●「武田理沙~フランク・ザッパ・メドレー関西初演」 武田さんと筆者が10月26日、大阪の神山町のALWAYSにて対談します。
●ダンゴムシと迷路、その2
の中でダンゴムシがもぞもぞと動き回る様子を思い浮かべる。満月が浮かんでいると真っ暗でもないが、そんな夜に蟻はダンゴムシを食べるために這い回るのだろうか。たぶんそうではない。



ダンゴムシは蟻に食べられないようにせっせと夜に活動する。枯葉を食べ、雲子を排泄し、それが土になる。その土の中は終日闇だ。今度は数年前に埋めた山芋を思い浮かべる。今年もたくさんのむかごを実らせてくれた。今日はその最後の収穫をした。小さな玉が20数個だ。日当たりがよくないので今年は量が少なかった。それでも4,5回まとまった量を収穫し、むかご御飯にして食べた。土中の親芋は何を思って生きているのだろう。毎年葉を繁茂させ、むかごを実らせる。それがひとつも子孫繁栄に結びつかず、人間に食べられる。そんなことが何十万年も続くと、むかごに毒を潜ませるようになるかもしれない。今度はその親芋のそばに眠る蝉の幼虫を思い浮かべる。6年か7年かともかくとても長い間、土中で眠り続け、それが明るいところに出て来ればわずか1週間か10日の命だ。蝉は土の中の幼虫こそが本当の姿と言うべきだろう。そして土の中で何を考えているのかと思う。だが、人間もあまり変わらない存在かもしれない。人間の生はいつも太陽の下にあるが、そのことと土の中に長年いることの間に大きな差があるだろうか。土の中に人知れずじっとしていることと、学校にも行き、職場に通う人間は全然違うとする意見もあろうが、人間もたいていは行動範囲がさほど広くなく、知り合う人数も限られる。蝉の幼虫と大同小異と言ってもよい。土中でじっとしている蝉を思っていると、菱の実が浮かんで来た。菱の実は暗い水中で何を考えているのか。きっと大きく実って早く水底でゆっくりすることだ。そして底の泥に寝転んで、水面が明るくなったり暗くなったりを毎日眺める。やがて水温が低くなり、また温もると、新芽を出して葉をいくつも水面に浮かべる。そして秋になると、ちわゆねが思い出したように実を食べたいと思うことを思うか。いやいや、それはちわゆねの片思いだ。菱は人間のことなどかまってはいない。ひたすら夢想し、営みを繰り返す。今日はそのことが人間も同じだと言いたかったのだが、思考が迷路の中に入ったかのようで、出口が見えにくい。昨日「その1」としたのは、ほとんど勢いがあまってのことで、深く考えたゆえではない。だが、それは毎夜のことだ。深く考えていては毎晩このように文章を書くことは出来ない。思いの向くままの即興であって、その思いは迷路の遠くの先にかすかに出口が見え隠れしているような状態に近い。それをイメージすると、蝉の幼虫や親芋、あるいは水底の泥に埋もれた菱の実が思い浮かんだ。彼らの考えていることも、暗闇の中でかすかな光を感じ、そこに向かって少しずつ進んで行くことではないだろうか。
d0053294_2114935.jpg

 「その1」としたのは、そのかすかな光を思ったからだ。後はそれをどうにかもっと見えるようにして行くが、こうして書きながら考えることが、ダンゴムシが敵から逃れ去る時のジグザグ進行に似ている。さて、地図を見ていると人間は蟻にも匹敵しない大きさであると思う。昨夜書いたNHKのダンゴムシを取り上げた番組では、同じ形の迷路を作って人間とダンゴムシのどちらが早く出口にたどり着けるかを実験していた。もちろん人間とダンゴムシは大きさが相当違うから、その比率に応じてダンゴムシの迷路は小さくしてある。だいたい100倍ほど差があると思っていいだろう。この勝負はダンゴムシの勝ちであったが、迷路はそうなるように仕組まれていた。つまり、障害があるたびに右左に折れ曲がるダンゴムシの習性にしたがって作られた迷路だ。これではダンゴムシが勝つのは当然だ。だが、人間の頭脳はダンゴムシの100倍ではきかないから、本当は人間が勝って当然ではないか。ではダンゴムシの習性を裏切るような迷路にすれば、人間が勝つだろうか。そのことについては番組では紹介されなかった。また、体の大きさの差を迷路の大きさの差に比例させることが平等かどうかの問題がある。迷路に入ったダンゴムシの歩みは、人間のそれと同じ精神状態にあるかどうかわからない。ダンゴムシは断固人間を無視しているはずで、人間と比べようと考える人間の考えはダンゴムシのためにもならず、いわば勝手な夢想だ。さて、話が迷路から出られなく、立ち往生している状態であるので、少し飛躍させる。3日前にアケビのことを書いた。昨日大きなアケビを買った。好物というほどではないが、その形と色が面白いのであれば買ってしまう。そのアケビとちょうど補色関係にある実りはカリンだ。今年もこれが実る時期になった。2週間前、右京図書館からの帰り、三菱の脇を通らずに、ダンゴムシのジグザグ走行と同じように道をたどった。二、三度右左曲がりを繰り返すと、広い畑にぶち当たった。もちろんその畑の前の道を右に進んだが、その前に自転車を降りて2,3分休憩した。目の前に大きなカリンの木があって、いくつか実を地面に落としていたからだ。写真を撮った後、2,3個を拾って帰ろうとしたが、下校中の小学生が数人通り、大人も行き交ったので諦めた。誰もほしがらないものとはいえ、他人の畑に実っているものであるから、持ち去るのはまずい。放置すればすぐに茶色に変化し、ダンゴムシや蟻の餌になる。それでもいいが、少しは人間が食べてもいいではないか。
d0053294_2121258.jpg

 一昨日は図書館からの帰り、またその畑に行こうとしたのに、道のりを覚えておらず、見つけられなかった。それはいいとして、2週間前、その畑を過ぎてしばらく行ったところで急な下り坂に面した。落差は10メートルほどあろうか。京都では珍しいほどの急な坂で、そこを降り切ったところはやや広めの車道であった。その道を越えてさらに進んだが、帰宅して地図を見るとどうやらその道は広隆寺の前から南進し、梅津段町につながることがわかった。3日前、またその急な坂に行き着いた。そして今度はそれを左折、つまり南進して段町に行くことにした。そうすればムーギョやトモイチに行くには便利だ。ところが、そうとわかってしまうと、つまり知った道であることが気に入らず、南下した途端すぐにまた右折、つまり西に進んだ。そうして今度は左折すれば四条通りに出る計算だ。ところが実際は違った。小川沿いに走ると、どうやらそれはゆっくり曲がって北に向かっている。これはまた三条通りに出てしまうと判断し、左折した。それからほとんどわけがわからなくなった。そのうち、自転車に乗る筆者と同年齢ほどの男に出会った。その後をつけるのではないが、方向が同じになった。やがて男は後方の筆者の気配を感じ、ゆっくり漕ぐことで筆者を先に行かせた。それからすぐに小学校の校門の前に出た。飛び出しボーヤがあったので、その写真を撮っていると、男は通り過ぎて行った。その後を追ってしばらく走っているとようやく四条通りに出た。そこでまた驚いた。段町から西に30メートルほど、つまり段町から最初の辻に出たからだ。見知らぬ道はまさに迷路そのもので、出口になかなか出られず、とても遠回りをしてしまった。この遠回りが全くの無駄ではしゃくにさわるので、小学校の前で撮った飛び出しボーヤの写真を載せておく。筆者をいぶかった自転車の男も小さく映っている。迷路のようにわかりにくい内容の文章の理解を助けるために、下にまた地図を載せておく。筆者の行動範囲が蟻のように狭いことがわかる。
d0053294_2122424.jpg

[PR]
by uuuzen | 2012-10-27 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


●ダンゴムシと迷路、その1 >> << ●捕まえた虫、その1
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
関西在住のザッパ・ファン..
by uuuzen at 13:02
大山様 ご無沙汰してお..
by はたなか at 00:35
間違った理由がわかりまし..
by uuuzen at 11:27
やっぱり"Penguin..
by インカの道 at 22:38
確かに7枚組といったボッ..
by uuuzen at 20:20
回答ありがとう御座います..
by インカの道 at 19:14
「ダミー・アップ」の歌詞..
by uuuzen at 23:28
連投ですみません、"RO..
by インカの道 at 15:41
『ロキシー&エルスウェア..
by インカの道 at 14:46
> erichさん 今..
by uuuzen at 22:51
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2018 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.