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●『UNDERSTANDING AMERICA』その3
会的な価値がないと言われるのは侮辱だろうか。社会もさまざまであるから、個人の価値に対する基準が本当に社会全体に当てはまっているのかどうかわからない。社会的な価値を言い出すと、人間に存在価値があるかという問題に行き着く。



自分が理解出来ないものを人はよく否定したがるし、その際、「社会的に無価値」などと表現する。わからない人に口酸っぱく言ってもわかるはずがないと思って、あまり関わらない方がよい。人生は短いのであるから、つまらぬことに口出ししないに限る。いわゆる世間で言われるポルノ・ロック、つまりポルノ的な歌詞を持ったロックには「社会的な価値がない」と考えて、何らかの制限を設けようとした人たちが1985年のアメリカに登場した。子どもをポルノの害から守ろうということだ。ザッパはそれに対して意見を述べるためにいくつかの公聴会に出席した。表現の自由を守るためというのが大前提だが、まず自分の意見を書いて発表し、それに対する議員の反応を聞き、またそれを録音することに、音楽家としての狙いがあった。公聴会に出て考えを述べるより、もっと音楽活動に精を出してほしかったとファンは思うかもしれないが、どんな行為でも無駄にしないザッパで、議員とわたり合うことは一石二鳥の行為であった。また語りと音楽が半々に収録される『ランピー・グレイヴィ』からすれば、ザッパが議員の声を自作曲にそのまま用いるのは全く納得出来る行為だ。公聴会での議員の発言から、ザッパは最も印象的な箇所を選んで85年のアルバム『検閲の母に出会う』の最大曲「ポルノ戦争」に収録した。その「デラックス」ヴァージョンが本作『UNDERSTANDING AMERICA』に収められるが、同ヴァージョンの編集は『検閲』ヴァージョンより後か先か。どちらかはわからないが、同時期に考えられたものではないだろうか。『検閲』ヴァージョンは途中でアルバム『THING-FISH』のアウトテイク曲が入る。これは『THING-FISH』の配給がレコード会社から拒否され、EMIから出すことになったことに端を発して『検閲』が生まれたと言ってよいから、ザッパとしてはぜひとも『検閲』ヴァージョンを『THING-FISH』と強く関連させたい思いがあった。それはともかく、ザッパはある曲に他の曲の断片を混ぜることをしばしば行なったので、複雑な仕上がりの『検閲』ヴァージョンに今さら驚くことはなかったが、同ヴァージョンは長いギター・ソロを含まない12分の大曲だ。そしてその中間に、独立させ得るほどの『THING-FISH』のアウトテイクを収録したことは、ひとつには同ヴァージョンが議員の発言を中心とした音楽的要素がきわめて少ないことのファンへの罪滅ぼしのつもりと、もうひとつは『ランピー…』への思いが見える。語りと音楽はザッパにとって比重がほぼ同じであった。つまり、『ランピー…』の85年版が「ポルノ戦争」の『検閲』ヴァージョンであると見てよい。
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 そのことは、デラックス・ヴァージョンを聴くとわかる。これは『検閲』ヴァージョンのように『THING-FISH』のアウトテイクを含まない代わりに初期に遡って自作曲をふんだんに引用し、曲全体をさらに複雑な入れ子状にしている。つまり、別の曲を含むことでふたつのヴァージョンは共通する。『検閲』ヴァージョンと全く違う点は、議員の語り、あるいはそれから想像出来る議員の風貌などに応じた過去の自作曲を引用していることで、より議員の発言に逐一沿った仕上がりとなっている。それはしつこさが露わで、何もそこまでと思いたくなるほどだが、別の見方をすると、議員たちとわたり合ったことがほとんど人生最大のハイライトのようにザッパには面白い体験であったように思える。ミュージシャンや観客を相手にすることを慣れていても、政治家となると出会いは初めてであったはずで、彼らがどう自分の意見に反応するか、その人間性を見てやろうという期待感がふたつのヴァージョンから滲み出ている。ふたつのヴァージョンは議員の発言のほんの少しであり、また前後の文脈から断ち切った断片であるので、そこにザッパの作為が混じるが、それでも議員たちは人間性を示していて、それがザッパには興味深かった。ここでは議員はマザーズのメンバーと同じと言ってよい。ザッパはどのような面白い発言が得られるかと思って出席し、そしてどうにか曲の素材となるものを得た。それはほとんどトラウマになったほどで、88年のロック・ツアーにも同じ声をサンプリングして使用する。その最大の収穫はふたつのヴァージョンに収録される冒頭の議長の言葉に続くホリング議員の発言だ。それは煮詰めれば、「ポルノ・ロックは社会的に無益」で、また「たぶんわたしはよきロック・スターになれるだろう」だ。後者は「わからないが」という言葉が続くが、ザッパは政治家が「よいロック・スター」になれると自惚れることに呆れ果て、この「たぶんわたしはよきロック・スターになれるだろう」は特にデラックス・ヴァージョンでは何十何百と繰り返して使う。ともかく、『検閲』ヴァージョン以上に議員をこけにしていて、この粘着性こそがザッパの緻密な音楽を作り上げる原動力であった。ところで、公聴会での元の素材は2010年のアルバム『Congress Shall Make No Law…』でたっぷりと発表されたが、長文のしかも議会用語が混じる英語を聞き取る日本のファンはごく限られるだろう。そういう膨大とも言える録音を得るにはそれだけザッパが公聴会のために時間を割いたことを意味し、「時は金」と考えるザッパは、その元を取るために『検閲』ヴァージョン以外にデラックス・ヴァージョンを作り上げたことは充分納得が行く。そして驚くべきはデラックス・ヴァージョンが本作の中にあって、入れ子状の中身として機能していることだ。この二重構造は一方でベスト・アルバムとして機能しており、しかもそれがデビュー・アルバムを回顧することから始めているため、本作はザッパが死期を悟り、走馬灯のように自作曲を並べ、また聴き返している姿が見えるようで、ほとんどザッパの白鳥の歌のように思える。そう考えると、デラックス・ヴァージョンは『検閲』ヴァージョンよりかなり遅れて最晩年の編集ということになるか。そうであれば、公聴会への出席はザッパの生涯で最も記憶に強い議員相手の即興の会話であったことになる。その会話が音楽行為と等しかったことは『ランピー・グレイヴィ』からわかる。『検閲の母に出会う』の原題に「MOTHERS OF PREVENTION」が含まれることもそれを示す。ホリング議員が言った「社会的に無益」は実はザッパもそう思っていたのではないか。無益でも楽しければよい。そにため、ホリング議員の「たぶんわたしはよきロック・スターになれるだろう」を面白い発言として自作曲に執拗に使った。ザッパは本当にホリング議員をステージに上げて歌わせたかったのではあるまいか。いやな奴でもこちらの持って行きようで面白い対話が生まれる。その態度が大人というものだ。ザッパは充分大人であった。ただし、それはストレスを植えつける。癌になった原因はそんなところにあったりするのではないか。それに本作のジャケットや盤面に印刷されるタバコの煙もよくなかったと思える。ところで、ザッパは毎年健康診断を受けていたのに、癌が発見された時は手遅れであった。ここに「その1」の最初に書いたNHKアナウンサーの不可思議と思われている痴漢事件を対峙させるとどうか。同事件は一部では権力の謀略と考える意見があるが。
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by uuuzen | 2012-11-21 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)
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