内ともども嵐山嵯峨の紅葉を楽しまなかった。その代わり、今年は先月23日に京田辺市の一休寺に行き、その後近くの料理屋で2時間ほど会食をした。毎年春秋にある親類の食事会だ。写真をたくさん撮って来たので、余韻がある今のうちに投稿しておく。今日はその最初だ。

この食事会を企画するのは従妹だ。みんなは彼女にすべて一任していて、行くか行かないかを電話で伝えるだけだ。2年前は筆者が幹事を依頼されたが、多忙で断った。今年は集まりが悪く、10人であった。家内は仕事が忙しく欠席した。数年前一休寺の近くにスーパー銭湯が出来た。そこに親類が何度か行った話を聞いていたが、今回はそこには行かなかった。筆者は京田辺市に初めて訪れる。近鉄とJRが通っているが、知り合いがいたためしがないので全く未知の土地だ。そこに一休さんの寺があることは昔から知っていても、わざわざ電車に乗って行くつもりもなかった。一休と言えば若い頃に修行した大徳寺で充分と思ってもいたからだ。だが、実際に訪れて驚いた。とても立派な寺で、一度は行っておく価値がある。紅葉の名所とされているので、秋がいいだろう。従妹から食事会を京田辺市で開くと聞いて筆者にはよぎることがあった。あまり詳しく書くとまずいかもしれないが、10月に金沢に行った時、帰りの電車で中学生男子と仲よくなった。名前も聞いて覚えている。大住(おおすみ)中学校の生徒と言っていた。とても利発で頼もしい子で、家内ともども親しく話をした。筆者の名前も伝えたが覚えているだろうか。彼の住むところから一休寺はすぐ近くだ。そのことを思いながら車の外の風景を見た。想像以上に鄙びた田舎なので意外であった。筆者の妹は食事会には電車で行くと言ったが、梅津に住む従姉らは乗り慣れない電車はいやだと言う。それで筆者が同乗し、人間ナビになって道を教えることになった。そこで前日にヤフーで地図を印刷した。だぶり箇所を極力少なくして印刷して9枚になった。それをホッチキスで閉じて順にめくりながら指示することにした。この作業には慣れている。数年前丹波や綾部の温泉に従姉らと行った時も同じようにした。地図を印刷する前にどこをどう走れば最短距離かを画面上でしっかりと調べる。洛西ニュータウンにひとり従兄の奥さんが住んでいて、彼女を拾って行くというので、そこから一休寺を結ぶ斜めの線を走ればよいが、洛西からその南東方向の京田辺に行くのに、最短距離としての斜めの道があるはずはない。その想像上の線からあちこち外れながらも、とにかく南東目指して進む。運転する従姉の主人はそこそこ道を知っているが、これがかえって具合が悪い。走り慣れた道を行きたがるからだ。それでは遠回りになるし、地図を追う筆者がわからなくなる。そのため、運転席の隣に座りながら筆者は、指示どおりに走れば最も時間も距離も短くて済むと念を押した。天気がよい日で、さほど寒くなかったのがよかった。4人乗って楽しく話しながら走った。9枚の地図はどんどんページが繰られる。残り1枚となったちょうどその時、電話があった。企画した従妹が寺の駐車場に着いたと言う。

地図1枚で約10分要していた。残り1枚ならば10分ほどで着く計算だ。寒い中を待ってもらうのは気が引けるが、思ったほどの寒さではない。それにほとんど予想した時刻どおりに走ることが出来たので、待たせて悪いとの思いは持たなかった。10分やそこらを待つことは仕方がない。それにしても地図を片手に走ったことのない道を行くのは面白い。運転手にしても、いつも走る道の1本東や西の道を初めて走るのは新鮮らしかった。走りながらどこかわからない場所と走ったことがある場所が交互に現われて、頭の中に新たな道の地図を組み立てることが出来る。そのようにして知っている道が増えて行く。それには自分ひとりでは無理で、今回のような機会がよい。同じことはどんなことにも言える。誰しも自分の好きな、また慣れた食べ物や本、服装などの習慣というものを持っている。ほかのものを知らないだけで、それに別段こだわりがあるのではない。何かの拍子にそのほかのものを知ると、やがてそれを採り込む。その何かの拍子は自分ひとりでも遭遇出来るが、たいていは他者との出会いによる。教えられたというほどの大げさなものではなくて、『ああ、こんなものがあったのか』と認識を新たにする。その意味で従姉の主人である運転手は、筆者を人間ナビにしてあちこち出かけたがる。見知らぬ場所を見知らぬ道を走って行くことが楽しいのだ。カー・ナビを買えばいいが、それは味気ないと言う。筆者は車が運転出来ないので、初めての場所は地図を見ながらもかなり不安だ。地図ではわからないが、実際は急な坂であったりするし、赤で記した道筋を絶えず地図上に追っていないと、曲がり角や信号、目印になる建物などを見落とす。道路標識が頭上に架かっているとはいえ、その文字が読めるのは一瞬だ。気づけば違う道を進んでいたということになりかねない。

さて、いよいよ一休寺前の曲がり角に差しかかった。駐車場に着くと、観光バスが1台停まっていた。団体客が訪れる場所なのだ。駐車場の端には土産店があって、食堂も併設されているようだ。そこは覗かなかった。京都市内ではないが、同じ京都であり、どんなものが売られているかだいたいわかる。駐車場に車を停めると、妹らの姿がすぐにわかった。その向こうに首を出して記念撮影する絵看板がある。子どもの方がむしろよく知っている一休さんだ。家族連れで来る人が多いのだろう。その絵看板の背後にすぐ燃えるような楓の紅葉が見えた。あいさつもそこそこに写真を撮ったが、近寄ると思ったほどの赤さではない。オレンジ色だ。駐車場から参道に入るが、それは脇からであって、本当は山門をくぐって入るのがよい。それには駐車場を利用しないに限る。車で訪れると山門を通らずに、参道に直角に接する出入り口から入る。これは味気ない。山門がなかったのかなと思うとそんなことはあり得ないから、受付でもらったパンフレットを今見た。すると山門はちゃんとある。これを利用するには電車と徒歩で来た人だ。あるいはそんな人も駅からはまず駐車場に着くから、やはり脇から入るのかもしれない。現代になって、この寺を訪れる際の最初に出会う山門に気づかないようになってしまった。この駐車場につながる出入り口は、昔からあったのだろうか。駐車場の土地は昔は荒地か畑か、そんなところだろう。この寺の背後の山かその付近にマンションが建つ計画があり、借景を守るために地元では反対運動を起こしているらしいが、バスが通る道路が出来、大きな駐車場を作った段階で周囲が開発されることは予想がつく。法律を犯していない限り、何でもありだ。寺や檀家の言い分はわかるが、土地の所有者はそれから利潤を挙げねば固定資産税も払えない。一番いいのは寺がその土地を買うことだ。だが、多角経営でも寺は苦しいかもしれない。大きな寺では庭の手入れひとつ取っても大変だ。それに建物は老朽化が数十年単位で確実に生じる。普通の家は数十年単位ですっかり建て変わるか消失しても誰も気に留めないが、名刹となれば保存して行かねばならない。それは新しく建てるよりはるかに大変だ。昨日は表具のことを少し書いたが、新装では数万のものが、改装では10倍かかることが普通だ。しかも古い表装裂を再使用しての話で、手数料のみでそれだけかかる。修復作業がいかに高くつくかを思えば、寺の維持管理は常人には考えられない苦労がある。坊主丸儲けなどという言葉があるが、丸儲けしたものはまたどこかに費やさねばならない。寺があることによってうまく循環している経済がある。