妖精と花とは少女漫画的な映画かと思うと、女子大学生ふたりと助教授の三角関係の内容で、どこか反道徳的な匂いが漂う。筆者2歳頃の1953年の封切りで、しかも大阪が舞台であるので興味深く見た。
2週間ほど前、KBS京都の中島貞夫監督が往年の邦画を紹介する番組で放映した。途中から気になり、後半から録画した。原作は藤沢桓夫が前年に発表した同じ題名の小説で、なかなか面白かった記憶違いかもしれないが、藤沢は確か読売新聞朝刊の人生相談を週1回ほど受け持っていたと思う。80年代だ。その答えがとても印象的で、いくつかはよく覚えている。小説は読んだことがないし、また顔写真も知らないが、文章からは真面目さが漂い、好感が持てた。今その頃の思い出とこの映画の内容を比べると、なるほどと思う部分がある。またどこか風刺も効いていて、この映画に登場するすべての人物を突き放して見つめているような思いにも囚われる。この映画の感想は昨夜まで書くつもりはなかったが、昨夜『旅情』について書いている間にこの映画が思い浮かんだ。それで印象がうすれない間に書いておく。今日は録画しておいた後半を早送りで見返し、映画の筋とはほとんど無関係だが、画面の写真を何枚か撮った。まずそのことから書く。昨夜書いたが、京都でも20年で街並みが一新するが大阪ではもっとだ。そのことはこの映画を見るとよくわかる。主人公の女子大生である小溝田鶴子は久我美子、彼女が思いを寄せる女子大の英語を教える丹下助教授は森雅之が演じる。ふたりが進路に悩んで落ち合って話をする場面では大阪の中之島が映る。中之島はこの半世紀で阪神高速道路が堂島川の上に架かり、たとえば中央公会堂から北を眺めるとさっぱり向こうが見えない。このブログで何度か今までに書いたが、美的感覚のない連中がそのような高速道路を設計した。これは東京でも同じだ。金儲けには景観などどうでもよいという考えが当然のごとく容認された。今もそれは変わらない。ヴェネツィアの古い街並みの中に同じような高速道路を縦横に走らせるだろうか。そんなことを提案すると、「お前、頭が狂っているのか」と絶対に言われる。その狂っていることを平気で大阪や東京はこの半世紀にして来た。映画『旅情』ではヴェネツィアの街中に至るまでのラグーン上に鉄道が敷かれた。その車内でキャサリン・ヘップバーン演じるジェインは向かい側の席に座った男性に「ロマンスのヴェネツィア」と印刷された観光案内パンフレットを手渡し、その表紙を自分に向けさせながら8ミリ・カメラを回す。ヴェネツィアがロマンスの街であるとの宣伝は心憎い。それは誇張だろうが、そう思わせないほどに街並みは何百年も変わっていない。ところで、大阪は近年「水の都」を大いに宣伝して観光客誘致に必死だ。「水の都」はそのとおりだが、ヴェネツィアとは大違いで、頭上の高速道路で川の景観はさっぱりだ。せめて高速道路が地下にあって見えないのであれば、ヴェネツィアらしい趣は残った。今日取り上げる映画はまだその高速道路がない時代の、空が広い中之島を見せてくれる。それはロマンスにふさわしい。
この映画の監督がそう思ったかどうか知らないが、確かに1952年の中之島に架かる橋界隈の景観は、映像を見ているだけでも胸が締めつけられるような懐かしさのようなものを感じさせる。筆者が2歳であった頃の映画であるし、筆者が中之島を初めて訪れたのは小学生になってからであるから、この映画に見える中之島の光景は記憶にないが、それでも現在の無残な姿と比べると、半世紀でどのように変わって来たかがわかる。それは発展という言葉で評価されるが、破壊と見ることも出来る。今の中之島でこの映画の原作をもとにリメイクしても、きっとどうにも醜悪な映像になってしまう。つまり、大阪からロマンやロマンスは消えた。田鶴子と丹下は大阪市内のどこに住んでいるのかわからないが、貧しい田鶴子は大正区あたりで、丹下は住吉区であろうか。大阪はすっかり変わってしまったので、画面から見えるわずかな家並みからはわからない。そのふたりが話し合うのに中之島というのはロマンティックだ。それは今でもそうかもしれない。川岸を散策し、また橋の上から川の流れを見るのは大阪市内のほかでは味わえないムードがある。映画の後半、ふたりがわたり、橋の中央付近でしばし語る場面がある。とても重要な場面で、丹下は田鶴子に愛を告白する。背後に流れる音楽はショパンのバラード風のもので、繰り返すメロディがふたりの思いをよく表現している。せっかくの愛の告白を田鶴子は拒否し、ひとりで橋を北に向かって走り、丹下のもとから去ってしまう。話し合っている時に見えるのが「朝日新聞」のネオン塔で、このことでその橋が中之島に架かるどれかがわかる。またカメラをクレーンからぶら下げたのか、ふたりの頭上高くから撮った映像では向こうに車や人がたくさん通る橋が見える。この橋は肥後橋だ。つまり、ふたりが語った橋はひとつ上流の錦橋だ。これは全く同じ形で現存して利用されている。歩行者専門の橋で、カップルが夕暮れに語るにはいい。ところが、現在は頭上に阪神高速が覆い被さり、ムードはさっぱりだ。日中でも薄暗い。もちろん映画では空は広く、また橋の北端界隈には瓦屋根の建物がたくさん見える。今は全部ビルで、瓦屋根は一軒もないだろう。中之島は映画の最後にもう一度現われる。丹下がアメリカ留学に旅立つ日、田鶴子の家の隣に住む、根上淳演じる貧乏な男子大学生は田鶴子から革靴を買ってもらい、彼は田鶴子と一緒に中之島の南を流れる土佐堀川の畔を戯れながら歩く。ちょうど中央公会堂の前あたりで、船着き場が見えるが、これは今も同じ形で残っている。ふたりの背後に大きく見える建物がある。裁判所だ。これはこの映画の後、二度建て変わった。以前の煉瓦色の建物であった時、70年代に筆者は一度中に入って弁護士と話をしたことがある。その後鈍い色のもっと巨大な建物に変わったが、それは訪れたことがない。この映画に見えるのはもっと古風な、感じのよい建物だ。そういうものをどんどん壊して、今では中央公会堂しか残っていない。ふたりが歩く右手には鉾流川、左手には水晶橋が見える。このふたつとも現在も同じ形のままで、その間の距離は100メートルほどだ。筆者は水晶橋をよく利用して図書館に行くし、また鉾流橋もしょっちゅう渡るが、この最後の場面は阪神高速がないので、とても貴重だ。江戸時代の様子が想像しやすく、何とゆったりとした風景であろうか。田鶴子は今丹下の飛行機が頭上を飛ぶ頃と言いながら空を見上げる。その広い空はふたりの未来を暗示しているが、現在同じ場所に立って空を見ても、見えるのは高速道路とビルだけだ。
さて、この映画について書く。大阪市内が映るほか、近鉄電車の奈良駅や二月堂だろうか、田鶴子らと丹下が一緒に遠足に行く場面がある。これも筆者には馴染みの場所であるだけに現在との違いがわかって面白かった。主な舞台は田鶴子が通う大学で、これは神戸の山手の女子大だ。神戸女学院かと思うが、スペイン風の校舎の背後に山が大きく見え、それはたぶん六甲山であろうから、甲南女子大かもしれない。映画の撮影のためによくぞ後者の内外を使わせたと思う。というのは、この映画はおおよそ女子大の学長や教務主任といった連中を事なかれ主義の人物として風刺しているからだ。それは現在でも同じかもしれないが、田鶴子はそういう大学の卒業証書をほしくないと決心し、中途退学してしまう。そのことでも女子大が価値のない存在であることが暗示される。今では日本に800近い大学があって、さらに大学の価値は下がっているが、その傾向は早くもこの映画で暗示されているよう思える。ただし、田鶴子やその友人たちは、現在の学習院大学生でも使わないような上品な言葉を話す。そのことがあたかも女子大生の唯一の価値といったところで、それさえもすっかり失われた現在、「女子大生」の言葉はエロを連想させるほどに低下している。だが、そのこともまたこの映画は暗示している。女子大生とその先生との恋愛は今でもあるだろうが、それは世間ではどのよう見られているだろう。昔ある女性から聞いたことがあるが、教授が試験の点数を水増しする代わりに教え子とふたりで一泊することを持ちかけることなどいくらでもあるとのことであった。先生にすれば点数を武器にいくらでも若い女性を漁ることが出来るというわけだ。持ちつ持たれつの関係であるし、またそれなりに格好いい先生の場合、そういうことは表には出にくい。どうせ先生に身を任せる女性にしても、いくらでもほかの男に抱かせているのであるから、一夜くらいどおってことはないだろう。そういうことをお互い知っての契約だ。1952年の女子大はまさかそういうことはなかったと思いたいが、人間のやることに時代の新旧はさほどない。この映画でも丹下に注目する女性がいて、女子大生の考えることは男しか頭にないのかといった感じだ。教え子のそういう目つきを先生たちが感じないはずはない。そのため、丹下を演じる名優の森がどこか胡散臭い女好きに見えてしまう。だが、藤沢はそんなことを思って小説を書いただろうか。それは原作を読まねば何とも言えないが、20歳ほども年齢の違う助教授と教え子との恋愛を描くところ、助教授がいくら独身でも、かえってその理由を勘ぐりたくなる。田鶴子が丹下の求愛を拒否したのは、女の友情を信じると言い放った手前もある。田鶴子は病弱の姉と暮らしている。学費にも事欠き、アルバイトのやりくりでどうにか生きている。戦前は満州で豪勢な暮らしをしていたが、そのことを隣家の男子学生に「つまりは中国人から搾取していたのだな」と揶揄される。学費の滞納者は校内に貼り紙で知らされる。田鶴子の名前が出た時、友人の米川水絵は黙って支払ってくれる。水絵は船場あたりに住む大金持ちのお嬢さんだ。そして丹下を愛している。ところが丹下にはその気がない。田鶴子はより収入のよいアルバイトに精出すために、ある絵描きの裸体モデルになる。この絵描きを千秋実が演じるが、大金持ちのわがままで、しかもスケベエという設定で、田鶴子を描きながら欲情し、抱きつこうとする。これは芸術家をあまりよく思わない藤沢の風刺だろう。ともかくその絵は完成し、展覧会に展示される。田鶴子がモデルになったという噂はたちまち広がり、同じ大学の友人がこぞって見に行き、田鶴子の行為を批判する。すると会場にいた新聞記者がこれはネタになるとばかりに、「女子大生のアルバイト 桃色行状記」といった題名の原稿を書いて田鶴子の学校に赴き、それを教務主任に見せる。ここには藤沢の記者に対する思いが見える。新聞や雑誌が売れるならば何を書いてもいいという思いは先ごろの記事「ハシシタの奴」でも同じだ。時代は変わっても変わらないものがある。
居合わせた丹下は記事に詰めよるが、教務主任は「金で解決出来るならば」と、記事を買い取り、すぐに破棄する。ところが噂は広まっていて、女学長は教務主任と丹下を呼びつけて注意する。田鶴子は学校が記事を買い取ったことに対して丹下を責める。ヌードになったことが否定されたも同然であるからだ。この事件がきっかけで丹下は学校を辞めることを決意し、また田鶴子も失望し、大学を辞めようと考える。一方、田鶴子が丹下から好意を持たれていることを知った水絵は、家に訪れた田鶴子に「女の友情は信じない」と言い放つ始末だが、田鶴子は丹下の愛を拒否したことをほのめかし、自分は身を引くと言う。実際、丹下の愛の言葉に対し、田鶴子は水絵こそがふさわしい相手であると言い返す。この遠慮はどうしてか。女の友情を信じているからか。あるいは学費を出してくれた優しさを思ってのことか。水絵の母は浪花千栄子が演じるが、彼女らしくドライな性格で、娘が助教授と結婚したがっている様子を見て、「大学の先生がいくらもらっていると思ってるの?」と言う。結婚は経済が釣り合った者同士というのは今も同じだ。それを思っての田鶴子の拒否であろう。だが、田鶴子は丹下を本当に忘れたのではないことは映画の最後で暗示される。隣の学生に靴を買ってやったりしながらも、田鶴子はそれを誤解しないでほしいと言う。それに応えて「そんなに自惚れは強くないよ」と学生は言い返すが、それは田鶴子がまだ丹下を思っていることを知っているからだ。田鶴子は大学を中退して放送局のアナウンサーとして勤務する。そしてそんなある日、地下鉄御堂筋線の本町駅の構内で、田鶴子は丹下とばったり出会う。殺風景な構内で、ほかに誰もいない。丹下は間もなくアメリカに行くことを告げる。そして母がひとりで家にいるので、たまに行ってやってほしいと言う。田鶴子は頷く。それはしばし丹下とは別れるが、いつか一緒になれるかもしれないと思わせる充分だ。となると田鶴子の言う女の友情は水絵が言うように、あり得ないものになる。経済的な釣り合いから、また仲のよさから言えば田鶴子は隣家の学生と結婚するのが最もあり得ることで自然だ。この映画はそのことは曖昧にしたままで終わる。女優久我美子はほくろの目立つ、また歯並びにも特徴のある女性で、昔風の美女だ。清楚で生まれがわかると言ってよい。そのことをよくよく知っての配役で、久我は公家の出だ。ただし没落して貧しかった。本来芸能人になるなどもってのほかではあったが、金を必要とするからには仕方がない。だが、この映画に描かれるように、下品さとはまるで無縁で、大学の先生が好きになるのも無理はない。水絵は金持ちだが、平凡な女だ。そのような女はいつの時代でも無数にいる。丹下を演じる森は『雨月物語』や『羅生門』に出ている。有島武雄の長男で、サラブレッドだ。その点では久我と釣り合っている。そういうことを知ったうえでこの映画を見ると、なお現実的に見える。それにしても「妖精は花の匂いがする」とは、この映画のどこを見てつけた題名なのかよくわからない。女子大生が妖精で、それが花とは、当たってはいるが、何となく卑猥なものを思ってしまう。