味を感じているのかどうか、たぶん鳥や虫は毒になるものは食べないから、それなりの味覚があるのだろう。先ほどNHKのTV番組『ダーウィンが来た』を見てそんなことを思った。
この番組はだいたい毎週見る。待ちかねているというほどでもないが、好きな番組だ。おそらく一番好きな番組だ。ヒゲジイのキャラクターが面白い。先週も見た。最後にわずかに予告編が流れるが、先週は仏法僧の雛が親鳥から与えられた缶ジュースのプル金具まで飲み込むもので、その様子にびっくりした。親がそんなものまで与えるとは、まさか自然破壊で狂ってしまったのかと誰しも思うのではないか。その映像が気がかりであった。そんな金属片を食べさせる理由が今夜わかった。親鳥は雛のためにならないものを与えるはずがない。その点、人間の方がはるかに鈍感になっているだろう。仏法僧はアルミ缶がこの世に出現する前からいた。目新しいそのプルを地面に見つけた時、遺伝子的に初めて出会うもので警戒したと思うが、雛に与えたのは自分たちに役立つことを知ったからだ。あるいは遺伝子レベルで知っていたと言うべきか。ほかに消化されないものと言えば、ガラスのおはじきや小石、貝殻などがあって、これらも雛に飲み込ませる。その理由は、仏法僧がほかの鳥が敬遠する甲虫類をよく食べるからだ。それを噛み砕かずに丸まま雛に与えると消化に悪い。生まれて25日で巣立ちする雛だ。内臓が親鳥のようにまだ強靭ではないはずなのに、それでも消化出来ないものを口の中にねじ込む。甲虫類の硬い表面を砂嚢で粉々にさせるためだ。金属片ならば包丁のように甲虫類もスパスパ切れるだろう。砂嚢の内部が傷つかないか心配だが、その恐れはないようだ。食物の消化が終わると包丁やすりこぎ代わりの異物は不要であるから、ぺっぺと吐き出す。それはともかく、仏法僧は渡り鳥だが、仏法僧がいると田畑の食べ物を荒らす烏が田畑に近寄らない。青い羽根は美しいし、人々はこの鳥をもっと増やそうとしている。ところが巣穴にふさわしい洞を持つ樹木が減少とともに数が減って来ている。そこで鉄柱のてっぺんに木製の巣箱を100や200ほど設置すると、そこに巣作りするようになって数が増えた。巣箱は仏法僧だけではなく、フクロウやそのほかの鳥も使い、シジュウカラが10羽ほどの雛を育てているところに仏法僧の親鳥が入り込み、シジュウカラの親は外で立ち往生する映像が紹介されていた。親の数倍大きな仏法僧が入って来たので、雛は一斉に黙りこくり、中央に集まって縮こまっている。その上を仏法僧は歩き回り、やがて飽きたのか、外に出て行く。雛は無事で安堵した親鳥はまたせっせと餌を運び、数日後には全部飛び立つ。その後に仏法僧の番いがやって来て産卵する。寝床はシジュウカラのおかげでうまい具合に出来上がっているから、労力は少なくて済む。巣がそのように複数の種の鳥に利用されることは、よほど快適であるからだ。紹介された仏法僧の番いは4羽を育てていたが、最後に孵った雛は体が小さい。そのため、親鳥が運ぶ餌を強引に口にすることが出来ない。みるみるうちに体格の差が出来て、数日後にはその小さな雛は死んだ。その死骸がそのまま巣の中にあれば衛生上よくないから親が外に捨てるだろうが、そのことについての紹介はなかった。ひょっとすれば親はその雛を食いちぎってほかの3羽に食べさせるかもしれない。それが人間から見れば残酷で、仏法僧を紹介する番組にはふさわしくないとNHKは判断したかもしれない。産んだ卵が全部成鳥になればいいが、親鳥はそれが難しいことを知っているのだろう。自然は間引きをする。弱い子は早く死なせて、その餌を強い子に与える。これを人間は畜生のやることと思っているが、姥捨て山を思えば人間も同じことをして来た。

今日はアケビの大きなものを家内に調理させた。1個350グラムほどある。包丁で縦ふたつに割り、中の細長い実をスプーンでこそぎ、鉢に移して食べた。野生のアケビは自然に割れて中の種子をくるむ甘い果実部分が覗く。そうなると商品にならないので、品種改良して割れないものを作った。これは色も野生の赤紫のものと違って、濃い青紫だ。どことなくアンパンマンに登場するバイキンマン(という名前だったか?)のような印象がある。細長い果実部分は不透明な寒天状で、中に黒い種子がたくさん入っている。その種子を飲み込まないように、また噛み砕かないように食べるのは苦労する。甘さはほんのりで、果物と呼べるほどのものではない。山形産を買い、レシピがついていた。6種ほどの料理が載っている。その最初の、甘味噌を塗って油で焼く方法を今日は試した。甘味噌をどう作っていいかわからないのでネットで調べると、八丁味噌が必要だ。所有していないので省くしかなかったが、その分辛さは少なくなって家内も食べられるものになった。甘味噌の作り方を紹介しているサイトは、長野県の人らしく、画面に目立つようにザザムシの写真が載っていた。ザザムシの佃煮を食べ慣れている人は何も感じないが、虫が嫌いな人はその写真を見ただけで画面を切り替えるだろう。筆者もザザムシの姿は好きではない。生きているものは摘まめない。あんなグロテスクなものまで食べなくていいと思うが、海がない長野では蛋白源として貴重であった。また佃煮であるから、ザザムシの味よりも醤油味で食べると思える。仏法僧は飛んでいる虫を捕えて食べるので、ザザムシはほとんど見たことがないかもしれない。ブンブンやクワガタ、オニヤンマといった大きな虫専門で、ザザムシを食べる人間より豪快だ。長野県の人たちも甲虫類やトンボを佃煮にすればよかったのに、そうしていないのはザザムシが一番おいしかったからか。仏法僧もおいしいと思って甲虫類を好んで食べているのかもしれない。おいしいものを食べたいのは動物の本能だ。人間は特にその傾向が強く、TVではグルメ関連の番組が毎晩放送される。筆者がアケビを買ったのはおいしいからではない。アケビよりもっと安価で数倍おいしいものはいくらでもある。季節感を味わいためだ。甘味噌をつけて焼いたアケビの果肉は、ナスのような感触ながら、それほどにはおいしくない。むしろ無理をしなければ喉を通らない。このおいしくない味のためにアケビはニガウリのようにポピュラーな野菜にはなれないだろう。しかし東北では違うかもしれない。同封されていたレシピには、東北では沖縄のニガウリのような位置にあると書いてあった。山形で産するのは150トンほどで、びっくりするほど多くはない。菱の収穫はもっと少ないかもしれない。こうした珍しい野菜を食べたいと思うのも、やはりグルメ全盛時代の感化で、ザザムシを賞味することと大差ないか。「捕まえた虫」と題しておきながら今日はいささか思いとは違うことを書いた。