辰巳の方角、つまり金沢城から東南に位置するのでこの名がある。「巽」は「そん」と発音する。これを知ったのは蒹葭堂の号が「遜斎」で、「巽斎」とも書くからだ。
成巽閣は兼六園に隣接してその南にある。2年ほど前、TVで成巽閣の特集を見た。2階の一部屋の群青色の壁があまりに鮮やかで、これは京都にはない色彩感覚だと思った。その壁を見たいために中に入った。入場料は700円だったと思う。兼六園をまだ出ない時で、入場料のこともあるが、家内は入らないと言った。二度と来ないかもしれないので、見ようと言い張って入った。その前に門の前で家内を立たせて写真を1枚撮った。それを下に掲げる。家内が写っていないのは、姿を消したからだ。写真の中央に全身が写っていたのを、背景を想像して塗り絵した。それがわかるだろうか。家内の姿をそのようにして消すのはいい気分ではなかったが、カードには元の画像を残してある。不機嫌に見える全身像を載せるわけには行かないし、家内にしてもそんな写真を人目に晒すのはいやだろう。さて、群青壁の印象を言えば、TVよりかなり色褪せて見えた。この2年でくすんだのではないだろう。デジタル画面は実物より彩度が増すのか、ドラマを見ているとアニメのようなくっきりとした色合いに出会う。色調を自由に調節出来ることも原因だ。アナログの画面はぼやっとしていかにも時代を感じさせるが、それはそれで慣れてしまえば平気だ。目の前に見える群青壁はアナログっぽかった。TVはデジタルになってますます虚構になった。そのため、TVで見て感激し、現地に出かけてがっかりするということが昔以上に起こり得る。成巽閣の内部は庭にカメラを向けることが許されただけで、群青壁は記憶に留めるしかなかった。デジカメで撮影出来たならば、その写真が2年前のTVの記憶とどれほど差があるか比較出来たが、デジカメで撮ればTVの印象と近いかもしれない。これはデジカメが鮮やかに写り過ぎるとばかりは言えず、筆者の眼球が濁っているのかもしれない。こうなれば何が真実か誰にもわからない。鳥は青系統の色に特に敏感で、4原色で物を見ていると言われる。鳥は成巽閣の群青壁を人間の眼球以上に鮮やかに感じているだろう。それはともかく、泊まった旅館の壁や、ひがし茶屋街の建物に濃い弁柄色に塗ってあったので、それと対をなすような群青壁を目の当たりにしたのはよかった。説明書によると、この色は日本画で使う非常に高価な岩絵具の群青ではなく、ウルトラマリンだ。岩絵具であればあちこちきらきらと光る。この壁にはそれがなかった。
ウルトラマリンは200年ほど前にフランスで発明され、すぐに日本に輸入された。その最も初期の使用例がこの壁とされる。今や安価でだが、当時はそうではなかったはずで、それをわざわざ成巽閣の一室に用いたことは、それだけ格式が高い建物であったからだ。TVで見た鮮やかさはウルトラマリンそのものであった。それがいささかくすみ、落ち着いて見えたのは、下地の影響か、絵具の褪色か。おそらくどちらでもあろう。となると、半年ごとに塗り直すべきではないか。微妙にあちこち剥げが見えたから、塗ってから数年は経っているかもしれない。この群青色の壁は、ジオットの壁画の青を連想させる。それはラピスラズリを粉末にして塗ったもので、画集でしか見たことがないが、宇宙を感じさせる。ジオットの壁画に熱を上げたのは10代後半であった。画集もいくつか持っている。それがいまだに実物に出会えない。こればっかりは日本で待っていても展覧会は絶対に開催されない。壁画であるから現地に行く必要がある。画集で見るその青は、実際に見ると成巽閣の群青壁と同じように濁って見えるかもしれない。その濁りが持ち味だ。年月を経ると、どんなものでも古色を帯びる。それがまた何とも言えない味を出す。ウルトラマリンの鮮やかさを見たいならば、筆者は2,3KGの粉末を所有しているから、それを引っ張り出せばよい。だが、その粉末のあまりにも派手で蓮っ葉な感じは好きではない。生々し過ぎる。化学の色なのだ。純粋かもしれないが、純粋とは馬鹿のことでもある。甘いも辛いも知り尽くしてなお純粋というのが魅力的ではないか。200年前のウルトラマリンは精製方法に差があって、もう少しくすんでいたかもしれない。ともかく、成巽閣の渋い群青壁は日本的な色合いとして落ち着きがあり、やはり派手さを抑える何らかの調合をしているのだろう。群青壁は2階の端の部屋で、どの窓も開けられていて、眼下の庭や向こうの屋根などが楽しかった。1階は庭しか見えないが、それとは全然違う眺望だ。成巽閣は杮葺きで、まだ新しいように見えたが、説明書によれば昭和59年に創建当時の杮葺きに変えたとある。向こうには艶のある瓦屋根が見えたが、傷みを考えると瓦の方が長持ちするのではないか。ま、創建時の姿が一番いいのは言うまでもないが。1階から2階へ上がる階段は、庶民の住宅の倍ほどの幅で、全体に黒く塗られているのに、中央部分は少し凹み、また色が剥げていた。壁は桐の文様を金泥で表現した唐紙貼りであったと思うが、階段に手すりがないので、この壁を触る人があって、金がところどころ剥がれ、また汚れていた。それだけ毎日たくさんの人が上り下りする。こうした大きな屋敷の2階にありがちだが、歩くとほんの少し揺れを感じた。
成巽閣は思ったより見どころがあった。説明書を見ると、筆者らが入ったのは北の随身門だ。左手に受付があったが、そこでチケットを買うには、まず靴を脱いで数段の木の階段を上がり、下駄箱に入れなければならない。随身門は兼六園や城への通用門として使われた。てっきり正門と思った。正門は南端にあって、そこは行かなかった。写真で見ると、海鼠壁が続き、風格がある。本物の海鼠壁は珍しい。回転寿司のかっぱ寿司はどの店も外観をペンキでこれに模している。その平板さはいかにもネタの厚さが薄い寿司にぴったりで、キッチュな宣伝の代表格だ。庶民は二次元で充分、身分の高い人が海鼠壁のように三次元の立体だ。成巽閣は江戸末期、前田家13代が母堂のために造営した奥方御殿だ。庭も建物も、また所蔵品もたっぷりと鑑賞出来る。企画展は3か月ごとに新しい内容となる。筆者らが見たのは「前田家伝来 夏衣裳と調度展」だ。奥方が着用した衣裳が数多く伝わっている。こうした時代衣裳は京都ではよく見る機会があるが、コンクリートや石造りの博物館とは違って、実際に使われていた畳敷きの日本建築の御殿の中で見ると、また重みが違う。ガラスケースに収められているとはいえ、ごく間近だ。しかも自然光で見られる。展示数はさほど多くない。キモノは絽の御所解が1点、麻の帷子が3点であった。説明書には1点は江戸で作られたとあるが、もちろん京都でも同様のものを染めることは出来た。文様には一定の決まりがあって、こういうキモノには町人が着る奇抜さは全くない。仕事はていねいで密度は高いが、型にはまってどれも同じに見える。現代日本のサラリーマンと同じだ。一定の格式を守るとなればそうなる。それから外れるのはカジュアルだ。いい歳の大人がフォーマルの衣服を持たず、いつもアンコン仕立てのカジュアルとなると、軽い人間と思われる。殿様の世界ではカジュアルは存在せず、威厳を保つことに肩が張って大変だったと思う。だが、日常の意識は案外着ているものに大きく左右される。誰とも会わなくても、部屋の中でいつも立派なスーツを着ていると、そのうちそれにふさわしい貫禄が出るのではないか。筆者はスーツを着ることが1年に1回ほどしかない。これでは精神がだらける。真摯な紳士と言われるためには、部屋でも外出時でもスーツ着用だ。部屋ではいつもジャージとなると、外出時のスーツもさまにならないのではないか。そうそう、先日の小学校での体育祭では地元の衆議院議員がやって来て自治会長に順に名刺をわたして挨拶して行った。ポスターで知る人で、握手した手はとても柔らかかった。彼らは人と会って話をすることが仕事で、それこそ終日スーツを着ている。筆者より10歳ほど若く、政治家らしい風格のある人で、スーツ姿がいかにも板についていた。手の柔らかさは筆者も負けていないと思うが、家内に言わせると、ここ数年めっきり固くなったとのこと。庭仕事程度でそうはならない。年齢に勝てないのだ。家内が京都に出て来て最初に勤務した店のおばあさんは、「男は手と顔の色を見ればわかる」と言っていた。肉体労働か知的な仕事に従事しているかの違いを言うのだ。これは殿様好みということか。いつの時代のどんな女性でも下僕より殿様と暮らす方を選ぶ。筆者は色白で、手も柔らかいから肉体労働者には見えないし、実際そうだが、かといって知的な仕事に従事しているかと言えばそれも違うから、おばあさんの男判断にも狂いがあったのではないか。蛇足ながら、そのおばあさんとは親しくし、えらく気に入られた。
話が脱線した。成巽閣の企画展は11月26日までだ。それ以降は来年4月までない。これは冬の間は寒くて襖や障子を開けっ放しにして光を部屋に入れることが出来ないからかと思うと、成巽閣は年始年末以外ずっと開いているから本当の理由はわからない。冬用にふさわしい展示物があまりないからかもしれない。また、企画展がなければ展示は一切ないかと言えばそうではないだろう。御所人形や扇、べっこうの簪、鮮やかな布を用いた押絵細工による財布状の入れ物など、女性らしい小物が庭に面した陳列ケースにずらりと並べられていた。これらは企画展用の展示ではないだろう。というのは、展示の各コーナーに水色の紙に印刷した説明書があってそれらを全部もらって来たが、企画展用の説明の中には含まれていない。ただし、年中の展示では色褪せるから、やはり企画展用か。美術館の展示とは違って、部屋のあちこちに邪魔にならないように散在させてあるので、どれが常設か企画用かわからない。押絵細工のひとつに梅枝を表現した団扇型の1点は天地逆さに展示してあった。知識不足を指摘してやろうと思ったが、帰りがけに係員に言うのを忘れた。係員はチケット売り場いかにも現代っぽいにアルバイトらしき若い女性がふたりいた。彼女たち言っても理解しないだろう。座敷に面して庭はふたつあった。万年青の緑庭園とつくしの緑庭園だ。下に掲げるのはつくしの方だと思う。右に見える男性はひとりでやって来て、筆者がカメラをかまえた時にどかりと座り込んだ位。人は次々とやって来るようで、筆者らがいた間、1,2階合わせて30名はいた。重文に指定されているので、1階だけでも10ほどある部屋のどこかで茶を飲ませることは無理なのだろう。なので、庭に面した縁で座ることが許されているのは年配者にはありがたい。だが、真冬はどうするのか。庭に雪が積もっている光景も見ものだが、あまりの寒さに早々に引き揚げねばならないかもしれない。