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●下流の片隅で朽ちるプラタナス
主を濡れ落ち葉と最初に形容したのは誰であったのだろう。「亭主元気で留守がよい」だったか、似たような表現もあった。今日はネット・コラムに定年を迎えた亭主が自分が死んだ時のことを考えて葬式その他についてノートに記す例が増えている紹介があった。



筆者もそんな年齢になっていることを思うと、晩秋の寒さがなおさら身に染みる気もする。一昨日は家内の父の十三回忌で高槻に出かけた。出席したのは家内と筆者、家内の妹、それに長男だけであった。大家族であったのに、そのさびしさだ。これは数年前には予想出来なかった。数年で身辺が大きく変わる。であるから、定年を迎えるとそろそろ棺桶に入る時のことを考え、周囲が戸惑わないようにしておきたいと思う。今年ももう11月になって、あっと言う間に正月が来るとTVでタレントが言っていたが、それを言えば人生そのものがあっと言う間だ。それを知っていながら、誰しも毎日さして何も考えずにのんびりと過ごす。そののんびりとした夫の様子に妻が鬱陶しく感じて、「濡れ落ち葉」などとたとえる。筆者はこの表現を最初に聞いた時、あまりピンと来なかった。今改めて思うと、「落ち葉」と言うだけでも定年を迎えた夫にとっては「役立たず」との烙印で耐え難いのに、そこに「濡れ」とついて追い打ちをかけられる。頭髪も少なくなっている夫がたとえば雨に濡れて帰宅すれば髪の毛がどうなっているか。その憐れさ、惨めさは「濡れ」のなせる技で、「濡れ」は「負け」につながっている。「濡れ落ち葉」は年中見ることが出来るが、最も多いのは今だ。シャンソンの「枯葉」ではないが、秋は枯葉というのが世界的によく知られる連想だ。「枯葉よー、彼はよー、」と駄洒落の替え歌がすぐ思い浮かびそうなほど、男は枯葉のイメージにつながっている。動物や植物を見てもそうで、生殖が終わればオスは用済みだ。メスは子孫を育てる大仕事が残っている。「女」にふたつの乳房の点がついて「母」の漢字になるところ、中国人はこの生物のメスの役割を見抜いていた。つまり、大昔から男は「濡れ落ち葉」になる運命が見透かされていた。男はそこらで野垂れ死にというのが自然であって、「濡れ落ち葉」はまさにそういうオスの末路をうまく言い当てている。「亭主元気で留守がよい」は濡れ落ち葉のようにすることがなく、じっとへばりついて朽ちて行くような姿の旦那を見ていると鬱陶しいからで、それだけならまだしも、小言を言われたり、時には暴力を振るわれたり、とにかく夫婦は終日顔を突き合わせていない方がよいようで、それが夫婦生活を長持ちさせる秘訣だと言われたりする。
●下流の片隅で朽ちるプラタナス_d0053294_242230.jpg

 今日の写真は京都の街路樹ではよく目立つプラタナスの葉だ。3枚載せるが、最初のものは9月下旬に撮った。雨がよく降った日で、29か30日だ。東大路通り西を少し入った二条通りで、この付近はプラタナスが多い。雨がひどく降って、たくさんの葉が路上で濡れていた。9月に入ると早くもプラタナスは葉を落とす。2週間に一度筆者は右京図書館を自転車で往復するが、帰りは違う道を必ず走る。最初の頃は四条通りを西へと走って松尾橋に至った。その際、三菱の工場の傍らを通るが、そこはずっとプラタナスが植わっていて、歩道にはあちこち葉が落ちている。自転車の前輪でそれをひとつずつ狙いを定めて踏みつけながら走るのが趣味のようになっている。その葉も外れなく轢くことは出来ない。あまり自転車も人も通っていないので速度を上げて走ることと、また筆者の運動神経があまりよくないからだ。踏みつけた拍子に乾いたクシャッという音が聞こえる。それが面白い。クシャッ、クシャッ、クシャッ。乾燥したプラタナスの大きな葉は普通湾曲しているから、踏んだ時に音が大きい。桜や銀杏の葉ではこうは行かない。音を立てるのはプラタナスだけだ。ゴッホの素描に乾燥した大きな葉の素描があった。プラタナスではなく、マロニエだったかもしれないが、ゴッホもそれを踏みつけた時の音を知っていた。クシャッ、クシャッとなかなかいい音だ。歩いている時でも筆者はよく踏みつける。その場所は前述のように鴨川を東へわたった二条通りで、岡崎公園あたりまで続く。自転車で踏むのは三菱の工場前の歩道だ。2枚目の写真は先週の木曜日、右京図書館の横で撮った。そこにも数本のプラタナスがあった。葉が2,3枚落ちていた。写真には左に影が見える。これはまら枝に残っているプラタナスの葉のもので、いずれそれも地上に落ちる。プラタナスの葉は筆者のように踏みつける者が多いと屑が散らばって掃除が大変だ。市の清掃局が一斉に徒長した枝を払い、その時にまだ枯れていない葉もまとめてトラックに積んで持ち去るが、その大規模な清掃の後も葉は落ちる。だが、数は少ないのでそのままにされるのだろう。屑になっても雨で流される。3枚目の写真は一昨日家内と歩いた際に撮った。2枚目とあまり違いがない。本当は3枚目は雨に濡れてほぼ屑と化した状態を撮りたかった。今日はひどい雨でその中を午前中は電車に乗って西院まで行った。何枚もの筆者が思うプラタナスの濡れ落ち葉を見かけたのに、カメラを持って出なかった。持って出かけようと思っていたのに、すっかり忘れてしまった。こういうことが「濡れ落ち葉」を体現しているのだろう。それはともかく、9月から思っていたプラタナスの写真を今日はようやく載せることが出来る。言いたかったことは、落ち葉は秋の雨に濡れては乾きを繰り返し、粉々になってしまうことだ。落ち葉の状態ですらもう誰も意識しないから、ほとんど粉になった状態では清掃員も気に留めない。人間も老齢になるとそれと同じだ。用のない葉はさっさと枝から振り落とされる、定年退職とは会社という太い幹から振り払われることだ。それでも先ほどのTVで68と63の夫婦が半年をタイで暮らす様子を紹介していたが、毎月15,6万円で暮らせるタイは定年を迎えた夫婦に人気らしい。家内に毎月15万の年金があるのはいいなと言うと、普通のサラリーマンなら50万や100万ほどある人はざらとの返事。旦那がそれほど年金をもらうのであれば、妻はまさか「濡れ落ち葉」と表現して毛嫌いはしないだろう。15,6万で毎月夫婦がタイで悠々と暮らせるというのは日本の豊かさを改めて思うが、68の旦那は週の半分はゴルフで、それが目当てでタイでの暮らしだ。筆者はゴルフに関心が全くないので、タイに住みたいとも思わない。
●下流の片隅で朽ちるプラタナス_d0053294_244891.jpg

 定年後をどう過ごすかは男にとって大きな問題であるようだ。暇はあっても金がない筆者は金をなるべく使わないで済むことを考えねばならない。とはいえ、年齢から言えば「濡れ落ち葉」状態で、いずれ踏みつけにされて粉々になる。家内の父の十三回忌では誰も父の思い出を話さなかった。実の子でもそうであるから、ましてや他人はだ。家内が勤務する大学の先生が家内に数年前にこんなことを言った。「死んだらおしまいですよ。葬式の日ですら誰も悲しまないですよ。」これは先生仲間でのことだが、そうでなくても事情は同じだ。死はそれほど自然で、悲しむに当たらないということだ。十三回忌の席で、今春亡くなった家内の姉の写真をどうするかという話になった。娘や息子は必要最小限のものは手元に置いたが、大量のものが缶に保管されている。それは誰もほしがらない。あまり邪魔にならないので、当分はそのまま部屋の片隅にあるだろうが、いずれ処分される。つまり「濡れ落ち葉」の運命を辿る。それは筆者の写真も同じだ。十三回忌には家内の兄の娘が生まれて5か月の長男を連れて帰省していてしばし話をした。赤ん坊の動画や写真をよく撮るのかと訊くと、あまり撮らないらしい。「ネット上に保管しておいて、たまに見るだけですね。」「そうやね、残る写真は有名人のものだけやからね。」有名人になると、他人が写真を残してくれるし、時にはそれが高値で売買される。そうではあっても、当の有名人にすれば痛くも痒くもない話で、どうでもいいことだ。誰もが「濡れ落ち葉」状態となって朽ち果てる。それが自然で、文句はない。いや、文句を言っても自然は聞く耳を持たない。それにしても「濡れ落ち葉」と言われるまでは若葉の頃もあったというのに、それを本当に知っているのは「濡れ落ち葉」になってからで、若葉の頃は「濡れ落ち葉」を意識しないか、無視している。そこで昔の人は「死を想え」などと無粋なことを唱えたが、それは「濡れ落ち葉」になってからで充分だ。
●下流の片隅で朽ちるプラタナス_d0053294_245547.jpg

by uuuzen | 2012-11-11 23:31 | ●新・嵐山だより
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