●パレードな日々です。
しておきたい思いもなし、また託す人もないので、増える一方の持ち物は目が黒い間に自分で処分しておこうと思っている。それをいつ始めるかが問題だ。



癌が発見されて余命いくらかが宣告されれば、本当にそのような思いになれると思うが、癌宣告を受けた人たちは持ち物をどうしているのだろうか。そんなことを特集したTV番組があっていいはずなのに見たことがない。物より命が大切であるからそれも当然か。筆者は相変わらず本やCD、その他を毎日のように買い込んでいる。まるで命を実感することが好きな本やCDを買うことのように思っている。命より物が大切と思っているのかもしれない。購入した隣家も1,2,3階全部に本がある。これを書いている家でも同じで、階段や裏庭の物置にまである始末だ。一か所にまとめたいと思いながら、その機会が訪れる前に処分を始めることになるかもしれない。人生は短い。好きな物に取り囲まれていても、その期間はごくわずかで、物はまたどこかへ去って行く。さて、先日は「パパレードのパレード」と題して書いた。物が増え続ける様子からはパレードを連想する。それは「毎日が続いているパレード」のイメージと一緒になっている。つまり、最近は物が増えない日がない。必ず何かが届く。それが生きていることの証ででもあるように筆者は思っているのかもしれない。で、今日は今春からこっち、パレードに関して撮った写真を放出することにする。「パレード」を思ったのは、『JPS展 日本写真家協会』に掲げた写真を撮った時だ。類人猿から人へと進化していく様子を5個の小さな木片を並べて表現したものが窓の桟に載せられていた。この写真をどの投稿に使ったのか思い出せず、小1時間必死になって調べた。「新・嵐山だより」とばかり思っていたが、そうではなかった。毎日がパレードのように押し寄せて来るから、古いことは忘れて行く。遠くに去った人の列は見えなくなるのと同じことだ。そして眼前に進行中の列に目が吸い寄せられる。死の直前までそうであるはずで、物の処分はなかなかする気が起こらない。親しんだ物が周りから消えるとさびしい。物には記憶が詰まっている。前にも書いたが、老人ホームに行く人は所有物の大半を処分せねばならない。それは筆者には耐えられない。そう思うと、こうして書く文章は嵩張らないので便利だ。重量もない。誰かに何かを託すために書いているのでないが、勝手に誰かが読んで何かを思うであろう。それは筆者はわからないし、関係のないことだ。
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 今日もザッパの新譜CDは届かなかった。明日で20日経つ。1か月かかることもあるから、気長に待つしかない。これを書くパソコンの横に、通販で買ったザッパのこれまでのCDを並べている。次の新譜が届けば、それを加えたパレード状態の写真を撮るつもりでいる。CDは自分で作った棚がふたつあるが、収まり切らないものは横積みにしている。そうなればなかなか聴くことはないので、本もそうだが、出来ればすぐに取り出せるように縦に並べたい。本は所有する半分以上が横積みになっている。そうなると下の方にあるものは取り出す気が起こらず、持っていないも同然だ。これが本当はひどく悲しいが、なるべく思わないようにしている。パレードしたり、それを好むのは人間だけだが、物をコレクションすることが好きなのもそうだ。男は特にそうだと言われる。なぜだろう。頭の構造が女性とは違うからか。横積みにしている本やCDは、記憶がかなり曖昧になる。持っているという気があまりしない。思った時にすぐに取り出せるような状態で並べておかなければ意味がない。前述の『JPS展 日本写真家協会』に掲げた写真はようやくのことで思い出したからいいものの、毎日パレードのようにこうして書く文章の整理はあまりよく出来ているとは言い難い。それはそうだ。本やCDを完全に整理整頓していないことと同じ状態にあるはずで、文章はその人の生活を表わす。これを書く部屋に不意には人を入れないが、それは足の踏み場もないほどに散らかっているからだ。人を呼ぶとなると、数日前から掃除や整理をしなければならない。となると、この文章を誰もが読める状態にしているのはかなり図々しい。人に見せられる部屋ではないのに、その部屋で書く文章を人に見せることは辻褄が合わない。
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 先ほどデジカメで昨日撮った写真を加工した。たくさんあるので半分でいやになった。加工しながら思い出したのは、先日から何度か書いている映画『いとこ同志』のタイトル・バックに映る兵隊人形のパレードだ。その大きな写真をなくしてしまったが、アイコンとしてのサムネイル画像がスマート・メディアに記憶されていて、加工する際に表示される。それをクリックすると別の最新の写真が出て来るのに、サムネイルだけは古いものが記憶されている。そのサムネイル画像のパレード状態を先ほど撮影した。上段左端は以前紹介した家内の顔のピンボケ写真で、右端がその兵隊の人形のパレードだ。白黒映画でもあり、またサムネイルであるので何が映っているかほとんどわからないが、上端近くに隊列すなわちパレード状態であるのはわかると思う。上段右から2枚目もパレード写真と言える。これは大きな写真を今日載せる。蝉の抜け殻を並べたものだ。購入した隣家の裏庭で見つけた。わが家の裏庭でも見つかるが、隣家では面白いように次々と見つかった。捨てるのがもったいない気がして、まとめて台所に置いていた。そのまま2年ほど経ち、最近思い出して確認すると、全体にうっすらと白い黴が生えていた。部屋に湿気があるのと、有機物であるから少しずつ風化している。これ以上置いておいても仕方がないので、パレード状態に並べて写真を撮った。蝉も毎年パレードをするように地中から湧いて来る。人生だけではなく、自然もパレードが好きだ。その絶え間ないパレードの中に自分も含まれ、どんどん行進してどこかに去って行く。そうそう、自治会の告知チラシの配布で筆者は決まった行動をする。法輪寺の住職宅のポストに入れる際、参道前の車道端から歩数を数え始める。ポストは長い石段を上って砂利の広場を横切ったところにあるが、階段は一段を一歩として数えながら行くと、いつもほとんど257歩で到着する。普段歩き慣れている筆者だが、石段は苦手だ。ポストの前に着くとフーフー荒井息をする。それを内心格好悪いと思う。257を数えた後、帰りはまた歩数を数えればいいが、それはしない。往復では257×2であるからだ。無駄なことはしない。だが、往路の歩数を数えることは無駄ではないのか。ついでに書いておくと、松尾橋の歩道がちょうど257歩だ。これがあまり納得が行かない。松尾橋の方がはるかに距離があるように思う。法輪寺では石段一段が一歩であるので、距離的には松尾橋の長さより短い。しんどさは法輪寺が上だ。それから思うに、山登りする人の体力はすごい。聞くところによると、最も体力にない人に合わせてゆっくりと登るのであまり疲れないらしい。だが、筆者は山にへばりつく人のパレードには加わりたくない。
 今日は映画の感想を書くつもりでいたが、気が思い。それで古い写真の消化で茶を濁すことにした。ああ、濁った茶で思い出した。一昨日家内と紅葉を見に行った。その場所でしること甘酒が売られていた。毎日先着200名は無料であったが、すぐにその分は配布が終わり、その後は100円で販売しているとのこと。家内は濃い紫色のしるこ、筆者は白く濁った甘酒にした。40代の女性は紙コップに半分しか注いでくれなかった。鍋にたくさん残っているし、販売時間終了間近でほとんど残ってしまうというのに、えらくサービスが悪い。大阪ではあり得ない。京都はケチだ。家内はまずいと言いながら半分以上を筆者に寄越したが、思い直して全部一気に飲んだ。温まるからだろう。甘酒はあまり甘くなかった。それよりも驚いたのは、とても歯に浸みたことだ。ここ数年そんなことはなかった。とても痛かった。デスパレートな気分になり、近いうちに歯医者に行かねばならないと思った。家内にそのことを言うと、家内も歯が浸みると言う。甘さのせいとのこと。浸みた歯は前歯だ。恥ずかしいことだが、筆者は20代で前歯の片方にうっすらと縦に灰色の筋が出来た。虫歯だ。その出来方が変わっていた。歯の下端の断面に針よりも細い穴がひとつ開き、それが上方へと浸食して行った。その速度はとても遅く、あまり気にしなかった。歯医者はそのまま放置しておいた方がいいと言った。変に削るとそこがまた虫歯になりやすい。奥歯と違って薄い前歯であるから治療も難しいのだろう。灰色の縦長の染みが拡大し、かなり目立って来たのは50代だ。30年かかってようやく治療した方がいいというところまで虫歯が成長した。どう削ってもらったのかわからないが、最初は裏側から浸食している箇所を全部取り去ってもらった。そうなると歯は半分ほどの厚さになり、脆くなる。だが、筆者は歯医者が驚嘆するほど歯は丈夫なようで、薄くなった歯が折れやすいということない。ところが、削った箇所を埋めてもらったはいいが、毎回保険で利く安物だ。3,4年で剥がれる。そのたびに歯をまた少し削る。そういうことを三度ほど繰り返した時、今度は前からも削る必要が生じた。詰めものをすると、どうしてもそこからまた虫歯になりやすい。詰め物の色は歯の色に合わせてくれるが、コーヒーを好む筆者はどうしても茶色に染まる。それを防ぐには歯をよく磨くことだが、そうすると詰め物が減る。結局よく持って3,4年だ。前回から3,4年経った。前回はこう言われた。「もう2回ほどは削ることが出来ますが、その後は差し歯にする必要があります。差し歯にするとやがて歯肉が悪くなります。そして歯槽膿漏が生じます。」若い女優でも前歯の片方を差し歯にしているのをよく見かける。歯肉が紫がかっているのですぐにわかる。女は何よりも口元だ。いや、男もそうだろう。この調子で行くと70になる頃には筆者は前歯の片方を差し歯にする必要がある。それがとてもいやだ。自分の歯で物を噛みたい。甘酒を飲んだ途端にひどく浸みたのはその前歯だ。その後は同じことが起こらない。甘酒に原因があったのか。だが浸みるのは確かであるし、知らず知らずのうちに歯も悪くなっている。歯こそはいつまでもきれいなパレード状態のままでありたいが、60を超えると悪くなって来るのは自然だ。今日の最後の写真は歯のパレードだ。京都市内のとある歯医者の看板だ。歯医者の看板はかわいらしいものが多いが、歯が楽しげにパレード状に並ぶのは初めて見た。
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by uuuzen | 2012-11-26 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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