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●「LOVE STORY(YOU AND ME)」
足で歩いているといつの間にか寒さを忘れる。家の中でじっとしているとかえって寒い。とはいえ本当に寒いのは確かで、昨日はホット・カーペットを敷いた。炬燵を出すかストーヴにするか、まだ決めかねている。



●「LOVE STORY(YOU AND ME)」_d0053294_134297.jpg例年ならば12月末まで暖房器具なしで過ごせるのに今年は違う。それだけ気温が早く低くなっているのか、年齢を重ねたせいか、老いると寒さに耐えにくくなるようで、売茶翁も80代になった時にそんなことを書いている。若い頃に常人には真似の出来ない修行をした禅僧ですらそうであるから、普通の人は冬になれば猫のように身を丸くして部屋に閉じこもる。元気なのは小さな子どもだけで、筆者が子どもの頃も80代の老人の姿はあまり見なかった記憶がある。ついでなので書いておくと、近所にヒガシヤと呼ばれる駄菓子屋があって、ガラス戸を開けて入ると、モルタルを床に塗ったガランとした6畳ほどの部屋の片隅に菓子を入れた平たいガラス箱が並んでいた。入る時には「ちょうだーい」と声をかける。すると40代だったか、子どもなのでよくわからないが、割烹着を来たおばさんが出て来て応対してくれた。これがやがて痩せたおばあさんに交代した。儲からないので、きっと嫁さんであろうが、40代のおばさんは働きに出たのだろう。家の留守番をしながら子ども相手に駄菓子を売るのはおばあさんということになったと思う。そのおばあさんがまた足腰が不自由で、いつもしかめっ面をしながらよたよたと筆者の前に現われた。髪はほとんど真っ白で手入れせずに乱れ放題、シミーズ姿のままでしかも目の周囲を真っ赤に充血させていた。その形相が子ども心ながらに鬼に見え、哀れを誘った。子ども相手の駄菓子売りの利益と体を動かす億劫さを天秤にかければ、もちろん商売などはどうでもよく、部屋の中で体を休めておきたかったに違いない。歓迎されていないことがわかったので、ぴたりとその店には行かなくなった。間もなくその家で葬式があった。そのおばあさんは筆者がこうして半世紀以上も前の姿を思い出して書くことを想像もしなかったであろう。だが、こうは思ったかもしれない。「この子もすぐにわたしみたいに老いさらばえる。人生とはそんなもの。」
●「LOVE STORY(YOU AND ME)」_d0053294_1343030.jpg 子どもが生まれてからは、街中を歩いていても同じような子どもやその親によく目が行った。子どもを持たない同世代の男性は、小さな子を見ても少しもかわいらしくないどころか、蹴飛ばしたいほど憎たらしいと言ったことがある。子どもがうるさいのがかなわないのだ。わが子を持ってみるとまた考えが変わるが、それは当然でもそのことが子を持たないとわからない。何事も経験というつもりはないが、経験してわかることは多い。わが自治会が所属する学区には「見守り隊」という名称の児童を学校まで送り迎えする人員がある。わが自治会からは60代半ばの独身男性がこの6,7年担当してくれたが、体調を悪くして来春からは代わりの人を見つけねばならない。それにふさわしい人に声をかけると、肝臓が悪く、また足が遅いので児童の方が前を走って保護することが出来ないと言う。小学校1年生は70代の老人より元気で足も速い。子どもが好きで、朝の集団登校時と、下校時刻に学校まで毎日往復してくれる中年がいればいいが、共働きの時代でもあってなかなかそれは難しい。子どもだけで下校させると、バスが頻繁に通る道もあって、事故が心配だ。それに観光客が多い地域なので、誘拐されることも考えねばならない。児童を抱える親が交代して役に就けばいいが、30代の夫婦はたいてい仕事に忙しい。これほど高齢化が言われているのであるから、暇な老人はいくらでもいるはずだが、児童の送り迎えで何か事があると責任を問われると思うのかもしれない。それだけ老人に近づくと人と接することが億劫にもなるのだろう。数か月以内に代わりの人をどう見つけるか、心配がまたひとつ増えた。最悪、筆者がということにもなりかねないが、それを引き受けると10年ほどは逃れられないだろう。
 近頃の児童がどんな具合であるかは地蔵盆で接しているのでだいたいわかるが、自治会が違えば住民の質も違う。先ほどムーギョに向かいながら暗い道を歩いていると、前に小学3,4年生らしき男女が数名歩いていた。背の高い女の子が「肺が痛い」と言うと、隣の女子は「胃が痛い」と笑いながら応答し、すぐに肝臓や頭が痛いと言い合いをした。それを聞いていた背の低い男子が「まんこも痛い」と口をはさむと、女子は「まんこは痛くない」と笑って返した。小学生がそんな会話をするとは時代がオープンになったと言えばいいのか、単に下品さがわからなくなったと言えばいいか、学校でもそんな言葉が飛び交っているのだろう。「そんな言葉は使ったらあかんよ」と注意すればよかったかもしれないが、大人を怖がりもしない様子があった。それは寒い夜空に発散される、いかにも子どらしい快活さと言い換えることも出来る。さて、3階は暖房器具をまだ使っていないので、これを打つ両手がえらく冷たい。パソコンでユーチューブをBGMにしながら書いているが、この10日ほどはランディ・ニューマンを思い出したように聴いている。彼のアルバムは80年代に妹の友人Eくんから借りた。カセットの録音したものがまだある。1968年のデビュー・アルバムと、彼の曲ばかりをカヴァーしたハリー・ニルソンのアルバムを同時に借りたと記憶する。Eくんはニルソンのアルバムはほぼ全部持っていて、それらを順に借りたが、ニルソンは最初期が特に素晴らしい。最初期で才能がすっかり完成している。それはランディ・ニューマンも同じで、デビュー・アルバムが一番いいのではないだろうか。とはいえ、筆者はほかに『BAD LOVE』と映画音楽のLPを1枚しか持たない。それでも今ではユーチューブで代表曲やまたCDでは収録されないヴァージョンがふんだん味わえる。ほとんどの曲が2,3分の短さで歌詞も単純だ。映画『トイ・ストーリー』を封切り時に映画館で見た時、その主題曲をニューマンが歌っていることに納得したが、ニューマンはアメリカを代表する誰からも愛されるシンガー・ソング・ライターではないだろうか。
 それは万人向けで毒気がなく、他愛ないものと思うと大間違いだ。ニューマンの曲にはアメリカの広大さがあって、日本のちまちました歌い手とは規模や風格がまるで違う。おおげさに言えば、ニューマンをじっくり聴くとアメリカがわかる。それはメロディもだが、やはり歌詞が重要だ。ニューマンの曲は歌詞に命があり、翻訳ではなく英語そのままで味わうべきだ。またそれが出来るほどに単純なものが多い。であるからこそ『トイ・ストーリー』の主題曲も歌ったのであろう。ニューマンの歌詞は一言すれば暖かい。だが、そこには辛辣さが裏打ちされている。これはいくつかの曲の歌詞を味わえば即座にわかる。EくんにLPレコードを返しながら、筆者はニューマンはシューベルトといった昔の歌曲を勉強していると感想を述べた。それは直観で、また根拠のない勝手な意見だが、ピアノを弾きながら語り歌うその様子は、シューベルトの歌曲の現代版を思わせるに充分なほど純粋で完成度が高いと思った。それは今も変わらない。シューベルトが現在生きていると、ニューマンのようなメロディを書き、そして歌詞を歓迎したのではないだろうか。ニューマンはシューベルトより長生きしているので、シューベルトのような天才とは評価されないだろうが、現代アメリカの天才音楽家のひとりとして貫禄充分だ。ニューマンの曲は不思議で、聴き始めるとしばらくはほかの音楽を聴く気がしない。特に今のような晩秋から初冬にかけてはぴったりだ。体を縮めて心の中を覗くと、ニューマンの曲のメロディがどこからともなく浮かんで来る。それはニルソンの歌声であったり、ニューマンであったりするが、今ではニューマンの歌声がいいと思う。ニルソンほどに美しい声ではないが、作詞作曲した者ならではの力が伝わる。ニューマンの曲をどれはひとつ挙げるのは難しい。いや、不可能だ。あまりにも名曲が多い。今BGMで「YELLOW MAN」が始まった。これを昔ニルソンの歌声で聴いた時、本当に驚いた。情景が映画のように眼前に見えたからだ。これはニューマンのどの曲にも言える。これほどに視覚性を持った歌詞を書く才能はほかに知らない。それも簡単な単語だけを使う。「YELLOW MAN」は黄色人種のことだ。その夫婦、そして子どもという家族を外から見て、勤勉さを讃える。東洋人家族の貧しいながら団結した生活ぶりと言えば、50、60年代の話で、その後は事情も変わっているだろうが、移民を相変わらず受け入れているアメリカであるから、この歌詞がいわんとすることは普遍的だ。だが、この曲に白人による東洋人移民への見下しをわずかに感じる人はいるかもしれない。「毎日米を食べる」や「黄色い男が手にしっかりお金を握っている」といった表現にどこか差別的な臭いが漂うのは事実だ。だが、それも含めてアメリカであり、ニューマンは率直に見て率直に歌う。
 ニューマンは名前からわかるが、ユダヤ系だ。だが、ほとんどそれを意識して育たなかった。この点はジョン・ゾーンとは大きく違う。それもまたアメリカで、血脈を意識しない、させないニューマンの歌詞はアメリカの平等主義を強く信条としているように思わせる。「YELLOW MAN」もそういう曲の代表だ。東洋人家族のことを歌う曲がほかにあっただろうか。ニューマンが人種差別に敏感かどうかは、黒人について歌った曲を見るとよい。それには「REDNECS」がいい。この曲は黒人の置かれている、また今後数世紀かそれ以上も続くに違いない状況を描く。「昨夜レスター・マドックスをTVで見た。ニューヨークのユダヤ人の格好つけの馬鹿と一緒だった。ユダヤはレスター・マドックスを笑った。観客も笑った。マドックスは愚かだろうが、それはおれたちの愚かさだ。マドックスよりいいと考えるのは間違っている。それでぼくは新聞を買って公園に行き、この曲を書いた。おれたちはここで面白い話をしている。たくさん飲んでたくさん笑う。おれたちは北の町ではそんなことをせずに無口になる。そしておれたちはクロンボを抑え込んでいる。おれたちは肉体労働者だ。地面の穴から尻の穴がどう見えるか知らない。おれたちは肉体労働者だ。そしてクロンボを抑え込んでいる。今では北のクロンボは「黒人」だ。彼は威厳を得たね。ところがここではすっかり無視している。北がクロンボを自由にしたことを。クロンボは鳥かごの中で自由だ。ニューヨークのハーレムだ。シカゴの南、そして西の鳥かごの中で自由だ。クリーヴランドのハフの鳥かご、セント・ルイスの西の鳥かご、サンフランシスコのフィルモアの鳥かご、ボストンのロクスベリの鳥かごに収められての自由だ。彼らは数マイルの範囲に集められている。おれたちはクロンボを抑え込んでいる。」 レスター・マドックスは黒人を抑圧した人物だが、それを笑えないとするのは、マドックスを選出しているのは民意であるからだ。黒人大統領が誕生しているのでこの歌詞はいささか時代遅れという意見があるかもしれない。だが、大都市の片隅の数マイルの狭い地域で集まって暮らすのは今でも、また今後も変わらない。日本でもそうした差別は厳然と残っているし、また今後もなくならない。ニューマンはセント・ルイスの出身で、身近に黒人を見、またそもそも自分の音楽が黒人のそれがなければ生まれなかったことを自覚しているだろう。
●「LOVE STORY(YOU AND ME)」_d0053294_1344719.jpg 曲を例に挙げると切りがないが、もう少し書く。「I‘M DEAD(BUTI DON’T KNOW IT)」という、題名からして面白い曲がある。ニューマン56歳の1999年に発売された『BAD LOVE』に収録され、この曲のみがロック・バンドをしたがえて歌われる。ユーチューブではピアノを弾きながら歌うヴァージョンがあってそれも聴きものだが、ロック・バンド・ヴァージョンは全く様相が違って、センスのよさが光る。「おれは言い残すことがない。けれどそのことを言っておこう。30年もステージに上がって人々がこう言うのを聞く。「いつ行ってしまうつもり?」 おれは死の家々を通り過ぎる。あいつらは仲間になれとおれを呼び続ける。だが代わりにもがくぜ。神さんよ。優しい神さんよ。真実からおれを守ってくれ。おれは死んでいる。けれどそれを知りたくない。「あいつは死んでいる。」どうかそんなことを言わないでくれ。おれを進ませてくれ。」といった調子でまだ続くが、ジェスロ・タルにも似たことをテーマにしたアルバムがあった。若さと美貌が売りの女優、あるいはいい成績を挙げてこそのスポーツマンと違って、作詞作曲自演のニューマンは自虐的な歌詞を書いてまでも喝采を浴びることが出来る。才能はいろいろでも、創造する者の強みを思う。とはいえ、ニューマンはマンネリ化している自分を思い、最後のヴァースでは「この苦いゲームはいつ終わる? この酷い真似事はいつ終わる? おれの書くすべての音はみな同じだ。作るどのレコードも作ったレコードのようだ。しかも全くよくない。」と歌う。こういうことを吐露して作品とすることは、創造者としてはルール違反と言えるが、ニューマンの場合は全く様になっているから愉快だ。悲しいことを歌ってもどこかに明るさがあって、微笑んでしまう。大人なのだ。そしてそれがデビュー・アルバムから一貫して変わらない。そのアルバムの最初に収められる曲「LOVE STORY(YOU AND ME)」を今日のタイトルに使った。その歌詞を最後に訳しておこう。「君のお母さん、好きだよ。君のお兄さん、好きだよ。君も。そして君もぼくが好きだ。ぼくたち、牧師さんを見つける。指輪を買い、バンドを雇う。アコーディオンとヴァイオリンがあって、テナーの歌手もいる。君とぼく、君とぼく、ねえ、君とぼく、君とぼく、ねえ、君とぼく、君とぼく。子どもを持とうよ。それともひとり借りるかな。真っ直ぐに育ってね。ぼくたちは曲がったのは嫌いだ。彼は醸造仕立てのビールを飲む。大きな金属のコップで。いつか大統領になるかもしれないね。事態がよければ。君とぼく、君とぼく、ねえ、君とぼく、君とぼく、ねえ、君とぼく、君とぼく。毎朝電車で市内へ行くよ。君は地味だろうけど、朝はかわいいと思うよ。ダンスに行く夜もあるね。ぼくが疲れ過ぎないならね。ふたり座ってくつろぐ夜もあるよ。暖炉のそばで深夜のショーを見ながら。ぼくたちの子どもが大きくなって子どもを持った時、ぼくたちを追いやるかな。フロリダの小さな家に。ぼくたちは一日中チェスをするね。この世を去るまで。」こんな生涯を見通した歌詞を20代半ばで書いたが、ニューマンは奥さんと離婚して孤独になり、そのことをまた歌詞にして歌っている。
by uuuzen | 2012-11-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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