附属小学校や中学校があった敷地にこの美術館が出来た。開館したのは2004年末なのか2005年に入ってからか、とにかくこの美術館については開館当時よく話題になり、早く訪れたいと思った。
面白そうな企画展をやっているのを知るたびにその思いが募ったが、ようやく先月9日に訪問出来た。ところが企画展はやっておらず、館内は半分しか立ち入ることが許されなかった。今日と明日はこの美術館の感想を書く。この「金沢にて」シリーズの最初に書いた。80年代に金沢に車で連れて行ってもらった際、兼六園の近くだったと思うが、車が一時停車して、その間に筆者はひとりでとある横丁に入った。奥行きが20メートルほどだった。突き当りまで行ってすぐに戻った。その路地を歩いたことが、兼六園をざっと見た以上に印象に残った。路地の両側は木造建築で、店ではなく、一般家屋だった。「趣味の切手」店の小さな看板を記憶するが、それはそこに店があったのではなく、看板だけが打ち付けてあったのだろう。ひんやりと落ち着いた雰囲気の横丁で、金沢らしいと思った。そこをもう一度歩きたいという思いが強くて金沢に出かけた。それを気にしながらあちこち歩いた結果、探り当てることは出来なかった。最も近いと思ったのは、泉鏡花記念館を東に進んで浅野川大橋に至る直前の坂道だ。坂を下って、来た方向を振り返ると、雰囲気はよく似るが記憶とは違う。それでも似た場所があるだけでもよかった。25年も前のことだ。家は建て変わり、昔の面影はなく、同じ場所に立ってもわからないかもしれない。兼六園の東通りを挟んだところに大きな駐車場があり、そこに車を停めて園を見たはずで、そこに戻って車に乗り、ほんの少し走って止まった覚えがある。ということは、兼六園の近くだろう。今回兼六園の周囲を全部歩きはしなかったが、ひとつ考えたのは、21世紀美術館のあった場所が25年前は何であったかだ。大きな美術館を建てるからには、以前の建物を取り壊さねばならない。ひょっとすればその区画内に筆者が立ち入った路地があったのではないか。距離的にもそのくらいだ。それをまず調べようと思いながら、ネット検索もしなかった。2日前、隣家を整理しながら、あちこちにあった本を棚にまとめたところ、数年前に京都ドイツ文化センターで確約で買った本「21世紀のミュージアムをつくる 金散文w21世紀美術館の挑戦」を見つけた。さきほどそれを斜め読みして、最初に書いたように以前は大学の附属小・中学校であったことがわかった。本が出たのは2004年10月で、その時点では美術館はオープンしていない。またその時点で附属小・中学校は10年前まであったと書いてあるから、筆者が金沢市に初めて行った25年前はまだ学校は機能していた。つまり、筆者が立ち入った路地はその区画にはなかった。それはいいとして、この美術館の東側の道路を南に歩きながら、左手すなわち兼六園に隣接する南部の緑地に気を取られた。神社と郵便局の間に行き止まりの短い路地があることに気づいたからだ。そこを歩くには道をわたる必要があったので、遠目に眺めただけだが、25年前の記憶とかなり近かった。ただしその路地ではない。何の変哲もない路地なので、もう探すことは諦めることにする。そのようなきわめて印象深い細い道はあるものだ。昔幼い息子と一緒にロンドンに行って数日滞在した時、毎日やたら歩き回った。その時にも路地に入り込んだ。とある家の前の植え込みが目立った。赤いフクシアが背丈以上に伸びて満開であった。それを眺めながらを通り過ぎると、家の中から女性が子どもに話しかける団らんの声が聞こえた。きれいに掃除された細道で、どこであったかも忘れたが、強く記憶に残っている。観光地よりもむしろそういう場所を忘れ得ない。晩年の寺山修二が他人の家の中を覗いて逮捕された事件があった。筆者はそんな趣味はない。ロンドンのこともたまたま歩いていてそういう道に至っただけのことで、団らんの声が聞こえた瞬間、すぐにそこを立ち去らねばならないと思った。観光客が見知らぬ人の生活に触れることはほとんどない。であるからTVでは芸能人が一般人の家に泊めてもらったり、親しげに話す番組が人気を集める。
21世紀美術館の話をせねばならない。円形で、内部は仕切りがかなり自由に移動出来るフレキシブルなところを売りにしている。日本中に箱ものがどんどん建ったので、話題を集めるにはその箱の形や機能にこだわる必要がある。変わったもの、珍しいものがあれば客はやって来る。商売も文化もそんな考えだ。美術も見世物であって、サーカスや映画、遊園地と同類だ。たくさんの人がやって来て、楽しんでくれてしかもお金を落としてくれる必要がある。美術館同士がそのような競争だ。流行歌のヒット・パレード、TVの視聴率、新聞の部数と同じで、どうすれば大勢の人を集めることが出来るか。まずこれが第一になっている。公共施設はみなその宿命を持っている。この美術館は名前が示すように、現代美術専門だ。大阪の国立国際美術館にもそんな傾向が強いし、また国立であるので規模も大きい。そのため、わざわざ金沢まで出かけなくてもという気にもなるが、そこはうまくしたもので、21世紀美術館の企画展は他県ではあまり取り上げない作家を紹介する。そのためにも行きたいと思い続けた。そこでしかやっていない、つまり限定商品に弱いのは若い女性だけではない。何かのファンというものはみなそうだ。しかも企画展は一定の期間しかやっていない。ま、どこかから作品を借りて来て展示するのであるから、日本のどの美術館、博物館もそうだ。そのため、一度行けば充分ではなく、企画展のたびに足を運ぶことになる。21世紀美術館が現代作家を中心に取り上げるのは、作品を借りやすいからでもあるだろう。また購入の場合、巨匠と呼ばれる100年前の作家よりはるかに安いはずだ。その代わり、評価がまだ充分に定まったとは言い難いので、20年や30年経つと人気がなくなっているかもしれない。それは誰にもわからないことであるから、作品購入を進めた学芸員は責任を問われないだろう。将来の美術品的価値ではなく、現在どのように多くの人に感動を与えるかが大事だ。だが、現代美術がそのようにぱっと見てすぐに感心されるようなものに価値があるということになれば、また問題があるから、そこは学芸員が高尚さを凡人に垂れるという思いから、わけのわからない作品を適当に挟むことも必要だ。このわかりやすさとわけがわからないの同居性が大事で、それでこそ通も凡人も満足して帰る。いずれにせよ見世物であり、美術館体験が面白かったと記憶に残ることを最優先させる。そのために手を変え、品を変えての展示だ。ところが、美術は美術館だけにあるのではない。図書館に行かねば本が読めないのではないのと同じだ。筆者のような年齢になると、自分の好きなものだけで周りを埋めたいから、美術も選り好みの思いが強くなるし、出来れば作品を買って手元に置きたい。現代美術館の大きな部屋いっぱいを使ったインスタレーション作品はどうでもよくなるし、美術館ありきで作られた作品に面白みを感じない場合も多い。現代美術を扱う学芸員は館の壁面や空間を埋めるための作品しか選択し、評価しないであろうし、そこには美術家との馴れ合いのようなものが生まれているだろう。そして学芸員も美術家も自分たちが最先端の美術を担っていると自惚れる。時々思うのは、たとえば国立国際美術館の展示室にユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンやディズニー・ランドの催しをそのまま持って来て展示することだ。展示というのは、美術館であるからそう呼ぶのであって、遊園地の催しを場所を美術館に移すだけのことだ。そうすれば子ども大喜び、美術館も儲かるし、遊園地の宣伝にもなって、いいことづくめではないか。学芸員は、これぞデュシャン以来の衝撃的レディ・メイドと持ち上げる。現代美術は遊園地のエンタテインメントと工夫の前で、もう死んでいるのではないか。美術といういかにも高尚な言葉だけが生き残っていて、それを隠れ蓑に別段どうでもいい作品を現代美術家は量産している。