崖と聞くとあまり近寄らない方がいいという印象がある。家内が東尋坊へ行くのをいやがったのは、自殺の名所を思い起こすからだ。今でも東尋坊で自殺者が多いのかどうか知らないが、飛び降りるとたぶん死ぬだろうという高さがある。
そこに立ってみたいと思ったのではない。昔訪れたことがあるので、その後どうなっているか、変化を確認したかった。その変化はネットで調べるとまず近くにタワーが出来たことだ。そこの展望台で食事が出来るとあって、昼はそこで済ますのがいいかと考えた。ま、この昼食については明日書く。ネットで地図を印刷したので、終点の三国港駅からどう歩けば東尋坊に着くかについては迷うことがなかった。だが、やはり間違ったようだ。それは後述するとして、筆者は家内の100メートルほど先を歩いた。スーパー銭湯のような日帰りの温泉施設が途中にあって、筆者を追い越した車がその駐車場に入って行った。もう少し先には海水浴場があって、夏場は賑わうのだろう。そういう客を目当てにして歩道際には開店休業といった感じの店がぽつぽつとあった。海水浴場は松林に遮られていて歩道からは見えなかった。車道とその松林の間にやや広めの平地に裏返しされたボートが並び、サーファーの男性が手入れをしていた。車はほとんど走らず、バスも追い越して行かない。歩道ぎりぎりに家があるかと思うと、100メートルほど先にそれが引っ込んだりもする。古い町なのだろう。地図には大きな寺もある。10分ほど歩いて大きく右に折れる場所に差しかかった時、家内を待った。鋭角に曲がる道で、歩道がかなり狭くなっている。危険というほどではないが、あまり歩きたくない。その角の手前に崖がそびえていて、石段で上まで登れることがわかった。地図を見ると、それは鋭角な曲がり角を歩かずに済むショートカットの道だ。地元の人が使う生活道路で、車は走れない。そこを行くことにした。わずかでも近道になる。やがて家内が30メートルほどに追い着いたので、手で合図をしながら石段を上り始めた。そのショートカットの道は下から20メートルほど高さの丘を横切る。頂上部にはやや平坦な道があり、また下りの石段を降りる。平坦な場所は荒磯亭という店の屋上のすぐ裏手に相当し、またほかの店もその右手脇にあったが、観光客はめったに歩かないだろう。いや、絶対に歩かないかもしれない。そこを歩くにはちょっとした勇気がいる。ひょっとすれば私有地で、大きな犬がいたりするかもしれない。その心配はあったが、怒られると謝ればいいと思ってその近道を利用した。かつては建物があった場所のようで、コンクリートの敷地があった。文章で詳しく書いても仕方がないが、都会の雑居ビルの屋上といった雰囲気に近い。海がよく見えた。冬場の雪を想像した。鈍色の海は激しく波打ち、人は吹き飛ばされそうになるだろう。そこを歩いたのは石段の上り下りを除くとほんの20秒ほどだ。そのわずかな時間が強く印象に残った。旅は意外な出会いがある。名所旧跡よりもかえってそんな名のない場所の方が意味もなく心に残る。予期しなかった出会いであるからだ。家内も筆者から50メートルほど遅れてそこを歩いたが、そう言えば感想を聞いていない。下り坂は左右に分かれていた。右へ進むとさらに東尋坊に近い方面に出ることがわかりながら、左を降りた。そこは案の定、荒磯亭の玄関のすぐ横手に出た。また出た場所の真向かいも同様の店で、その下りの石段は双方の店の関係者しか使わないだろう。ふたたび車道際に出て歩き始めたが、200メートルほど行くと右手に丘から下って来る石段が見えた。それは言うまでもなく、先ほど筆者が迷った左右の分かれ道で、右手を進むとやがてそこを降りることになったはずだ。地図を今調べるとやはりそうだ。右手を進まなかったのは、20秒ほど歩いた私有地らしき場所をそのまま引き続いて進むわけには行かないと思ったからだが、地図を見ると民家が両脇に集中する小道で、直進すればいずれにせよ東尋坊に向かう車道に合流したし、ほんの少し近道だ。
荒磯亭やその先の石段を越えて北進すると、右手はもう民家がかなり遠のき、雑草が生い茂る平原になった。その手前に手を伸ばせば届くような塀の上に怪獣らしきオブジェの焼き物を50センチほどの間隔で20個ほどセメントで固定した家があった。若い人が住んでいるのだろう。この車道は国道7号線だが、グーグル・アースのストリート・ヴューではまだ見ることが出来ない。平原には葛がたくさん生い茂っている場所があった。花が満開で、風で葉が裏返しになっている。その様子が酒井抱一の有名な屏風のようで、写真を1枚撮った。わが地元の桂川の河川敷でもほとんど同じ写真を撮ることが出来るが、海の風になびく葛の葉もよいと思った。家内は相変わらず後方100メートルほどを歩くので、筆者が立ち止まって何を撮っているかは知らない。葛の平原から少し先に珍しく信号があった。そこをさらに北進。次の信号を左折すると東尋坊だ。かた信号脇などにそれを示す看板があってもはや地図を必要としなかった。ところがそれは間違いであった。後で家内が言うには、筆者を遠くから呼んでいたらしい。最初の信号のところで海沿いに出る歩道があったらしい。そこは東尋坊に至る遊歩道で、日本海を眼下に見ながら、つまり絶景を味わいながら少しずつ東尋坊に至るはずであったと言う。その看板を見た記憶はあるが、もっと先でもその遊歩道に入れると思った。それが間違いで車が走る真横の歩道をひたすら歩き、またかなり遠回りをして東尋坊タワーの前に着いた。荒磯亭でほんの少し道を短縮したことが何にもならなかった。家内とゆっくり歩いていればふたりでその遊歩道を歩くことが出来たのに、家内は筆者のそそっかしさを罵りながら筆者の姿を見失うまいと後を追った。タワー近くになると急に車の数が増えたが、運転している人たちは筆者や家内の姿を不思議に思ったかもしれない。タワー近くになると、人が歩くような歩道がなくなったからだ。仕方なく車道の端を歩いたが、暗ければ事故に遭ったかもしれない。そういう心配があるので、遊歩道が設けられているはずだ。ともかく、汗だくになってタワーに着いた。いつ建ったのか、老朽化しているように見えた。また予想以上に背は高くない。見晴しは最高だろう。下はお土産売り場のビルで、これは京都タワーのミニ版を思えばよい。タワー前はちょっとした広場だ。これは釜山の龍頭山タワーのミニ版を思い出させた。だが、人口は圧倒的に少なく、釜山ほどのにぎわいはない。広場の南隣が大きな駐車場になっていて、係員の老人がひとりいた。筆者が坂を上ってその駐車場に入って来る姿に少し驚いたようであった。誰も徒歩でそんな場所にやって来ないからだろう。駐車場に車はほとんど見かけなかった。これは不思議だ。東尋坊の崖近くには大勢の人がいたからだ。観光シーズンではないようだ。タワー下の店はとても暇そうであった。展望台に行こうと思うと、レストランは当日は閉まっているようだ。展望台は大人300円だったと思うが有料だ。それもあってあまり利用されないのかもしれない。ガラス越しで海を眺める展望台に上らずとも、東尋坊の崖に立つ方が気分はよい。ともかく食事は後回しにして早速東尋坊の断崖絶壁を見に行った。タワー前の広場を横切って北に50メートルほどで商店街のような細道にぶつかる。それを右手に行くと三国港に行くバス停、左の下り坂を3分ほど行くと東尋坊だ。そこで昔この商店街と言ってよい道を歩いたことをぼんやり思い出した。やはりどこかの駅で降りてバスで向かったのだ。商店街はたとえば京都清水坂のミニ版を思えばよい。観光客相手の店ばかりで、大半が飲食店だ。観光客は多かった。団体で来ているのか、カップルで来ているのか、彼らの車やバスがどこに停められているのかわからなかった。はははは、ヤフーの地図の航空写真を見てわかった。細い商店街の北側にタワー前の駐車場の数十倍の大きな駐車場がある。そこには立ち入らなかった。